第353話 カニを彷彿とさせる
この世のありとあらゆるものには、何かしらの『弱点』がある。
例えば植物系の魔物なら、月次だが炎に弱い。以前に月姫の特訓で使われたトレントがいい例だ。魔法の無い現代だからこそ、トレントはそれなりに強いモンスターだと言われている。しかしこれが魔法で溢れた世界なら、或いは、近代兵器がダンジョン内へと持ち込めたのなら。火をつけてしばらく待てば、そこには上等な木炭が転がっていることだろう。
例えばウーヴェのような強者であっても、弱点は存在する。
彼の戦いは自身の肉体を闘気によって強化し、その鍛え抜かれた力と技で以て相手を叩き潰す、いわゆる純物理型だ。もちろん闘気による防御法は持っているため、そこらの魔術師ごときでは相手にならない。しかしその男らし過ぎる――脳筋ともいう――特性上、どうしても霊体や魔法攻撃への耐性が低くなる。なおこれは格闘家に限らず、物理的な攻撃を得意とする者であれば全般的に言えることだ。むしろウーヴェの場合は闘気を習得しているが故に、『どちらかといえば苦手』といった程度のものでしかなく、一般的な物理職と比べればほとんど誤差の範疇ではある。
つまりは、一見無敵に見えるような相手でも必ず攻略する手段はある、ということだ。
それがたとえ神力によって強化された悪魔であっても。
「ふふん、ハエが止まって見えますわー!」
アーデルハイトが右手を振るえば、攻撃を受け止めたローエングリーフが火花を散らす。魔力を喰らい自らの力に変えてしまう聖剣にとって、逆巻く炎などは賑やかし以外の何物でもない。敵の膂力も凄まじいが、しかし聖剣を振るうのは他でもない剣聖アーデルハイトだ。片手で振るうには無理のありそうな大剣であっても、彼女にかかればまるで羽のよう。如何に相手が公爵級相当の悪魔であったとしても、ただ打ち合うだけならば酷く容易い事だった。
攻撃を弾き返すと同時、ズラトロクの姿が煙のように掻き消える。肉薄すれば視界を覆い尽くしてしまうほどの巨体が、音もなく。
しかし転移には、消えてから出現するまでの間に僅かなタイムラグがある。そしてアーデルハイトにはしっかりと敵が見えて――――否、視えている。殺気や移動に伴う空気の流れ、匂い、魔力の残滓、そして神力の悍ましい気配。そうした僅かな情報を六感で感じ取り、これまでに得た経験と統合し、予測し、そして反応する。本来後手であるはずの『反応』は、感覚と経験によって加速し、果ては予測を追い越してゆく。
左手に握ったローエングランツが空気を切り裂き、唸りを上げる。アーデルハイトが狙ったのは自身の後方、今はまだ何も存在しない空間だった。するとその直後にアーデルハイトの右後方で、何かしらの幾何学模様が描かれた魔法陣が浮かび上がり、空間に歪みが生まれる。そうしてズラトロクが再び姿を見せ、間髪入れずに右手を振り下ろすが――――虚空へ向かって突き出していた筈の大剣の刃が、凍てつく巨腕を見事に受け止めていた。
後の先を超え、更に先を行く刃。
これぞ先代より叩き込まれた、カウンターの極致。
「そのような手品紛いの攻撃では、いつまで経っても私には届きませんわよ」
目と鼻の先に対峙しながらも、余裕たっぷりに敵を睥睨するアーデルハイト。しかし、ここで終われば今までと変わらない。クリスの分析によれば、両腕による攻撃を終えた今この瞬間こそが唯一、敵にダメージを通す好機なのだ。先刻の打ち合いでは手数が足りず、ここで手詰まりであった。だが今、先程までと決定的に違う点がある。敵は攻撃後の硬直にあると感じたアーデルハイトは、自身に従う神器へと命令を下した。
「無垢の庭園!」
『剣姫の誓約』を使用する前には不可能だった三本目の刃だ。刹那、伸び切ったズラトロクの腕へと純白の聖剣が突き刺さる。剣先から三分の一ほどを刺し貫いたところで無垢の庭園は停止。ズラトロクの腕から緑色の血が、滲むように垂れ流されていた。クリスの分析通り、やはり攻撃の瞬間には神力障壁が解除されるらしい。戦闘が始まってから数分、ここにきて漸くまともなダメージを与えることに成功した。
「まだですお嬢様! 浅いッ!」
後方からクリスが叫ぶ。そう、これでは浅い。
魔族は大抵の場合、強力な再生能力を有している。この程度の手傷はものの数分、あるいは一分もしないうちに治癒してしまうだろう。女神や聖女の介入によって能力が強化されているのなら尚更だ。魔族をベースに魔改造を施されたこの敵ならば、下手をするともう再生が始まっている可能性すらあった。もちろんアーデルハイトもそのことを理解しているが故に、彼女の攻撃はここで終わらなかった。
「割断! ノーブルディバイドッ!」
アーデルハイトが叫ぶと同時、無垢の庭園に埋め込まれた宝石が光を放つ。以前、アーデルハイトは無垢の庭園を地面に突き刺すことで起点を作り、そこに強大な障壁を展開した。ノーブルディバイドとやらはつまりソレだ。本来は防御用の障壁だが、『全てを遮断し通さない』という性質を利用すれば攻撃へと転用出来る。つまりは突き刺さった状態から障壁を展開することで、このままズラトロクの腕を切断してやろうというのだ。自身の攻撃が届かなかったばかりか、直後に予期せぬ反撃を受けたことで、ズラトロクが濁った瞳を見開く。
しかし驚いたからといって、敵が黙ってそれを許すはずもない。
魔族としての本能のみで暴れている状態だ。自我を失っていようとも、それが受けてはならない攻撃だということくらい分かるのだ。流石は高位魔族の変異体とでもいうべきか、そこからの判断は早かった。
「っ!? このッ……!」
突き刺さったイノセンスを抜くでもなく、後ろに下がって距離を取るでもなく。あろうことか空いた方の腕で、アーデルハイトへと反撃を行ったのだ。
魔物であろうと人間であろうと、ダメージを受けた直後は前に出るのが難しい。足の小指をぶつければ跳ね上がってしまうように。腹を殴られれば体を丸め込んでしまうように。頭では理解していても、肉体の反射が邪魔をするのだ。ズラトロクがとった行動は、まさしく魔族の闘争本能によるものだった。
もしも今、アーデルハイトが『剣姫の誓約』状態でなかったなら。
迎撃に手を割かねばならず、大したダメージも与えられずに仕切り直しとなっていたことだろう。しかし何度でも言うが、今のアーデルハイトは限界突破状態
だ。わざわざ自らで迎撃せずとも、命令ひとつでいくらでも対応出来てしまう。
「失墜の剣ッ!」
巨腕の行く手を阻むかのように、漆黒の魔剣がアーデルハイトの眼前へと躍り出る。
しかし失墜の剣はデバフ用の神器だ。その強度は非常に低く、とてもこのレベルの打ち合いには耐えられない。案の定ズラトロクの攻撃をほんの一瞬受け止めたかと思えば、次の瞬間には粉々に砕けてしまった。当然ながら戦闘に於いて、武器が破損するということは非常に危険な状況だ。だが、こと失墜の剣に関しては違う。これでいいとばかりにアーデルハイトが笑う。
「手間を省いてくださって助かりますわ」
アーデルハイトがそう呟くと同時に、圧倒的な膂力で以て振るわれた筈の腕は、目に見えて速度を落としていた。以前伊豆で使用したときとは異なり、自ら崩壊してデバフ領域を展開したわけではないため、効果時間は殆ど望めない。しかし今はそれで十分だった。アーデルハイトは手にした二振りの剣を振るうことすらせず、ほんの僅かな動作でひらりと回避してしまう。
そうして最小限の動作で攻撃をいなしたアーデルハイトは、再び無垢の庭園へと意識を集中させる。
「ふんぬ!」
微妙に気が抜けるような声と共に、ズラトロクの腕――――その肘から先が地面に落下した。
「ふぅ……少々手こずりましたけれど……なにはともあれ、片腕ゲットですわ!」
両手に剣を握ったまま、まるで『やったぜ』とでも言わんばかりにピースサインを作り、カメラにアピールしてみせるアーデルハイト。腕を真っ二つに切り落としたとなれば、再生するにしてもそれなりの時間を要することであろう。つまりここから腕が再生するまでの間、アーデルハイトにとっては非常に有利な時間が続くということだ。本人はまるで意識していなかったが、その姿はどこかいつぞやのカニを彷彿とさせるものであったという。戦闘の合間だというのに、喜びの表情を見せるアーデルハイト。速すぎるが故に戦いの仔細はまるで理解出来なかったが、それでも湧き上がる視聴者達。
しかしこの時、彼ら彼女は忘れていた。
誰しもが必ず、弱点を抱えているということを。
そしてそれは、一見無敵に見えるこのアーデルハイトであっても例外ではないということを。
Q 何か資格は持っていますか?
A 死角……? 特に無いです。無敵です。




