第176話 お肉ちゃんだ!
遠く響く戦闘音を聞き、肉をパントキックよろしく、音の鳴る方へと蹴り出す。それを追うように、アーデルハイトとクリス、そして東海林が森の中を走っていた。
「なぁ嬢ちゃん」
「なんですの?」
「あの……肉だったか?大丈夫なのか?」
東海林も今となっては異世界方面軍リスナーだ。肉の存在は知っている。だが肉はこれまで専ら投擲兵器としての活躍しかしておらず、直接の戦闘は殆ど行っていない。ただの丸っこい怪しい生き物に過ぎないアレが、魔物と戦えるなどとは到底思えなかった。
「問題ありませんわ。少なくともここ程度のダンジョンには、お肉ちゃんにダメージを与えられる存在など居ませんもの」
「あれでも陸の王と呼ばれた魔物の一体ですからね」
しかしアーデルハイトとクリスは何の心配もしていないようで。
「そうなのか……ならいいんだが」
二人の言葉に一応の納得を見せる東海林。何処からどう見ても弱そうにしか見えないのだが、この二人がここまで信頼しているのならば、と。
「今はお肉ちゃんの心配よりも月姫達ですわ。急ぎますわよ」
「おう」
そうして三人は森の中を駆け抜ける。歳の所為か息の上がる東海林とは対照的に、アーデルハイトとクリスの二人はまるで疲れた様子はなかった。
* * *
魔物の群れを前に、静かに佇む小動物。ともすればゴブリンよりも弱そうなそれが、満身創痍の探索者達に時間的猶予を与えていた。飛び出す寸前であった月姫は何処か安心した様子で、息を整える。
「おいおい、何だあの……いや、マジで何だアレ?」
ルシファーの困惑も無理はない。異世界方面軍チャンネルを見ていなければ、まず意味が分からないだろう。豚のような猪のような、見た目はただの丸々とした毛玉に過ぎない。短い手足にかつての面影はなく、専らマスコット担当となっているのにも納得がいく。それが今の肉の姿だ。
だが、そんな怪しい生き物に対して魔物の群れは警戒を顕にしている。これを異常と言わずしてなんというのか。
「お肉ちゃんだ!」
この場でその正体を知っているものは二人。月姫と合歓だ。アーデルハイトの家に遊び行ったことがある合歓は、空から降ってきた毛玉を見つけてそう声を上げた。
「あ?なんだって?」
ルシファーがそう聞き返す。別に彼は聞き取れなかった訳では無い。ただ脳が理解を拒んだというか、聞こえてきた言葉が脳内で文字に変換出来なかっただけだ。一瞬どこかの外国語かと思ったほどである。
だが、今はそんな逡巡の時間すら勿体ない。如何に肉と謂えど、この数の魔物を殲滅することなど出来ないだろうから。
「ルシ、蔵人!今のうちに───」
この中では肉のことを最もよく知っている月姫が、そう考えた矢先の事だった。一行を馬鹿にするかのように鼻を鳴らした肉は、そのまま魔物の群れへと突撃を敢行した。
「えっ」
そんな間の抜けた驚きの声は、一体誰のものだったか。
短い手足をバタつかせて肉が疾走する。最も先頭に居る、巨大なオウルベアのもとへと。速度はなかなかのものだ。そこらの新人探索者よりも余程速いといえるだろう。だがこの場に居る探索者と比べれば、その走りは誰よりも遅い。
そうして魔物との距離が10mを切ったあたりで、肉は力を溜めるように姿勢を低くする。刹那、ダンジョンの床が大きく罅割れ、そして肉が弾かれたように飛び出した。
月姫は以前にも、肉がこの行動をとるのを見たことがあった。それは彼女が肉と追いかけっ子をしていた時、リビングで肉が見せた跳躍と同じものだった。だが、速度はその時の比ではない。殆ど小さな砲弾とでも呼べそうな、そんな速度だった。言葉にすればただの『たいあたり』なのだろうが、しかし───。
相対していた魔物も、まるで予想外だったのだろう。或いは、単純に速すぎて視認出来ていなかったのかもしれない。ただ一つだけ言えることがあるとすれば、先頭のオウルベアは肉の突進に反応すら出来ず、気付いたときにはその腹部に大穴を空けられてしまっていた、ということだけ。地面に残る罅だけが、見た目とは不釣り合いなそのパワーを物語っていた。
「……は?」
それを目撃した月姫は、あの時の事を思い出す。月姫も腹部に体当たりを受け、死ぬほど痛い思いをしたことがある。だがその時ですら、肉はちゃんと手加減していたということだ。本気を出して行われる肉の体当たりが、まさかこんな威力だったとは。
一体目のオウルベアを体当たりで貫通してみせた肉は、勢いをそのままに次の獲物へと向かう。というよりも、一体目は何の抵抗にもならなかったのだろう。そのまま二体目も貫通し、魔物の群れの中へと消えていってしまった。
「うっそだろオイ……なんだよあの……いや、何だよアレ」
開いた口が塞がらないとはこのことだろうか。肉と直接の面識がある月姫ですら呆けているのだ。ルシファーを始めとした他の面子には、もはや何がなんだかさっぱり分からなかった。だが魔物の断末魔やくぐもった悲鳴が断続的に聞こえてくるあたり、どうやら奥の方でも同じ様に体当たりを繰り返しているらしい。
「オイ!とにかく、アレは味方なんだよな!?」
「あ、うん……それは間違いないけど……」
そんな想定外過ぎる援軍だったが、しかし何時までも呆けては居られない。最も早くこの状況を把握したのは、やはりというべきか合歓であった。
「っ……とにかく今が好機!!お肉ちゃんが暴れている内に、私達は後退するべき!!」
「確かに!お肉ちゃんがここにいるってことは、師匠も近くまで来てる筈!!」
次いで、我に返った月姫がアーデルハイトの存在を確信する。事此処に至り、彼女達の戦略目的は変更された。つまりは『突破』ではなく『生存』になったのだ。これまでは援軍の目処が立たず、耐えているだけではジリ貧であった。故に突破を図った。だが肉がやってきた今となっては、耐えた先が見えているのだ。
ギリギリだったのは間違いない。だが、あと数分耐えるだけならどうにか可能だろう。元より満身創痍であった一行だが、救援が来ていることが分かれば気力も戻るというものである。
「いや、アレ放っといていいのか!?」
そんなルシファーの懸念もまるで無用だった。
今尚聞こえ続けている、魔物達の悲鳴がそれを証明している。
「多分、ていうか絶対大丈夫だから!!」
「……むしろ、無理に援護したほうが危ない気がする。師匠もそのつもりで送り込んで来てるだろうし……」
もはや戦場はこれまで以上の危険地帯と化している。謂わば歩行者天国に暴走車が乱入したようなものだ。下手に手を出せば巻き込まれかねない。
「なんだってんだよ……おい蔵人、そういうことらしい。下がるぞ!」
「俺も……考えた。宇宙……星……肉。広くて大きくて……俺なんかが動き回っても、何も変わらないんじゃないかって」
「だからそう言ってんだろ!!」
何やら怪しく語りだした蔵人の腕を引き、ルシファーと探索者達が後退してゆく。同様に、殿を務める月姫もまた戦場を見つめてじりじりと下がってゆく。その視線の先には、大混乱となった魔物の集団が映っていた。
小型化してもアホみたいなパワーは健在でした