第348話 全て殲滅しますわよ
「貴方、コレの使い方を知っていますの?」
うんざりとした表情を見せつつ、アーデルハイトが問いかける。
これまでほとんど手探り状態であった、あちらの世界への帰還手段。もちろんオルガンが転移してきたことにより、状況は少しずつ進展している。しかし現状では全てが推測に過ぎず、決定打と呼べるほどの材料は無かった。そんなところに新たな手がかりが舞い込んできたかと思った、その矢先にコレである。期待外れも甚だしいというものだ。アーデルハイトがげんなりするのも、致し方のないことだろう。
だが、もしもイヴリスが聖女から『封印石』の使い方を聞いているのだとしたら。
期待外れには違いないが、それでも一応の答え合わせにはなるだろう。そう思っての問いだった。
「……無論」
そう答えるイブリスの表情、その奥に秘めた思惑は窺い知れない。
魔族の表情は人間のそれとは違う。顔を見ただけでは動物の機嫌が分からないように、魔族の顔もまた変化に乏しい。この一言から真偽を見極めることは、アーデルハイトには不可能だった。故に、尋問じみたアーデルハイトの問いはここでは終わらない。
「ふぅん……で、どうやって使いますの?」
「……破壊することで世界に楔が打ち込まれ、そこが目印――――座標になると聞いている。それを以て世界の狭間に綻びを作り、聖女があちら側から引っ張り上げる、と」
「なるほど、いみぷですわ」
この時、イヴリスはふたつの嘘を吐いていた。
ひとつは『使い方を知っている』という点。たった今イヴリスが語った話は、ここに連行されるまでの間に考えた、ただのそれっぽい作り話である。本当は使い方など聞いていないし、そもそもこれは、聖女から『これを持っていって下さい』と言われただけの代物だ。一体何に使うものなのかすら、イヴリスは知らなかった。
これはある種の賭けだった。
イブリスは『封印石』の正体を知らないが、しかしアーデルハイト達は既に知っている可能性があった。カマをかけているか、或いは他の理由があって『封印石』をカツアゲしようとしてるパターンだ。もしもそのどちらかであったなら、このイカれた首刈り女を騙そうとしていたことがバレてしまう。『分け身』によって力を失い囚われの身となっている今、イヴリスの首はあっさりと落ちていただろう。しかし幸運にも、そうはならなかった。イヴリスは賭けに勝ったのだ。
何故イヴリスがそんな危うい賭けに出たのかといえば、偏に時間稼ぎの為であった。
事此処に至り、イヴリスは既に逃走を諦めている。万全であれば、などと言うつもりもない。仮にイヴリスが万全であったとして、目の前の女には勝てる気がしなかった。当初は『逃げる程度ならば』などと考えていたが、ここまでの道中でその考えはさっぱり消え去っていた。今の状態ではどうあがいても勝てない相手だと、そう理解してしまったから。
ならばこのまま滅ぼされるのを、ただ黙って待つのか。答えは否だ。
危険を冒してまでしてイヴリスが時間を稼ぎたかった理由。それが今、イヴリスの足元に転がっていた。
それは小石程のサイズで、鈍い光をほのかに放つ、透明な水晶片だった。先ほどアーデルハイト達の視線が『封印石』へと移り、イヴリスから切れた瞬間に手繰り寄せたものだ。現在は踵で軽く踏むように、隠しながら水晶片を保持している。
これがふたつ目の嘘。
『楔』というのは、『封印石』のことを指しているのではない。本当の『楔』はイヴリスの足元、今にも踏み潰されそうになっている、小さな水晶片の事を指している。加えてイヴリスは、コレの使い方は聞かされている。
――――あちらの世界で身の危険を感じた時は、これを砕いて下さい。一瞬でこちらの世界に戻れます。どれだけ大きな身体へのダメージでも、転移の際に全て回復しますので。
イヴリスは聖女から、そう聞かされていた。
つまりひとつめの嘘は、まるっきりデタラメというわけでもなかったのだ。『嘘を隠すには真実を混ぜろ』などとはよく言ったもので、アーデルハイトを騙すことに見事成功していた。
道中で機嫌を損ねぬように、嘘がバレぬように。『楔』を自身の下へと手繰り寄せる、その一瞬の隙を見逃さぬように。
いくつもの難関をくぐり抜け、イヴリスはここまで辿り着いた。あとはほんの少し踵に力を込めるだけで、この場から逃げ仰せるのだ。誇り高き魔族である自分が、何も出来ずに敗走するなど業腹極まる事態だ。だが全ては命あってのこと。プライドや意地など、命の重さに比べれば。イヴリスは今、ただ生き延びることだけを考えていた。
しかし最後の一押し。ただ少し足に体重を込めるだけの動作が、出来ない。
先ほどまで『封印石』へと向いていたアーデルハイトの視線が、今はイヴリスへと向けられているからだ。
(ッ……化け物め)
少しでもおかしな動きを見せれば――――僅かにでも重心を移動させれば、あっという間に自身の胴と首が離れる。その確信がイヴリスにはあった。
イヴリスの背を嫌な汗が伝う。魔族として生まれてから数百年、初めて味わう緊張感であった。
しかしイヴリスはこの時、不自然に沈黙してしまっていた。
『楔』の存在を隠そうとするあまり、平静を装うことが出来なくなっていた。無論、表情からバレることはないだろう。だがこういった場合、雄弁に語るより沈黙の方が怪しく見えるものである。そんな不自然な気配を見逃してくれるほど、アーデルハイトは甘くなかった。
「……貴方、何か隠していませんこと? おかしな真似をすればどうなるか――――ッ!?」
「チぃッ!」
そう問い詰められた瞬間、イヴリスは思い切り踵に力を込めた。
一度疑いを持たれてしまっては、もうどうにもならない。『楔』が見つかるのは時間の問題だ。
故にイヴリスは最後の賭けに出た。『楔』を割るのが先か、首が飛ぶのが先か。自らの命を賭けた大勝負だった。
「――――しッ!」
一体いつ抜いたのか、まるで視認出来なかった。
まるでスローモーションのようにゆっくりと流れる景色の中、アーデルハイトの振るう白銀の剣閃が、イヴリスの首へと吸い込まれてゆく。
首の皮一枚が、まだ自分が切り裂かれたことに気づいていない。
刃が首の中ほどにまで達してなお、血の一滴も流れはしない。
そうしてイヴリスの首が両断されるかと思われた、その刹那。
イブリスの踵が僅かに先着し、地面を叩いた。遅れて宙を舞うイヴリスの首。
「カハッ……! だが、勝ったッ!」
「くっ、一体何を……っ!?」
してやられた、とでも言いたげな表情を見せるアーデルハイト。
無論、彼女はイヴリスの企みなど知らない。何をしたのかも、何が起こるのかも分かっていない。だがそれでも、何かを阻止できなかったということだけは理解していた。
瞬間、イヴリスの身体が闇に包まれた。
漆黒の影が濁流となり、首を失った胴体へと集まってゆく。
「ぐっ!? ぐおおおぉぉおぉッ!? なッ、何だコレはッ!? 何が起きているッ!」
次いで、突如として苦悶の声を上げる生首。窒息でもしているかのように、胴体だけが自身の胸部を掻き毟る。
ふわりと、まるで操り人形のようにその場に浮かぶイヴリスの胴体。地獄の底から溢れ出したかのような闇は、なおもイヴリスへと流れ込み続け、その勢いは増すばかりであった。
「お嬢様、離れて下さいッ! 何か嫌な力を感じます!」
「し、師匠ッ! なんかヤバそうですよ!? 大丈夫なんですかコレ!? いや、何かちょっとカッコいいですけど……うおゎー!?」
「な、なんですの一体!? 闇の魔力――――いえ、これは……この嫌な気配、間違いありませんわ! 聖女の法力ですわね!?」
イヴリスの身体から放たれる力の奔流は凄まじく、然しものアーデルハイトやクリスといえど、その場からジリジリと押し出されてゆく。
月姫と二頭のサモエドに至っては、タンブルウィードよろしく地面を転がっていた。アーデルハイトと同程度に耐え続けている肉は流石といったところか。肉の上に乗っていた運営さんや、尻に噛みついていた毒島さんは大変な事になっていたが。
「ぐぉぉぉおおっ! これは……こんな……クソッッ! 騙したな聖女ぉぉぉぉぉッ!」
怨嗟の声を上げながら、自身の胴体へと吸い込まれてゆくイヴリスの生首。
それを最後のパーツとするかのように、イヴリスを包んでいた闇が一際強い衝撃と輝きを放つ。そのあまりの勢いに、思わず目を細めるアーデルハイト。
時間にしておよそ十数秒ほどだろうか。
暴風と闇の暴威が収まった時、目を開いた一行の前に現れたモノ。それは先程までの姿など見る影もない、異形であった。
イヴリスだった頃の名残か、まず目についたのは黄金に輝く大きな巻角だった。
そして恐らくは聖女の法力によるものだろう。どす黒い闇をあれほど吸収していたというのに、全身を覆う体毛は純白で。
そうした部分だけを一見すれば、山羊のようだった。だが大木のように太い両碗を地面に突きたて、まるでゴリラのように佇む巨大なシルエットは正しく魔物。大きさは十メートルといったところか。
「……お嬢様、これは一体……?」
「わかりませんわ。見たこともありませんし……ただ、ひとつ言えることは――――」
「言えることは?」
「あの聖女絡みは、全て殲滅しますわよ!」
さよならイヴりん……




