第335話 座って茶を飲んでいる場合か
思わず顔を顰めてしまうほどの、耳をつんざく不快な金属音。火花が飛び散る度、その余波で荒れてゆくフロア。激しい剣撃の合間に聞こえてくる、痛々しい叫びとF系の英語スラング。それらにはまるで興味がないとばかりに、背後で粛々と進められる簡易キャンプ地の設営。異世界方面軍と愉快な仲間たちによる大阪ダンジョン攻略は、ここにきて一層の混沌を迎えていた。
そんな彼らの配信を、ひどく真剣な表情で見つめる者達がいた。仰々しくもテーブルを円卓上に並べて、最新のプロジェクターによる大画面で、ご丁寧に二画面分。
そんな中、一人がぽつりと呟いた。
「あの……これってダンジョン攻略って言うんですか……?」
それは、この場に居るほとんどの者がうっすらと感じていた事だった。だが無理もない。映像として映し出されているのは、これまで常識とされていたダンジョン探索とは、似ても似つかぬ光景だ。チャンネル登録者でないのなら、この反応が正常なのだ。
「……言うな」
「いやでも、こんなのって……」
丁度その時だった。
くぐもった重低音のような、声にならない慟哭のような。そんな喧しい雄叫びを上げ吶喊してきた『首無し騎士』を、チンピラ女が大剣の腹で思い切り殴りつけ、そしてこう叫んだ。
「Shut the fuck up!」
大きく体勢を崩すデュラハンが、スクリーンいっぱいに映し出される。それをじっとりと眺めながら、不二協会長が呆れたように息を吐き出した。
「……聞いたか? 彼女もそう言っているだろう?」
「……」
もちろん偶然のシンクロに過ぎないが、しかしレベッカのあまりの迫力に、疑義を呈していた職員はぐっと言葉を飲み込んだ。そんな職員に対して、既に訓練済みの他職員が優しく肩を叩く。哀れみと同情と、そして親近感を瞳に湛えて。自分も初めはそうだったよ、と。
ダンジョン内では、ひと処に人工物を設置し続けられない。一定時間が経過した時点で黒い霧へと変化してしまい、まるで最初から何も無かったかのように消えてしまうからだ。これは探索者にとっての常識とされており、人や魔物の死体も同様である。故に現代のダンジョン研究は遅々として進まず、魔物についてもが構造から生態まで、その殆どが不明なのだから。
しかし、キャンプ地の設営自体は珍しいことではない。
深層への挑戦ともなれば、日を跨いで探索を行うことは頻繁にある。一箇所に留まれないとはいえ、少なくとも仮眠を取る程度には猶予があるのだ。
だがその場合でも、安全なエリア――主に階層主フロアの直前を利用する場合が多い――を確保したのち、かつ手早い設営が求められる。それがセオリーであり、協会が新人探索者への教習で教えていることだ。間違っても戦闘と並行して行う作業ではないし、少しでも探索経験がある者なら、そうした愚行は冒さない。そんな『当たり前』を反芻しつつ、職員はスクリーンへと視線を戻す。
「ちょっとウーヴェ! 貴方、真面目におやりなさいな! ほらそこ、歪んでましてよ!」
「……その言葉、そっくりそのまま返してやろう。貴様こそ真面目に手伝え。座って茶を飲んでいる場合か」
どうやら見間違いではないらしい。
大きめの岩へと優雅に腰掛け、ティーカップを傾けるアーデルハイト。むっつりとした表情で、しかしせかせかと働くウーヴェ。というよりも、アーデルハイト以外の全員がテントの設営を行っている。見事な貴族社会の縮図がここに形成されていた。といっても、別にアーデルハイトはサボっているわけではない。
「あら、わたくしも参加してよろしいんですの?」
「いえ、お嬢様はそこでじっとしていて下さい。邪魔ですので」
「……だそうですわ。ぶぅぶぅ」
ぱっ、と顔を明るくしたかと思えば、クリスに素気なく却下されて膨らむアーデルハイト。その大層可愛らしい仕草とは裏腹に、本人はつまらなそうである。なんのことはない。壊すのは得意だが作るのは苦手という、単にアーデルハイトの適性の問題であった。
そして何度も言うが、今は戦闘中である。
しかも階層主戦であり、つい先日までは攻略最先端であったフロアだ。スクリーンに映し出された、左右で全く状況が異なる映像。これが同時刻、同地域で行われている配信だなどと、一体誰が信じるだろうか。
「……見て下さい。あのウィリアムが黙々と作業してますよ。これ、ホントに良いんですか? 後で国際問題とかになったりしませんよね?」
「今回のダンジョン攻略に関して言えば……彼女らの個人的な友誼によるものであって、我々が『魅せる者』へ要請したわけではない。無論入場の許可を出した以上、我々に一切の責任がないとは言えんが……今は考えるな。頭が痛くなりそうだ」
「はぁ……そうですか……」
『魅せる者』の参加は予期せぬ事態であったが、しかし心強いことには変わりない。何しろ相手は未知の魔物、悪魔である。強い味方は居れば居るほど良い。そう思って同行を許可した不二であったが――――今となっては、少し早計だったかと後悔していた。まさか他国の英雄を顎で使うなどとは、思ってもみなかったのだ。
最悪の場合、米国探協に借りを作るハメになるかもしれない。その場合は希少なダンジョン資源を融通するなど、小さくない代償を払うことになるだろう。とはいえ仮にそうなったとしても、異世界方面軍が以前に持ち帰った魔物素材を差し出す事になるだろう。そう考えれば、ある意味プラマイゼロではある。そう考えでもしなければとてもやっていられない。
「今はこの異常事態を乗り切ることが最優先だ。他は些事に過ぎん。後で考えれば済む事は後で考えろ」
そうして職員の疑問を封殺し、不二もまたスクリーンへと視線を戻す。ほんの数秒目を離しただけだというのに、ダンジョン内の状況は目まぐるしく変化していた。出発前に借り受けたオルガンコレダーの点検を行う莉々愛、それに対して鼻息荒く迫るレナード。優雅なティータイムを継続するアーデルハイトと、その周囲を跳ね回りながら、まるでバズーカのようなクソデカカメラを構えるリナ。
「スゥー……! これがオルたその残り香……!」
「だ、だんちょ、アデッ、デアアアアーッ!」
その情けない姿はお世辞にも英雄とは言い難く、マイナスプロモーションもいいところであった。まるでアイドルグループのメンバーが楽屋で悪態を吐いている姿が流出したような、そんな気まずさが会議室内を埋め尽くしてゆく。
「……ダメかもしれん」
恐らくは既に届いているであろう、米国からの苦情に思いを馳せる。どうやら素材のひとつやふたつを融通したところで、黙らせることは出来なそうだな、と。そうして不二は、これまでの人生で最も大きいであろう溜息を吐き出した。
実は色々とありまして、少し前からまた多忙モードに入っております。
どうなってんだこりゃぁ……




