第312話 アイコラかな?
「ちょっとクリス、喋りましたわよこの兎」
「喋りましたね。捕まえましょうか」
「捕まえて淫ピーに売りますわ。きっと高く買ってくれますわよ」
ぺしゃりと踏まれたウサギを眺めつつ、なにやら物騒な会話を始めた主従コンビ。勿論、いつものノーブルジョークである。二人とも本気で言っているわけではない。もし本当にウサギが喋っているのであれば、その価値は計り知れないだろうが────
:???
:ウサギが喋るとな?
:ははは、ご冗談を
:なんにも聞こえてないですよ
:なに? どゆこと?
:詳しく説明したまへ
:いやいや、なんぼダンジョン言うても流石に、ねぇ……?
コメント欄を見ればこの通り。
視聴者達の反応は一様に『一体何の話をしているのか』といったものであった。
【配信はもちろんッスけど、マイク越しにも聞こえないッスね】
一応汀にも確認を取ったが、やはり視聴者達と同様の答えが返ってくるのみ。どうやらウサギの声は、今この場に居る者にしか聞こえていないらしい。肉の前足でぺちゃんこにされているウサギが、ジタバタと藻掻きながらなにかを訴える。
「わひのひゃわいいほえは、ほほにほるおぬひらにひかひこえほらん」
やはり口は動いていないように見える。どういう仕組みなのかは依然として知れないが、恐らくは念話のような、頭の中に直接語りかけるタイプの術だろう。実は魔法でも、これと似たような事が出来る。これが魔法かと聞かれれば首を傾げたくなるが、しかし全くあり得ない技術というわけでもないのだ。無論、現代ではあり得ないことだろうが。
「また何か言っていますわよ? 一言も聞き取れませんけれど」
「なんとなく、言わんとしていることは分かりますけどね……とりあえず肉を回収しましょう」
口を動かす必要がないのなら、一体どうしてふがふが系の口調になるのだろうか。そんな疑問がアーデルハイト達の頭には浮かんだが、しかしひとまずはウサギの話を聞いてみることにした。アーデルハイト達をここまで導いた事、神器の目の前で、かつ魔物を倒したタイミングで姿を見せた事。それらを考えれば、このウサギがなにかしらの鍵を握っているのは間違いないだろう。
ウサギの頬をぐりぐりと踏み続けていた肉を、クリスがそっと回収する。どうやら格付けは済んだのか、肉は非常に満足げな顔をしていた。
「えらい目に遭うたわい……まぁ、嫌いではないがの」
見た目はただの丸っこいウサギだ。殆ど毛玉といってもいい『それ』の表情など、違いが分かるはずもない。だがその声から察するに、どうやらまんざらでもなかったらしい。とんだマゾウサギであった。
「色々とツッコみたいところはありますけれど……結局のところ、あなたは何者ですの? 喋るウサギだなんて、見たことも聞いたこともありませんわ。やはり魔物ですの? ぶっ飛ばしますわよ?」
「どこから説明し……やめよ、ぶっ飛ばすでない。わしはアレじゃ。お主らにも分かるよう説明するなら────そう、神さま的なやつじゃ」
「はいシケ」
やれやれ、といった様子で肩を竦めるアーデルハイト。彼女はこちらの世界に来て以来、様々な書物を読み漁った。その種類は文化資料から歴史書、漫画にラノベに同人誌まで多岐にわたる。故に『神を名乗る怪しい存在』との遭遇が、もはやテンプレと化していることも知っているのだ。
現実世界と架空世界を同一視するつもりなどない。だがそれはそれとして、実際にこうした状況になれば、やはり期待のひとつもしたくなるというもの。そんなアーデルハイトに言わせれば、先のウサギの発言は非常にありふれたものだった。つまりは期待外れ、シケていたのだ。
とはいえアーデルハイトとて、殆どファンタジーの世界から飛び出してきたような存在である。そんな彼女が言っても、まるで説得力がないかもしれないが。
しかしどうやら、そんなアーデルハイトの反応も織り込み済みであったらしい。分かりやすく訝しむアーデルハイトを見ても、ウサギの態度は変わらなかった。
「まぁそう言うでない。面白味に欠けるのはわしも自覚しておる。まさかこれほど早くに試練を突破されるとは、わし自身も思うておらんかったんじゃ。ここまで案内しておいて何を、と思うかもしれんが────向こう百年は無理じゃろうと思うておったからの。故に本当は姿を見せるつもりも、声をかけるつもりもなかった」
心中を吐露するウサギの言葉に、しかしアーデルハイトは引っ掛かりを覚えていた。否────引っ掛かりというのであれば、台詞の大半がそうではある。だがその中でも、特に気になることがあったのだ。
「……? おかしな口ぶりですわね。まるであなたが、このダンジョンを作ったかのように聞こえましてよ? それに先の魔物────八岐大蛇だったかしら? アレとの戦闘も、あなたが仕組んだように聞こえましたわ」
アーデルハイトの疑問に、クリスや枢達も頷いて見せる。その場に居た全員が、ウサギの言葉をそう捉えていた。ウサギは先程、『試練を突破されるとは、自身でも想定していなかった』と言った。それはつまり、先の戦いは『神器』による試練ではなく、ウサギの用意した試練だったということになる。事が事だけにか、あのオルガンでさえもが真面目な顔をしていた。
それも当然の話だ。あちらの世界に於いても、そしてこちらの世界に於いても。ダンジョンという存在が何故生まれたのか、どうして生まれたのか、そして誰が作ったのか。それらの一切が謎に包まれており、研究はまるで進んでいない。あちらの世界など、『女神様が作った』という根拠も何もないような説がすっかり定着し、解明を試みる者すらいない程だ。
もしもウサギの言葉が、アーデルハイト達の捉え方通りの意味であったなら。未だ微塵も進んでいないダンジョン研究の、大きな一歩となることだろう。或いは、世界の根幹を揺るがしかねない真実となる。よもや本当に、神が作ったなどと────
「まるでも何も、そうじゃと言うておる。このダンジョンを作ったのも、そこの『神器』を作ったのも、試練として八岐大蛇を用意したのも、ぜーんぶわしじゃ」
「うーん……この外見で言われましても、ねぇ……?」
今のところ、ウサギの発言にはなんの信憑性もない。言葉の真偽を確かめるには、現時点では情報が足りなかった。こうして会話が成立している以上、確かにただのウサギではないのだろうが。じっとりと、胡乱げな瞳でウサギを見つめるアーデルハイト達。しかし次の瞬間、異世界勢の表情が驚愕に変わる。
「まぁさっきも言うたが────まさかリーヴィスの子らに突破されるとは思わんかったがの」
枢と茉日には馴染みのない言葉だった。しかし残りの三人は違う。アーデルハイトもクリスも、そしてオルガンでさえも。目を見開き、まるでウサギを問い詰めるかのように『ずい』と前に出た。
「……何ですって?」
「今、なんと?」
「ほほう……」
豹変、といってもいいだろう。異世界人であるアーデルハイト達にとって、それはある意味最も身近な言葉であった。そのたった一言だけで、ウサギの言葉を信じてしまいそうになるほどに。突如として態度の変わった三人を見て、枢と茉日は戸惑いを隠せなかった。
「え、なになに? どしたの?」
「りーびすのコラ……? ははーん、アイコラかな?」
「絶対違うと思う」
そんな、まるで状況を把握出来ていない二人へと、クリスが説明を行う。といっても、長ったらしい解説などは必要ない。たった一言で済む話であった。
「リーヴィス────あちらの世界で信仰されている、女神の名です」
次いで、ウサギが告げる。
「うむ。わしの妹じゃな」
これが、重要そうな名前が出た回のサブタイトルだって?




