第192話 新生ノーブルヒロイン
アーデルブートキャンプと称した地獄の特訓、その午前の部はどうにか無事に終了した。その後、一行は協会の食堂にて昼食を取っていた。汗の一つもかいていないアーデルハイトが、幸せそうな顔でソーセージにフォークを突き刺す。するとソーセージの皮がぷちりと弾け、中からはじゅわりと肉汁が溢れ出した。
「これは……中々美味ですわね……!! ですが自他ともに認める『暴燻』マイスターのわたくしに言わせれば、少々ケムみが物足りませんわ」
「煙ジャンキーみたいな台詞ッスね」
テーブル下の二匹へと餌付けをしながら、汀が呆れたような声でツッコミを入れる。その合間にハンバーグを口に放り込み、次いで辺りを見回した。
「それにしても……探索者協会とは思えない光景ッスねぇ……」
茨城支部の食堂は、修練場と同様に、他の支部の比ではない規模であった。渋谷や京都の食堂スペースも、ショッピングモールのフードコートかと思う程度には広かった。しかし、ここの食堂はそんなレベルではない。そもそも協会の中に食堂があるのではなく、飲食専用の建物が別棟として併設されているのだ。
内部には和食や洋食、中華といった基本的なものは勿論の事、高級志向で少々値の張るお店や、スイーツの専門店などなど、多種多様な店が立ち並んでいた。その種類の豊富さと広さによるものか、探索者ではない一般の者にまで開放されているほどである。本来であれば、独特の緊張感が漂っている筈の探索者協会という場所にあって、しかし殆ど、そこらの道の駅等と雰囲気に大差がない。異世界方面軍がこれまでに訪れたどの支部よりも、茨城支部は賑わっていた。
「というか、露骨に規模が違う気がするんスけど?」
「なんでも茨城支部は、あの『獅子堂』が出資を行っているのだとか」
「はえー、道理で……あれ、協会がそんなの受け取っていいんスかね? 贈収賄じゃないんスか?」
「さぁ? 詳しいことは私も。まぁ、協会の立ち位置も結構曖昧ですしね。根っからの公的機関というわけでもありませんし」
「特別に便宜を図っているわけではないから、ってことなんスかね? どっちかといえば寄付扱いなんスかね? まぁどっちにしろ、下手に触れないほうが良さそうッスねぇ……」
こちらの世界の住人である汀と、すっかりこちらの世界に馴染んでいるクリス。二人がそんな少し複雑な世間話をしていたところで、シャワーを浴びていた月姫が合流した。
「ふいー、さっぱりしました!」
そう言いながら現れた月姫は、普段の中二チックな服装に着替えていた。先程まで着ていた泥だらけのジャージは、どうやらクリーニングに出しているらしい。彼女の持つトレイには、小さなサラダとパンが一つだけ乗っていた。
「あら? 月姫、貴女それだけで足りますの?」
「いやぁ、午後の事を考えると……色々と出ちゃいそうで」
アーデルハイトの言う通り、午後もトレーニングが続くことを考えれば、出来る限り食事はしっかりと食べておくべきだろう。だが午前のハードなトレーニングを思えば、がっつりと食べる気にはなれなかったらしい。しかしそんな月姫の心配は、続くアーデルハイトの言葉によって否定される。
「……? 午後は違うメニューですわよ?」
「えっ」
「……言いませんでしたっけ?」
「初耳ですよ!?」
月姫の驚く顔を前に、アーデルハイトは顎に指を置いて、自らの記憶を遡る。そうして虚空を見つめること数秒。確かに、伝えた記憶が存在していなかった。
「てへぺろ、ですわ」
「あっ、いいですねそれ! 数年前に流行ってましたよ! 流石は師匠、現代の流行にも敏感ですね!」
「バカにしてますの?」
そんな下らないやり取りの後、食事の追加を手にした月姫が再び席へ着く。思わぬサプライズではあったが、月姫には気にした様子もなかった。あの地獄の模擬戦から解放されるのならば、事前に通達が無かったことなど些細な事だった。
「それじゃあ、午後は何をするんでしょうか?」
「以前にも少し話しましたけれど───午後からは魔力操作の練習を行いますの。いよいよ貴女にも、ミギーのように魔力操作を覚えて頂きますわ」
「!!」
「というわけで、教師役にクリスを付けますわ。一応の補助にオルガンもセットで」
「本当ですか!? や……やッたぁぁーー!!」
アーデルハイトの口から聞かされた言葉は、月姫が待ちわびていたものだった。汀が魔力操作の練習をしていた時から、その様子を度々見学していた月姫。現代人である彼女にとって、やはり『魔法』というものは一種の憧れだ。いよいよ自分も教わることが出来るとあっては、その喜びも一入である。
それを知っていたからだろうか。クリスは月姫を見つめて優しく微笑み、そしてオルガンは割り箸を使って納豆をかき混ぜていた。
なお、魔力操作という点に於いてクリスよりも上手な筈のオルガンが、一応の補助というチョイ役に据えられているのには理由がある。といっても難しい話ではない。この変人エルフは、人に何かを教えるのが絶望的なまでに下手なのだ。故にあちらの世界でも、オルガンには弟子のような者は居なかった。単に面倒臭いから、というのも勿論あるだろうが、しかしそれ以上に彼女の説明はクソなのだ。
「それと、ミギーにも手伝いをお願いしておりますわ。先達として、きっとアドバイスをくれることでしょう」
「はい! 全力で頑張ります!! ミギーさんも宜しくお願いします!」
「ういうい。まぁ、お役に立てるかはわかんねッスけど」
威勢のいい返事と共に、月姫が後輩力を前面に押し出してゆく。こうまで張り切られては、教える側としても否応なくやる気が湧くものだ。そんな月姫の微笑ましくもやる気に満ちた顔を、全員でニヤニヤと眺めている時のことであった。
食堂の入口あたりで、俄に歓声が上がった。騒ぎになる程ではないが、しかし先程までの静かな雰囲気とは、まるで正反対の気配だった。異世界方面軍の面々は、以前にもこれと似たような雰囲気を感じたことがあった。それは魔女と水精の面々と京都支部に足を踏み入れた時。そして、月姫と共に渋谷ダンジョンへと赴いた時。つまりこれは、知名度の高い探索者が協会に姿を見せた時の反応だ。
「あら? 一体何事ですの? 探索者界の新生ノーブルヒロインは此処に居りましてよ?」
「実は天才納豆エルフも此処に居る」
「そのカテゴリは両方聞いたことねーんスよ」
などと下らない冗談を言っているうちに、騒ぎの元凶は異世界方面軍が陣取っているテーブルへと近づいて来ていた。残ったソーセージを齧りつつ、アーデルハイトがそちらの方へと視線を向ける。
アーデルハイトの視線の先には、遠目にも目立つ桃色のツインテールが揺れていた。そんなド派手な髪の持ち主はきょろきょろと食堂内を見回し、そして何かに気づいた様な表情を見せた後、早足で一行の元へと向かって来る。そうしてテーブルの前までやって来て、開口一番にこう言った。
「ちょっと月姫!! ウチに来ているなら連絡くらい寄越しなさいよ!!」
腰に手を当て、妙に偉そうなポーズでドヤ顔をキメる少女。どうやら彼女は、月姫の知り合いであるらしい。しかし当の月姫はといえば、突然名指しされた所為か、サラダを口に頬張ったまま目をぱちくりとさせていた。
そんな様子を傍から見ていたアーデルハイトと汀の二人は、負けじと声を合わせてこう叫んだ。
「淫ピですわーーーー!!」
「淫ピ来たァァァァァ!!」
ピンクは淫乱




