第356話 じゃあそゆことで
ウーヴェに首根っこをつまみ上げられ、月姫がぷらぷらと揺れている。
先程までは『犬の散歩中にパワー負けした飼い主』のような有り様だったというのに、莉々愛の後方に浮かぶカメラに気づいた途端、思い出したかのように尊大な態度を取り始めた。
「ククク……闇の眷属共よ、大義であるッ!」
「はいはい大義大義」
結局ウーヴェが感じた気配は巨獣の発するものであった。
合流が目的だったのだから問題ないが、すわエンカウントかと思っていた莉々愛に言わせればとんだ肩透かしだ。なお肉の突進もまたウーヴェによって止められており、現在は不機嫌そうな鼻息と共に彼の足へと齧りついている。縮む前ならいざ知らず、さしもの肉も六聖随一のフィジカルを誇るウーヴェは撥ね飛ばせなかった。それでも数メートルは押し切ったあたり、元神獣の意地は見せたというところだろうか。
「フフ、多少のトラブルもあったが……無事合流出来たようだな! 全ての計画は我が手中にあり!」
「普通に汀さんのナビのおかげでしょ? アンタさっき情けない声出てたわよ」
「……そこだけカットで」
「ライブだっての」
以前より知り合いだったこともあり、月姫と莉々愛のやり取りは良好。
『戦地では僅かな余裕と、適度な緊張感を持ちなさい』とはアーデルハイトの言葉だ。本来ならば緊張して然るべきこの場面でも、二人の会話は潤滑剤としていい具合に働いていた。
「ところで、レベッカさんは何故そこで痙攣を?」
「師弟間のバッドコミュニケーションよ。そんなことより時間がないわ、先を急ぎましょ」
本ダンジョンは現在地より五階層先が最深部であると、汀の魔法によって既に判明している。
もちろん月姫と莉々愛、そしてレベッカの三人であれば、ウーヴェが居なくとも最深部まで到達出来るだろう。肉や毒島さんに、オルとロス――この二匹は舌を出してハァハァしているだけだが――も合流したため、戦力としては盤石であるとすら言える。
だがなによりも、今は厳し目の制限時間がある。
加えて、死神が出現した時点でウーヴェとは別れなければならないため、最強の一角が自由に使えるうちに出来るだけ距離を稼いでおきたかった。それを考えれば、こんなところでコントをしている余裕などない。
「んォ…………あァ? 何でンなとこで寝てンだァ……?」
「あっ、起きた」
* * *
漸くの合流を果たした一行だが、レベッカ起床後の攻略は酷く順調であった。
これまではウーヴェとレベッカによるゴリ押しで進んできたが、そこに月姫と肉まで加わったからだ。突破力だけで言えばアーデルハイト単独よりも上――隣にクリスを添えるのなら、或いはまだ及ばないかもしれない――の、ほとんど最強クラスのパーティと言っていいだろう。
そうして現れた魔物を千切っては投げ、轢き潰しては足蹴にし。
今なお高貴な戦闘音の響き渡るフロアから、ほんの三十分もしないうちに次の階層へと進んでいた。
:モザイク男子が強すぎる
:ミギーのナビがチート過ぎる
:お肉パイセンの突破力がチート過ぎる
:いや、カグーとベッキーも大概だろこれ
:配信元二分割なのに同接ヤバいぞ
:ほぼ全員複窓で見てるだろコレ
:それでもアデ公の方が同接多いのは流石やな
:あっちは戦闘開始から一生クライマックスしてるんで……
当然ながら視聴者数の伸びは留まることを知らず。
異世界方面軍の過去配信は疎か、世界トップの配信チームである魅せる者の最高同接記録をも塗り替えようとしていた。
しかしそんな、時間制限が迫っていることを除けば極めて順調だった進撃も、フロアをふたつほど進んだところで遂に止まる事となった。
「む」
「…………あァ?」
小さな小部屋に差し掛かったその時、一行の中で最も気配に敏感なウーヴェとレベッカが突如、警戒の表情を浮かべてその場で停止する。
見ればいつの間にか肉も突進を止めており、短い前足で地面をガリガリと掻きながら、前方の暗闇をじっと睨みつけていた。その後数秒を置いて、月姫もまた何かに気付いた様子で刀の柄を握った。
「ちょっと、急に止まって……一体何なのよ」
個人としての戦闘力はそれほど高くない――それでも国内トップクラスではあるが――莉々愛が、怪訝そうな顔で文句を垂れる。位置的に最も後ろにいたこともあり、またそもそも薄暗い通路内であるために、彼女のポジションからでは前方の様子がよく見えない。故にひょこりと身を乗り出し、前方にある部屋の様子を窺おうとしたところで――――莉々愛の耳に澄んだ高音が届いた。
瞬間、ウーヴェが右手で虚空を掴む。莉々愛の眼前、すぐ眼と鼻の先にある空間を。
そのあまりの速さ故に、一体何をしたのか莉々愛には理解出来なかった。
「へっ……?」
呆けた声を挙げる莉々愛の瞳には、眼球の僅か数センチ先にまで迫った鋭利な鏃が映っていた。
先程聞こえた高音は、矢が風を切り裂いて進む音だったらしい。それに気づいた時、莉々愛の背中にはどっと汗が吹き出していた。
前方に広がる闇が、まるで生き物のように蠢く。闇はそのまま渦を巻き、ある影を形作ってゆく。
最初からそこに居たかのように自然で、しかし不気味で希薄な存在感。魔法や闘気を習得する前には感じ取れなかった出現の予兆が、今の月姫とレベッカにはハッキリと分かった。そうして姿を現したのは通常の姿とは明らかに異なる、謂わば特殊個体とでも言うべき死神であった。
「ふん……どうやら剣聖の読みは当たっていたらしい」
「アタシも何度か遭遇した事はあるけどよォ……死神つーのは、弓なンざ使わねェもんだと思ってたぜ」
「あ……そういえば師匠が言ってました。なんか女神の力がなんとかかんとかで、もしかすると通常種とは違う死神が出るかもしれない、みたいな?」
ウーヴェが拳を握れば、音を立てて矢がへし折れる。つまり飛来したソレには実体があるということ。
以前アーデルハイトが京都で倒した時と全く同じだ。本体は魔力の塊故に実体がないが、しかし手にした武装には実体がある。京都ダンジョンで遭遇した際、大鎌だけは確かにそこに存在していたように。
揺らめく襤褸状の魔力、その傍らに浮かぶ歪な大鎌。
そしてその背後に浮かぶ鋭い鏃。しかしどういうわけか、弓の本体はどこにも見当たらなかった。だが先の一幕を見る限り、遠距離からの攻撃手段を持っているのは確実だ。この時点で既に通常の死神ではない。
ダンジョン内の魔力異常を検知し、それらが集まって生み出される死神。
そこに神力が加わった事により、目の前の個体はアーデルハイトの読み通り、特殊な個体として現れた。
「面白い……道を拓いてやる。ここは俺に任せて先に行け」
野性味たっぷりの獰猛な笑みを浮かべ、お決まりの台詞――もちろん彼はそんなテンプレなど知らないだろうが――と共にぐっと拳を握り込むウーヴェ。
もしこれがお決まりの展開であったなら、仲間たちから制止の声がかけられる事だろう。やれ『一人だけ置いて先に行けるか』だの、『自分も残って戦う』だのと、そういった類の台詞だ。しかし残念ながら、ここに居るのはそんな可愛らしい面子ではなかった。
「おう、んじゃァ任せたぜ旦那」
「くくッ! 見せ場を譲ってやろう、我が闇に連なる眷属よ!」
「当たり前でしょ、そのために連れてきたんだから。あ、でもさっきはありがとね。じゃあそゆことで」
別段心配した風もなく、あっさりとその場を任せ先に進み始める三人と四匹。
予定通りといえば予定通りだが、なんとも薄情なことである。もちろんコメント欄では総ツッコミが発生していたが、しかし何度も言うように時間がないのだ。
そして何よりも、一体誰の何を心配しろというのか。
死神の脇を抜け、そそくさと先を急ぐ一行。
もちろん、黙って離脱を許してくれるほど甘い敵ではない。だがそれでも、彼女らは振り向きもしなかった。ここは任せろと、そう言った人物がどれほど強いか知っているからだ。
身動ぎひとつせず佇んでいた死神が、レベッカ達の方へと顔を向ける。
そうかと思えばギリギリと、どこからともなく何かを引き絞るような音が聞こえ始める。これまでの流れを考えれば、それが矢による攻撃の予兆だというのは明らかだった。そうして放たれた凶弾は、しかしほんの一メートルほど進んだところで掴み取られてしまう。雷光のような速度で懐に潜り込んだウーヴェの右手によって。
「そういえば……まだ死神は倒したことがなかったな」
そう独りごち、掴んだ矢をそのまま死神へと叩きつける。
無論死神にダメージはなく、ただ襤褸を霧散させただけだ。だがそれでも、レベッカ達が離脱するには十分な時間稼ぎであった。
「確かに不得手な相手だが――――」
悠々と部屋から脱したみっつの背中と四匹のケツを見送りつつ、準備運動でもするかのようにその場でステップを踏むウーヴェ。
再び形を取り戻した死神を睨めつけ、そうして彼は再び拳を握った。
「剣聖に出来て、拳聖に出来ぬ道理もあるまい」
えっ、物理で除霊を!?
出来らぁ!




