第279話 しぼむ
一糸乱れずと形容するのがぴったりの、そんな美しい所作であった。まさしくお手本通りといった拝礼を終えたアーデルハイトは、そのまま静かに神前を辞した。
「任務完了ですわ」
「いやまぁ、さっきの見てるから今更驚かないッスけど……任務?」
過ぎるほど様になる、そんなアーデルハイトの拝礼に、もはや突っ込むことを放棄した汀。一度見ただけで、などという言葉はそれこそ今更であった。普段の言動から忘れがちではあるが、アーデルハイトは高度な教育と礼儀作法、品格と優雅さを兼ね備えた異世界のスーパーお嬢様だ。文化に違いはあれど、さりとて共通する部分も多々ある。この程度の作法はお手の物ということなのだろう。いまひとつ納得しかねるような話だが、しかし汀はそう思うことにした。
「お嬢様、何をお願いしたのですか?」
純粋な興味から、クリスがそう尋ねる。彼女は幼い頃より、アーデルハイトの世話係として共に過ごしてきた。空白の期間はあれど、それも殆どあってないような短い期間だ。故に、クリスはアーデルハイトのほとんど全てを知っている。どう過ごしてきたか、何に悩み、どう乗り越えてきたのかを。
しかしそんなクリスでも、アーデルハイトが何かに願い事をしている姿など、これまでに見たことがなかった。そもそもからして無宗教であり、領内にある教会にすら、仕事以外の用件ではほとんど顔を出していなかった筈である。そんなアーデルハイトは、こちらの世界に来て何を願ったのだろうか。
「特には何も」
「おや……熱心に何かをお祈りされているように思えたのですが」
「望みは自らの力で叶えるものでしてよ。たとえ神といえど、他者に委ねているようでは叶うはずもありませんわ。強いて言うなら、あの聖女に災いあれ、といったところですわね。勿論、とどめはわたくしが頂戴しますけれど」
アーデルハイトから返ってきたのは、なんとも漢らしい回答であった。そう簡単に言える言葉ではない。貴族の娘という立場に甘んじることなく、自らの力で道を切り開いてきた、そんな彼女だからこそ言える台詞だろう。
「むむむ……いいでしょう、認めるッス。お嬢はどうやら神社の本質を理解しているみたいッス」
「ありがとう存じ────え、どこから目線ですの……?」
アーデルハイトの言葉を受け、腕を組んだまま現場監督よろしく、うんうんと頷いてみせる汀。祈りとは『神様に願いを叶えてもらう』ことではない。神へと日頃からの感謝を伝え、見守ってもらえる様お願いする。或いは神への宣誓、誓と報告の場。それこそが祈りの本質なのだと汀は言う。『神は自ら助くる者を助く』などという言葉もあるが、つまりはそれが本質なのだと。何故かドヤ顔で語る汀の説明を纏めれば、大凡そんなところであった。
「ま、別にお願いするのがダメってわけじゃないんスけどね。神様は懐が深いッスから、願い事をしてもきっと受け止めて下さるッス。要するに、感謝の気持ちを忘れるなって事ッスよ」
しみじみと高説を垂れた汀が目を開いたとき、そこには既にアーデルハイトもクリスも居なかった。謎の神トークが長そうだったので、二人とも既に次の場所へと歩き初めていたのだ。
「ちなみにウチも懐が深いので、置いていかれても怒ったりはしないッス。ミギーはクールに後を追うッス」
* * *
「そちらの可愛らしいお嬢さん? その『おみくじ』とやらをひとつ下さいな」
「は、はひ」
それは殆ど、やたら美人な外国人女性による巫女さんナンパ、といった様相であった。応対している少女はアルバイト────神社に於いては助勤と呼ばれる────であろうか。突如現れた光り輝くノーブル女に、すっかり緊張してしまっていた。背後には何故かメイドを侍らせているのだ、その怪しさを考えれば然もありなん。
「ど、どうぞっ」
「ありがとう存じますわ」
巫女の手へと500円硬貨を手渡し、アーデルハイトが巨大な筒を振る。両手で何度か振ったところで、筒に空いた穴から一本の棒が飛び出してきた。アーデルハイトは興味深そうな目でそれを見つめつつ、出てきた番号を巫女へと伝えた。その後、巫女が引き出しから取り出したおみくじを受け取り、続いてクリスもおみくじを引くのを待ってから、二人で社務所を後にした。
「『巫女さん』とやらの衣装、素敵でしたわね────あ、いとおかしですわね」
「別に言い直さずとも……その表現、気に入ったんですね」
「ええ、皇国の衣服と似た雰囲気を感じますわね。大層趣がありますわ」
「まんまですねぇ……」
そんな益体もない話を交わしつつ、二人はゆっくりとおみくじ掛けの前へとやって来る。周囲の参拝客は疎らだが、そこには既に無数のおみくじが結ばれており、朝方の盛況ぶりが窺えた。
「ではクリス。どちらがより良い結果を得られるか、ひとつ勝負といきますわよ! わたくしの鍛え抜かれた射幸心が火を吹きますわ!」
「構いませんが……射幸心の意味分かってます?」
「いざ尋常に────勝負!」
突っ込みどころは山程あるが、ひとまずはおみくじを開いてみるクリス。そこには『小吉』という文字が書かれていた。余談だが、この神社のおみくじは最も一般的な全七種類である。場所によっては十二種類であったり、或いはそれ以上のところもあるのだが。
『小吉』とは『中吉』と『末吉』の間。つまりはど真ん中である。意味するところはささやかな幸せと平穏。なんともクリスらしい結果であった。そんな結果に静かに満足しつつ、自らのすぐ隣へと視線を送る。そこには何やら悶絶しているアーデルハイトの姿があった。
「……お嬢様? 如何でした?」
「……大凶」
「おや……」
「大凶ですわ!!」
手に握ったおみくじをくしゃりと握り、天を仰ぐアーデルハイト。『大凶』、それは誰もが知る最低の運勢。この上なく縁起の悪い状態を差す、悲しき称号。
「相変わらず、運勢系には弱いですねぇ……」
「きぃーーーー!」
ロクに内容を読みもせず、くしゃくしゃになったおみくじを勢いのままに結ぶアーデルハイト。そこまで悲観するようなことでもないのだが、彼女にとっては余程ショックだったらしい。
「ほら、ものは考えようですよ。大凶ということはこれ以上運勢が下がることがない、ということです。つまり、ここからは上がるだけという訳です! 逆にラッキーですね!」
「あーあー! 出ましたわ出ましたわー! それは敗者が自らを正当化する言い訳に過ぎませんわ! ええ、ええ。今は存分に勝ち誇っていればいいでしょう! ですが! わたくしはまだ負けていませんわよ! 今に御覧なさい、次は必ず大吉を引いて見せますわ!」
「えぇ……」
アーデルハイトは一人でヒートアップした挙げ句、そう捨て台詞を言い残して再び社務所へと突撃してゆく。その勢いたるや、然しものクリスも止められない程であった。そうしておみくじを引き直すこと三回。その全てに於いて、アーデルハイトは見事に『大凶』を引き当てて見せた。相変わらずというべきか、とことん運のない女である。『開拓地令嬢』の名は伊達ではなかった。
「きぃーーーーー!」
「お嬢様、そろそろやめたほうが……」
「もう一度、もう一度だけ! 帝国が誇る射幸心の獣とは、このわたくしのことでしてよ!」
そう言ってまたもや社務所へと突撃してゆくアーデルハイト。その背中には哀愁を漂わせており、競馬に負けたオッサンのそれとほとんど同じであった。その後も『もう一度』などと言い張り何度もチャレンジしたアーデルハイトだが、悉く『大凶』を引き当てた。
「やっと追いついたッス────あれ、なんかお嬢がしわしわになってるッス。なんスか、これ?」
「汀、察して下さい」
ある意味で奇跡的な才能を見せつけた彼女は、汀が追いついた頃にはすっかり萎んでいたという。
「しぼむ……」
私はもう何年も初詣には行けておりません
悲しい
とはいえ、恐らくは行けず終いの方も多いのではないでしょうか?
本年も残すところあと二ヶ月を切っております。みなさん是非、今年は初詣へ!




