第193話 胡散臭い輩というわけか
初めて見た実物の淫ピに、興奮を隠しきれないアーデルハイトと汀の二人。配信業を始める際に教科書として使用した『汀ノート』により、アーデルハイトもまた、その存在を知っていたのだ。
尤も、汀ノートに拠るところの『淫ピ』とは、所謂ネットスラングまたはネットミームの類であり、現実には存在しないものとされていた。つまりは伝説上の存在であり、アーデルハイトの中では『忍者』と殆ど同列の扱いだった。
無論あちらの世界では、桃色の髪というのはそれなりに見る機会があった。だがそれはもっと自然な、所謂ストロベリーブロンドと呼ばれる髪色だったのだ。如何に異世界出身のアーデルハイトと謂えど、これほどの真っピンクは見たことがない。
そんな殆ど伝説上の生き物が目の前に現れたのだから、アーデルハイトの興奮も致し方ない事だろう。余談だが、聖女の髪も桃色だったりする。
「あ、紹介します。私の友達で淫乱ピンクの獅子堂莉々愛ちゃんです」
「ちょっと!? 誰が淫ピよ!!」
あまりにもあまりな月姫の紹介に、精一杯目尻を吊り上げて反論する莉々愛。よくよく見てみればその背後には、莉々愛と瓜二つの顔を持った少年の姿もあった。
「まったく……まぁいいわ。私が探索者パーティ『淫乱ピンク』のリーダー、獅子堂莉々愛よ!!」
「えぇ……?」
「───違う!! 『茨の城』リーダーの獅子堂莉々愛よ!! もう! アンタ達が淫ピ淫ピ言うから感染っちゃったじゃないの!!」
とんでもない言い間違いをしてしまった莉々愛は、顔を真赤に染め上げ慌てて訂正する。莉々愛は近頃話題の異世界方面軍に対し、舐められないよう一発カマすつもりでやって来たのだ。だというのに、初手から盛大に躓いてしまった。そのおかげか、残念ながら既に『愉快なアホ』カテゴリに入れられてしまっていた。
第一印象というものは、人間関係を築く上でとても重要な要素だ。一度決まってしまったカテゴライズは、そうそう覆りはしないものである。しかしそうとは知らない莉々愛は、体面を繕って偉そうにふんぞり返っていた。
そんな莉々愛の隣で、今度は少年が自己紹介を始める。顔は瓜二つだが、莉々愛と正反対な性格の持ち主だと容易に分かる、そんな落ち着きのある少年だった。
「僕は弟の獅子堂莉瑠といいます。あまり自分の名前が好きではないので、名字で呼んでもらえると嬉しいです」
「わかりましたわ、獅子堂さん」
「はい、皆さん宜しくお願いします」
姉の莉々愛とは違い、莉瑠は随分と礼儀正しい少年であった。恐らくは暴走しがちな莉々愛のストッパーを、日頃から担っているのだろう。その顔には苦笑が混じっていた。
「私は逆に自分の名字が嫌いなの。だから莉々愛と呼んで頂戴」
「わかりましたわ、淫ピー」
「ちょっと!? 淫ピーって何よ!?」
そうしてめでたく、それぞれの呼び方が決まったところで自己紹介は終わり。そしてただ一発カマしに来ただけならば、もうこれで用件は済んだ筈。知り合いと謂えど、早々にお引き取り願いたい。午後からの魔力修練が楽しみであった月姫は、そう考えていた。
そんな折、これまで沈黙を保っていたクリス───彼女にしては珍しく、アーデルハイトの淫ピ発言も咎めずに、だ───が、ふと何かに気付いた様子で莉々愛へ問いかける。
「獅子堂というと……もしや、あの獅子堂ですか?」
「知っていますの? クリス」
「知っていると言いますか……ほら、先程話していた、茨城支部への出資者の話。二人の姓が、同じでしたので。珍しい名前ですし、もしかしてと思いまして」
「そういえば先程、そのような話をしていましたわね。わたくしは聞いていませんでしたけど」
アーデルハイトがソーセージをパクつきながら、適当に聞き流していたクリスと汀の会話。薄ぼんやりとした記憶でしかないが、しかし僅かに耳に残ったそれは、確かに、目の前の二人が名乗った姓と一致していた。
「そう! 何を隠そう、この私こそが! かの有名な獅子堂の娘よ!!」
「別に隠してないし。探索者界隈じゃ、もうみんな知ってる事だけど」
「折角威張ってるんだから、いちいち茶々を入れないでよ!!」
まるで夫婦漫才のような莉々愛と莉瑠のやり取りを他所に、何も知らないアーデルハイトと、そして興味がなさそうなオルガンの為、クリスは獅子堂に関する情報を語り始める。
獅子堂家とは、国内最大の医療グループと言われる『獅子堂グループ』の創設者である。獅子堂はダンジョン資源の医療転用に世界で初めて成功し、僅か二代で医療界のトップに上り詰めた。一般向けの医療機関経営のみならず、現在は探索者向けの薬品や医療用品の販売も行っている。そのシェア率は圧倒的で、協会で販売されているほぼ全ての医療用品が、獅子堂製のものである程だ。
国内のみならず、世界にもその名を轟かせる医療グループ。その総元締めが、獅子堂家というわけだ。
「ふぅん……教会の大神官のようなものですの?」
「つまり、胡散臭い輩というわけか」
「いえ、そういうわけでは……いや、まぁ、もうそれでいいです」
理解したのか、していないのか。アーデルハイトの挙げた例は、微妙に間違っているような気もするが───細かく説明するのも面倒だったし、何より二人とも、ひどくどうでもよさそうな顔をしていた。そうしてクリスは、二人への説明を打ち切ることにした。
「それで? 『茨の城』でしたわね? どうしてそんな大神官の娘が、ダンジョン探索なんて危険な真似をしていますの?」
正直に言えば、アーデルハイトにとっては酷くどうでもいい事だ。とはいえ、折角こうして出会ったというのに、『それではさようなら』では流石に印象が悪い。広いようで狭い探索者界隈だ、要らぬ敵は作るべきではないだろう。そう考えたアーデルハイトは、一応の話題を振ってみることにした。すると莉々愛は、待ってましたと言わんばかりに語り始める。ややオーバーな身振り手振りを添えて。
「いい質問ね! よくぞ聞いてくれたわ! そう、私達には目的があるのよ。気高くて崇高な、私達にしか出来ない大きな大きな目的が!!」
「それは素晴らしいですわね」
「ダンジョン資源の医療転用によって、医療界の頂点に立った我が獅子堂家。そんな獅子堂でも、未だ成し遂げられていないことがあるわ! ここまで言えば分かってしまうかもしれないけど───そう、それは回復薬よ!!」
「それは素晴らしいですわね」
「いかなる傷も、病も、たちどころに治してしまう奇跡の薬。人の身ではとても真似できない、まさに神の如き力だわ。でも回復薬は貴重で、とても高価。一般の人達ではとても手が出ない代物よ」
「それは素晴らしいですわね」
「もしも回復薬がもっと安価になれば、世界中の人々が救われるわ。だから私は、なんとしても回復薬を人工的に作る方法を見つけたい。そう、私達がダンジョンに挑む理由、それは───回復薬の量産化の為よ!!」
「それは素晴らしいで───あら?」
ひたすら適当に相槌を打っていた、そんなアーデルハイトの言葉が途切れる。そうしてクリスと汀へ交互に視線を送ってみれば、二人共がなにやら微妙な表情を浮かべていた。
回復薬の量産化。どこかで聞いたような話である。それもつい最近、ごく身近なところで、だ。だが、如何にこちらの世界の情勢に疎いアーデルハイトと謂えど、そう簡単に広めて良い話ではないと分かっている。
回復薬の価値が下がるということは、それによって稼ぎを得ていた者達、つまりは探索者全体へのダメージになりかねない。莉々愛の目的はとても立派なことだとは思うが、しかし事はそう単純な話でもないのだ。それは恐らく、口にした莉々愛自身もよく分かっていることだろう。そう、これは慎重に、時間をかけて、様子を見つつ進めるべき事柄である。
アーデルハイトとクリス、そして汀の三人は、視線だけで意思を確認し合う。そうして互いに頷き、『ここは黙って聞いておこう』という結論に至った。
が、一筋縄ではいかない者が一人居た。
「ふむり───それならもう作ったけど」
ぐるぐると納豆をかき混ぜながら、ごく当たり前のような声色で、顔色一つも変えること無く。オルガンは莉々愛に向かって、そう告げた。
ムゥ……あれが世に聞く獅子堂家。
知っているのかクリス!!




