第297話 いつ捕獲する?
出雲ダンジョン第一階層。
その木々の隙間を、キマイラ状態の肉が爆走していた。角には縄が繋がれて、いつぞや使用した『エルフの荷車』の改良版を牽引している。荷台の大きさに加え、耐久性も向上させたものだ。更には現代技術を齧ったオルガンの手により、見様見真似の懸架装置すらも搭載されている。まさに改良版と呼ぶのが相応しい一品である。
サスペンションには、大きくわけて3つの役割がある。乗り心地を良くするための、緩衝装置としての役割。安定性を高め、タイヤの追従性を高める役割。そして車体を支える役割。だが、オルガンはネット上の知識や資料を読んだだけであり、しっかりとサスペンションについての勉強をしたわけではない。だがそれでも、以前までの『エルフの荷車』よりは随分と乗り心地が良くなっていた。そもそもは荷車であり、人が乗るためのものではないのだが。
こうした現代技術を持ち込むことで大金を得たり、或いは名誉を得るなどという展開は、昨今の異世界ファンタジーでは比較的よく見られるものだ。今回オルガンが施したのは、ようするにソレである。
だがしかし。
サスペンションの役割だとか、オルガンの知識だとか、どうやって実現したのかだとか。そんなあれやこれやは、もはや毛程も関係がなかった。
「お尻が痛いですわね」
「現代技術の敗北ですね」
ガタガタと揺れる────どころの話ではない。凹凸だらけの山道を、猛スピードで駆け回る肉。そんな彼に牽引されているのだ、衝撃がどうだとのいうレベルは遥かに超越している。普通の荷車であったなら、とうの昔に車軸が圧し折れていることだろう。ばいんばいんと山道を跳ねる車輪が、比較的大きめの石を踏みつけた。それと同時、荷台に座っていたオルガンがぽよんと放り出される。
「んぉ」
そんな宙に浮かんだオルガンの外套を、クリスがすかさず掴み取る。そうして自らの下へと引き寄せ、オルガンを再び荷台の上へと回収した。
「さんきゅー」
「……抱えて走った方がマシなのでは?」
「仕方ありませんわ。お宝の匂いがしますもの。荷車は必須でしてよ」
流石というべきか、アーデルハイトとクリスの二人は、暴れに暴れる荷台の上であっても余裕たっぷり。どういう技術なのか、普段通りに会話を交わす始末である。そんな彼女達の後方には、息を切らしながら全力で山道を追走する、枢と茉日の姿があった。これも教導の一環、基礎力を上げるための体力づくりである。こちらの世界の探索者達は、レベルさえ上がれば体力も勝手に増えるのだが────そこはそれ。レベルアップそのものが、異世界組にはよく分からない理屈だったということもあり、結局はこうして走り込みとなったのだ。
「ぬわぁぁぁぁぁ! スパルタぁぁぁぁぁ!」
「無理無理無理! もう無理だって足攣りそうなんだけどー!?」
両者共に、スピード型の戦闘スタイルであったことが幸いだった。そこらのパワー系前衛職であったなら、駆け回る肉の速度についていくことすら出来なかったであろう。たとえそれが、荷車を牽引している状態であったとしても、だ。曲がりなりにも付いてくることが出来ているあたり、この二人は上等な部類といえるだろう。
そんな時、肉が突如として方向転換を行った。どうやら目標を発見したらしい。殆ど直角に曲がろうとした肉だが、しかし疾走の慣性が残り、轍を作りつつ落ち葉の上を滑ってゆく。すると肉の尻にかじりついていた毒島さんが、手近な木へと身体を巻き付けた。それによって肉には強烈な制動がかかり、毒島さんを軸としたままふわりと宙に浮かぶ。そのまま遠心力を利用してコーナーを曲がり、素早く着地する。二匹は見事なコンビプレーで以て、方向転換を成し遂げて見せた。
「ぬゎー」
再びオルガンが宙に舞う。
今度はアーデルハイトがオルガンの外套を引っ掴み、荷台へと引き戻した。
「ないす」
「貴女、一体何をしに来ましたの……?」
先程から空を飛んでばかりの駄エルフへと、胡乱げな瞳を向けるアーデルハイト。普段はダンジョンに潜りたがらないオルガンが、何故ここに居るのか。肉は何を追いかけているのか。それは汀の口から語られた、ある『予測』が原因であった。
時は一日前へと遡る。
* * *
「因幡の白兎?」
「『稲羽の素兎』とも言うッスね。まぁ、どっちでもいいんスけど」
そう言って首を傾げるアーデルハイト。汀が語ったのは、有名な日本神話のひとつであった。『因幡の白兎』とは、大雑把に言えば『正しい行いと優しさが大事ですよ』といった話である。といっても、内容に関しては今はどうでもいい。大切なのはここが出雲であり、肉が兎を追いかけていたという事実のみだ。
「あれは隠岐の島から因幡の国に渡ってきた、一匹の白兎の話ッス。そんでまぁいろいろあって、最終的に困っていた兎を助けたのが、出雲大社で祀られている大国主命さまッス。今は詳細を割愛するッスけど」
「へぇー」
枢は『因幡の白兎』という言葉を聞いたことはあっても、その詳細までは知らなかった。故に、汀の解説には大層感心した様子を見せていた。日本人である枢ですらそうなのだ。異世界組であるアーデルハイト達は、当然ながら聞いたことがなかった。しかし汀が詳細を語らなかったということは、今はそれほど重要ではないという事なのだろう。
「出雲のダンジョンで見つけた、如何にも怪しい白兎。縁結びの聖地でもあるわけで、偶然と言うにはちょっと出来過ぎな気がするッス。つまり何が言いたいかというと────その兎が何らかのヒントになっている可能性が高い、ってことッスよ!」
何もかもが推測でしかないが、しかし汀の思いつきは侮れない。自信満々なその表情と相まって、妙な説得力を感じさせる。
「乗りましたわ! 何かしらの指針があった方が、撮れ高も生まれるというものでしてよ!」
「まぁどの道、他に手がかりはないわけですしね。汀の推測が当たっているにせよ、ハズレているにしろ。このまま手当たり次第に魔物を狩り続けるよりは、余程建設的でしょう」
ここ数日の遅々とした進捗に、半ば飽き始めていたアーデルハイト。彼女はもちろんのこと、クリスもまた汀に同意する。そうして一行が行動方針を決めた時。先程まではダラダラしていたオルガンが、椅子から立ち上がりこう言った。
「やはり兎か……いつ捕獲する? わたしも同行する」
そうして何処からともなく外套を取り出し、『早く行こうぜ』とばかりに出発の準備を始める。もちろんこれは非常に、非常に珍しい光景であった。そもそも戦闘要員ではなく、かつ興味のあることにしか腰が上がらないオルガン。兎のどこに興味を抱いたのかは分からないが、どうやらダンジョンへと付いてくるつもりらしい。
「あら、珍しいですわね。腐ってもエルフということですの?」
「エルフは自然に生きる種族ですからね。やはり動物には惹かれるのでしょう」
この女にもエルフらしい部分があったのか、などとアーデルハイトとクリスは感心したが、しかしオルガンの返答は否であった。
「兎自体はどうでもよいが」
「あら? では一体何をしに来ますの?」
「ダンジョン内のギミックとやらに興味がある」
どうやら兎そのものではなく、兎を利用した仕掛けに興味があるらしい。
「特定の手順を踏むことで効果を生む。それは罠、或いは儀式のようなもの。聖女が行使する『法力』に近い気がする。解析出来れば、いつか相対するであろう聖女への対抗手段になるかもしれない。知らんけど」
アーデルハイトなどは『どうせただの気まぐれだろう』などと予想していたが。しかし意外にも、オルガンにはちゃんとした理由があった。それも、アーデルハイトにとって無関係ではない話であった。なにしろ彼女もまた、いつかあの聖女へ天誅をと考えているのだから。
こうして、次回の探索にはオルガンも同行することになった。それが後に、事あるごとに荷台から飛び出す、役立たずエルフの誕生となったわけだが────この時のアーデルハイト達は知る由もなかった。
オルガ院




