第350話 見りゃ分かんだよ
クリスが指に力を込める。
溜めて、溜めて、親指と中指を擦り合わせる。
骨の軋む音が聞こえそうなほど、目いっぱいに込められた力。白く美しい指先は熱を伴い、勢いよく空を叩く。
他でもない、逸脱者の一人であるクリスが行うのだ。当然ながらそれは、通常のフィンガースナップとはわけが違う。直後フロア内に鳴り響いたのは、殆ど破裂音のようだった。
クリスが『指パッチン』を行うと同時、ズラトロクの眼前に亀裂が現れる。
否、それは亀裂というよりも境界。何も無い筈の空間に、白く小さな直線が引かれていた。ほんの指先程度の大きさだった境界線は、じりじりという不愉快な音を鳴らしながら、徐々に長く大きくなってゆく。そうしてゆっくりと手のひら程のサイズまで伸長し――――
「”界雷一閃”」
強烈な熱と光が突如として爆発し、クリスの言葉と共に虚空を切り裂く。
つい先程まで手のひらサイズだったそれは、フロア内の床や壁、天井にまで斬撃痕を残していた。
クリスの得意とする雷系統魔法の中でも、『界雷一閃』は最上位に位置する魔法だ。
この魔法は発動までが長く、使い勝手がとにかく悪い。速度と範囲に優れているのが雷系統魔法の特徴だが、『界雷一閃』に関しては速度も範囲もイマイチなのだ。だがそのぶん、威力に関しては折り紙付きであった。むしろ、威力が無駄に高すぎるとさえ言われるほどである。そんな威力のみに特化した魔法を初手で放つあたり、ズラトロクに対するクリスの警戒度は推して知るべし、だ。
:ア゛ッ!
:オギャーッ!
:鼓膜ないなった
:前もって警告してって言ったじゃないですかヤダー!
:おっ、異世界は初めてか? 俺はちゃんと嫌な予感してたよ
:なお鼓膜
:防げたとは言ってないんだよなぁ……
阿鼻叫喚のコメント欄へは一瞥もくれず、クリスが敵を注視する。
たとえ竜種が相手であったとしても、手傷を負わせるに足る威力を持つ魔法。それが直撃したというのに、クリスは微塵も表情を緩めなかった。眉を顰め、やや不愉快そうに敵を睨みつけるクリス。そうして誰に言うでもなく、ぽつりと言葉を溢す。
「……やはり効果はなし、ですか」
そう、やはりだ。
恐らく効果がないであろうという事は、ある程度予想出来ていたのだ。
眼前に佇む異形について、無論クリスは何も知らない。神力による強制的な変異で生まれた魔物など、見たことも聞いたこともない。それでも効かないだろうと予想出来たのは、偏に敵の態度のせいだった。そもそもの話、詠唱を妨害されなかったことが既におかしい。そこらの雑多な魔物でさえ、魔法発現に伴う魔力の増大を感じ取り襲いかかってくる。それが普通なのだ。
しかしズラトロクは違った。ただじっと、油断なくクリス達の方を見つめるだけであった。
よもや魔力を感じ取れなかったわけでもあるまい。であればそれは、クリスの魔法を脅威と感じていなかったから以外に考えられない。或いは舐めているのかも知れない。最上位の魔法である『界雷一閃』の詠唱を、黙って見過ごす程度には。
とはいえ事前に予測出来ていたこともあり、クリスの方にも動揺は見られない。
瞬時に原因――――魔法が通用しなかったその理由を、前後の様子から探し始める。
(魔法耐性……否、それはあり得ません。ダメージが軽微であったとしても、なんらかの痕は残る筈――――たとえどれほど魔力に耐性があったとしても、です)
例えば魔物界で最強の一角と謳われる、竜種が相手であったとしても。
世界に数体しかいない、神獣と呼ばれる化物が相手であったとしても。火傷や裂傷など、程度に差はあれど何らかの形跡が残るはずなのだ。しかしズラトロクにはそれが一切ない。熱による煙は僅かに上がっているが、それも切り裂いた地面や壁からのものだ。まるで攻撃そのものが届いていないかのように、ズラトロクはぴんぴんしていた。
(届いていない……つまりは結界の類でしょうか? なるほど確かに、魔力結界を生まれながらに備える魔物は存在する。いえ、しかし今のは――――)
クリスが自問を繰り返していたその時、敵が漸く動きを見せた。
鋭い警戒の視線はそのままに、長い腕を地面に突きたて、ゆっくりとした動作で一歩分だけ進み出る。防御に全振りした鈍重な相手なのだろうか。或いはその逆で、純粋なパワー系だろうか。それとも動きのキレで相手を圧倒するタイプだろうか。魔法を駆使する面倒なタイプだろうか。未知の相手に、始まったばかりの戦闘。情報が不足しているが故に、いくら考えても答えなど出はしない。唯一言える確かなことは、このまま敵が動き出すのを黙って見ているわけにはいかない、ということだけ。
瞬時に頭を切り替え、再び魔法の詠唱に入ろうとするクリス。
もう一度『界雷一閃』を放つとして、詠唱に要する時間は大凡十五秒ほどだろうか。仮に相手がスピードタイプであったなら、当然ながら間に合う筈もない。鈍重なパワータイプだったとしてもギリギリだろうか。範囲殲滅力に優れるが、連発が出来ない。これは全ての魔法使い――クリスの本職は魔法使いではないが――が抱える欠点だった。
だがその瞬間、クリスとズラトロクの間に割って入る者が居た。
紅く巨大な剣を右手に携え、しかし重さなどはまるで感じさせない流麗な動き。
アーデルハイトが金の髪を揺らしながら、それこそ閃光のような圧倒的な速度で、ズラトロクの懐へと潜り込んでいた。
「ところがどすこい、わたくしもおりましてよーっ!」
そんな怪しいセリフと共に現れたアーデルハイトは、既に剣を振りかぶっていた。
踏み込んだ左足が、爆発的な加速を即座にゼロへと変える。急停止することによって生まれた反動に、腰を捻って生み出した遠心力を加え、そのまま右手のローエングランツへ。そうして剣へと伝わったエネルギーは、全てを斬り裂く暴威へと姿を変える。
それは初代剣聖より受け継いだ、目にも留まらぬ電光石火の一撃。
「ノーブル・ハレーション!」
:すぐそれ
:ダサ……ん?
:ダダダ、ダサッ……くもないか?
:いや……いや?
:今回のは割とイケるんじゃ?
:待て、本当にそうか? そんなワケあるか?
:これはちょっと審議の必要があるか?
:なんでどいつもこいつも疑問形なんだよw
:ダサネームに汚染されすぎて判断に自信ないの草
剣身に帯びた魔力が尾を引き、軌跡が光の線を描く。
動揺する視聴者達と音を置き去りにして、振り抜かれた刃は巨大な前腕へと吸い込まれた。しかし。
「やりまして――――なッ!?」
丁寧にフラグを立てつつ、その場から飛び退るアーデルハイト。
瞳は見開かれ、まさか、とでも言わんばかりの色を浮かべていた。
直後、フロア内に響き渡る轟音。
ダンジョン全体を揺るがすかのような振動。誰もが両断を信じて疑わなかった前腕が、先程までアーデルハイトの居た場所を穿っていた。配信画面を見ていた視聴者たちは、そのあまりの破壊力に絶句する。誰もがタイピングの手を止め、流れていたコメントが停止する。異次元の頑丈さを誇るダンジョン内の床に、人がまるまる五人は収まりそうなほどのクレーターが出来ていた。もしも直撃していれば、流石のアーデルハイトも大怪我を負っていたであろう一撃であった。
「…………ははーん、なるほどなるほど。分かりましたわ」
大穴をまじまじと眺めつつ、そう前置きをするアーデルハイト。
早くも敵の攻略法に気づいたのかと、期待と共に続きを待つ視聴者達。
そんな彼らに応えるべく、アーデルハイトは不敵に笑ってこう言った。
「さてはパワータイプですわね?」
コメント欄には『見りゃ分かんだよ』という文字が大量に投下されていた。
真面目な戦闘とおふざけの間で反復横跳びをする女、アーデルハーマッ!




