第313話 いもうとバスター
遥か昔、気の遠くなるほど昔の話。
ある三柱の女神が力を合わせ、ひとつの世界を創造しました。
一柱が、土台となる世界そのものを。
もう一柱が、空と海と大地を。
そして最後の一柱が、生命を。
幾多の星を創り、数多の生命を創り、生まれる事象を観察し、壊し、そうしてまた作り直し。ただただそれを繰り返しました。女神たちには、特にこれといった目的がありませんでした。強いて言うならば、することがなくて暇だったから。少なくとも最初は、その程度の理由でしかありませんでした。
そんな中、『神』を崇める生命が生まれました。
彼らは自らの意思で以て『神』という存在を想像し、そして創造しました。もちろん、三柱の女神という存在に気づいた訳ではありません。ただ偶然にも、彼らにとって都合の良い、女神達と似たような別の存在を勝手に作り出したのです。けれど、それは三柱の女神にとっても大きな転機となりました。
何を与えるでもなく、奪うでもなく、教えるでもなく。ただただそこに在るだけだった筈の『神』という存在に、彼らは『意味』を齎したのです。
不思議なもので、世界が何度終わりを迎えても、一度生まれた『信仰』という概念は無くなりませんでした。そうして三柱の女神達は、いつしか『彼ら』へと興味を抱くようになっていました。そして興味本位から、『信仰』の対象を自身達へとすり替えてしまいました。とはいえ、それもただの暇つぶしに過ぎません。気まぐれといってもよいでしょう。ただほんの少しだけ『そうするとどうなるのか』が気になったのです。
結果から言えば、信仰されるというのは存外悪くありませんでした。人々から崇められる度、何故だか良い気分になるのです。三柱ともまだ気づいていませんでしたが、この時点で既に、女神達は俗っぽい存在へと堕ちていたのかもしれません。
そうして、更に気が遠くなる程の時間が過ぎました。
不変であるはずの女神達にも、いつしか変化が起こっていました。
一柱は、『彼ら』の観察を楽しんでいました。
一柱は、『彼ら』を愛しく思うようになっていました。
一柱は、『彼ら』の信仰が自分以外にも向けられていることに不満を覚えました。『彼ら』を生み出したのは自分であるはずなのに、と。
けれど、その不満はもうどうすることも出来ませんでした。
女神の力を以てしても変えられないほどに、世界が成長してしまったのです。こうなってしまってはもう、彼女らはほとんど干渉力を持ちません。少なくとも直接、世界をどうこうすることは出来なかったのです。だから、世界が自然に終わるのを待つしかありませんでした。それには果てしない、女神達にとっても長く感じられるほどの膨大な時間が必要でした。
だから我慢が出来ずに、女神は女神を消滅させてしまいました。その力だけを奪いとって。そうして欲に狂ったその女神は、残った一柱へとこう言いました。
────もうひとつ世界を作って欲しい。私はそこで、私の為の世界を作る
残った一柱は特に深く考えることもなく、その願いを叶えました。仮に今あるこの世界を、自分の為の世界へと作り変えると言い出したのなら、それを叶える事はしなかったでしょう。けれど、別の新たな世界でやるというのなら。こちらの世界には干渉しないというのなら。
じゃあまぁ、別にいいか────そう思ったのです。
こうして三柱だった女神は二柱となり、それぞれが別の世界を見守るようになりました。片や、世界にはほとんど干渉せず、ただぼんやりと眺めるだけの女神。片や、自らのみが崇められる世界を構築するため、積極的に干渉を行う女神。
二柱の女神は、二度と顔を合わせることはありませんでした。
* * *
「で、このあとはドキドキ姉妹動乱編に続くんじゃが────」
目を閉じ長々と語ったウサギが、ゆっくりと再び目を開く。するとそこには、肉をボールに見立ててパス回しを行っているアーデルハイト達の姿があった。
「ヘイ、パスですわ!!」
「ちょ、早っ──お嬢様、パスの威力が強すぎます。取れませんよこんなの」
「あ、ライン割ったよ! マイボマイボ!! あっ、痛い! ちょっと噛まれた!!」
「んー……ワンタッチ! 枢ちゃんボール!」
アーデルハイトが蹴り出した肉を、しかしクリスはトラップ出来ずに後ろへ逸らす。そうして転がっていった肉を拾い上げ、枢は手を肉に噛まれていた。ボサッと突っ立っているだけのオルガンと、頭の上の毒島さん。そしてどう見ても必要が無さそうな線審役を担う、茉日がいい味を出していた。
「嘘みたいじゃろ? こやつら、人の話も聞かんとサッカーしとる」
ぽつりとそう呟くウサギの背中には、どこか哀愁が漂っていた。そんな様子に漸く気づいたのか、アーデルハイトが面倒くさそうな顔でウサギの下へとやってくる。
「あ、そろそろ終わりまして?」
「……終わりまして、じゃ!」
「全く、最近のウサギは……隙を見せたらすーぐ自分語りですもの。はい、皆さん集合ー! 集合ですわよー! 怪しい昔話がやっと終わりましてよー!」
アーデルハイトが谷間からホイッスルを取り出し、若干間抜けな音色を吹き鳴らす。それを合図に、残った四人がぞろぞろのたのたと集まり始めた。たっぷり遊べたおかげか、肉と毒島さんだけは元気いっぱいであったが。
:もうこれ何の時間かわかんねぇよw
:ウサギの声? とやらがワイらには聞こえんから余計になw
:サッカーしようぜ! お前ボールな! をまさかリアルで見るとはw
:本人(本肉?)が楽しそうで何よりだよ
:ちょっと今これどうなってんの???
:ウサギが何かを伝えてた(多分)
:ダンジョンに関係する重要な話っぽい?(多分)
:それを完全に無視して遊んでた(確定)
:大草原不可避
:ヨシ、いつも通りだな
視聴者達は当然ながら、現在の状況が一ミリたりとも理解出来てはいない。ウサギの声が聞こえていないのだから、それも仕方がない事だろう。それにも関わらず、想像だけである程度正しく認識出来ているあたり、彼らの異世界方面軍に対する解像度は相当なものである。
「それで、結局アナタは何ですの? というかオスですの? メスですの?」
「さっきから女神じゃと言うておるじゃろ。神に性別などあってないようなもんじゃが……どちらかと言えばメスじゃメス。というか、わし別にウサギの神じゃないからの?」
「え、違いますの?」
「ほらー! わしの話ちゃんと聞かないからじゃろ!? この姿は仮じゃ、仮。このウサギはわしの分体を宿した器、謂わば依代みたいなもんじゃ。神がそう簡単に姿を見せると思うでないわ!」
「ふーん」
「わぁい、興味なさそー」
アーデルハイトがひょいとウサギを摘み上げ、ひっくり返して雌雄を確かめようとする。自称『神』を相手に随分と不敬なことではあるが、しかし残念ながらアーデルハイトは無信仰である。相手が神だと言われれば多少身構えはするものの、さりとて怖気づくほどの事ではない。
「そんなことありませんわ。これでも結構、貴女の話は信じておりますのよ? 女神の名を知っていたということは、少なくとも関係者ではあるでしょうし」
「さっきまでサッカーしてたやつの言う台詞かの?」
「年寄りの話は退屈でしてよ。それに声が聞こえない以上、まるで配信映えしませんもの。黙ってウサギの前に突っ立っているだけの映像なんて、一体誰が喜びますの?」
「おぉん……」
「もちろんわたくしも、色々と聞きたいことはありますけれど……まぁ、そのあたりはオフレコで結構ですわ」
アーデルハイトはそう言うと、隣に居たクリスの頭へとウサギを乗せる。どうやら連れて帰るつもりでいるらしい。白くてまるまるとしたウサギが、クリスの髪色と相まってよく似合っていた。
「む……これが噂に聞く『お持ち帰り』というやつか。存外悪くないの」
「さて────どうでもよくてつまらなそうな話は、後でゆっくり聞くとして……あの『神器』はどうしますの? あのまま放置でよくって?」
「いいわけなかろ! というか言い過ぎじゃろ! ちゃんと持って帰らんか! わしの専門外じゃから、あれ作るの結構苦労したんじゃぞ!! 」
「知りませんわよ……」
そうして再び、件の『聖刀』の前へと一行が集まる。そう、神器を持ち帰るには、誰かがこの場で契約を果たさねばならない。しかし、ここで問題がひとつ。先の八岐大蛇との一戦が試練ではないというのであれば、何を以て所有者を決めるのか。
「そのあたりはどうなっておりますの?」
「うむ。まずお主らが『神器』と呼んでおるこれらには、大きく分けてふたつの種類があるのじゃ。その正邪に関係なく、武具に強い想いや願い、魂が宿って変質するパターン。謂わば付喪神的な感じのやつじゃな。基本的にはこのパターンが多いのぅ。そしてもうひとつのパターンが────」
「はい、というわけでじゃんけんで決めますわよー! 負けた方が所有者ということでお願い致しますわ!」
上機嫌で語りだしたウサギの姿に、アーデルハイトは長話の気配を敏感に感じ取る。再び長々と語られては堪ったものではないと、恐らくは最も後腐れがないであろう方法を提案した。しかしてそれは、世界初の神器所有者を決めるにしては、酷く雑な方法であった。
盤外戦術による心理戦、或いは動体視力云々といった攻略法を駆使しない場合、じゃんけんは単純に運の勝負となる。そしてここに、平素から圧倒的に運のない女が一人。因果はここに収束し、当然のように負け令嬢が誕生した。
「しぼみますわー……」
がくり、とその場で膝をつくアーデルハイト。神器とは扱いが難しく、所有しているだけで気を使う武具だ。アンキレーを含めて七つ目の神器ともなると、流石のアーデルハイトも管理が難しい。とはいえ、負けは負けである。
「いやまぁ、一番丸い結果じゃない?」
「だよね。私にはちょっと、荷が重いかなぁって」
枢と茉日にまでこう言われては、是非もない。アーデルハイトは渋々といった様子で、地面に突き立った刀へと手を伸ばす。その瞬間、刀からは溢れんばかりの光が放たれる。輝くような純白と、何処までも沈んでゆきそうな漆黒。光は徐々に刀と同化し、そうしてアーデルハイトの身体を取り巻いてゆく。
俗っぽい表現をするのであれば、その光景はまるで、魔法少女の変身シーンのようであった。アーデルハイトの美貌と相まって、それはそれは配信映えする光景となっている。当然ながら、コメント欄は大騒ぎであった。
アーデルハイトの周囲を燐光が踊り、次いで胸のあたりへとゆっくり浸透してゆく。それと同時、アーデルハイトの脳裏にはあるひとつの単語が浮かんできた。それは神器と契約した際、誰もが経験するもの。斯く言うアーデルハイトも、既に何度となく経験している。つまりはそれこそが神器の名だ。何も所有者が勝手に名前を付けている訳では無いのだ。
「これは……」
「そう! これこそが唯一、わしが手ずから作り出した神器。その名を────」
クリスの頭上で、ウサギがなにやら偉そうに喚く。
「『神刀・天楼都牟刈』じゃー!!」
次の瞬間、アーデルハイトは顔をくしゃくしゃにし、その場に崩れ落ちていた。
「ダッッッッッッッッッッサ!!!」
(大して重要な話じゃ)ないです




