天国のパパへ
天国のパパへ(〜父と娘の二重奏〜)
(式辞)
赤い絨毯と白い壁を基調にした室内に、豪華絢爛な金屏風。色打ち掛けに文金高島田や、コシノジュンコのウエディングドレス姿。和洋折衷の結婚式場は、日本独特の文化とも言える。招待された女性たちは大半が洋装スタイルで、和装姿のご婦人たちは親類関係であることがわかる。男性は年齢に問わずほとんどがスーツにネクタイで、式場内で手持ち無沙汰に煙を揺らしている。この昔ながらの結婚式場は分煙も進んでおらず、いまだに至る所に灰皿が置かれている。
最近はホテルやレストランなどカジュアルウエディングがトレンドであり、このような昔ながらの式場はめっきり見なくなった。また今どきの結婚式は、仲人を立てることも少ないと言う。それでも結婚式をあげるだけましなほうで、最近は「なし婚」もブームらしい。結婚式に余計なお金をかけるより、新婚旅行を豪華にしたり、自分たちの生活を優先するスタイルが主流のようだ。
たしかに結婚は本人同士の事なので、何も問題はない。今の時代、由緒ある家柄でもなければ、わざわざ口を出す親も少なくなってきている。晩婚化が進むご時世、結婚してくれるだけでも良しとする親も多い。だが親は内心寂しがっているのではないだろうか。できることなら、自分の娘や息子の晴れ舞台を見たいと言う願いはあるはずである。お宮参りから始まり七五三参り、入学式、運動会、卒業式とわが子の成長を見守り、子育ての集大成とも言える結婚式まで見届けたいと願うのは親心だろう。
(式場案内)
この昔ながらの結婚式場、泡姫殿も来年の4月にはリニューアルするらしい。洋風なチャペルをイメージして改装する。式場の名称も[バブルスプリンセスガーデン(BPG)]と改名を予定している。ブライダル業界も改変が進んでおり、時代の流れにはあらがえない。ジリ貧状態から抜け出そうと企業努力を強いられている。
この典型的な結婚式場で、典型的なプログラムを、典型的な司会者が進行していた。まるで結婚式のイメージビデオのようによそよそしく、典型的で和やかな挙式が執り行われていた。
新婦の友人の歌披露スピーチでは、親友が第一声からいきなり自己完結で感極まっている。アイドルの新人賞のように、いきなりAメロから大泣きで歌を披露して微妙な雰囲気になった。「おいおい、泣くのが早いんじゃねえか?」招待客のなかには、こんな悪態をつく輩もいる。
新郎の友人スピーチでは、友人らが漫談を披露して身内ウケを狙いつつも、絶妙な緊張が絶妙なすべり具合を醸し出していた。静寂の中、ナイフとフォークの「カチャ」という音が除夜の鐘のように虚しく鳴り響いた。音を出してしまった招待客は、いたたまれなくなり、そっとフォークを戻した。
こうして、ごく典型的な少し冷め気味のプログラムが進行していた。
「さて、皆様方と過ごして参りましたこの素敵なお時間ですが、そろそろ御開きが近づいて参りました」司会者の落ち着いたトーンに招待客らが安堵した。
「今、新郎新婦様は 大切な方々に祝福をされ、幸せの絶頂にいらっしゃいます。この素晴らしい日を迎えることができたのも、これまで大切に育ててくれたご両親のおかげではないでしょうか」落ち着いたトーンで司会者は続けた。
「本日、新婦の響子さんは、日頃なかなか伝えることができない感謝の気持ちをお手紙にしたためられました。響子さんは幼い頃にお父様をご病気で亡くされております。ご苦労されたことは想像に難くないことではありますが、お母様の明るさもありまして、響子さんは苦労を感じたことはないそうです。何不自由なくお育ちになられて、あの明應義塾大学を優秀な成績でご卒業されております。響子さんご自身も人一倍努力されて、お母様にご心配をかけないよう奨学金で大学に通われました。まさに母子二人三脚、親子の絆と努力の結晶で、今日の結婚式という素晴らしい日を迎えることができたのです」泣きフラグが建てられ、早くも新婦の親戚筋は涙ぐんでいる。この母娘を近くで見守ってきただけあって、一族の思い入れはひとしきり強い。
「それでは、皆様の前で“ご両親様"へ感謝のお気持ちをお伝え頂きたいと思います」ご両親ではなく“お母様”の言い間違えではないかと思われたが、そんな野暮な指摘をする者もいなかった。
響子が涙と笑いを交えながら、母親への感謝をしたためた花嫁の手紙を読み上げると、破れんばかりの拍手が起こった。ところが、響子の次の一言で拍手が鳴り止み、会場は静寂とした雰囲気になった。
「続きまして、天国のパパへ」響子はにっこりと微笑んだ。
「さきほど司会の方がおっしゃったように、私の父は私が物心がつく前に病気で亡くなっています。結婚式で父にも感謝の気持を伝えたい、そう母にこの手紙のことを相談したら、『それはいい考えだ』と喜んでくれました。そして『あんたのことでこんなに感動したのは生まれたとき以来だよ』って言うんですよ。ってか、どんだけ、、、」参列者に軽い笑いが起きた。
(無意識の強がり)
赤川響子の父親は、響子が2歳になる前に他界している。子を持つ親でなくとも、その父親としての無念さは言うに及ばない。
響子も父親がいないことで、見えない差別を感じることがあった。人々の優しさや同情が、無意識の優越感に基づくものであると受け止めてしまったこともある。思春期には、同情されることが重荷であるかのように感じた。まさに思いやりが重い槍に思えた。そのため、響子自身も人に気を遣わせないように、同情されないように心がけてきた。悲しくても寂しくても、自然に作り笑いをする癖がついてしまった。
そんな響子の心が動いたのは、圭介と出逢ってからだった。二人の出逢いは大学のゼミだった。親睦会でたまたま席が隣になり、話の流れで響子の境遇を話したところ、秒殺で圭介の涙腺が緩んだ。
「あなたが泣くことないじゃない」響子は半ば呆れて笑いながら圭介を慰めた。
「赤川さん、寂しかったんだね。本当はお父さんに会いたいよね」
「でも物心がつく前だったしね、父親がいないのが当たり前と思ってたから」響子は同情されるのはあまり好きではない。なぜ他人事でそれほど泣けるのだろうか。きっとこの人は安っぽいお涙頂戴のドラマでもすぐ泣くタイプなのだろう。泣き止まない圭介に響子は少し苛立ちを覚えた。
「なんで泣くのよ、男のくせに!」
「君が泣かないから」と圭介は泣きながら答えた。
「え?」
「そろそろ、泣いてもいいんじゃない?」その圭介の言葉に響子の心の扉が開かれた。気がつくと響子は息ができないほど泣いていた。やっぱりパパに会いたい、、、会って話がしたい。いつだって写真やビデオに語りかけても、響子の父親は優しく微笑んでいるだけで、返ってくる言葉はない。パパに褒められたかったし、パパから怒られたかった。
事情を知らないゼミ仲間たちは、響子が圭介に泣かされたように思っているに違いない。圭介は無言の圧力に散々責め立てられたが、響子の心が解放された瞬間、恋に落ちた瞬間でもあった。
(母娘のバージンロード)
「バージンロードを一緒に歩くのは男性と言う決まりはありません。ご新婦さまを一番近くで見守られた方こそ相応しい!わたしはそう思います。是非、お母さまとお歩きください」式場で初老のマネージャーに優しく背中を押されて、響子は晴れやかに式に臨むことができた。自分が幸せと感じている時は、周りの全ての人達が味方に思えてくる。
母娘と言うものは、娘が大きくなると親子というよりは友だちのような間柄になることが多い。英子は実年齢より若く見えて顔も似ているので、赤川姉妹と言われることもある。英子は喜びを隠さず、響子も呆れながらも嫌な気分ではなかった。
「え?パパへの手紙?」英子は響子からこの話を聞いた時に、驚きと同時に嬉しさがあった。
「へー、やっぱり血は争えないわね。パパもサプライズ好きだったから、私も何回も驚かされたことやら」
「やだ、ママ。もう泣いてんの?早い、早い!最近、ますます涙もろくなったね」
たしかに、英子の涙腺は緩くなってきている。この間も、映画館で予告編のタイトルを見ただけで、『全米が泣いた』と煽られただけで、あらすじを聞く前にポロポロ涙が溢れてくる。ますます泣ける話への嗅覚が研ぎ澄まされてきた。
「ねえ、パパってどんな人だった?」
「とにかく、あんたのことが大好きだったね」
「へーわたし、愛されてたんだね」響子は仏壇のほうを見つめた。
「あんたもよ」
「え?」
「あんたもパパのことが大好きだったのよ」
「うーん、覚えてないよ」響子は少し寂し気に呟いた。
「あんたってば、ママの前では、ミルクだオムツだと泣き叫んでいつも文句ばかり。まあ、そこは今と変わんないわね」
「赤ちゃんの時はともかく、わたしがいつ文句なんか言ったのよ」響子は文句を言った。
「でもパパが覗き込むと、あんたっていつもケラケラ笑いだすのよ。急に機嫌が良くなるし」
「パパが会社に行くときなんか、『行かないでー』って大泣きしてさ。ほんとやめてよね、ご近所さんから母親が虐待してるって思われるじゃない。わたしもあのときは自信がなくなってたのよ。もしかして、子育てノイローゼできつく当たってたんじゃないかって」英子は笑いながら泣いた。
もちろんそんなことはないと言うことは、響子が一番わかっている。愛情と厳しさの二重奏に包まれて大切に育てられてきたことを。
子供というのは、小さな怪獣と天使が同居しているようなものである。親はウルトラマンのように常に時間に追われ、毎日がピンチの連続で奮闘している。子育て本やネット情報どおりにはいかない。正解のない問題を永遠に解き続けているような気がする。
時には面倒くさいと思うこともあるし、正直憎たらしいと思うこともある。だが時折みせる弾けるような天使の笑顔、イノセントな寝顔は神様からのギフト。これがあるから子育てはやめられない。
響子と英子は、式場でスライドに映すための家族写真を選んでいた。響子は小さい頃からふざけて写真を撮るのが好きで、変顔で埋め尽くされたページをめくるたび大笑いしていた。だが、響子の軌跡を追ううちに英子はポロポロ泣き始めた。そんな母親の顔を見た響子も号泣して二人でティシュを一箱開けてしまった。
幸せは過ぎ去った後で気づくものとはよく言うが、響子はまさに母娘二人で笑い合って泣いているこの瞬間が、最も幸せな母娘の時間だと感じていた。
(幸せになる義務)
キロロの『未来へ』の優しい旋律が式場を包み込んだ。弾いているのは響子の友人、舞衣である。響子とは竹馬の共でピアノを競い合い、お互い切磋琢磨してきた。地元の市が主催するショパンコンクールでは入賞常連の2人だった。いわゆる非公認のコンクールで、本場のショパコンとは基準も格も全く比べ物にならない。むしろショボいコンクールで、通称、ショボコンと揶揄されており、エントリーすること自体はピアニストの登竜門でもなんでもない。有名なピアニストも輩出しているわけでもない。
井の中の蛙で、たとえるなら日本アカデミーと同じレベル。純粋に演技力が評価されているとは誰も思っていない。実際に本場のアカデミー賞ではノミネートどころか、選考にもあがらない役者や作品が大半である。全く別次元のもので、世界的には何の価値もない。大人の事情や忖度で成り立っているである。
「え、響子、ピアノ辞めんの?」そのショボコンの帰りに舞衣は驚いて少し大きな声を上げた。
「もったいないよ。響子はわたしよりセンスあんのに。それに響子は人一倍、努力だってしてんじゃん。今年も9位に入賞したし」
「努力や才能は当たり前の世界だよ、ピアニストになるには運やタイミングとかも、必要だと思うの」
「そんなの誰だってそうじゃない?」
「それに、私には圧倒的に足りないものがあるもの」
「足りないものって、なに?」
「うーん、、、覚悟かな。どれだけ努力してピアノを続けても、ピアニストに慣れるのはほんの一握りじゃない?人生を棒に振る覚悟がないと無理だと思うし」
「そんなのやってみなきゃわからないじゃん。有名なピアニストとかも、みんなそうだったはずだし」
「沢山の時間や莫大なお金を掛けても、大抵はピアノの上手なお姉さんで終わってしまうじゃん。そんな確率の低い夢なんて、そんなのママに言えないよ。そんな宝くじは買えない。うちは母子家庭だから、私にはちゃんと幸せになる義務があるから、冒険はできないよ。多分、ママは普通の幸せを望んでると思うから」
実際に響子がピアノをやめた後も、舞衣はピアノを続けていた。セミプロとして自主制作でアルバムを一枚制作したが、全く売れず話題にもならなかった。音楽雑誌で批評されることさえなかった。今の舞衣はピアノの非常勤講師をやっており、収入源も雀の涙である。ただ、実家住みの舞衣は裕福な家庭なので、贅沢をしなければ一生食べることには困らない。その余裕はピアノの音色にも現れていた。悪く言えば、狡猾さや貪欲さが不足している。でも品がある。響子はそんな舞衣の奏でるピアノの音が大好きだった。
(天国のパパへ)
式場の照明が暗くなり、スライド写真が映し出された。そこには、ぎこちなく赤ん坊の響子を抱く若き日の響子の父、赤川夏彦が写っていた。それは明らかに不慣れな手つきだが、とても力強い手つきでもあった。どんなことが起こっても我が子を守ると言う強い意志が感じられた。
「私が父と一緒に過ごすことができたのは2年足らずでした。私の記憶にはほとんどなく、父とは写真やビデオでしか会えていません。でも、父は私にたくさんの愛情を注いでくれました。そのおかげでこうして大切な人に出会い、結婚することができました。父から託された私の未来を、圭介さんと一緒に歩いて行きます。パパ、ありがとう」
(天国のパパへ 第0章)
実は響子が父親へ書いた手紙は、今回が初めてではない。響子が3歳の頃に、周りの子供に先駆けて一生懸命に字を覚えた。
「パパにお手紙を書くの!」
官製はがきに、宛先も書かずに『天国のパパへ』と書いて投函した。
困ったのは郵便局の若い配達員である。神木祐介は、そのハガキを郵便局長の浅倉に相談した。
「良くないと分かっているんですが、裏を読んでしまいました。僕も母子家庭ですから、なんだかほっとけ無くて、、、」
神木は地元で一番の県立高校に通っていたが、家計を助けるために国立大学の進学を諦めて入局した。学力は充分だったので、入局試験も難なくパスした。浅倉も目をかけている。
「うーん響子ちゃんの手紙か」浅倉は腕組をしながら天井を見上げた。
「毎月、うさぎの貯金箱を持ってきて貯金をしに来てくれる女の子ですよね」
響子はこの郵便局で小さなアイドルだった。
「差出人が響子ちゃんってわかってるから、返還不能郵便物にもなりませんよね」
「お、さすがは神木だな。郵便法の勉強をしてるね。『漂流郵便局』と言うのもあるけどなあ」
「あれも素敵なことですけど、今回のはなんか違う気がして」
「ん、どういうこと?お涙頂戴にはしたくない?」
「あの娘は純粋にお父さんに届けたいと願ってますし。かといって、誰かがなりすまして返信書くのも違いますからね」
「だよな」
結局、この二人は一週間悩んだ末、局長室に響子を招いて丁寧に説明をした。テーブルの上には、オレンジジュースとクッキーが備えてある。
「天国には書くものがないから、お返事は出せないんだ。その代わり、お父さんはお空の上からいつも響子ちゃんを見守っているよ」
「お空の上で?」
「そう。だから、響子ちゃんがいつも笑顔だと、お父さんは嬉しいんだって」
「じゃあ、響子はいつも笑うことにするね」屈託のない無邪気な笑顔は、浅倉と神木の顔を背けさせた。ふたりともそろって涙を浮かべながら。
響子が書いた何通かのハガキは、局の金庫にそっとしまってある。いつか、時が来たら響子ちゃんに返して上げたい。この郵便局では重要引き継ぎ事項として、代々の局長に引き継がれてきた。
あれから20数年の時が流れた。白髪混じりの神木は、金庫のハガキを取り出した。
神木は響子の家のインターホンを鳴らした。
「あ、局長さん」響子がドアを開けた。
「ごめんね、響子ちゃん。結婚式の前日の忙しいときに」
「あら、局長さん」台所の奥から英子も顔を出した。
神木はリビングに通された。
「で、どうしたの?局長さん」英子がお茶を出しながら訪ねた。
「その”局長さん”って、やめてくれませんか」神木は苦笑いしながら言った。
「あら。だって4月から局長さんなったんだもんねー」
「ねー」
英子と響子は笑いながら言った。
「んー、なんか慣れないと言うか。それになんか二人とも少しバカにしてません?」
「わかる?」英子と響子の受け答えはシンクロした。
「もう勘弁してくださいよ」神木は頭を掻いて、三人は大笑いした。
「で、神木くん。どうしたの?」
「そうそう。その呼ばれ方のほうがしっくり来る」
「また新しい簡易保険のセールスとか?もう入るやつないでしょ」
「いやいや、違いますよ。まぁ赤川さんには、学資保険からなにから本当にお世話になってますけど」神木はまた頭を搔いた。
神木は簡易保険の封筒をテーブルいおいた。
「ほーら、やっぱり」英子は呆れた顔になった。
「仕事熱心なんだよ、神木くんは。だから局長さんになれたんだよねー」響子も小さいころから”神木くん”と呼んでいる。
「あ、すみません。これしか封筒がなくて。まあ、中を見てください」
その中身のハガキは、三人をノスタルジックな世界をいざなった。響子の幼少期へ時間旅行させた。
三人は優しい笑顔になった。
(サプライズの二重奏)
「以上、サプラ〜イズ!」響子は天井を見ながら、天国の父に向けるようにいたずらに笑った。ビー玉のような大きく愛らしい瞳は少し潤んでいた。人懐っこい笑顔はくしゃっとなり、目がなくなる。周りの人々を笑顔にしてしまう魔法使いのようである。
「天国のパパへのサプライズでした。まさか花嫁からパパへの手紙を読まれるとは思ってもみなかったでしょ?パパはいつでも私を見守ってくれていたと感じています。きっと今日の結婚式も見てくれていると思います。だから、少し驚かせたかったのです」
スライドが終わり、照明が戻って明るくなった。新婦の誇らしげな笑顔に、参列者達からの大きな拍手に包まれた。
その鳴り止まない拍手の中、再び式場の照明が落とされた。戸惑う参列者。キョトンとしている響子。そしてモニターにビデオ画像が流れた。それは少し古い映像のようで、素人が撮影したものだとわかる。結婚式を欠席した人からのビデオレターだろうか、誰もがそう思っていた。
ビデオに映し出されたのは、ノーネクタイで純白のワイシャツにジャケット姿の30代ぐらいの男性。顔色が悪く少しやつれている印象だったが、響子は一瞬で誰であるかを悟った。
「響子ちゃん。結婚おめでとう」若かりし頃の父親、赤川夏彦は優しく微笑んだ。同時に舞衣のピアノがプリンセスプリンセスの『パパ』の美しい旋律を奏で始めた。瞬きをした響子の目から、ひと筋の透き通る涙がこぼれ落ちる。その一連の動作は、まるでその周りだけがスローモーションになったかのようだった。
「結婚式ってさ、なにかとサプライズがあるじゃん。パパもやってみたかったんだよね。娘の結婚式のためにこっそりピアノを練習して披露するとかさ。でもさ、パパは病気になっちゃって、ちょっと出席は無理かもしれないんだよね。だから、天国からのサプラ〜イズ!ははは」夏彦はいたずらに笑った。そのくしゃっとなり目がなくなる笑顔は、さっきの響子の表情と全く同じだった。
「君たちが結婚式でこの映像を観ていると言うことは、パパはもうこの世にいないと思います」会場のあちこちから、鼻をすする音が漏れ響いた。
「もしかして、医学が飛躍的な発展を遂げて癌が治らないかなあと、少しは期待してたんだけどね。つらい治療も虚しく、結局は奇跡は起きなかったんだね。でもね、こうして君たちがめぐり合って結婚までするなんて、それこそ奇跡的じゃない?」
「もし、違う高校や大学に通っていたら?あのとき違う道を通っていたら?君たちが出逢えたかわからない。いろいろな選択が重なって、君たち二人はかけがえのないものに出逢えたと思います」ここで夏彦が真剣な表情になった。
「もしかしたら、永遠なんてものはないかもしれない。これからの長い人生、二人にとってはいろいろな事が起きると思う。ときにはお互いの意見や考えがぶつかることもあるかもしれない。でも思い出してほしいんだ。二人の出逢ったこの奇跡に!」画面越しの夏彦が麦茶の入ったグラスをあげた。
「それから、、、二人のためにこの会場に駆けつけてくださった優しい皆様。お忙しい中を二人のためにご列席いただきまして、本当に本当にありがとうございます」夏彦は涙ぐみながら、深々と頭を下げた。
「皆様と新郎新婦が巡り会うことができて、こうしてお集まりいただいたことも、奇跡的なことだとは思いませんか。みなさんにもそれぞれの奇跡があって、ご家族やたくさんのお友だちに巡り会えたと思います。それを当たり前と思わず、奇跡的に出会ってくれた人達に感謝してください。まずは今日お家に帰ったら、みなさんの大切な人に『ありがとう』って声をかけてみてください。言われたほうはキョトンとするかも知れませんが」夏彦は優しく微笑んだ。
「響子が生まれてきてくれたのも、とびきりの奇跡だと思います。保育器の中の響子は、まるで天使みたいでした。小さな手のひらに人差し指をそっと置いたら、びっくりするぐらい力強く握り返してくれました。父親としては、娘を嫁にやる日が来るなんて想像はできないものです。寂しくないと言うと嘘になると思います。それでも、父親は巣立っていく娘を優しく送り出します。なぜなら、娘が残してくれた大切な思い出が、私たちをいつまでも温かく包んでくれるからです。初めて我が子を抱いた温もりは、いつまでも手の中に残っています」
響子は涙が止まらなくなり、(こんな時に花嫁にハンカチを差し出しもしないの?)と気の利かない新郎の席に目をやったが、そこにはナイアガラの滝のように号泣している圭介がいた。
「花婿さん。名前も顔も知らないキミだけど、響子が決めたキミだから、心配はしていない。というと嘘になるけど、安心はしています」夏彦は少し笑ったかと思うと、また真顔になった。
「娘をくれてやる前に一発殴らせろとか。泣かせるような事があったら、ぶん殴りに行くぞとか。ベタな頑固親父をやってみたかった、、、。でも、響子が決めたキミだから、そんなもの必要ないですね」再び目がなくなるくしゃっとした優しい笑顔になると、新郎の圭介は嗚咽していた。
夏彦は麦茶の入ったコップをカランと鳴らした。
「花婿さん、キミと一杯飲みたかったなあ」
それを見た圭介は、顔を覆って泣きじゃくってしまった。響子は呆れながらも、優しく圭介を見つめた。改めてこの人を選んで良かったと思えた。響子はもう一度、圭介に恋をした瞬間でもあった。
(この映画のエンドロールにて)
映画のエンディングが始まり、プリンセスプリンセスの名曲「パパ」が流れはじめる。画面には、新郎新婦が仲間たちに囲まれ、笑顔で幸せそうに写っている結婚式のスナップ写真が映し出される。新婦の輝く笑顔や、泣きじゃくる新郎の様子が観客の心を打つ。
式の冒頭のスピーチで浮いていた人たちも、今や溢れる愛に包まれている。唄う前に泣き出した花嫁の親友も、すぐに周りに女友達が駆け寄ってきて、みんなもらい泣きをしている。スピーチに悪態をついた中年男性も大粒の涙を流しながら拍手をしている。もらい泣きをしそうだったから、悪態をついて悪あがきをしていただけだ。
ぎこちないボケツッコミの即席漫才師も、各テーブルを回って披露した漫才が、嘘のようにドカンドカンとウケている。どのテーブルも腹を抱えて笑っている。式場スタッフも、もらい泣きをしたり、大笑いをしたりしている。会場の全ての人々が楽しい大切な時間を過ごしていた。
響子と夏彦の思い出の写真が10数枚映し出されたあと、一般公募された幸せそうな父娘の写真、世界で一つのベストショットが次々と映し出される。ほのぼのとした親子の写真を見るだけで、映画館の観客たちは、幸せな気持ちに包まれる。
エンディング曲が終わると同時に、再び赤ちゃんの響子を抱きしめる若き日の夏彦の写真が映し出される。
ここでFinになるかと思われたが、やがて写真にモザイクがかかる。再びピントが戻ると、圭介が不慣れながらも力強く赤ちゃんを抱いた写真に変わっていた。結婚式から1年後のシーンである。『響子と夏彦の写真』と全く同じポーズをしている。
写真がズームアウトすると動画になり、笑い転げながらカメラを構えている響子の姿があった。彼女の穏やかに透き通る瞳には優しく光るものがあった。
物語の終わりを告げるFinの文字が画面に現れ、観客たちはこの感動的な物語を胸に、映画館から出ていくのだった。