第351話 剣姫の誓約
真っ赤に燃え盛る炎が、二の腕から握られた拳までを覆う。
炎を纏った巨腕はまさしく悪魔のようで。そうして振り下ろされた一撃は、しかしアーデルハイトを捉えることはない。
「その程度の攻撃、当たるほうが難しいですわー!」
華麗なステップで数歩後退、攻撃をじっと見つめたのち、立ち位置を少しだけ横へずらす。ひどく簡単そうに見えるたったそれだけの動作で、ズラトロクの攻撃は空を切り地面を叩く。爆発でも起きたかのようなその衝撃に、再びフロアが――――否、階層そのものが激しく振動する。アーデルハイトは『遅い』と言うが、断じてそんなことはない。並の者が相手であれば今の一撃で決着していても何らおかしくはない、それほどの速度であった。
叩きつけられた拳、大きく陥没した地面。
そこを起点として、炎が渦を巻いて周囲へと燃え広がる。延焼するようなものなど周囲にはないというのに、だ。
故に自然現象による炎ではなく、魔力によって生み出された炎だと分かる。加えて直接の殺傷力こそ大したことはないが、炎は視界を遮り行動可能範囲を狭める。攻撃自体の回避に成功しても、炎が齎す副次的な影響は無視出来ない。成程確かに、厄介な攻撃であった。
とはいえそれも、相手がアーデルハイトでなければの話だが。
「ふんぬっ!」
大剣形態から長剣形態へと戻し、軽く撫でるように剣を振るう。
すると逆巻く大火が、まるで小火であったかのように切り裂かれてゆく。魔力を断つというローエングリーフの特性は、対魔族戦――目の前のコレを魔族と呼んでよいのかは分からないが――に於いて絶大な効果を発揮していた。
炎海の中に生まれた一筋の道を、アーデルハイトは微塵も恐れることなく駆ける。
湖面の如き美しい剣閃が、伸び切った敵の腕を斬りつける。落とすつもりで放った剣聖の一撃だ。無事で済む筈がない。
だというのに、やはりズラトロクの巨腕は健在であった。それどころか、僅かな傷痕すらも残っていなかった。あたかも攻撃そのものが届いていないかのように。
「ああもぅ、なんですのコレ!? 硬いだとか、そういう次元の問題ではありませんわよ!?」
素早く身を翻し、流れるように敵から距離をとるアーデルハイト。どうやら結果に納得がいかなかったようで、唇を尖らせながらぷりぷりと不満を垂れていた。
剣を躱されたことは今までにも何度かあったが、直撃を取ってなおダメージが通らない相手というのは、彼女にとっても初めての経験だった。
しかし幸いにも敵は鈍重。
パワーこそ凄まじいが、速度に関しては余裕を持って対処出来る程度でしかない。何か弱点のようなものを見つけるまで、片っ端から試せば良いだけのこと。アーデルハイトがそう考えた、その瞬間だった。先程まで前方に居たズラトロクの姿が、突如として掻き消えたのだ。何の前触れもなく、文字通りの消失だ。
驚きに目を見開くアーデルハイト。次いで、こめかみに感じるチリチリとした嫌な気配。
数々の戦場を剣で切り拓いてきた彼女の、全ての経験が激しく警鐘を鳴らす。
(――――転移、右側方ッ!)
声を発するよりも先、殆ど反射だけで剣を差し込む。そのまま剣の刃を立て、いなすようにして身体を沈み込ませるのと同時。アーデルハイトの頭上を、殺意の塊が凄まじい速度で通過してゆく。直後に感じた空気は、不自然な程冷たかった。
直撃すればそれだけで終わりかねない、致命的な一撃。
それをどうにかやり過ごし、アーデルハイトは再び不満を叫ぶ。
「今度は冷気ですの!? 一体どこのキッズが考えた『さいきょうのモンスター』ですのよ!」
先ほど炎を纏っていた右腕とは異なり、今回振るわれたのは冷気を纏った左腕。
おまけに転移能力持ちときた。成程確かに、中学生が好きそうな敵と言えるだろう。とはいえ先の炎と同様、やはり実際には冷気など大した脅威でもない。長時間接すれば、あるいは身体の動きを阻害される可能性くらいはあるだろうが――――むしろそれよりも、腕をまばらに覆った氷の鎧のほうが厄介だった。分厚い氷一枚分、単純な物理防御力が上がっているからだ。
先程までは単打での攻撃しか行ってこなかったズラトロクであったが、この時を境に攻めは変化を見せた。
燃える右腕、凍てつく左腕。それぞれが致命的な威力をもつ、高速の連打へと。
流石のアーデルハイトといえど、これには防戦を強いられる。
正直に言えば、両腕のしょうもない能力に関してはどうでもよかった。兎に角『転移』が面倒なのだ。速度そのものが上がった訳では無いが、一撃ごとに出どころが変わるとなれば、対処の難しさは一気に上昇する。
「くっ、このっ……クリス! そろそろ何か解りまして!?」
多角的に迫る攻撃をどうにか凌ぎつつ、アーデルハイトが叫ぶ。
そう、何もアーデルハイトは考えなしに戦っていたわけではない。この特殊に過ぎる敵の弱点、突破口を暴くために戦っているのだ。だが流石にこのレベルの敵ともなれば、戦いながらというのは難しい。故に、敵の解析をクリスに任せていたのだ。
「さて……あくまでも『恐らく』ですが、構いませんか?」
「構いませんわ!」
相対して初めて分かることもあれば、外から俯瞰することで分かることも多い。
そんな作戦が功を奏したのか、初手で魔法を放って以降『見』に回っていたクリスは、どうやら何かに気づいた様子であった。
「敵の左腕――――先ほどお嬢様が受け流した際に、僅かですが傷を負っています」
クリスの仮説を聞いたアーデルハイトが、拳を正面から受け止め、大きく上方へと弾き飛ばす。
強引に行った故か、両手に若干の痺れを感じるアーデルハイト。しかし、それによって生まれた僅かな硬直。跳ね上がったズラトロクの左腕は確かに、小さく煙のようなものを発していた。
「既に再生が始まっていますが、確実に通ってはいます。情報を整理するに――――恐らく敵の不可解な防御は、攻撃時には適用されないのではないでしょうか」
「ではわたくしが凌いでいる間に、早く魔法で倒してしまいなさいな!」
「無理です。これほど転移を繰り返されては捉えきれません。最悪、お嬢様に当たります」
「絶対にやめてくださいまし!」
仮にクリスの説が正しいとするならば。
敵の防御を破るには後の先、つまりはカウンターによる一撃が必要になるということ。それも魔法による援護無しの、アーデルハイト単独での突破が必要だった。しかし現状、アーデルハイトは防御で手一杯となっている。受け流しで小さなダメージを取ることは出来ても、致命傷を与えることは難しいだろう。
だが、難しいだけだ。そう、出来なくはないのだ。
現在アーデルハイトが防戦一方となっているのは、偏に手数の問題でしかない。両碗から繰り出される連打を剣一本で凌ぐのは、如何なアーデルハイトといえども物理的に手が足りない。裏を返せば、手さえ足りればどうにでもなるということ。それを為すための力も技も装備も、彼女には全てが備わっているのだから。
アーデルハイトの瞳がすぅと細められる。
「仕方ありませんわね……クリス! アレをやりますわよ!」
「……ここで、ですか?」
「それしかなくってよ! 配信中に苦戦するなんて、わたくしの沽券に関わりますわ!」
「……致し方ありませんね。五分だけですよ」
長剣形態から大剣形態へ、聖剣が一瞬で変形を終える。
瞬間的に増した質量をそのまま敵へと叩きつけ、僅かなダメージを与えて吹き飛ばす。とはいえ敵には転移能力があるのだから、これで稼げる時間はほんの少しだ。だがピッタリと息の合った二人には、それで十分だった。
クリスの手のひらから、強化魔法のものであろう光が降り注ぐ。
アーデルハイトが聖剣を地面に突きたて、右手を宙に掲げる。そうして二人は静かに呟いた。
「”剣姫の誓約”」
ノーブルプリズムパワー!
メイクアップ!




