第164話 スネーク・バインド
「嘘だろ!?何でこんな所に!?」
「こんな……そんなの聞いたことない!!」
鷲獅子。
それはファンタジー作品ではすっかりお馴染みとなった、強力な魔物の代表格といえるだろう。鷲獅子はその名の通り、鷲の姿をした上半身と翼を持ち、下半身は強靭な獅子の姿をしている。
アーデルハイト達が元いた世界に於いても、鷲獅子は強力な魔物として知られている。空を自由に飛び回り、小さな集落や街などであれば、たった一体でも壊滅せしめる程の力を持つ。主に渓谷や険しい山間部に生息しており、非常に好戦的、かつ縄張り意識も強い魔物だ。冒険者や旅人が不用意に縄張りへと近づこうものなら、たちまちの内に襲いかかってくる獰猛な魔物。その特性から、手練れの冒険者であっても迂闊には手が出せない、或いは、手を出さない魔物である。
こちらの世界での鷲獅子も、そういった特徴は変わらない。だがこちらの世界の鷲獅子はあちらの世界のそれとは異なり、ダンジョン内でしか姿を現さないのだ。
目撃例があるのは世界でも三箇所のみ。
一つはイギリス。
『嘆きの渓谷』とも呼ばれる、スコットランド南西部に位置するグレンコーに出現したダンジョン。世界中のダンジョンでも最高クラスの攻略難度を誇ると言われるそこは、一定の階層を越えた時点から鷲獅子が頻繁に姿をみせるという。当然ながら探索は一切進んでおらず、専ら低階層でのみ探索が行われているダンジョンである。
一つは日本。
ダンジョン大国として名高い日本でも、探索者の数が最も多いと言われている渋谷ダンジョン。つい先日、『勇仲』と『魅せる者』の共同探索によって探索記録が更新されたことが記憶に新しい。
ここでは階層主として鷲獅子が出現する。だが渋谷ダンジョンは洞窟型のダンジョンであり、『天井』が存在する。つまり、渋谷Dの鷲獅子はその本領を発揮しないのだ。故に比較的戦い易いとされており、実際に鷲獅子の討伐報告があるのは世界でも渋谷のみである。
最後にアメリカ。
アリゾナ州北西部に位置する、グランドキャニオン国立公園内に存在するダンジョン。だがここもグレンコーと同様、洞窟型のダンジョンではない。『魅せる者』を始めとする数々の探索者達が討伐に臨むも、終ぞ為し得なかった。
つまり鷲獅子とは、ダンジョンの構成によって討伐難度が大きく変化する魔物なのだ。これは飛行型の魔物全般に言えることではあるが、そもそもが巨体である鷲獅子は、その傾向がより顕著なのだ。といっても、閉所で戦えば楽な相手かといえばそういうわけでもないのだが。
もしかすると他のダンジョンにも生息しているのかもしれない。だが少なくとも、現在判明しているのはこの三箇所だけであった。それにも関わらず鷲獅子の知名度が高いのは、やはりファンタジーを代表する魔物だからなのかもしれない。あちらの世界でも滅多に姿を見せない竜種を除けば、殆ど空の王者と呼んでも差し支えない魔物なのだから。
そして今、一行の前に姿を見せた鷲獅子。
無論、神戸ダンジョンでは目撃報告など一つもなかった。そもそも鷲獅子の羽色は茶系とされている。だが、眼の前の個体は艷やかな濡羽色をしていた。また、身体の大きさも通常の鷲獅子より少し大きい。これらが意味する事はたったひとつ。
「あの羽の色……変異種か」
額から冷や汗を流しながら、シモンが呻くようにそう呟く。
変異種とは、通常の個体とは異なる特徴を持つ魔物のことだ。変異種の魔物は通常の個体よりも強いことが殆どで、場合によっては特殊な能力を備えていることすらある。アーデルハイトが伊豆で出会った、変異種のローパーもそうであったように。
発生する条件などは全くの不明であり、そもそも遭遇すること自体が稀。だが一度発生すれば、討伐の為だけに臨時パーティが組まれるほどの脅威である。
ただでさえ厄介な鷲獅子の、それも変異種だ。加えて、本来は神戸ダンジョン内には生息していない筈の魔物でもある。魔狼から始まり、死神、巨獣、そして今回の鷲獅子。巨獣に関しては特殊な例ではあるが、まさに異常なほどの異常事態遭遇率である。これだけ重なれば、もはや偶然で片付けるには無理があるほどの事態だった。
『ほぅ、グリフォンですか……』
『ぶら下がりエルフ、かわヨ』
『オイオイオイ……』
『毎度毎度、よくもまぁトラブルばかり……』
『え、草原でグリフォンって流石にヤバくない?』
『またまたぁ……え、これマジでヤバいんか?』
『そこまで詳しくない俺でもヤバいと分かる』
『そもそもの討伐難度はAだけど、それは閉所での話』
『自由に飛び回れる場合、討伐難度はS以上って言われてる』
『こういうヤバさが伝わり難いのが異世界方面軍の弱点』
普段は呑気に視聴している団員達にも、今回ばかりは流石に緊張感が広まってゆく。だがそんな状況の中にあって、アーデルハイトとクリスの二人はまるで驚いた様子を見せなかった。クリスに至っては、肩を竦めて呆れているほどである。
「なんというか……我々はダンジョンに入る度に異常事態と遭遇している気がしますね。稀な現象だと聞いていたのですが……」
「素晴らしいことですわね!わたくしの溢れ出る高貴さが、望まずとも撮れ高を引き寄せてしまうのかもしれませんわ!望んでましたけれど!」
「そんな馬鹿な、と言いたいところですが……今回は例のあの『匂い』もしませんし、本当に引き寄せているとしか思えない程です。ある意味、ダンジョン配信者としては最高の演者ですね……」
「何れにせよ、このチャンスを逃すわけには参りませんわ!!撮れ高の糧として差し上げましょう!」
改めて、アーデルハイトを配信の世界に引きずり込んだのは間違い無かったと思うクリスと、そして望み通りの展開に意気込む撮れ高モンスター。そんな二人が呑気に会話をしている間にも、変異種の鷲獅子は悠々と行動を開始していた。
「ちょ、ちょっと!そんな悠長な事言ってる場合じゃないですって!?」
ツバメの言葉に顔を向ければ、鷲獅子はオルガンの外套を引っ掴んだまま離脱を始めようとしていた。アーデルハイトを警戒しているのか、その動きはそれほど速くはない。鷲獅子はアーデルハイトの一挙手一投足を見逃さぬよう、鋭い視線を向けながら徐々に高度を上げようとしていた。
「ふむ……アーデよ。実はわたし、高いところが苦手だったりする」
「あら、樹上に住まうエルフにしては意外ですわね?貴女らしいといえばらしいですけど……まぁ少しお待ちなさいな。今降ろして───」
「おしっこ漏れそう」
「そこで漏らしたら承知しませんわよ!!」
ぶるり、と小さく身震いをしてみせるオルガン。仮に今の位置関係で粗相をしようものならば、真下にいるアーデルハイトはしこたま浴びてしまうことだろう。視聴者の中にも何人か存在する上級者であれば、或いはご褒美になるのかもしれないが───しかしアーデルハイトにそんな趣味はない。
ゆっくりと上昇を始めた鷲獅子は、既にアーデルハイトの手の届かない場所まで高度を上げていた。離脱を阻止しようと思えば、クリスの魔法による攻撃が効果的だろう。だが相手が鷲獅子ともなれば、詠唱を必要としない低級魔法では効果が薄い。そして今からでは上級魔法を詠唱しても流石に間に合わない。アーデルハイトは瞬時にそう判断し、最悪の未来を避けるため動き出す。彼女は左手を鷲獅子へ向けて突き出し、まるで必殺技か何かを放つようにこう叫んだ。
「捕縛しなさい!!『縛鎖の毒島』!!」
アーデルハイトが動いた瞬間、警戒していた鷲獅子もまた離脱の為に動き出す。巨大な翼を躍動させ、一気にこの場を離れるつもりだった。地上へと激しく吹きつける強風の中、しかしそんな鷲獅子の思惑が叶うことはなかった。オルガンの外套を掴んでいる鷲獅子の足に、ジャージの裾から飛び出した毒島さんがしっかりと巻き付いていたからだ。そう、実は今回の探索では、留守番の肉に代わって毒島さんが同行していたのだ。
「ふんっ!」
鷲獅子の足に絡みついた毒島さんを、そのまま引き寄せるアーデルハイト。その鋭い瞳に戦意を滾らせ、決して離すまいとする毒島さん。もしこれがそこらの魔物であれば、鷲獅子とアーデルハイトの力比べに耐えることなど出来なかっただろう。
かつて戦った際は、アーデルハイトの怪しい必殺技にて一撃のもとに両断されてしまった毒島さん。だが毒島さんはアーデルハイトですら見たことが無い魔物の成れの果てであり、かつ伊豆ダンジョンの主でもある。魔物としての格は本来、鷲獅子よりもずっと上なのだ。そんな毒島さんが、この程度の引き合いでその身にダメージを受けることなどあり得ない。
下方から加わった慮外の力により急激にバランスを崩し、がくりと高度を落とす鷲獅子。そうして引き寄せた鷲獅子の頭部へと、必殺の一撃が放たれる。
「お死にあそばせ!!」
そんな物騒な一言と共に、右手に握ったサービスエリア産の木刀が打ち付けられる。そしていつぞやの時と同じ様に刀身が圧し折れ、粉々に四散した。
「あ゛ぁーっ!!わたくしの新しい相棒がっ!!」
『草』
『(そら)そうよ』
『この光景、前も見たな……』
『そうなるの分かってただろ!!』
『あ゛ーっw』
『悲鳴たすかる』
『緊張感あるのか無いのかハッキリして』
『これが異世界節よ』
『どのテンションで見てればいいんだよ!!いい加減にしろ!』
そんな視聴者達の反応を知ってか知らずか、あの時と同じ様に八つ当たり気味の台詞を吐くアーデルハイト。
「くッ……わたくしの戦友をこんな姿にしたツケは払って貰いますわよ!!」
そんな台詞の内容もまた、あの時と一字一句変わらぬものだった。こうしてどこか懐かしさすら覚える展開と共に、アーデルハイトと鷲獅子の戦いは幕を開けたのだった。
数ヶ月越しの天丼……ッ
毒島さんが居ないと思ったか!残念、ずっとジャージの中に潜んでました!!
肉と違って普段はかなり大人しい子です
……アーデルハイト史上で初めて、比較的まともな技名な気がしてます