第190話 スマホ弄るのやめーや
「んぐぅッ────ああああッ!!」
誰かに言われなければ、これが模擬戦だとはとても思えないような必死の形相。額に汗をびっしりと浮かべ、息を切らしながらも月姫は大太刀を振るう。
見学をしている探索者達からみれば、それは殆ど理想的な一閃だった。流石は音に聞こえた『†漆黒†』のエースだと、誰もがそう思えるような。月姫の斬込み速度は決して遅くない。重量のある『蛟丸』をぶっ続けで一時間振るっていたことを考えれば、むしろ早い方ですらあった。しかし、月姫の攻撃が届くことは無い。
「膝」
「あ───ぐッ!」
鞘に納まったままの聖剣で、月姫の足をアーデルハイトが小突く。汗一つ流すことなく、涼しい顔で、事も無げに。無論、怪我をさせるような打ち込みではない。ただ月姫の膝をこつりと叩いただけだ。それにより、月姫の膝が強制的に落ちた。突如として体勢を矯正され、月姫が苦悶の表情を見せる。
「ふんぬッ……!!」
しかし月姫は倒れない。成程確かに、先程の斬込み時よりも、ずっと刀が振りやすくなっていた。半ば倒れ込むような前傾姿勢ではあるが、それは言い換えれば重心が低くなったということ。地を這うような軌道を描き、白刃が下方からアーデルハイトへと迫る。
が、やはり届かない。
「肩」
「うッ、あ痛ァ!」
刃が届くよりも先に、今度は右肩口をばしりと叩かれる。上方から力を加えられたことにより、月姫はいよいよその場に倒れ伏した。既にジャージは疎か、顔もグラウンドの土に塗れている。額には汗で髪が張り付いており、その疲労具合を物語っている。つい一時間前とは比べ物にもならない、変わり果てた姿であった。
「剣というものは、腕だけで振るうものではありませんわ」
うつ伏せに倒れ込んだ月姫へと、アーデルハイトが手を差し伸べる。見様によっては美しい光景だが、その真意は『早く立て』である。
「貴女の剣は手なりですわ。ただ何となく、振れるから振っているだけ。足、膝、腰、肩、肘。全てを使って振るいなさい。一刀一刀を丁寧に」
「ゔッ……はい……」
差し出されたアーデルハイトの腕を取る気力もないのか、返事こそすれど、月姫はうつ伏せのままで動かない。アーデルハイトは息を一つ吐き出し、仕方がないとばかりに休憩を宣言する。
「ちょうど一時間くらいですわね。一度休憩にしましょう」
「や、やったぁ……なんとか生き延びたぁ……」
「大袈裟ですわね……」
その合図を聞き、クリスが救急箱を手にやってくる。どうやらこの一時間で、幾分かはコスプレにも慣れたらしい。まだ多少恥ずかしそうにはしているが、少なくとも顔色だけは普段と遜色がない。
「おや、打ち身がたくさん」
「クリスさん……か、回復魔法を……」
「駄目です」
月姫の願いは無情にも切り捨てられた。というのも、この程度の傷で回復魔法を使えば、痛みまでもが消えてしまうからだ。そもそも剣術というものは、当然ながら一朝一夕で身につくようなものではない。故に、短時間で仕込む為には身体に覚え込ませる必要がある。それには『痛み』が最も適しており、そういった理由から、回復薬と回復魔法の使用は基本的に行わない方針であった。
そんな光景を、少し離れたベンチに座って見学していた汀とオルガン、そして配信の視聴者達。思っていたよりも数倍ガチだったアーデルブートキャンプの光景に、オルガン以外の面々は心配そうな声を上げていた。
「スパルタっスねぇ……うわ、痛そー」
:ガチキャンプで草
:月姫死んだw
:鬼畜団長A再び
:あかん、レベチ過ぎてカグーの何が悪いんか全くわからん
:小一時間も太刀振りながら小突かれ続けたら倒れもするか
:団長のガチ指導ともなると流石にハードだったわ
:もっと激しい打ち合いなのかと思ってたら、マジであしらわれてて草
:清々しい程のボッコボコ
:カグーに才能があるとは一体何だったのか、ってレベルでボコボコなんよ
そんな視聴者達のコメントに、この場では唯一の異世界出身者であるオルガンが回答を行う。彼女には剣の事などまるで分からないが、しかし彼女だからこそ分かる事もある。
「それは違う。アーデが直接剣を交えて指導をするのは、確か騎士団の副団長だけだった筈。他の団員達の訓練にも口は出すけど、それだけ。こうしてアーデが直接剣を教えている時点で、あの子には才能があるという証拠。しらんけど」
凡そ日本に来て日が浅いとは思えない、妙に小慣れた手つきでスマホを操作しつつ、淡々とそう答えるオルガン。訓練の内容には興味がないのか、先程からずっとこの調子である。
「剣聖というのは簡単に名乗れるものではない。ほんの一握りの才能ある者達が、必死で努力し、挫折し、果ては絶望を乗り越えて尚届かない、そんな道の先でたった一人だけが名乗れる称号。それが剣聖。そんなアーデが指導をしても良いと思う程度には、あの子は優秀。知らんけど」
:最後に適当な言葉つけるのやめーやw
:良いこと言ってるっぽいのに最後で台無しだよ!
:スマホ弄るのやめーやw
:エルフがスマホ弄ってんのなんかツボだわ
:しかも妙に操作が速い
:おるたそも創聖?なんじゃないの?
:そういやそうだった
:ただの残念無気力ロリエルフだと思ってたわ
「そう。そもそも『オルガン』というのは、あちらの世界に於ける一種の称号のようなもの。知識と技術、叡智の牙城。そこに足を踏み入れた者だけがそう呼ばれる。同時に二人存在することはない、唯一無二の称号。それが『オルガン』、それがわたし」
長く話して少し疲れたのか、オルガンが自らの頬をむにむにと揉み込む。思いの外語られる機会の少ない異世界事情に、耳を傾けていた者達は『はえー』などという間抜けな声を上げていた。
「はえー、そうなんスねぇ……」
「ちなみに、『創聖』と『オルガン』はイコールではない。説明はめんどいので端折る」
:オイィ!!
:めんどいのではしょる
:疲れちゃったかー……
:折角の異世界話が……
:おおい!! 興味深いところで止めるのやめーや!
:アーさんは案外、その辺り詳しく語ることあんまないもんな
:聖女と勇者を思い出すから避けてる説
:あると思います
:草
* * *
「以前にも申し上げましたけれど、貴女には才能がありますわ」
そうして休憩に入って暫く。グラウンドに突っ伏して息を整える月姫へと、アーデルハイトがなにやら色々と語っていた。
「人間というのは、頭でイメージした動きと、実際の身体の動きにズレが生じますの」
「ふぅー……あ、はい。それは何となく……」
「その差を可能な限り無くす為に、人は反復を行う。剣の素振りがいい例ですわね。けれど貴女にはそれが必要ない。それはつまり『身体を精密に動かす才能』ですの」
「身体を、精密に……?」
アーデルハイトの言葉があまりピンと来ないのか、月姫が不思議そうな顔を見せる。幼い頃からそうであったが為に、恐らくは自覚がないのだろう。傍から見れば異能でも、それが当たり前である本人からすれば分かりづらい事なのかもしれない。
「イメージ通りに身体を動かす才能。これは努力ではどうにもならない領域ですわ。どれだけ努力したとしても、100%思い通りに動くことはない。それが人間。それが人の身体というものでしてよ。けれど貴女にはそれが出来る。これは他者に無い、圧倒的な武器ですわ」
そう言って軽く微笑むアーデルハイト。訓練中の厳しい表情とは異なり、今の彼女はすっかり普段通りであった。
「え……でも、さっきは全然駄目でした……よね?」
「それは貴女が『正解』を知らないからですわ。今は基礎を飛ばして我流で剣を覚えてしまった貴女に、わたくしの『正解』を叩き込んでいる最中ですの」
「な、成程……?」
「もう……折角凄い才能を持っているのに、本人がこれですもの」
「す、すみません……へへ」
「ヘラヘラしない!」
「はひっ!」
そんな雑談を交わしている、その時だった。アーデルハイトからぴしゃりと怒られた月姫が、ふと何かに気づく。ふわりと、身体が急に軽くなるような感覚。突然身体が光りだすだとか、そんなわかりやすいものではない。しかし確実に、先程までよりも自分の身体がよく動く。身体の奥底、心の臓が熱くなるような。足の先から手の先まで、力が溢れ出すような。それは月姫が、これまでにも何度か経験したことのある感覚だった。
「あれ、これ……」
突如として起こった自らの変化に、月姫は目をぱちくりとさせていた。話を聞いているのか、いないのか。どこか上の空といった様子の月姫に、アーデルハイトが問いを投げる。
「ですから───あら? 一体どうしましたの?」
そんなアーデルハイトの言葉に、月姫は自らの両の手を見つめながら、おずおずとこう答えた。
「師匠、あの……なんか私、レベルアップしたみたいなんですけど」
六聖に付けられた『◯聖』や『聖◯』というのは謂わば二つ名のようなものです。
そういった役職が元々あるという訳ではなく、その人物に似合うものが後から付けられます。
対して、『オルガン』というのは肩書のようなものです。
例えば、シーリアには『聖炎』という二つ名が付いていますが、仮に彼女をオルガンのように呼ぶとすれば、『聖炎・王国魔術師団長』みたいなことになります。アーデルハイトの場合は『剣聖・公爵家令嬢』といったところでしょうか。
つまり『イコールではない』というのは、その代の『オルガン』と呼ばれる者が皆『創聖』と呼ばれるわけではない、という意味だったりします。『創聖』というのは、あくまでもミィス・ルイン・マール・ヴィルザリースに対して付けられた呼び名だということですね。説明が難しく、少し分かり辛いかもしれませんが……ぶっちゃけ覚えなくても一切問題ありません!