第341話 何故分からんのだッ
「あいだっ!」
濁った悲鳴と共に、莉々愛のケツが地面に叩きつけられる。一般人より頑丈だとはいっても、痛いものは痛い。それが硬質なダンジョンの床なら尚更だ。そうして尻を擦りながら立ち上がる莉々愛の元へと、莉瑠が心配そうな顔で駆け寄った。
「ンフッ……莉々愛、大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ! アタシの可愛いお尻が割れたわよ!? っていうか、アンタも笑ってるじゃないの!」
莉瑠の鼻はひくひくと震え、肩も小刻みに揺れている。笑いを堪えているのは誰の目にも明らかだった。というよりも既に、鼻から若干の空気が漏れていた。
銃だと思って伏せ撃ちしたのに、実際には高圧洗浄機でした。おまけに威力が強すぎて、そのまま後方にすっ飛ばされました。きらきらと輝くビームを放ちながら。先の光景を簡単に説明すれば、概ねこんなところか。莉瑠でなくとも、笑わずにはいられないだろう。実際、コメント欄は既に草まみれである。
「あのスットコエルフ、アタシの『レーヴァテイン』に何してくれてんのよっ!?」
「でも、改造の過程は莉々愛も見てたでしょ? それで今更文句を言うのは、ちょっと筋が通らないんじゃないかなぁ」
そう、確かに莉々愛は愛銃の改造に立ち会った。というより、莉々愛自身がオルガンに任せたのだ。回復薬の件でもオルガンの世話になっていたし、何より異世界発の怪しい技術には莉々愛も興味があった。加えてオルガンが『まかせたまへ』などと無い胸を張って言うものだから、莉々愛はすっかり信じてしまった。
結果として、それが間違いだったのだが。
「見てたわよ! ええ、確かにこの目で見てたわよ! 何してるのかさっぱり分からなかったけどねえっ! まさかアタシの銃が水鉄砲にされているなんて、思いもしなかったものですから!!」
ぷりぷりと怒る莉々愛、どうどうと宥める莉瑠。それは『茨の城』チャンネルの配信で、よく見られる光景だった。
「まぁまぁ……敵は倒せたんだからいいじゃん?」
「これで倒せなかったら、いよいよ意味がわかんないわよッ!」
「レベルは?」
「上がったわよッ! 悔しいことにッ!」
未だ腑に落ちないが、しかし結果は付いてきてしまった。莉々愛は宙を舞いながら、自分の身体能力の向上を確かに感じていた。今回の結果は紛れもなくオルガンのおかげであり、過程さえ無視すれば百点満点の出来だった。故に、どうにも最後まで怒りきれないのだ。そうして『デコピンの一発くらいは許されるわよね?』などと考えつつ、莉々愛はレベッカ達の元へと戻ってゆく。
地面に座り込みダラダラと寛ぎ始めたヤンキー一味と、むっつり顔で首を傾げるウーヴェの姿が、そこにはあった。戻ってきた莉々愛に気づいたレベッカが、にやりと笑って手を上げる。
「おう、お疲れさん。楽が出来て助かったぜ。そいつがあのエルフの――――」
レベッカがそこまで口にしたところで、その隣から怪しい男が割って入った。鼻息を荒くしながら、目を血走らせながら。彼の持つクールで知的なイメージを、およそ考えうる最低の状態にまで下げながら。アメリカが生んだ悲しきモンスター、隠れエルフ狂いのレナードである。
「そそそそそッ、それをあのオルたそが作ったいうのは本当か!? 成程確かに言われてみれば、どことなく大いなる自然のマナ(?)を感じるッ……! 流石はエルフの仕事、完璧だ……! いくらだ!? いくら出せばいいッ!?」
否。
近ごろの彼は、最早エルフ好きを隠そうともしていない節がある。オルガンがこちらの世界にやって来て以降、彼のイメージは右肩下がりであった。そんな変態に詰め寄られたのだから、莉々愛の反応は当然こうなる。
「え、ちょ、キモ」
それに倣い、パーティメンバーの面々からも厳しい声が飛ぶ。
「……キモいぞレナード」
「おいリナ、本国での活動に支障が出ンぞ。そいつ縛っとけ」
「了解デース――――破ァ!!」
レナードはパワータイプではなく、リナは『魅せる者』の中でも二番目に力が強い。そんなリナに縛られて、レナードが抵抗出来るはずもなく。あれよあれよという間にレナードは縄で縛られ、冷たい地面の上に打ち捨てられてしまう。
「くッ……貴様らッ! 何故、何故分からんのだッ!! エルフこそがまさに世界を制する種族だということをッ!」
くねくねと、まるでイモムシのように地面を暴れまわるレナード。しかし一行はそんな異常者を無視。少し先の方でじっと一点を見つめているウーヴェへと、レベッカが代表して声をかけた。
「なァ旦那、戦いたかったってのは分かるがよォ……そこまで落ち込むこたぁねェだろ。ダンジョンボスって訳でもねェンだし、まだ戦うチャンスはあンだろ? だからそう拗ねンなって」
一行は、ウーヴェが獲物を取られて拗ねているのだと思っていた。実際、ウーヴェは僅かに肩を落としている。少なくとも、レベッカたちにはそう見えた。しかし、どうやらそういうわけではないらしい。声をかけられ振り向いたウーヴェは、いつもと変わらぬ仏頂面であった。
「む……そうではない。いや、確かに残念だと思ってはいるが。だが、別に拗ねているわけではない。ただ少し、気になることがあってな」
「あぁン……?」
意味深な事を言いつつウーヴェが見つめるのは、先程『レーヴァテイン・EL』によって切り裂かれたイヴリスの死骸であった。圧縮魔力によって両断されたイヴリスの残骸は、綺麗に上と下に分かれている。それが蒼炎に包まれ、ゆっくり静かに燃え続けていた。
「俺の知る限り……魔族が死んだ時、その死体は灰になる。全てを絞り尽くした抜け殻のように。だが今、それは燃えている。蒼い炎は魔力の燃焼によるものだ。こんな最期は見たことがない」
ウーヴェの言っている意味を正確に理解出来る者など、この場には居ない。魔力云々の概念が、まだ現代には浸透していないからだ。しかしそれでも『なにやら不自然な事が起こっているらしい』ということだけは伝わった。むすっとした仏頂面と、抑揚のない話し方の所為で、緊張感といった類のものはまるで感じられなかったが。
「あー、つまりその、なンだ……まだ終わってねェ的な?」
「恐らくな」
* * *
両脇に黒と白の大型犬――らしき魔物――を抱えながら、アーデルハイトはのしのしと歩いていた。大型犬を二匹も抱えていては、流石のアーデルハイトといえど優美ではいられない。
そうしてふと見てみれば。
いつもはアーデルハイトの三歩後ろを歩いているクリスが、今は随分と距離を開けて歩いていた。
「……ちょっとクリス、どうして私から距離をとっていますの?」
「いえ、お嬢様から漂うシャンプーの香りと、両脇から漂う野性味たっぷりの獣臭が融合して――――なんというか、異次元の匂いを放っておりまして」
「浄化! すぐに浄化魔法を使いなさいな!」
淑女にあるまじき匂いを放つアーデルハイトへと、クリスが手をかざす。
霊系の魔物に対して使用される事の多い浄化魔法だが、本来は穢れや淀みといった、『良くない流れ』を正すための魔法だ。そこには雑菌なども含まれるため、こうして簡易的な洗濯にも使えるのだ。アーデルハイトと共に浄化された毛玉は、どこか嬉しそうに舌を出していた。未だにクリスが距離をとっているのが、少々気にはなったが。
そんな時、三度前方から声が聞こえてきた。
声の出どころはおよそ三十メートルほど先、角を曲がったところからだった。
「ああーっ!? し、師匠ぉー! ちょっと、ほらこれ見て下さいよぉー!」
三度目ともなれば、この先の展開など嫌でも分かってしまう。アーデルハイトは辟易とした顔を見せつつも、仕方がないとばかりに角を曲がる。
「あーもう、はいはい。今度は一体何エドですの?」
そうしてゆっくりと角を曲がり、アーデルハイトとクリスが目にした光景。それは前回、前々回とは少し違う、情報量の多い景色であった。
「なんか、顔色悪いもじゃもじゃのおじさんが、弱りながら倒れてますよ!」
「……なんて?」
意外と物知りなウーヴェさん




