中山裕介シリーズ第10弾
平成も来年で終わりとなる、2018年8月下旬の土曜日の22時。放送作家事務所<レッドマウンテン>の休憩エリアのテレビで、お笑いコンビ、高速ラインNEO(高ネオ)の新たな冠(番組)『高ネオ STREET』のオンエアをチェックしていた。
プライムタイム(19時〜23時)の番組が低視聴率により今月中旬で打ち切りとなり、急遽新たにスタッフが招集されてバタバタとロケとスタジオ収録が行われ、今夜が初回となる。
レギュラーは高ネオの安在政高と多田夕起を筆頭に、同じくお笑いコンビのオクシデンタルリズム(オクリズ)の大政功希と飯田孝秋、昨今はバラエティのみならず、俳優業の仕事も増え始めてマルチに活躍している、KAORIの5名。これから企画内容や回によって芸人や役者をゲストとして招く予定ではあるのだが……。
高速ラインNEOの売りは漫才で、2人揃ってネタが作れる稀有なコンビである。多田の作るネタは正統派な漫才なのだが、安在が作る漫才は動きが入っていてコントチックなのが特徴だ。
だが、同学年だが後輩のオクシデンタルリズムの方が先に台頭し、オクリズの方が先に冠を任せられ、高ネオが彼らの番組にゲストやレギュラー出演していた。高ネオにしてみれば屈辱的だっただろうが、長年二番煎じでブームを知らない、地道に活動して来た苦労を重ねたコンビだ。
しかしオクリズの番組は低視聴率により次々と終了して行き、今や形勢が逆転した。
画面には『高ネオ STREET』とバックは黒、ロゴは赤で表示され、テーマ曲と共に高ネオの2人が映し出された後は、オクリズの2人がTTH(東京テレビ放送)正面玄関で、『仮面ライダー』のショッカー風の全身黒タイツの姿の男達にボコボコにされる。
そこにKAORIが現れ、ショッカー風の男達を薙倒しオクリズは拍手を贈りKAORIはカメラに向かってドヤ顔で決めポーズ。
メンバー紹介が終わった所で最後に5人全員が白バックの前に立ち、オープニングは終了。初回はこんな感じ。
「何? 高ネオの新番?」
社長の陣内美貴がオフィスエリアから現れた。
「ええ。ちょっと気になったんで。初回ですしね」
「そうか、今夜からだったんだ」
社長もオレの右隣の椅子に座ってテレビを観始める。
「さあ、今日から装いも新たにスタートします『高ネオ STREET』、ではありますけども、多田は腰痛を悪くしましてスタジオはお休みです」
安在が苦笑いで告げた。
「初回でしょ? 今日」
「タイミング悪過ぎ」
「何で今日に限ってメインが1人いないの」
オクリズの大政と飯田、KAORIも苦笑。
その発言に「演出」として女性の笑い声が挿入される。だがスタジオには観客はいない。
「まあ今日は4人でVTRを観ましょう。ⅤTRには多田も出演してますから」
安在は諦めモード、になるしかなく進行。多田の腰痛改善まで待っている時間などない程、番組立上げは急でオンエアまで時間がなかった。
「社長」
「何?」
「今回の番組も多分長続きしないでしょうね」
座ったまま伸びをしながらぼやいてしまう。
「またそんな事言って、出演者が1人休んだからってどうなるか解らないよ」
陣内社長はツッコミながらオレの肩に手を置く。お互い無表情で。視聴者の中には笑っている人もいるかもしれないが、作り手としては何とも後味の悪いスタートだ。
「でもメインですからね。まあ確かに先の事は解りませんけど」
第1回目のVTRのテーマは、『繁盛しているけど気になる!? 店』。ユニークな店主がいるラーメン店とお好焼店へ、レギュラーの5名はロケに出た。
「今日は二軒のお店に行きますが、食事だけじゃなくてツッコミどころ満載な店だそうです」
「味は一番だけど面白いんだろうね」
元気な多田が相方にプレッシャーを掛ける。
「見たら直ぐに分かります」
安在の進行で5名はロケバスに乗り込む。
『5人が向かう先は、東京・世田谷区内にあるラーメン店。その「気になる!?」ラーメンとは一体?』
女性のナレーション。この声、聞覚えがある。別に売れっ子ではない。でも忘れたくても忘れられない声。
気を取直してテレビに集中。ラーメン店は十二畳くらいはある屋台なのだが……。
「じゃあ皆注文して」
安在の言葉で、
「オレ豚骨ラーメンの麺多目で」
「じゃあオレも」
多田と大政が注文し、
「オレはチャーシュー麺で良いや」
「私は普通の豚骨ラーメンをください」
飯田とKAORIも注文する。
「はいよ!」
威勢の良い店主の掛け声。ここまでは普通。だが麺が茹で上がると……。
「さあここからが見物だよ」
安在の言葉通り店主は麺が入ったザルを持って店外へ。
「何処行くの親父さん」
飯田が問掛けるが店主は5メートルくらい離れた道路へと走る。一旦立止り今度は少し早く助走をつけて店の方へと戻って来ると、厨房の手前で「はーい!!」と掛け声を出して麺を上げる。
が、
「ちょっと零れちゃってるよ!」
多田がツッコまずにはいられない程、湯切りのパフォーマンスが豪快というのか、雑。だが店主は……。
「はい、豚骨ラーメン麺大盛り!」
全く意に介さず。
「何か大盛りじゃなくて普通になってると思うんだけど」
「それはもう客の自己責任だよ。基本的に麺は継ぎ足しはしないから。うち」
「客のせいにするんなら普通に湯切りしてよ! 親父さん」
大政の不服にも、
「でも面白いサービスだったでしょ、あれ」
店主には柳に風。
「確かに面白いかもしれないけどさあ……」
「早く食べないと麺が伸びちゃうよ」
「逆に伸ばしてえわ!」
店主と大政との不毛なやり取り。
「所で親父さん、もっと凄い湯切りがあるんですよね?」
「あれ、見たいかい」
安在の問掛けに店主の顔は綻ぶ。
「さっきのより凄かったら麺なくなっちゃうんじゃないの?」
飯田の予想は如何に。
店主は麺を湯がき終えるとザルに取りまた店外へ。
「ちょっと今度は距離長くない?」
KAORIは笑ってしまう。さっきよりかは10メートル程長い。そして店主は走り出す。
「遅いよ親父さーん!」
「遅いよ!」
飯田と大村のツッコミに「はあはあ」言いながら走る店主。そして……。
「はーい!!」
ザルから麺を上げて零れる、麵。地面に飛散する、麵。半分以上は零れた。それでも店主は、
「はい、チャーシュー麺お待ち!」
「チャーシュー汁じゃねえかよ、これ!」
意に介さない店主とやっぱり不服な飯田。
「麺が殆どないじゃん。親父さん!」
「だから客の自己責任なんだよ」
店主は笑顔で不毛なやり取り再び……。
「私は普通に湯切り、お願いします」
「じゃあオレも普通の湯切りで豚骨ラーメン」
「何だよ、KAORIちゃんも安在も」
多田は澄まし顔で注文する2人に大いに不満。
「もうパフォーマンスは十分楽しませて貰ったから」
「そうだね。面白かったじゃん」
「あんたらだけ普通に食えるってどういう事だよ!?」
大政も合点が行かない表情。
「はい、豚骨ラーメンお待ち!」
「わあ、美味しそう」
KAORIの率直な感想。に対し、
「親父さんも普通に持ってくんなよ!」
飯田もツッコミ、オクリズの魂からの叫び。
KAORIも安在も普通に食事をし終えた所で、
「では多田さん、このラーメン店の湯切りパフォーマンス、点数を付けるとしたら何点でしょう」
安在が振る。
「まあ親父さんのキャラも湯切りもユニークで面白かったから、86点かな?」
「おめでとうございます、親父さん! 86点だそうです」
「楽しんで貰えたならありがたいね」
店主は破顔し、一軒目は終了。
『次に一行が向かう気になる!? 店とは?』
また「耳障り」なナレーションが入る。
二軒目は墨田区内にある広島風お好焼店。
「ここは巨大お好焼が有名なんです。女将さん、早速お願いします」
「はい、ちょっと待ってて」
女将は安在に言われた通り巨大お好焼の調理に取掛る。
まずは生地を焼き、それから豚バラ六枚に焼きそばと焼いて行くがここまでは普通。
「確かにデカいね。1メートルくらいあんじゃない」
大政が味よりも巨大さに興味を示す。
次に女将は生地の上に大量のキャベツと焼きそば、豚バラを乗せて焼いて行くのだが……。
「ああ、良い香りがして来た」
KAORIが感想を述べた刹那、女将は二つのフライ返しを使い、生地をひっくり返した。のではあるが……。
「ちょっと女将さん、それ正解なの!?」
「ダイナミックではあったけど」
大政とKAORIを含め全員が苦笑して目にした光景は、大量に飛散するキャベツ。床にもキャベツの山。
「これで良いの。私はずっとこのやり方でやって来たんだから」
この手の店主は皆意に介さず、柳に風なのか?
そして上に乗せる生地を焼き、ソースを塗って卵を二つ焼き、その上に乗せた所で、巨大お好焼は完成。誰が見ても飛散した大量のキャベツは勿体ないと思う事だろうけど……。
「さっきはびっくりしたけど、味は旨い」
「うん。あれだけキャベツを乗せたら飛び散って当たり前だけど、これでも十分だね」
「広島風のお好焼って久しぶりに食べたけど、味は保証出来ますよ」
多田、飯田と満足に食し、KAORIが視聴者に呼び掛けた。
出演者一様が食べ終えた所で、
「じゃあ多田さん、ここの女将さんのお好焼の返しのダイナミックなパフォーマンスは何点か」
相方の問掛けに、
「さっきのラーメンもそうだったけど、味は良いんだよね。甲乙付けがたいなあ……90点だな」
「おめでとうございます。90点だそうです!」
「まあ、私はパフォーマンスのつもりじゃないけど、ありがとうございます」
女将が破顔した所でロケ企画は終了。
二軒の店主とも最後は破顔してくれてはいたが、自分の店に点数を付けられる。幾ら形式とはいえ、「芸能人が何様だ!」と言われんばかりの企画だ。
画面はスタジオへと切替わり、出演者達の感想、というか座談会のような模様を流した後、
『さて次週は?』
またナレーションが入り、エンドロールと共にゲストの宣材写真を流し企画内容を紹介する。
エンドロールの構成の欄に「中山裕介」の名前はあった。そして忘れられない声のナレーションの欄には、やはり、「早稲田望」という名前……。オレにとっては因縁の相手。見ただけ、聞いただけで虫唾が走る。
「初回にしては、中々面白いコンテンツだったと思うよ。まだ楽観視しちゃ駄目だろうけど、「コケる」心配はいらないんじゃない?」
「そうですかねえ……」
私は彼の顔をじっと見ているけど、彼はテレビを観たまままた座って伸びをしている。こいつ、ガチで降板を考えてるんじゃ……正当な理由もなく降板されたんじゃ他の作家にも悪影響だし、冗談じゃない。
「社長」
「何?」
「この番組の構成、ちょっと再考させて貰っても良いですか」
やっぱりそんな事を口に出しやがった。
「好きにすれば。その代り、スクールの講師に出て」
「好きにすれば」っか。見限られたか? でも「その代わり」……そういやうちの事務所、一階のフロアで放送作家養成スクールも経営してるんだったな。オレは作家の仕事で多忙な為、一回も講師として出た事はない。
番組を降板させるのは許可するけど、後進の指導に当たれ……いや、陣内美貴という人は降板させる気ゼロだな。そういう性質の人じゃないから。社長を見縊ってはならぬ。
それに、仕事を途中で投出すのは放送作家である前に「社会人失格」だという事は自覚している。これでも。
だが、オレの中で『高ネオ STREET』へのボルテージは下がった。やさぐれた作家がいては他のスタッフにも却って迷惑だ。
そう思い、オレは一瞬の思念だけで、「本当に申し訳ないんだけど、今回の新番は降りたい」と下平希プロデューサー殿にメッセージを送った。
直後から下平からは返信がバンバン届き、スマートフォンのバイブは止まらなかったが、翻意を翻させようとする内容だという事は予測が着くので、既読スルーにしていた。内容も、
『なんでそんなこと急に言い出すんだよ!』
とか案の定の内容だったし。
下平希プロデューサー。制作プロダクション<プラン9>の社員。元ヤンキーにして元読者モデル出身という一風変わった経歴の持ち主。今回の『高ネオ STREET』からプロデューサーに昇進した。
読モ時代はスナックやキャバクラでアルバイトをし、客がいない時は仲の良いスタッフとただ酒を飲んでいたという。そのせいで声はハスキーボイスで酒やけした感じ。
だが元モデルはモデル。スタイルはスレンダーだし服装もおしゃれでアラサーとなった今でも『魔女の宅急便』のキキのような大きなリボンを付けたりしている、「プロデューサーらしからぬ」風采。歳も業界歴も1年先輩なのだが、初対面の時から「元ヤン読モ」「下平」と呼捨にしている。特に理由は、なし!
『高ネオ STREET』の構成会議は月曜日なのだが、オレは無論欠席し、木、金の収録にも行かなかった。陣内社長も「好きにすれば」の言葉通り、何の説教もしなければ咎めもしない。
途中で仕事を投出す事も、プロデューサーにメッセージだけで後は何の連絡もしない事も、無論初めてだ。
「中山君、今週の金曜日のスクールの授業に講師として出て貰うから」
「解りました」
社長は睨む訳でも笑う訳でもなく、無表情で告げる。
授業は19時からの2時間だ。他局で会議や打合せが入っているが、まあ間に合うだろう。
そして金曜日の19時10分前、授業に出席する為、事務所に立寄った。
陣内社長と共に1階のフロア内に入ると、7名の受講生は既に着席している。
「今回の講師は我が<レッドマウンテン>の稼頭でありホープである、中山裕介先生に授業を担当して貰います」
笑顔で紹介する社長。何か、というか明らかに小っ恥ずかしい。
「その前に社長、この前道玄坂(渋谷区)のラブホに行ったでしょう?」
「行ってないよ! そんなとこ!」
女性受講者が馴れ馴れしい口振りで陣内社長に話し掛け、社長は動揺しているのは明白。これは行ったな……。
「でも見てくれとか顔、社長さんに似てましたよ」
もう1人馴れ馴れしい女性がいた。このスクールで、かは知らないが仲の良い2人なのだろうとは察する事は出来る。
「社長もヤル事はヤッてるんですね?」
「だから行ってないって言ってるでしょ!」
オレも雰囲気に呑まれニヤリとしてしまい、陣内社長はガン飛ばす。
「私はラブホなんか行ってないからね! 社長をおちょくるような事言ってたらあんた達全員採用しないから!」
「えーっ!! それ権力の横暴じゃないですかあ」
「採用するかしないかは私が判断するの!」
陣内社長の表情は無論仏頂面。むきになる事からして益々怪しい。
馴れ馴れしいのは女性2人だけかと思ったら、男性もいたか。他の受講生は皆笑いもせず見ているだけ。
「じゃあ中山先生、後は宜しく」
社長は仏頂面のままキッとオレを睨むとパイプ椅子に座る。これ以上詮索するなよ! と目が言っている。解りましたよ。
「初めまして。我が<レッドマウンテン>のホープかどうかは解りませんが、陣内美貴社長からブーストされてる中山裕介です」
受講生とは初対面なので、丁重に頭を下げた。
「別にブーストはしてないよ」
陣内社長は澄まし顔で「フフンッ」と鼻で笑う。もう機嫌が直ったか? 瞬発力を求められる放送作家は気持ちの切替えが早い人が数多といる。
「ユースケ君、逢いたかったよ」
いきなり「ユースケ君」はねえだろ。馴れ馴れしいにも程がある。
「えーっと、貴方は……奈木野淳子さん」
「淳子です。ナギジュンって呼んで良いから」
強制的にあだ名で呼べってかい!
「ナギジュンさんはオレと同い歳。さっきの逢いたかったってどういう意味?」
「私の曾お爺ちゃんとユースケ君の曾お爺ちゃんが兄弟なの。だから私達三従兄妹」
「曾祖父って、ほぼ他人じゃん。でも何でオレが三従兄妹だって解ったの?」
「うちのお母さんが番組のエンドロールで「中山裕介」って見付けて、「何処かで聞いたような名前ね」って言って、ユースケ君のお母さんに電話したの。そしたらユースケ君のお母さんが「息子は放送作家をやってる」って返されたんだって」
「そうなんだ……」
息子が不安定な放送作家という生業に就いているのを、未だに快く思っていないお袋さんがねえ……。
「まさかこんな所で親戚に逢えるなんてね。中山君、ある意味持ってる男」
今度は陣内社長が悪戯っぽい顔。「持ってる」んじゃなくてこっちにしたらある意味「災難」だ。社長を無視して進める。
「それで、うちの事務所に入りたいって思ったんですか?」
「それもあるけど、私EXILEのファンで、メンバーの人に逢いたいなあって思ってるの」
「はあ?」
嬉しそうな顔しやがって。逢えるって保証もないのに。
「それで逢えたらどうするの?」
「辞めちゃうかも」
陣内社長の顔を一瞥する。笑みを浮かべているが、その反応は諦めか、呆れか、それとも両方かい?
「オレと同い歳で三従兄妹でEXILEに逢いたい。オメー何なの!?」
「オメーって事ないじゃん。私はガチでここに通ってるんだから。これでもね」
ナギジュンはふざけて脹れっ面。「ガチ」なのはEXILEに逢いたいだけだろ?
「だって動機が不純じゃん」
「だから今まで派遣の仕事しかした事ない」
EXILEに逢いたいと派遣の仕事に何か関連があるのか。不純だからアラサーになっても定職には就いていない……てか。
「まあ、放送作家も派遣みたいな生業だけどね」
でも、ご自分が「不純」だとは自覚しておられるようで。多分、うちの事務所も不採用だろう。社長がこんな呆れる志望動機の奴を入れる訳がない。
「次は……重留一実さん」
「一実です」
「失礼」
「一実ちゃん凄いんだよ。合コン千回も経験しててね」
またナギジュン……入って来んなよ。動機も不純なら口数も不純。
「どんな人達と合コンするの?」
別に全く以て興味はないけど、話の流れ上は致し方ない。
「弁護士とか会社役員とか、後、政治家秘書もいますよ!」
声を弾ませやがって。だが今彼女が言った肩書が本当ならば、良いコネクションでパイプは太いな。
「そう。エリートばっかだね」
「ユースケさんの様な人ももっと合コンして欲しい。合コン盛り上げられる人は営業力もあるし、コネクションも増えます! きっと出世しますよ」
目まで輝かせちゃって、オレの何を知っている? まあ、一理あるような気もするけど。とにかく楽しい人生を。
「ユースケさん、今日元気ですか!?」
「元気っていうか普通だけど」
「もっとテンション上げて行った方が良いですよ!」
大きなお世話だよ! 好漢っぽくしてるけど、世間で言う「若者らしさ」をオレに求めて来んな!
「ええっと、君は川並……」
「光哉です! ユースケさんも元気出して行きましょう!」
「はいはい、解った解った」
こいつ正直疎ましい。でも目上の人達からはこれくらい灰汁が強い方が、一発で顔と名前は覚えられて案外重宝されたりする。何か悔しいが……。
ある意味……ていうより相当個性が強い面々とのコミュニケーションを終えた所で、
「もう習ったかと思いますが、放送作家は「個」でもあり「集団」でもあります。集団生活が苦手な人もいるでしょうが、仕事に就く以上は徐々にでも慣れて行く必要があります。後、作家は会議の雰囲気を穏やかにする、盛り上げる事も仕事の一つです。そこからアイデア、企画案が出たりする事も多々あります」
一々言わなくてももう十分場は盛上られるだろうけど、自分が今、心得ている知識を淡々と伝えた。
翌週月曜日。オレは相変わらず『高ネオ STREET』の会議を「サボった」。番組サイド、TTHからはまだ「解雇」の通知は来ていないから「サボり」だ。
その間にも下平からは、
『何で既読スルーするんだよ! 会議に出ろ!』
といった内容のメッセージはバンバン送信されて来るし、もう1人の女性プロデューサーからも『気分が良い時に連絡して』とメッセージが何度も送られて来ているのだが、オレは生意気にも全て既読スルーしているのが現状。「もうそっとしておいて」、これが本音だ。
そんな態度に出ていた翌日の火曜、某キー局での会議前に事務所に立ち寄ると、
「オッス、久しぶりだね。元気そうじゃん、ユースケ」
「ほんとに人懐こいし手子摺らさせるね。中山君って」
休憩エリアに何と下平プロデューサーと陣内美貴社長が椅子に座っていた。2人共憮然とした笑みを浮かべている。
「オッスじゃねえよ。何であんたがここにいるんだよ」
このくらいで驚愕する性格ではない、案外冷静だ。予測していたし、これでも伊達にいつも「一見すれば冷静なユースケ」でやってはいない。
「ユースケを説得しに来たに決まってんじゃん!! メッセージも返信しねえしよ!」
下平は立上る。今日のコーディネートは淡い水色のワンピースに頭には真紅のリボンを付けている。アラサープロデューサーもおしゃれする時代になったか。
「良いわね中山君、態々説得に来てくれるコネクションが友人にいて」
陣内社長の顔は無機質。やはり「好きにすれば」は調子を合わせただけだったな。筋を通さないと承諾しない、そういう人だから。
「……そんなに、今回の番組にオレを雇いたいのか?」
「あたしの初プロデュース番組なんだよ!? こんな事でトラブルを起こしたくないに決まってんじゃん! バタバタと番組立上ても一度は承諾したのは自分でしょ!」
「それは君の都合だろ。こっちにだって都合があんだよ。承諾したのは社長が有無も言わせずにGOサインを出したから」
「また私のせいにして。うちの稼頭でいつも元気に仕事してんでしょうよ」
「そうだよ。何だよ都合って。今から新しい作家探すの大変なの解ってんでしょ! 番組開始も急だったんだし。これ以上バタバタしたくないのも解んでしょうよ。ユースケももうベテラン作家なんだしよ」
「他に作家は幾らでもいるだろうよ。ベテランって言うけどさ、ギャラも安いし構成も下手な若手に目を付けたって事かよ」
「またそうやって曲解する。下平さんは中山君を信頼してるからオファーしたんじゃないの。偏屈な奴だなあ。ごめんね、下平さん」
「良いんです、陣内さん。社長の言う通りだよ! 何年あんたと仕事して来たと思ってんの。あたしはユースケの構成力を信用してるからこそ、こうやって事務所にまで足を運んだんじゃん! 偏屈な性格も承知の上で」
「プロデューサーからこんなに信頼されて仕事を貰えるっていうのは、社長の私にとっても嬉しいし、作家冥利に尽きるんじゃない? 所で都合って何なのさ」
下平と陣内社長の顔が気色ばんで行く。
「何もかもが急だったけどさ、ナレーターの早稲田望っていう人には、因縁があるんだよ」
「因縁?」
唐突な言葉に下平は全く理解していない。
「オレがまだ大学生で、あの人も素人だった頃だ。一方的な一目惚れだった。それであの人と合コンをする事になって、何とかコンタクトは取れないかと思って、意を決して連絡先を訊いた」
「それで駄目だったんでしょ? どうせ」
下平はまどろっこしそうな口振り。だが最後まで聞いて貰わねば。
「用なくなるって体良く断られて、それでトイレに立った時、友達とあの人が話してる会話を聞いちゃったんだ」
「何て言ってたの?」
陣内社長も下平と然り。
「あの人は当時からナレーター、アニメの声優を志してて、オレには何の志もなかった。「そんな人と連絡先交換しても何の意味もなくない?」。確かそんな内容だった」
「それがショックだったんだ? 繊細過ぎるくらいのユースケ君だったら、ガチでヘコむよね」
急に2人と別人の声。見ると浜家珠希が休憩エリアに出て来ている。誰に対してもフレンドリーで教育係を担当していたオレにも「ユースケ君」と呼ぶなど気さくな女性。
「お邪魔でしたか?」
「良いよ、珠希ちゃん。ゆっくり休憩して」
社長……珠希は飲物の自販機の前に移動する。
「……珠希が言った通りだよ。頭に血液が上がって脂汗が大量分泌された」
「だから、早稲田望とは仕事したくないって言うの?」
陣内社長の両目は仄暗く、今にも「ハアーー」と深い溜息を吐きたそうな表情。
「ええ。出来れば顔も見たくないし声も聞きたくない」
「かああ! 男のプライドってつっまんねえの!! 仕方ないじゃん、ギャラが安いナレーター、彼女くらいしか見付かんなかったんだから」
下平は顔を掻きながら呆れた口振り。彼女の目も仄暗く冷めている。つまんねえプライドな事は自覚しております。。
「つっまんねえでも結構だよ」
オレの口振りは投げやり。
「男の子のプライドって繊細だよ」
珠希は理解している微笑み。ゼロカロリーのコーラを一口。が、もう「男の子」て年齢じゃねえよ、情けないけど。
「ユースケ、あんたタレント気取りのつもり? 共演NGとかさあ……」
「中山君、下平さんもプロデューサーとしてスタートしたばかりだし、何れはゴールデンの番組もプロデュースする事になると思うよ。いつまでも過去の事に拘ってたら前進は出来ないと思うけど。それに、今の日本経済、放送業界の極貧状態は釈迦に説法でしょ? プライム帯だろうが深夜帯だろうが、収入があった方が良いと思うんだけど」
社長の顔は無機質だったり気色ばんだり呆れていたり。確かに少額でも収入があった方が、背に腹は代えられないのは自覚している。プライド云々は二の次だ。
「でも感謝もしてるんだよ」
「因縁の次は感謝?」
下平も投げやりで心底呆れていらっしゃるまま。
「あの人にあんな事言われなければ、オレは放送作家には成ってなかったかもしれない。無頼だったオレを奮起させてくれた、そういう意味では運命の人。憎しみの中にも感謝の気持ちは持ってんだよ」
「ユースケ君って繊細だけど、執念深いんだか慈悲深いんだか良く解んないんだよね」
珠希はコーラを飲みながら破顔。どうせ掴み所がない人間、男だよ! オレは。
「だったら、その憎しみを仕事で仕返ししてやんなよ」
「仕事で仕返し?」
下平の唐突な提案に、今度はオレが理解出来ない。
「運命の人に対して仕事で遊んでやるんだよ。ディレクターもプロデューサーもそうだけど、放送作家も芸能人を手玉に取る職業でしょ」
「……悪い表現をすればな」
中には従わないお方もいらっしゃるが……。
「せっかく作家に成れて一緒に仕事出来るようになったんじゃん! だったら早稲田望っていうナレーターをとことん手玉に取ってやるとか、そういう発想はないの?」
下平は急にオレの両腕を掴み、激しく揺蕩させる。表情には必死さと目には若干の潤いが。この女はガチだ。
「中山君、下平さんの提案、案外悪い発想じゃないと思うけど」
陣内社長は腕組をし微笑んでいる。2人の眼差しがビシビシ当たって目を避けたいが、もう諦めの気持ち、2人共ガチだから。
「……解ったよ。今まで勝手に「サボって」悪かった。仕事で早稲田望で「遊んで」みる」
完全なる根負け、した訳で……。だって社長は眼光だけではなく言葉も鋭く、友人に目まで潤ませて力強く? かは解らないが説得されたら、オレは「NO」と言える度胸は持っていない。自分の意思を貫穿出来なくて少し悔しい気もするが……これ以上意地を張っていたらコネクションを失うどころか、干されてしまうのは遅疑な頭でも明白。
「やっと解ったか……」
陣内社長と下平プロデューサーの溜息交じりのユニゾン。
「じゃあナレ原はユースケに任せる。頼んだからね。今度また「やっぱり辞める」とか言い出したらマジで縁切るから!」
「威しかよ……」
「コネクションを一人失っても、私は知らないから」
陣内社長は腕組をしたまま子細ありげな笑み。この人の方が威しだ。
だが下平プロデューサーも陣内社長も、目も声色もガチだ。二度も三度もチャンスをくれる訳がない。
「陣内社長、事務所にまで押掛けて済みませんでした」
下平は軽く頭を下げた。表情には心底安堵が滲んでいる。
「いやこちらこそ。こんな頑固者の為に。今後とも中山を宜しくお願いします」
社長はにこやかに頭を下げる。
「解りました。ジャンジャン仕事を振って行きますから」
おいおい……。
「それじゃあ失礼します。ユースケ、今度は会議でね」
下平は軽く右手を振る。
「解ってるよ」
オレも軽く右手を上げ、彼女は再度頭を下げて出て行く。
「良いねえユースケ君は。あんなに信頼されて認めてくれるプロデューサーがいて」
珠希はニヤニヤ。
「あんたまだいたのかよ。飲み終わったんなら早くデスクに戻れ!」
「だってプロデューサーが作家事務所にまで来るの初めて見たもん。下平さん目が潤んでたじゃん」
「まあな」
珠希は尚もニヤニヤ。先輩の失態をとことん面白がっていやがる……。
しかし下平も目を潤ませるような案件だったのだろうか? 友達としての叱咤激励か……それとも押しに弱いオレの性質を知抜いた演技だったのか……。
「番組制作の要となる人達に好かれて、うちの稼頭でもあるのに、そこんとこが今一つ自覚が足りないんだよね。ここにナギジュンや川並君がいないのが残念だね。仕事がオファーされて来るのがどれだけありがたい事か、旧交になるとああやって直接説得しに来てくれるって事がさ」
「そうですよねえ」
陣内社長と珠希は子細ありげな笑み。まるで今にも「やれやれ」と口から吐き出しそうな様子。人の無様な姿を2人して嗤いやがって!
「社長、もし今度ユースケ君がオファーを承諾するのを渋ったら、契約更新を一考してみてはどうでしょう」
珠希! 何という事を……。
「ああ、それも良いね」
社長まで乗っかるんじゃない! ていうか本当にそういった提案に乗っかる人なんだ。事務所、作家によって区々だが、オレは今秋から1年から3年契約になる予定なのだが、
「中山君、今度自己チューな拘りなんか口にしたら、また1年、半年契約に戻すよ」
社長は悪戯っぽく嗤う。
「やはりそう来る……どうぞご勝手に」心中で思いながら聞き流した。これも自己チューなのか?
翌週の月曜日。下平との「約束通り」、TTH内B2会議室に顔を出した。
「ユースケさん、お久しぶりっす。どうしてたんすか? 身体の具合でも悪かったんすか?」
作家仲間のNARINAKA君が心配そうにオレに言寄って来る。
「いや、何処も悪くないよ。只有給取ってただけ」
「作家にも有給ってあるんすか!? うちの事務所にはないと思うんすけど」
「事務所によるんじゃない」
あからさまに驚愕する彼を適当に誤魔化す。彼は真に受けて「社長に訊いてみよっかなあ」と呟いた。
NARINAKA君。本名は牧田成央。あだ名はナリ君。牧田家は江戸時代、譜代八万石の大名家という由緒ある家柄。成央という名前は先祖から名付けられたそう。
しかし、牧田成央は病弱で21歳で早世している。しかもその父、成春も同じく病弱で26歳で亡くなったのだとか。
「だからオレも早世するんじゃないかって、今から不安なんっすよ」
とナリ君は頭を抱えて言っていた。その割には好きな食べ物はラーメン、焼肉、スナック菓子と、「うーん……」と首を傾げたくなる。
性格は温厚で平和主義者と自他共に認めている。彼曰く、「姉と兄の肉食獣同士の熾烈な喧嘩を側で眺めている内、争いには首を突っ込まない草食系の習性を身に付けた」らしい。
もうお解りの通り、ナリ君の語調は大名家の子孫にしては「そうっすね」「マジっすか」「ガチっす」「ハンパないっすね」と典型的な若者言葉。只、基本的には敬語な所が彼の面白さであり、特徴。
「ちょっと酷いんじゃない? ユースケ君」
気色ばんだ口振りの女性の声でびくりとする。
「……大石さん、済みませんでした」
振返り慇懃に頭を下げると、大石景子プロデューサーは微笑を浮かべて腕組をして立っていた。
「希ちゃんからの電話やメッセージも、私からの電話やメッセージも無視してさ。ギャラはちゃんと払ってるのに」
そういえば大石さんからも電話が掛かって来てたしメッセージもバンバン送られていたっけ。
「ユースケさん、有給じゃなかったんすか?」
「ナリ君、今は有給の話は良いから……」
訥弁。悪い嘘は所詮バレる。
「何が有給よ。ナリ君、ユースケ君は2回も会議をサボったんだよ。しかも希ちゃんに一方的にメッセージで「番組を降りる」ってだけ送信してね」
「マジっすか!?」
またあからさまに驚愕するナリ君。目には「あり得ねえ」という言葉が裏打ちされている。
「下平が事務所にまで来て説得されて、自分の我がままだったって気付かされました」
「我がままにも程があるんじゃない? 私が希ちゃんに頼んで<レッドマウンテン>に行って貰ったのよ。ユースケ君は作家のキーパーソンなんだから辞めて貰っちゃ困る。番組はまだ始まったばかりなんだから、心機一転頑張って行こう!」
「はい……済みませんでした」
「そうだったんすか。なら一緒に頑張りましょうよ、ユースケさん!」
大石さんは咎めはしたけど憤慨はしていない。だが、
「本当に済みませんでした」
こういう時の男は駄目だ。女は仁王立ち、男はペコペコ。情けないがこの構図になってしまう訳でして……。
大石景子プロデューサー。こうと決めたら決然とした態度で突進み、現場では常にアットホームな雰囲気作りを心掛けてくれる人。オレ達スタッフにとっては姉御肌な人だ。
「ユースケさん番組を辞めようとしてたんですか?」
笑みが交ざった女性の声。
「あっ、お貴さん、オレには有給使ってたって言ったんだよ」
「だからナリ君……それはもういいから。嘘付いて申し訳なかったよ」
下手な嘘は付くもんじゃない、と心底痛切する。
「ユースケさんも嘘付いて休む事があるんですね」
「お貴さんはあるの?」
「いや、私は正直に言うけどね」
お貴さんとナリ君は楽しそうに和気あいあいと談笑。こっちの気も知らないで……。
「はいはい、オレが悪かったよ、お2人さん」
「別に責めてはないっすよ」
ナリ君、十分責められている気がしてならないんだけど。
「別に気にしなくて良いんじゃないですか。誰にだって仕事が嫌になる時はあるでしょうし」
明るくフォローしてくれるお貴さん。本名は膳所貴子。父親は某IT企業の社長で実家は富裕。放送作家を「ふあー」とした気持ちでやっている。だの「時計や腕時計は止まると捨てる物だと思って、使い捨てだと思ってたんです」とか、「ロールスロイスで成人式に行った」、「大学生の頃、父親が海外出張でこれはチャンスだと思って彼氏と旅行に行こうとしたら、4時間くらいで父親の秘書が連れ戻しに来て彼氏は秘書からボッコボッコにされていた」。仕舞には「私、野菜が食べられないんです。だから食事はステーキかローストビーフ」などなどセレブ? というのか真実なのか嘘なのか、絵空事なエピソード多し。
だが本人には嫌みっぽい感じはなく自然体。「何事も経験だって父親に言われて、大学時代にファストフード店でアルバイトした事がある。だから私はセレブじゃない」とも発言した事があるから、聞く方も笑うしか、ない。
「オレは戻って来ると思ってたぞ、ユースケ」
次に現れたのは、下平と同じ制作プロダクション<プラン9>の社員、大場花ディレクター。
「ああ、心配掛けたな」
「オレからのメッセージも無視しやがって。既読にもなってなかったよな」
水色のカラコンの目は鋭いが、彼女は笑みを浮かべている。別に内憤がある訳ではなさそうだ。
「それは本当に悪かった……ごめん」
大場花。業界歴はオレと同期だが、それよりも注目すべき点は、名前を音読みすると「おおばか」となる面白い名前の持ち主。「親は気付かなかったの」よく訊かれるようだが、本人は「気付かなかったんでしょう」と特に意に介さず軽く往なしているようだ。
名前の通り女性ではあるが、服装、言葉は男。だからといってトランスジェンダーではなく、男性、女性とも交際出来るバイセクシャル。「基本的には恋愛対象は男だけど、女でも好きになっちゃったらしょうがない」と、奴は言っていた。
旧交となったきっかけは、お互い安土・桃山〜江戸時代あたりの日本史が好きであり、趣味は城跡巡りだという事。オレもそうだが彼女もロケハン(ロケーションハティング。ロケ現場の下見などをする)の際に、近くに城跡があれば空き時間に見学、写真を撮りまくっている。
「そういやオレ、この前、江戸城に行ったんだぜ。ロケハンの合間に」
ほら来た。
「江戸城かあ。近いっちゃ近いけど中々行かないよな」
江戸城の中心部である本丸、二の丸、三の丸は皇居東御苑として開放されてはいるが。写真を見せて貰うと、天守台の前で万歳をしている姿。それも無垢な笑顔で。こういう所は「女性」っぽいんだよな。
「皆久しぶりだね」
最後に現れたのは枦山夕貴ディレクター。制作プロダクション<ワークベース>の社員なのだが、曾ては芸能事務所に所属し、モデルを経てディレクターに成った奇を衒った人物。
その理由は、「私は芸能人には向いていない。だったら裏方の仕事ならどうかな? と思って」と、安直なんだか堅実なんだかといった動機。
「整形の傷はもう良いの? 奇麗になっちゃってさ」
大場が枦山さんの顔をニヤニヤしながら撫でる。確かに顔の印象が以前と違う。
「整形したんだ。しなくても別に元モデルで奇麗だったのに」
「嬉しい事言ってくれるね、ユースケ君。でももっと奇麗になりたくて二週間休みを貰ったの」
否定はせんのかい! でも、オレと同じく二週会議もロケハンも欠勤していた人がいたとは……何か安心する。
「何処イジッたの?」
「まず鼻を高くして、二重全切開、グラマラスライン形成っていうのをやった」
「3ヶ所もやったのかよ。確かに変わったけどさ」
大場は呆れ笑い。
「うん。奇麗にはなったと思うけど、それで二週間休んだんだ」
「そっ。有給使ってね」
「働き方改革っか。でも有給って十四日もないだろう」
「後は仕方なく欠勤にした。でも、ユースケ君が無断で仕事をサボった情報は入って来てたけどね」
「あっそう……」
安心したのも束の間っか……。
「ユースケ君が番組降りたいって言うの珍しくない?」
「ナレーターの事で一悶着ありましてね……」
「キャスティングが気に入らなかったんだってさ。最初は他の女性ナレーターの筈だったんだけど、スケジュールの都合でギャラが安いあの人に決まったの」
そこに下平がにやついて入って来た。
「タレントなら共演NGとかあるけどさ、作家さんは打合せの時に顔合わせるだけで、殆ど顔合わせる事なくない?」
「そうなんだよな。あのナレーターと過去に何かあったのか?」
大場も首を傾げる。
「まっ、男と女の縺れってやつだよ。ね?」
下平は顔も目もニヤニヤ。人の苦い過去を……何だと思ってんだ。全ては仕返しだろうよ!
「それより枦山さん、あんた鼻だけ整形しても十分かわいかったよ。何でモデル時代にやらなかった?」
「モデルの頃はファッションにお金掛けててお金がなかったの!」
枦山さんは冗談で気色ばむ。強引に話題を変えたオレ。大場、枦山にも真相がバレたらイジられると察知したオレの狡猾さ……。
「将来的には誰目指してんの? マイケルジャクソン?」
「目指してねえし! 別に」
今度は少しムキになって気色ばんだ。
余談だが、下平や大場にはお互い呼捨にしているのに、枦山ディレクターだけは「さん」付け。これは「芸能事務所のモデル」だったからの違いなのか……は、自分でも分からないが、特に理由を考えた事は、ない。
まあ、これでも和気藹々として二週間のブランクを感じずに「仕事復帰」出来そうなのは良かった。
9月に入り、4期生となる<レッドマウンテン>放送作家養成スクールの7名は卒業。したまでは良いが、採用されないと思っていた奈木野淳子と重留一実は採用。しかも川並光哉まで……。まあ見方を変えれば、あれだけ個性が強ければ前にも言ったが、顔と名前は直ぐに覚えられるだろう。が、受入れられるか疎んじられるか……。キャラ、灰汁が強過ぎる、歪過ぎるのも問題なのだ。
某キー局での会議前に同期の大畑新と共に事務所に呼ばれた。
「多分、っていうか絶対教育係だぜ。3人採用されてオレとお前だけって所は引っ掛かるけどな」
エレベーターで7階へ向かいながら大畑は面倒臭そうな口振り。
「予想は着くけど、誰がどの教育係に就くかだな」
オレも浜家珠希で教育係は経験済みだが、正直気乗しない。ましては川並の担当だったらと思うと……ご免蒙りたい。
2人で事務所内に入ると、
「社長、何で私だけ事務なんですかあ!?」
オフィスエリアから女性の声。あれは確か、重留一実の声の筈。
「事務でも採用されるだけましでしょ。不満なら良いんだよ。他の仕事に就いてくれたって」
「そんな冷たい!」
陣内社長と重留の応酬。って事は、作家に成るのは奈木野と川並だ。
オレと大畑がオフィスエリアに入ると、
「あっ! 待ってたよ、2人共」
社長は笑み。重留は不服のままでオレ達に顔を向ける。
「採用されたんだから良いじゃないか重留さん。放送作家事務所で働いてるって合コンで言ったらセンターに成れるかもよ」
宥める義理はないけどお人好しで言って差し上げた。
「そうそう。業界の裏話も入って来るだろうし、恰好のネタになってモテモテになるかもしれないぜ」
大畑も続く。
「こら2人共、余計な情報吹込まないでよね。良い一実ちゃん、事務の仕事もやり甲斐のあるものだって、やって行く内に解ると思うから」
陣内社長は眼光は鋭いが優しい口振り。
「そうかなあ……」
重留一実は尚も半信半疑。
「今日中山君と大畑君を呼んだのは他でもないよ。中山君はナギジュンの、大畑君は川並君の教育係をお願いね」
「はい。呼ばれた時点で解っておりました」
「右に同じ」
大畑のやる気のない声な事。
「大畑君、君ももう新人じゃないんだよ。後進の指導にもあたる世代なんだから。その自覚はあるの」
ほら見ろ。社長の眼光が更に鋭くなる。
「……まあ……ありはしますけど」
やる気のない口振りの後は訥弁かい。こいつの本音は絶対「面倒臭え……」に決まっている。
「そうローテンションにならずにお願いしますよ! 大畑さん。オレ全力でサポートしますし、学びたい事も山程ありますから!」
「ああ、解ったよ……」
快活な川並に対し、大畑の声は覇気が、ない。握手をしようと破顔して右手を差出す川並だが、大畑の顔は「仕方ねえなあ」と文字が浮き出ている。こいつ、今更だが後進を育てる気ゼロ、だな。
「社長、私はどうしてユースケ君なんですか」
「オレじゃ不満なのか?」
「いや、そうじゃないけど……」
「だって貴方達親戚なんでしょう」
陣内社長の呆れ笑い。よく見る光景だ。
「そうか。ユースケ君、私達三従兄妹だもんね! 宜しくご指導をお願いね!!」
解り切ってた事だろうよ……破顔しやがって。
「三従兄妹だろ。殆ど他人だし、この前までお互いの事知らなかったじゃねえか」
「でも親同士は知ってたんだから」
頑ななやっちゃな……。
「私達も握手しよう」
まっ、川並光哉の教育係じゃなかっただけまだましだったが……何か「終わった」ような気がするのは何故? 一応彼女と握手はした。
複雑そうな微笑なんか浮かべちゃって、社長の私から言わせて貰えば、ここからが始まりなんだからね、ユースケ君。
「良いなあ2人は。作家に成れて」
重留はしつこい。執念深いな、こいつ。
「事務の仕事も慣れて来たら面白さが解るって」
確証はないが確言してやった。じゃないと諦めが悪いし埒も明かないから。
9月上旬の月曜。今日からナギジュンも放送作家見習として教育係のオレと行動を共にする。
『高ネオ STREET』の会議が終わった18時頃、
「ユースケ、ちょっと」
下平から足止めされた。
「今から調布まで早稲田望と打合せして来てくんない?」
「調布までか?」
「うん。ナレ原はユースケに任せるって言ったじゃん。そのナレーターは調布市内に住んでるの! はい、これ彼女の最寄駅の住所と電話番号。駅まで着いたら電話して欲しいんだってさ!」
「ふーん……」
力の抜けた声で返事しやがってさ。まさかこいつ、今頃になって「嫌だね」とか言ううんじゃないだろうな。罷り言ったらマジでビンタするか縁切るからな。
「解った。今から行って来る」
ユースケはメモを受け取った。よおし! 素直で宜しい。不満でも仕事を受けたら地道にこなす。だからこの男は重宝されるんだよな。
「へえ、タレントさんって皆都心に住んでると思ってたけど、郊外の人もいるんだね」
ナギジュンは何でも物珍しげ。新人だから仕方ないが。
「郊外の人もいれば、東京都外に住んでる人もいるからな」
「そうなんだ。私も行った方が良いよね?」
「当然、って言いたいけど、良いよ今日は帰って」
「えっ!? ほんとに帰って良いの?」
「うん」
「まっ、ユースケにとっては「個人的な」打合せだから。ね?」
下平はニヤリ。頭を一発はたいてやりたいが、全てを告白したのは自分だから何も抗弁出来まい。
「じゃあ私、お言葉に甘えて帰るね」
とは言うものの、ナギジュンは会議室から出て行こうとしない。
「はいはい、解っておりますよ。これ、電車代。駅からは自転車だったよな」
財布から千円を抜き、彼女に差し出す。
「ありがとう! お釣りは返すから」
「良いよ、取っといて」
「ほんと! 助かるう。じゃあ貯金しとこ」
単純な感情で。破顔が尚更ムカつくというのか、何だかやる瀬ない。この後の「打合せ」もやる瀬ないっていうのに……。
「作家も大変だ。仕事以外にも出費があってさ」
下平の言葉は同情。だが表情は全くの他人事……にしか見えない。
「だから気乗しないんだよ。教育係って」
これが、衷心……。
TTHを後にしオレは車で調布市を目指す。高速を遣って約1時間で調布市内の国領駅付近に到着した。
メモにある番号に電話したが、1コール、2コール、3コール……出ない。知らない番号だからかもしれないが、電話して欲しいって言って来たのは誰なんだよ。
駅正面のショッピングビルに目をやる。ファストフード店があった。仕方なく留守電に「作家の中山です」と、そのファストフード店で待っていますとのメッセージを入れて、車をパーキングに停車させて待つ……しかないからファストフード店に入った。
コーヒーを飲みながら待つ事20分くらいは経っただろうか、因縁の相手、早稲田望が「中山さんですよね?」と言いながら現れた。初めて逢った時から全くと言って良い程変わっていないというのが第一印象。
向こうはどう思ったかは知らないが、オレは立上って「初めまして」と白々しく頭を下げた。
「前に逢った事ありますよね?」
早稲田の表情は少し切なそう。
「覚えててくれましたか。僕の事などもう毛頭にもない、抹殺されてると思ってましたから」
「その印象に残る目は忘れられないですよ。今回はナレ原を書いてくれるんですよね?」
「本題に入る前に一言だけ。僕は貴方とは二度と逢わないと思ってましたし、絶対に一緒に仕事はしたくありませんでした」
「何でですか!?」
早稲田は唐突且つ不躾な言葉に気色ばむ。
「覚えてないでしょうけど、僕が大学時代、貴方と貴方の友達とで合コンをしたんです。その時、連絡先を訊いても貴方は教えてくれませんでした。暫くして貴方がトイレに行って友達と会話しているのを聞いてしまったんです。「何の志もない人間と連絡先を交換しても意味がなくない?」って」
「それは覚えてませんけど、そんな昔の事を蒸返らされても……」
尤もなご感想だ。別に謝罪を求めた訳ではない。お門違いな内憤を吐露しただけ。無機質な表情と声を装ってはいるが、心臓は『バックン! バックン!!』状態。曲がりなりにも一目惚れした人と再会したのであるから、人間の心が揺蕩されない筈がない。
「まあ、今のは僕の本心を言ったまでですから。本題に入りましょう。確か早稲田さんは声優を志してましたよね?」
「そうですけど……」
この妙な雰囲気に包まれた席の中で、また唐突に本題に入られても、そりゃ困惑するわな。
「その心は今でも変わりはないんですか?」
「まあ、オーディションにも行ってますから」
「じゃあ毎週、何かのキャラを演じてナレーションをして貰いましょう」
「演じる……例えばどんなキャラを、ですか?」
「今頭に浮かんでるのは、ある週では公家の娘役で上品に。またある週では大学教授役で理知的な感じに。っていうのはどうでしょう」
「私は面白いしやり甲斐もあるとは思いますけど、番組的には大丈夫なんですか?」
「ナレーションが入るのはオープニングとエンディングだけですから、特に問題はないと思います」
ナレーターで遊べと言ったのはプロデューサーだから。
「じゃあ私は与えられた役を勉強してその役に徹します」
早稲田が微笑を浮かべる。オーディションには受からない、ナレーターとしても収入は少ない現状の中、役を与えられる事には喜びを感じているようだ。
「じゃあ今日はこの辺で」
「ですね」
小一時間、早稲田には飲物も奢らずに打合せは終了。失念していたっていうのもあるが、我ながらちっちえ人間……だ。
だが喉が渇いたのはこっち。早稲田が帰った後、コーヒーをもう一杯注文して一気に飲み干した。喉はカラカラ、手や脇からは脂汗が出る。まるで大物タレントとの打合せをした時のような緊張感。
ナレーターの早稲田望で遊べ。確かにあたしは言った。けど……。
「来週もぜひ観て頂きたく存じます」
秘書風?
「来週も絶対観るのだニャン!」
アニメキャラ風?
番組の数字(視聴率)には影響はしてないし、早稲田も張切って役を演じ切ってるんだけど、
「ユースケ、ちょっと遊び過ぎじゃね?」
苦言を呈さずにはいられねえ。
「タレントで遊べ、手玉に取れって言ったのは何処の誰だよ」
ギャグでムッとした顔しやがって、開直りも良いとこだ。
「そりゃ言ったけどさあ……」
あたしもこれといって返す言葉が見付からず。でもここまで遊びやがるとは……ちょっぴり後悔してしまう。
ユースケって、良しにつけ悪しきにつけて「真に受けて」、こうだと決めたら真っ直ぐに遊び過ぎ真面目過ぎるくらいにブレない芯を押通す奴だから、仕方ないっちゃ仕方ない……っか。そこがかわいくもあるし。
9月下旬。陣内社長に抗ったせいで〈レッドマウンテン〉との契約は、1年契約のままかと思っていたが、無事に今月から3年契約となった。珠希も1年契約で更新はしたらしいが、30日の夜。
打合せを終え、事務所へ戻ってホン(台本)の手直しをし、一通り終わった所で喫煙エリアに出て一服していた。すると『ガラガラガラ』と後ろのガラス戸が開き、
「ユースケ君、一本くれない」
と珠希の声がした。
「スモーカーだったっけ?」
「何か吸いたい気分になってね」
珠希はにっこり。
「まっ、これニコチンが1ミリではあるけどね」
箱を開け彼女に差出すと、「ありがとう」と言いながら一本取った。ライターで火を点けて差上げる。すると……。
「ゲホッ! ゲホッ!! ゲホッ!!!」
「そうなると思ったよ」
「1ミリでも結構きついね」
2人で「ハハハッ」と笑い合う。
「実はさ、契約は更新したんだけど私、アメリカに留学するの」
「はっ!? また何で?」
思いもよらぬ発言に声のキーが高くなる。
「ちょっと向こうのバラエティを勉強したくなったの。ここ1年くらい、ちょっと自分を見失いかけてたんだよね」
「籍は<レッドマウンテン>に置いたままなんだろ? よく社長がOKしたな」
やっと冷静さを取戻す。
「うん。社長にはちゃんと説明した。私は私を取返す為に、暫くアメリカのテレビ業界を勉強したいって。仕事でもプライベートでも自分って価値のない人間だなあって、思い知らされる機会が幾度となくあるじゃん。生きてればさ」
彼女は紫煙を真っ暗な空に向かって吐きながら、表情も目も真剣だ。かなり思い悩んでの結論だったのだろう。
「そこまで自分を卑下する必要はないと思うけど、まあ、自分独りの力じゃなあ……」
どうにもならない事はある。
「だけど、そんなの受入れてたまるか! って思うし、誰が見ても頷いて貰えるように、只ひたすら何にも替え難い自分を証明したいって、陣内社長に想いをぶつけた」
「初めは社長も流石に困惑しただろう」
「うん、してた。でもそれが珠希ちゃんが見出した結論だったら、私は何も言わないって受入れてくれた」
「そっか。なまじの決意ではなかったら、誰も文句は言えないよな」
オレも三日月が見え隠れする空に向かって紫煙を吐く。教育係を担当した人がいなくなるのを寂しく思いながら。
「端的に言えばGo ing My wayだよ」
珠希は破顔した。
「そういう事だな。でも無理はしないように」
「ありがとう。ユースケ先輩もね」
彼女はオレの右肩に手を置く。励ましたつもりだったが、逆に後輩から励まされているような、何とも複雑な心境、である。
年が明けて1月中旬。『高ネオ STREET』は半年で終わるものだと思っていたが、実際は5ヶ月、数字は10%台前半ではあるが安定している。
「皆、番組は4月以降も継続される事が決まったよ! 出演者、スタッフも全員続投ね。2月の石村社長の定例会見で発表されるから」
会議冒頭、大石さんの嬉しそうな顔。下平もオレと目が合うと微笑を浮かべて頷いた。自分の初プロデュースする番組が当たったんだから嬉しさは解らなくもないけどね。
高速ラインNEOの2人はTTHとは今年3月までしか契約されていなかったが、言わずもがなメインなので契約更新。しかも来年1月までの1年契約。
「2年、3年と番組が継続されると思ってるんですか?」
会議終わりに大石さんに詰寄った。
「ホンに「001」って書いといて良かったでしょ。スタッフが直ぐ終わるって思ってたら面白い企画は生まれないし、出演者も乗らないじゃない」
大石さんはウキウキした口振り。初回のホンに「001」と書けと指示したのはこのプロデューサーだ。高ネオの2人は「三桁までやるつもり?」と苦笑していたそうだが。
「なるほど。そうやって番組は作られて行くんですね」
ナギジュンはしみじみとした口振りで頷く。
「大石さんは特別。中には厳格なプロデューサーもいて、バラエティの会議なのに笑い一つない番組もあるんだから」
「ゲッ! そんな人もいるの?」
「私はまだ優しいよ、ナギジュンちゃん。これから色んな現場を見て臨機応変な作家になって行かなくっちゃね!」
「はい!」
ナギジュンはお返事だけは良いが、彼女は飽迄も、EXILEのメンバーに逢いたいだけが動機なんですがね。大石さんにどんな反応するか、今度チクってやろうか。
3月に入り、奈木野淳子と川並光哉は正式に<レッドマウンテン>の放送作家と成った。2人には「株式会社 レッドマウンテン 放送作家」と印字された名刺が、陣内社長より渡される。
「放送作家に成れたんだな、オレ達!」
「私達って、「平成最後」だよねえ!」
川並とナギジュンは破顔して喜びを分かち合う。その横で、
「良いなあ、2人は」
重留は相変わらず。彼女にも一応「レッドマウンテン 事務」と印字された名刺はあるのだが、まだ事務の仕事の楽しさが解らないようだ。といっても、オレも事務職はやった経験がないので楽しさは解らないんだけども。
「2人共、喜ぶ気持ちは解るけど、これからが「本番」だよ。暫くはナギジュンは中山君、川並君は大畑君と職場が同じだから、色々と勉強して咀嚼しないさい」
「はい! 社長!!」
ユニゾンのお返事は良い事。
ナギジュンは直ぐ様オレのデスクに来て、
「ユースケ君、これからも宜しくね」
と子細ありげな笑みで名刺を差出す。
「オレには名刺はいいよ」
「一度やってみたかったの。名刺交換」
「そう……じゃあこちらこそ宜しく」
気持ちは解らないでもないが、ちょっと浮かれ過ぎな気も……オレも名刺入れから一枚抜取り差出した。付き合うしかないから。
しかしその笑みに裏打ちされた気持ちは何だ? EXILEのメンバーに逢えたら本気で辞めるつもりか? それとも半年で思念が変わったのか?
「ユースケさん、元気ですか!」
出た、苦手な青年……。
「元気だけど君までオレのとこまで来なくていいよ。大畑のとこに行け!」
百パー皮肉。
「だってユースケさん、普段から元気なさそうですから」
お気遣いありがとう。川並は意に介さず破顔したまま。
「これがオレの元気な状態なんだよ。人それぞれで何が悪いんだい?」
「別に悪くはないですけど、もっとテンション上げて行きましょうよ!!」
ポジティブな奴。前に大畑に愚痴った事がある。「あいつ何なの?」って。そしたら「あいつはあんなキャラなんだよ。我慢してやってくれ」とライトに流されたっけか……。
しかし、オレは我慢ならない。
「ナギジュン、これから打合せだけど付いて来るか?」
「ああ、行く行く! 勉強だもの」
ここから逃げる事にした。ほんっと、あいつの教育係じゃなくて良かった。ナギジュンが辞める前にオレが辞める羽目になっていたな。
3月下旬の会議。新たに新人作家が入る事になった。作家仲間の沢矢加奈さんと共に現れたのは……スレンダーな美女。
「紹介します。うちの事務所の新人の臼杵智弥です」
「宜しくお願いします」
笑顔でぺこりと頭を下げる臼杵。少し緊張した面持ちだが、目力は鋭い。肝が据わっている事はまざまざと伝わって来る。
「奇麗な子っすね」
ナリ君が耳打ちして来た。
「うん。奇麗さの中に底力も感じる」
「なるほど、あの目はハンパないっすね」
ナリ君、本当に解ってんのかい?
「若い力が入って来てくれて頼もしいね。まだまだ解らない事も多いだろうけど、素朴な疑問でも口に出してね。訊かぬは一生の恥。その方が企画のヒントになったりするから」
「はい! 色々とご指導ください!!」
大石Pは満足げに臼杵を歓迎する。が……。
「新人って事は、今見習中って事だね」
ナギジュンのテイストはちと違う。
「うちの事務所は<レッドマウンテン>さんみたいに見習とか教育係は付かないの。今は私のサポートに就いてくれてる。『高ネオ STREET』が独立ち」
沢矢さんは若干渋い笑みで解説。
「事務所によって区々なんだよ。誰かのサポートに徹する作家と、早くに独立ちする作家もいる」
「そうなんだ。まあ、お互い新人として頑張りましょうね」
「ええ!」
臼杵はナギジュンの言葉と挑戦的な態度には意も介さずにこやか。
何、この臼杵智弥って子。妙に凛としちゃってさ。この子には絶対に負けない! っていうか負けたくない!! 私の中で沸々とライバル心が芽生えて来た。
それと、ここの女性作家、何かちょっと個性的っていうのかオカシイ。「お貴さん」って呼ばれてる人なんか、「作家にとって大事な事は何ですか」って訊いたら、「気負わない事ですね。私は作家を「ふあー」とした気持ちでやってます」って言ったり、会議中、「私は年収3千万の人でも我慢出来ます」とか言って皆に「無理無理!」って諭されたりとかして、私が言うのもなんだけど、世の中ナメ切ってる。
そんな人がいるかと思えば、ユースケ君は「常識を身に付けないと仕事は貰えない」って教えてくれたし、もう何がどうなってるの!?
会議が終わり、次の現場へ向かう為TTHの地下駐車場を目指してナギジュンと廊下を歩く。
「私、膳所さん、お貴さんだっけ? ああいう人正直嫌い」
「鼻に付くか? 根は素直な人なんだけどなあ」
「素直で片付けられる? 今日もコンビニのお弁当は食べた事ない。美味しいんですか? とか言ってたし、世間をバカにし過ぎ」
「あれは最早、彼女のセンスの一つなんだよ。外連味もあるだろうから全てを鵜呑みには出来ないけどな」
「「センス」っていうより「見立てる」って表現の方が合ってると思うんだけど」
「見立てるっか。作家っていうのは面白いセンスを身に付ける事と、プロデューサー、ディレクター、先輩作家に顔と名前を覚えて貰うセンスも必要なんだよ。後、得意ジャンルを見出す事もな」
「じゃああの人が言ってる事、全部嘘かもしれないじゃん」
「まあな、それはオレにも解らないけど、でもそれがお貴さんの得意ジャンルなんだろう。嫌う人もいるだろうけど、「面白い奴」って見てくれる人も必ずいる」
「私も嘘付いて行こうかなあ」
「いや、模倣は止めといた方が良い。嘘が十重二十重になって行くときつくなるだけだから。今のナギジュンのままで、面白いセンス、勝負出来るジャンルを身に付けて行ったら」
「ふーん……」
こいつ納得してねえな。
「所詮人は人。自分は自分だからな」
先輩として出来るアドバイス。こればっかりはやり続けながら自覚して行くしかない。
「得意ジャンルなら、私一つ持ってるよ」
ナギジュンは得意げ。
「私昔、東京競馬場の近くに住んでたの。それで大学時代土、日に競馬場でアルバイトしてて、競馬を間近に体感したから競馬好きになって、乗馬ライセンス五級を取得したの」
「何だ。人の模倣しなくても立派な得意ジャンルがあんじゃねえかよ」
何か溜息が出てしまう。
「じゃあ競馬好きと資格をアピールして行けよ。競馬番組に携われるかもしれない」
「うん、そうする!」
嬉しそうな顔。さっきまでの不快な顔付は何処へ行ったのやら……。
2019年4月1日の月曜日。
「新しい元号は、「令和」であります」
宇多川内閣の塩村官房長官が「令和」と書かれた額縁を掲げた。
「令和」は万葉集から選ばれたという。人々が美しく、心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、という意味が込められているのだとか。
何故、万葉集から選んだのかの理由については、約千二百年前に編纂された日本最古の歌集である事を上げ、豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だと述べられた。
その後は……同日正午過ぎ、JR新橋駅前のSL広場で号外が配布されるシーンがテレビに映る。待ち侘びていた数百人の群衆が一気に殺到し、近くにいた記者が目撃したのは号外を配布していた女性が人々に押し潰されている、恐ろしい光景。
「助けてー!!」
叫んだ女性の手にはビリビリに引裂かれた号外の切れ端。騒動が収まるきっかけになったのは、ある男性の叫び声。
「もう号外はありません! 号外はないから下がって!!」
この声をきっかけに暫くすると徐々に人が引始め、群衆は新たな号外を求めて去って行く。
「凄い騒ぎだね……」
ソファに座った相方は渋い笑み。女性の事を不憫に思っているのだろう。
他にも「令和」と印字されたパン、Tシャツ、キーホルダーが発売されたと、某キー局の番組は報じている。
「何でも商売にしちゃうんだよなあ……」
オレもぼやかずにはいられない。
1日の終わりに23時台のニュース番組を相方と2人で観ていた。
相方こと奥村真子。東大の理系出身でミス東大にも選ばれた人物。卒業後はTTHのアナウンサー兼報道記者として勤務している。
交際が始まったのも同棲生活が始まったのも全て彼女に逆プロポーズされたから。奥村行きつけの居酒屋に「飲みに行かない?」と誘われ、酒が進んで来た時、「私と付合って! っていうか同棲して!!」と突然のプロポーズ。遂には「YESなの? NOなの?」とまで詰寄られた。
結果、こうして同棲生活をしているという現状は……「YES……」と答えてしまった、奥村の押しに負けてしまった……訳である。
「どうしていきなり同棲なの? 普通に交際して行けば良いのに」
疑問だったが、
「結婚を前提とした交際なんだから、早い方が良いじゃない」
とライトに流されたっけか。後は何も言えない程、彼女の気魄は凄かった。
お互いの事を「相方」と呼合おうと提案したのも彼女から。戸惑いはしたがこれも押しに負けてしまった訳で……。何故「相方」なのかは確認してないけど。
彼女は新人の頃あるバラエティ番組で、「付合うなら私と同じくらいの年収の人が良い。普段は私が料理してるのに、たまに外食しても割り勘というのは身の丈に合わない」という強気な発言をする割には、極度の上り症。入社4年にして念願だったBSの報道番組のキャスターを務める事になった際、それまで奥村はストレートニュースにしか出演した事はなく、前日に先輩アナからOGTを受けるも緊張して前日の夜は眠れない程だったと、後で窺知した。
この性質のせいで「表情が硬い」「滑舌が悪い」と指摘されているのもまた事実。
入浴時間をコミュニケーションの時間と大切にしていて、お互いの全身を洗い合うのが通例。これも彼女の押しから……オレは頭まで洗って貰っている。2人共もう慣れているのでエロい感じにはならず、さっきテレビを観ながら話しているような、お互いの意見、主張を言合うという、誠に「コミュニケーションの時間」である。
でも、オレは風呂くらいは独りで入浴したいというのが、本音……だが、未だに口には出せまい。
「普段は西暦で通してるくせに、終わるとなると「平成最後の」「平成最後となる」とか囃子立てて、今度は「令和最初の」とかってまた囃子立てる。日本人の好い気な性質というか、天皇家を蔑ろにしてるっていうか、良いように利用してるよな」
「別に蔑ろっていうか、皆そんなつもりじゃないとは思うんだけど。まあ、私達メディアが煽ってる感はあるけどね」
相方は画面を観たまま涼しい笑顔でライト。
「確かにメディアのせいとも言える。2000年が終わる頃にはテレビでも「今世紀最後の放送です!」とか盛んに言ってたじゃないか。大して放送年数も長くない番組がさ」
「まあ、それも覚えてはいるけど、その性質って、別に日本人だけじゃない気がする」
相方は中々言葉が続かないのか、少し首を傾げる。
「じゃあ人間の害悪だな」
「人間の害悪ねえ……確かに日本人は熱し易く冷め易い人種ではあるかもね」
「何れにせよ、後2、3年後には「今年って令和何年だっけ?」とか言い出すんだよ、日本人は」
「うーん……」
奥村は物思に耽っている。返す言葉が見付からない定義。
オレもメディアにいる人間だから不遜な事は言えないけど、「今年は令和何年?」ってワードは必ず出て来ると確言は出来る。もうグローバル社会の世の中だから。
「さっ、ニュースも観終わったしお風呂入ろう」
適切な返事が出来なかったからか、単なる気分転換か、相方に手を引かれて浴室へ向かう。Let's go Communlcation Time……。
翌日の午後。メディアでは「令和熱」がまだまだ残っているが、国民各々は仕事で忠実忠実しく忙しい。
『高ネオ STREET』で居酒屋ロケを行う事が決まり、下平P、大場Dらと共に居酒屋がある品川区内にロケハンに来ていた。その居酒屋でナリ君が美人のアルバイト店員を見付けたという事で、男性出演者にキメ顔で一言言って貰い誰が一番心にグッと来たかを対決するのだ。
通常、プロデューサーはロケハンに参加しないが、下平はまだディレクター上がりという事で大石Pから指令が出た。
「ねえ、何処からカメラ回す?」
下平の口振りは投げやりで表情も疲れている。働き方改革で少しは休めるようになったと思うのだが、抜穴は幾らでもあるのが世の中の常。
「居酒屋付近でオープニング撮って、後は店に入るで良いんじゃないか」
構わず発言した。
「まあ、無難な始まりだよな。それより下平、今日は何か元気ないけど何かあったのか?」
「私もそれ、気になってたんですよね」
大場とナギジュンは看過出来ないというより興味津々。少なくともナギジュンは。
「別に。大した事じゃないから」
「大した事じゃなくても何かはあったんですね」
「ナギジュンは人のトラブルを嬉しそうに訊くよね。教育係が寛容な人だからなの? それ」
下平はジロッとナギジュンを睨む。ディスられたのはオレなんですけど。
「私、ゴシップ好きなんで」
「良いよな作家は。ゴシップをネタに企画を考えられるんだから」
大場まで。ニヤニヤして……。それでも真面目に仕事しているんだぞ。放送作家を見縊るな!
「ほんとそうだよ。断っとくけど、あたし芸能人じゃないから」
今度はオレをジロリ。
「ナギジュンはもう独立したんだよ。今後の言動は自己責任」
「ええっ! もっと教育してよユースケ君」
「興味の次は甘えかよ……解ってるよ」
女は頭の切り替えが拙速なのか? それともナギジュンが独特なのか?
「でもゴシップ記事もネタになったりするの?」
「ものにもよる。あまり何から何までネタにしたらタレントを誹謗中傷する事になるからな。作家だってネタ探しに苦労してんだよ、プロデューサー殿とディレクター殿」
「何それ、喧嘩売ってんの?」
「今のはそういう風にしか聞こえなかった」
下平と大場の脹れっ面。
「別に喧嘩を売ったんじゃなくて反論しただけ。先に吹っ掛けて来たのは大場だろ」
プロデューサー・ディレクターⅤS放送作家。同じスタッフでも対極にいる。
「それは済まなかったな」
大場は憮然と頭を下げた。納得はしてないな。
「それで下平さん、何があったんですか」
「まだ訊くか! 喧嘩だよ。夫婦喧嘩。3、4ヶ月旦那がうちに帰って来ない!!」
下平はうんざり顔。
「えーっ!? それってもう他の女が出来てる可能性なくないですか?」
「それを言うな!!」
「気色ばんでるけど、もう一回やり直してヤリたいって事だよな?」
「大場まで……そうだよ!! それが醍醐味じゃん」
心中で「ハハハハハッ!!」と嗤いつつも平静を装う。オレも入るとヒートアップするだけ。
「ほらナギジュン、もう下平Pの本音は解ったんだから良いだろ。仕事仕事」
「そうだな」
大場も続こうとした所で……。
「所でユースケは内縁の妻と上手く行ってんの?」
当て付けかよ……。下平は知ってるからなあ。
「うちは今の所な。今日も相方が握ってくれたお握り食べて来たし」
「へえ、ラブラブ!」
ナギジュンは左肘でオレの身体を小突く。オレは頭を一発はたいてやりたい。
「その内お握りもなくなるよ」
「まあ、時間の問題かもな」
大場まで……。下平からのとばっちりは聞き流して仕事モードに戻った。お握りがなくなる件は否めないから。しっかし何なんだ? この不毛なやり取りは……。
約2時間のロケハンを終え、助手席にナギジュンを乗せて一旦事務所に戻った。
事務所が入るビルに近付くと、川並が事務所の所有のワゴン車を洗車中。側には陣内社長が目を光らせている。
「よっ! ナギジュンハニー、仕事に励んでるかい?」
「うん、励んでるよ!」
半ば嘘だろ。新人だから興味を持つのは良いけど、まだまだ素人感覚。
「コウ君も大変だね。そんな雑用やらされて」
笑顔の2人。仲が良いのは宜しいというか新人は生々しいというか。
「雑用なんかじゃないよ。この車、大畑君と君とで使いまくってるからね。洗車が終わったらワックスもするんだよ」
社長は微笑を浮かべて釘を刺す。このワゴン車、最早大畑の「私物」みたいに使ってるからなあ。
「解ってますって社長。ナギジュンハニー、オレ達こんな仕事も地道にこなしながら令和最初の売れっ子作家に成ろうぜ!」
「こんな仕事ってねえ……」
「うん、そうだね! 私もガツガツ行きたいし」
渋い顔の社長と破顔する希望ある川並とナギジュン。一対二の温度差。それにしても何なんだ、「ナギジュンハニー」って。王子様のつもりか?
「因みにユースケさん、今日は元気ですか!?」
取って付けたように……っていうか取って付けたな。
「一々訊かなくてもオレはいつも元気だよ」
「だってユースケさんいつもテンション低いじゃないですか。やっぱりこの業界はテンションMAXで要領の良い奴が出世すると思うんですよ」
「先輩に対して説教かよ……」
小声でぼやいてしまうが一理ある考え。だから何も言えねえ。けど、オレも「いつもローテーションなの、個性的で面白いね」と言われて周囲の人達から覚えられ易いんですけどねっ。それに「仕事は地道にこなす」て定評も頂いておりますが。
その時、前方のフロントガラスを洗っていた川並の手がワイパーに触れると、エンジンも掛けていないのにワイパーが動き出す。
「あれ!?」
まごつく川並。
「ハハハハハッ! 何でワイパーが動き出すの」
爆笑するナギジュン。
「ハー……」
頭を抱える陣内社長。
川並よ、テンションが高くてポジティブな性格は宜しいが、要領は悪そうだな。
洗車中の川並を残して3人で事務所に上がる。すると、やはり休憩エリアにいやがった大畑新……。
「後輩に面倒な仕事押付けて自分は休憩か」
持っていた資料で頭を一発はたいた。
「あれも若手が通る道。れっきとした仕事だよ」
「れっきとしたねえ……」
物は言いようだ。
「ユースケ君も私にあんな雑用させる気?」
ナギジュンは子細ありげな顔付。不安なのか念を押しているのかそれとも両方か?
「別に。オレは自分でやれる事は自分でやるつもりだけど」
「なら良かった」
破顔。不安だったのか面倒臭がっていたのか……。
「それよりユースケ、お前新しい彼女が出来て毎日充実してるだろ? 良いなあ、お前は」
こいつも知ってるからなあ。大畑のニヤッとした顔。色んな事を妄想してやがんな。
「あんたはもう結婚しただろ。妻がいようが彼女がいようがそう楽しい毎日じゃねえじゃん? 「ああ、今日も仕事か」って憂鬱な朝を迎える事もあるだろ」
「まあな」
「ねえ、ユースケ君の彼女ってどんな人?」
「その内逢う事になると思うよ。アナウンサーだから」
「余計な事言うな!」
また大畑の頭を資料ではたく。
「良いじゃねえかよ、このくらい」
名前を出されなかっただけまだましか。
「へえ、女性アナかあ。私もイケメン男性アナと付き合いたいなあ」
「EXILEのメンバーに逢いたいんじゃなかったのか?」
「それはそれ」
「目をときめかせちゃって。こればっかりは縁だよ」
「良い出逢いがあると良いな。ITの社長とかさ」
大畑の一言に……、
「楽しみー!」
ナギジュンは心動かされている。余計な事を吹込みやがって。
「それより大畑、川並君の「元気ですか!?」、あれそろそろ止めるように言ってくれないか」
「ウザいか?」
「ウザくなかったら言わねえよ」
「でもあいつ努力家なんだぜ。最初はオレのキャラなら絶対売れるって自意識過剰に思ってたみたいだけど、「有無を言わせないくらいの実力を付けるしかない」って考え方変えたみいで、オレに内緒で社長に毎日企画書提出して採点して貰ってたんだってよ」
「そんな一面があったのか……」
彼の見方を変えざるを得ない事実。人は見かけによらないというやつだ。
「ナギジュン、企画書の基本的な書き方は教えたけど、オレや社長には採点して貰わなくて良いから書くだけは書けよ」
「はーい! 解りましたあ!!」
この笑顔。全然解ってねえな。企画書は書いている内にコツを掴んで行くものだ。ディレクター達からダメ出しされてその内解って来るとは思うけど。
また大畑が余計な事を言うか心配だったけど、2人を残してオフィスエリアに入った。
陣内社長は外の喫煙エリアで一服中。その背中は何か物思いに耽っているように見えた。
オレも外に出て一服する事にした。
「今頃になって「大丈夫か? あの2人」って思い始めたんじゃないですか? 2人を雇った事を後悔してるとか」
「ああいうキャラも良いと思ったんだけどね」
いつも強気な陣内社長が若干弱気な顔付。
「面白い奴と捉えられるか、軽い奴と捉えられるか」
「何とか私達で前者の方に持って行くしかないね」
陣内社長は太陽が眩しい空を見上げて紫煙を吐き出した。
「まだまだ教育が必要な2人っか……」
素朴な言葉を口にしてオレも紫煙を吐く。
「でも大丈夫よ、あの2人。川並君は軽いキャラの中に努力を仕舞っておくタイプだし、ナギジュンは動機は不純だけど、あの子はプロデューサーやディレクターに「ナギジュン」ってキャラクターを覚えられ易いから。それに、教育係である中山君もサイレントマジョリティに見えて仕事は地道にこなして行くキャラで、うちの稼頭になったしね」
社長はオレを見てニヤリ。
「サイレントマジョリティね。皮肉ですか?」
「だってノイジーマイノリティじゃないじゃん」
「まあ、確かに……」
陣内美貴という人は社長だけあって人の査定が上手いし育てる力も併せ持っている。オレも何だかんだいって作家の仕事一本で食べて行けてるから。
春の陽光を浴び、社長とオレは室内に入った。
「平成最後」となる4月下旬の会議。世間は十連休に沸いていたり、低所得者層の間では「収入が減る」などと困惑したりしているが、放送業界は関係なく通常通りの仕事。
居酒屋ロケの内容も煮詰まって来て、タイトルは『ドヤ顔で一言選手権』と名付けられた。
「後はスタッフで少しシミュレーションしてみようか」
大石さんがGOサインを出したのだが……。
「あのう、TTHってドラマ原作賞ってやってますよね?」
臼杵智弥が徐に口を開く。
「うん、やってるけどどうかした?」
大石さんはその先を予測しているような顔。
「今年も募集してるんですか?」
「多分すると思うけど、挑戦したいの?」
「もうプロット(内容)は出来て書き始めてるんです」
臼杵は破顔する。賞を取れるかどうかはさて置き。
「若手の内に何でも挑戦した方が良いよ」
「そうね。何事も経験だから。色んなものを吸収しておきなさい」
下平はライトな口振りで、大石さんはにこやかにエールを贈った。
何? この女。作家成り立てで作家は作家でも小説書く気? 智弥ちゃんにだけは負けたくない! 何の根拠もないけど闘争心が芽生えて来た。
「締切りはいつなんですか?」
「確か8月だったと思う。何? ナギジュンちゃんも挑戦したいの?」
「はい!」
大石さんは素朴な顔してるけど私もガチだ。
「そう。何でも挑戦する事は良い事よ。智弥ちゃんもナギジュンちゃんも賞が取れようが取れまいが頑張って!」
「ライバルがいるのは成長につながるしね」
大石さんは微笑んで、下平さんは無表情だけど口振りは優しい。
「はい!」
私達はユニゾンで返事をした。
さあて、どんな内容にしようかなあ。
会議が終わりユースケ君に訊く。
「小説ってどうやって書けば良いの」
「序論の知識もないのに挑戦したいって言ったのかよ」
呆れられたけど訊くは一時の恥。
「オレ小説書いた事ないけど、まずは臼杵さんみたいにどんな物語にするかプロットを書く事。そうじゃなかったら頭の中で物語を構成して付箋を貼ってシーンを作成して行く事だな」
「なるほどねえ。私は付箋の方にしよっと」
ナギジュンは臼杵智弥に初めて逢った時から対抗心を燃やしているみたいだが、それがあらぬ方向に暴走しなきゃ良いけどね。
2019年、平成31年4月30日火曜日の23時過ぎ。ナギジュンをうちまで送り、オレは事務所で別番組のホンの手直しをしていた。
『ガチャ』誰かがオフィスエリアに入って来たが、オレは「お疲れ様です」とノートパソコンに目をやったまま挨拶。
「相手の顔くらい見たらどうなの? 新人の頃から中山君は変わんないね。それよりまだいたんだ」
声で陣内社長だと解る。
「もう直ぐ日付が変わって「令和」になるよ」
「ええ」
腕時計を見ると24時まで5分前。
「新しい時代が始まっても、オレは何にも変わりませんけどね」
「相変わらずやさぐれてるね。続きはうちでやったら? アナウンサーの彼女が待ってるんじゃないの」
「待ってるかどうかは解りませんが」
とは言いながらパソコンや資料をバッグに仕舞っている自分がいる。
「素直じゃないね、君も。そんなとこも新人だった当時から相変わらず。でも、良くも悪くも自分に正直に生きてるんだよね、中山君って」
社長は苦笑だか微笑みなんだか解らない笑み。
「帰る前にテレビ観て行かない? 渋谷の状況とか、絶対全キー局で中継してる筈だよ」
「ミーハーですね、社長も」
「作家は色んな面にアンテナ張っとかないとね」
2人で休憩エリアに移動し、陣内社長はテレビをつけた。案の定、中継をやっている。
『こちら渋谷は大勢の若者、警察官で黒山の人だかりとなっています』
女性リポーターのアナウンスの後……。
『5、4、3、2、1! ……令和おめでとう!!』
この状況は渋谷だけではなく六本木でも。若者たちの歓声は凄まじい。
「こんな雨の中を、思った通りだね」
陣内社長の笑みは、今度は苦笑だな。オレも釣られて笑ってしまう。
『続いて大阪からです』
アナウンサーの声で画面は大阪市に切換わった。その大阪では心斎橋から道頓堀川に飛び込む若者達。
『令和は僕達若者が引っぱって行きますよ!』
学生と思しき若者。
『令和最高!!』
4人の女性のユニゾン。
そして皇居前広場では……。
『天皇陛下と皇后さまのお顔を良い場所で拝見したいと思いまして』
とご婦人。
「この人達、昨日は「上皇さまのお顔を」って言ってたのに、今日は「新天皇陛下のお顔を」だもんね」
苦笑から呆れ笑い。
「人にもよりますけど、日本人特有の傾向ですよ。熱し易く冷め易い」
「まあね。フフンっ」
「でも西暦が本でいうページ数なら、元号はその本の「第一章、二章」の章とも表現出来ますよね。だから気持ちの切替えが出来易い国民でもあるかもしれない」
「なるほど。そういう考え方もあるね」
陣内社長は画面を観たまま頷いた。
「じゃ、帰って仕事の続きやりますんで。令和時代も引続き宜しくお願いします」
「こちらこそ。お互い身体には気を付けようね」
「今の挨拶は顔と目を合わせて言いましたから」
オレがにやつくと、
「解ってるつうの! お調子者なとこも、君はほんとに根本が変わらない。私の方がこの業界に毒されちゃったかもね。フフフフンッ! 早く帰んなさい。彼女が待ってるだろうからさ」
陣内社長は伏目がちに自分を嗤う。
たが、いつも背中を押し続ける、というより蹴り飛ばしてGOサインを出す陣内社長が、身体の事を気遣うとは何と珍しい。社長として社員の状態はちゃんと見ているんだ、この人も。
ちょっとした「発見」をした所でオレは帰宅の途に着いた。
元号が「平成」から「令和」へと改元された数日後、別番組の打合せとロケハンを終えてナギジュンと共に歩道を歩いていた。するとどちらかのスマートフォンが着信音を鳴らす。一瞬自分のかと思ったがナギジュンだ。
「メッセージだな」それは良いのだが気なるのは彼女の表情。笑みは浮かべていないが何処か「しめた!」というような目。オレは看過しなかったぞ。
「ユースケ君、今日は私電車で事務所に帰るから、車は良いや」
「そう」
やっぱり何かあるな。
ナギジュンは駅の方へ向かって行く。もう教育係ではないが、あの目は何かあると確信し、彼女を尾行する事にした。
六本木から東京メトロ日比谷線に乗車し、恵比寿に向かっている。事務所とは方向が違う。友達と会う約束なのか、それともオレが予測した通りあらぬ事を画策しているのか。
恵比寿からは山手線内回りに乗り五反田で下車した。五反田駅構内で1人の男性と落合っている。
あの男性、見た事あるぞ……。
「待ちました?」
「いいや。オレも5分前くらいに着いたばっかりだから。念の為に確認するけど、淳子ちゃん、ほんとに良いのこんな事して?」
「良いんです。これで仕事が貰えるんなら。私、ガツガツ行きたいですから! 今のままじゃガツガツどころかカツカツですもん」
「そうなんだ。新人放送作家も大変だよね」
そう言うと男性は笑った。
これでほんとに仕事が貰えるんだろうか? 迷うとこだけど、今の私にはこの企図しかない。
俵慎二と一緒に五反田のホテル街に入った。俵はキャップを被っただけでサングラスもマスクもしていない。私も当然帽子も被ってなければマスクもせず、お互い堂々と歩いている。
「ここにしよっか?」
「そうですね」
あるラブホに入ろうとした刹那……。
「うちの社員とこんな所で打合せでもするんですか?」
「ユースケ君、どうしてここに!?」
「何か様子がおかしいと思って付けて来たら、ラブホに直行かい」
ユースケ君はニット帽にUVカットの黒縁の眼鏡、マスクとこっちの方が変装している。
「……貴方は誰ですか?」
俵慎二の声は明らかに狼狽している。
「申し遅れました。僕は奈木野と同じ事務所の中山です」
名刺入れから一枚抜き取り男性に差出した。
「貴方も……放送作家……」
「貴方は、4月に公開したネット映画がヒットした俵慎二監督ですよね?」
「ええ、まあ……」
「7月期の深夜ドラマの監督にも決まってるそうで。そんな方が脚本には程遠い若手の放送作家に何の用があるんですか!?」
声のボリュームを上げてやった。
「僕ら……付き合ってるんですよ、実は」
俵監督……目を泳がせちゃって。見え透いた嘘を。
「ナギジュン、本当に俵監督と交際してるのか?」
「……」
彼女は頷くだけ。
「本当に信じて良いんだな!?」
ナギジュンにも顔は無機質で、でも目には力を込めて声のトーンを上げてやった。
「……ごめん。嘘……」
「だと解ってたよ」
大きな溜息をお見舞いしてあげた。
「俵監督、彼女と肉体関係を持ってどうするつもりだったんですか。うちの社員を蔑ろにして、見縊らないでください!!」
俵慎二監督の目を見据え、眼光鋭く更に声のトーンを上げてやった。
「いや、別に見縊ってはないですけど……」
「肉体関係を持つんならもっとメリットのある女性とどうぞ」
「はあ……淳子ちゃんごめん。オレ仕事が入ってるの思い出したわ」
俵慎二監督は狼狽したまま脱兎の勢いで去って行った。
「ナギジュン、どうして枕までしようと思った?」
「私はガツガツ行ってジャンジャン仕事を貰いたいの! ユースケ君みたいな放送作家は「女に尻叩かれ作家」じゃん」
『グサッ!! ……』。
「……触れるし者よ、全てを打砕くジャックナイフ……」
心中の声が出てしまう。
「オレはオレでもっと成長しなきゃいけないけどな。でもな、枕までして仕事を得ている作家は、何れ飽きられて衰滅するぞ。ドラマ原作賞、書いてるのか?」
「教えてくれた通り書いてる」
「だったら今はそれに集中しろよ。後空き時間があれば、好きな競馬の知識をディープな部分まで掘り下げてみろ。そうやって得意ジャンルや独特のセンスを地道に磨いて行った方が、絶対得策だぞ」
彼女の目を見据えて真剣に言った。外連味でも皮肉でも何でもない。それが放送作家が生き抜く術なのだ。
「……ユースケ君、ここまで来たんだから1回どう?」
ナギジュンの甘えた目。
「今までの話を聞いとったんかい!!」
真剣に説いた自分がバカらしくなって来た。
「聞いてたけど、私、脱いでも凄いんだよ」
「得意げに言う事か! 昔CMでそんな台詞あったな、そういえば。三従兄妹と肉体関係を持つ暇なんかねえし、近親相姦だろ! ほら、事務所に戻るぞ」
ナギジュンの手を取ってホテルから離れた。そんなにガツガツ行きたいんなら、こっちにも考えがある。
翌週月曜の『ーーSTREET』の会議。
「『ドヤ顔』は今週ロケに行くんだけど、来週はどうしようかねえ」
大石さんはホワイトボードを見ながら迷っている。既に幾つかの企画案はディレクター達と勘考して挙がっているのだが……。
「候補には挙がってませんけど、新しい企画を思い付いたんですが」
「何? ユースケ君」
大石さんは期待している表情。
「ご希望に添えるかは解りませんけど、ナギジュンと臼杵さん、それとうちの事務所に川並光哉って新人がいるんですけど、新人作家が出演者に企画をプレゼンするスタジオ企画があっても良いんじゃないかと」
「ちょっとユースケ君、マジで言ってるの!?」
ナギジュンはプロデューサーより前に反応する。
「だってガツガツ行きたいんだろ? 臼杵さんはどう?」
「私はやらせて貰えるんなら幾らでも考えます。テレビに出れば他のディレクターさんやプロデューサーさんにも観て貰えるかもしれないですし」
「ほら、ライバルがそう言ってるんだぞ」
「そうよナギジュンちゃん。先輩がチャンスをくれたんじゃないの」
「確かに他局のプロデューサーとかが観てて「こいつは面白い」って判断したら、仕事のオファーが来るかもしれないね」
大石、下平両プロデューサーからけしかけられたナギジュンは、
「解りました。智弥ちゃんに負けないような企画を考えます」
臼杵さんを一瞥する。
「面白い企画を考えようね」
「解ってるよ! そんな事」
笑顔の臼杵に対し、ナギジュンの表情は無機質。バチバチ火花が飛び交っていた。
「じゃあ決まりね。再来週はその企画で行きましょ。後はどの企画を煮詰めて行こうか?」
「うーん……」
「これからで行くと、そうっすねえ」
大石さんもオレもナリ君も2人に対しては
素知らぬ顔。会議は進行されて行く。
その会議が終わり、帰り支度をしている
と、
「ねえ、何であんな企画案を出したのよ」
ナギジュンは納得していない。さっきの火花
はどうした?
「企画っていうのはちょっとした会話がヒン
トになって思い付く事もあるんだよ」
「そうそう、会議中の何気ない会話からも
ね。だから作家やディレクターは常に
アンテナを張っておく必要があるの」
オレと大石さんの解説にも、
「そうなんだあ……」
まだ釈然としていない。
「とにかく臼杵さんには負けたくないんだろ?」
「そりゃあの子には負けたくないよ!」
「だったら企画を練りに練る事だな」
「解ったよ。やってみる」
ナギジュンの目に力が籠った。でも、ここ
まで説得せねば解らんのか……。
木曜日、『ドヤ顔で一言選手権』のロケが
品川の居酒屋で行われた。この企画、シ
ミュレーションの時の方が盛上ったのだ。
「居酒屋って設定だから、本当は駄目なんだ
けどお酒飲んでも良いよ」
大石さんの一言に、
「マジっすか!?」
ナリ君は目を丸くする。
「その方がよりリアルに出来ると思うから」
この後の仕事もあるだろうに、大石さんも
呑気なものだ。とはいえ、飲酒のお許しが出
たのはナリ君と女性だが男性役として大場、
それとディレクターの真鍋君の3名。早速A
Dがコンビニまでビールなどのアルコールを
買いに行く。
そして何故かオレは進行役に抜擢された。
「ユースケ君はいつも落着いてて安定感があ
るから、進行に向いてるんだよ」
とは大石談。プロデューサーから頼まれた
のだから仕方がない。ターゲットになる従業
員役には枦山夕貴ディレクターが選ばれた。
会議開始早々に3名はADが買って来た
ビール、チューハイやつまみなどを飲食し始
めた。然程酒に強くない3名は飲み始めてか
ら20分くらいで酔いが回り始め、このタイ
ミングでシミュレーション開始。
「ほら3人共、もう十分酔って来ただろ?
枦山さんにドヤ顔で一言言ってみたら」
「オレから行っても良いっすか?」
「良いよナリ君。別に順番は決まってないか
ら」
「私を彼女だと思って言ってみて」
枦山さんは今の所笑顔だが、3人には酒が
入っている為、目は全く期待していない。
「夕貴、重なり合おう」
下種……。
「真顔で言う事かよ!」
「オレ的には純粋に言ったつもりなんっすけ
ど」
枦山さんとナリ君のやり取りに笑ってしま
うが、
「面白かったから、今の候補に入れといて」
お貴さんにメモするよう指示した。
「次オレ行くわ」
真鍋君が手を挙げる。またどうせ……。真鍋君はビールを一口飲み、
「夕貴、一緒に死のう」
重っ……。「ハハハハハッ!」笑ってしまう。
「笑顔で言う事かよ!」
「純粋な愛じゃないか!」
「愛なんて感じねえよ!」
枦山、真鍋のツッコミ合いを見ながら、
「今のも面白かったからメモしといて」
「はい」
またお貴さんに指示。
ここまででお貴さん含め会議室内は失笑に包まれている。
「オレもう一回行っても良いっすか」
「どうぞナリ君」
「夕貴、裸体を見せてくれ」
ダイレクト過ぎ……。
「何それ? 真顔で言うの止めて!」
枦山さんも、苦笑するしかないだろう。
「下種な言葉ばっかだけど、今のもメモっといて」
「下ネタばっかり……」
お貴さんも、然り。
「アルコールが入った男の頭はそんなもんだよ」
正直呆れてしまうが事実でもあるから。
「あんた達の口からは下ネタしか出て来ない訳?」
下平も呆れ顔。
「そんなに下ネタが続くんだったら……」
今まで黙っていた大場が手を挙げる。
「夕貴、お前の事は一生忘れないぜ!」
純粋で切ない……。
「やっと奇麗な台詞が出たね。これは採用だ」
お貴さんはまたメモに取る。だがその後は……。
「夕貴、君で毎日オナニーしてるよ」「夕貴、オレは君であんな事もしたしこんな事もしたよ」。真鍋、ナリ君の下種回答は続く。2人共、悪酔いしているからそんな台詞ばっかり。初めは笑ってツッコんでいた枦山さんも、流石に気色ばんで来た。大石さんも呆れ顔。
「3人共、というより2人は悪酔いしちゃってるからこの辺にしとこうか。面白いのはもう解ったし」
大石さんからストップが掛かったが、
「じゃあ最後にナリ君、もし枦山さんが二股掛けちゃったっていう設定で一言ビシッ! と言ってみて」
面白がって彼に振ってみた。
「私二股なんか掛けねえよ!」
「飽迄も設定」
「そうっすねえ……ちょっと夕貴、そんな事して貰っちゃ困るんっすけど」
「全然ビシッ! と言われた気がしない。二股掛ける女はまたやるね」
「うん。語調にパンチがなかった」
枦山さんとオレの指摘に、
「オレ的にはビシッと言ったつもりなんすけどねえ」
ナリ君は腑に落ちず首を傾げる。
シミュレーションはこんな感じだった。3人が出した回答からピックアップし、ホンにして行く。
この回のホンは書きようがあった。出演者達はホン通りに企画を進めて行ったからだ。かといって特に珍しい事でもないのだが、唯一アドリブがあったのは、オクリズの大政功希の「アヤメ、君の乳首を口の中で転がしたい」という、やっぱり「下種な」発言だけだった。
「臼杵さん、ドラマ原作賞書いてる」
6月に入り、会議中にそれとなく問掛けた。
「書いてますっていうか、もう書き終わって見直してます」
臼杵は自信ありげ。もう受賞したかの如く破顔。
「そう。じゃあ後は成稿して送るのみだね」
大石さんは我が事のように嬉しそう。
「ナギジュンちゃんはどんな調子?」
げっ! 大石さん私にも……そりゃ振って来るよなあ。
「私はもう見直し、成稿も終わりました」
「そう。なら送るだけだ」
大石さんは破顔してるけど大嘘。書き終わったのは本当だけど、まだ成稿までは行っていない。
「ナギジュンちゃん、絶対負けないから」
何なのこの子!? また不敵な笑みを浮かべちゃって。目もマジだし。
「私だって智弥ちゃんには負けたくないから頑張る」
私も意識して不敵な笑みを浮かべる。
「お互い頑張ろうね」
智弥ちゃんは今度は柔和な笑みに変わる。この子、ガチで侮れないし私は気が抜けない。
「ライバルがいるって事はお互い鎬を削って成長して行くんだよ。2人共頑張ってね」
大石さんは微笑みを浮かべてはいるが、ナギジュンと臼杵との間にはまた火花がバチバチ状態。
だがこの2人、別に啀合っている訳ではないようで、この前はTTH内の社食で向合って座りお茶していた。ファッションやこれからの理想を語り合っていたらしいが、ライバルでもあり良き友人でもあるようだ。サイレントマジョリティのオレには解らない心理だ。なのだが……。
我が〈レッドマウンテン〉と臼杵が所属する<vivitto>がアライアンスして放送作家を特集している、マンスリーWEBマガジンがあるのだが、何と臼杵智弥はグラビアで「美人放送作家」としてセミヌードを披露したのだ。
「ちょっと何これ!?」
ナギジュンはパソコンの画面を観たまま目を丸くする。
このマガジン、放送作家の仕事に密着し、人気のラジオ、テレビ番組の裏話を紹介する事でそこそこ好評を得ているのだが、去年から美人作家のグラビアを掲載したらもっと好評を得るのではと、<vivitto>の社長が企画し、発刊する度1人、グラビアを飾る事になった。記念すべき初のグラビアはお貴さんこと膳所貴子だったが、彼女はファッション。他の作家も水着まではあった。
しかし臼杵は森の中に全裸で立ち、胸は右腕、あそこは左手で隠すというポーズ。仕舞にはシャワーを浴びながら半けつまで見せるという内容だ。
「放送作家もここまでやるようになったか……臼杵さんもよくOKしたな」
唯々呆れてこれくらいしか感想の言葉は、ない。だがナギジュンは違った。
「あの子何処まで自分に自信があるの!? 社長!」
彼女は興奮状態で陣内社長を呼ぶ。
「どうしたのナギジュン? また何かに触発された?」
社長は察した表情で近付いて来る。
「智弥ちゃん脱いでますけど、これって智弥ちゃんの希望だったんですか?」
「まさか。<vivitto>が企画したんだよ」
「事務所から何か圧力でも掛けられたんですかねえ」
「圧力でここまでする!? 普通」
ナギジュンはまだ興奮。
「圧力なんかなかったみたいよ。社長に言われて「はい、解りました」ってノリノリだったみたいだから」
「へえー……」
肝が据わっているっていうのかナギジュンより一枚上手というのか、何と形容しようがあるものか……。
「社長! 私もグラビアに出たいです! そして脱ぎます!!」
ナギジュンの決然とした口振りと表情に、
「そんなとこにライバル心燃やさなくても良くない?」
「そうだよ。臼杵さんは臼杵さん。ナギジュンはナギジュンなんだから」
社長とオレは苦笑して宥めるばかりなり。
「まっ、ナギジュンも美人ではあるから、その内グラビアに出て貰う事になるとは思うけど」
「ほんとですか!」
破顔……解り易いやっちゃ。
「智弥ちゃんより過激にやりますから!」
「だから脱がなくて良いって! ……」
陣内社長とオレでユニゾンでツッコむも……。
「ああ、楽しみ!」
柳に風。
「だって前に言ったでしょ、ユースケ君。私脱いでも凄いんだって」
「貴方達そんな会話してるの?」
今度は社長が目を丸くする。
「オレから訊いたんじゃないですから」
「そう。とにかく、ヌードとかそんな過激な事しなくても良いから」
陣内社長は念を押し、したり顔をして自分のデスクに戻って行く。ヌード以外に何かあるのかいな?
だがそんな事より……。
「ナギジュン、企画プレゼンの収録、今週末だぞ。そっちの方はどうなんだ?」
「企画はもう考えたし、終わったよ」
「子細ありげににやついてるけど相当自信がおありのようで。別に見せろとは言わないけど」
「別に見せても良いけど」
「いいや。収録までの楽しみにしておくよ」
先輩としてチェックした方が良いのであろうが、何故か見るのが憚られた。
もう彼女に任せよう。そう思っている内に収録日の金曜日がやって来た。発案しておいて何だが、今更ながら憂いが生じて来るのは何故か……。
この日出演する放送作家は奈木野、臼杵、川並と他事務所の新人作家を入れた5名。沢矢さんも臼杵の出来、プレゼンの仕方をチェックしようとスタジオに訪れていたが、川並の教育係だった大畑の姿は、なし。自立したら「はい、それまでよ」って事か……。
「さあ、2人共どんな企画を出して来るか」
「私達は見守るだけですね」
この口振りだと、沢矢さんも事前にチェックはしていないようだ。
「プレ放送作家!」
安在政高さんのタイトルコールでコーナーは始まった。トップバッターは私からだ。
「新人放送作家がこれから企画をプレゼンします。それを貴方達が見立てて良い企画は実践してみようというコーナーです」
「ありもしない知識を絞ってね」
多田夕起さんはボケるけど、私達は笑えない。ペットボトルの水を二口飲む。
「フフンッ」
智弥ちゃんは笑ってる。あんた幾らボケでも貶されたのによく笑っていられるね? それともぎゃふんと言わせる自信がある訳? まっ、笑ってる余裕があるんだったら、篤と力量を見せて貰いましょう。
「まずは奈木野淳子ちゃんからです」
呼ばれて立上りカメラの前に立つ。多田さんからマイクを渡された。私の顔と声が初めて電波に乗るのだ。緊張するなって言う方が無理に決まってる。
それに出演者はレギュラー5人にプラス、ゲストにお笑いコンビとピン芸人が1人の計8人だし。みんな素人の頃からテレビで観て来た人達ばっか。
「内容を聞いてる途中でこれはつまらないと思ったら、そこでボツにしても良いですから」
何だと!? 安在さん。ボツになんか絶対にさせない!!
「私が考案した企画は『アドレナリンピック』です。皆さんには色んなシチュエーションでロケをして貰い、例えば飛込んだ部屋が女風呂だったとか、半裸の女性に抱き付かれても如何に冷静でいられるか、アドレナリンを出さないでいられるかをチーム、又は個人で競って頂き、冷静でいられたチーム、人が優勝、という内容です」
終わった。足は小刻みに震え口内もパッサパサの状態だったけど、何とかかまずに言説し、「アドレナリンも」少なくて済んだ。後はどういう反応が返って来るか……。
「フーー……」ナギジュン、良くやったな。大甘だが安堵の溜息が出てしまう。まるで自分が考案した企画がプレゼンされたような気持ちだ。内容からして深夜向けだし面白いとオレは思うのだが、果たして採用かボツか……。
「面白いと思うよ。只ロケとなると色々準備も掛かるし、アドレナリンもどうやって測るかだよなあ」
多田さんは若干難色ぎみ。やっぱお金掛け過ぎたか?
「企画会議でもっと煮詰めて貰えれば、実現は出来るんじゃない」
大政功希さんには好感触のようだ。
「もし実現した時にはオレ達は呼ばれるの」
コンビのツッコミ担当の人が心配そうな顔をして訊いたけど、
「それは解りませんねえ」
安在さんはボケで返す。そんなやり取りは良いから早くジャッジしてよ!
「でも一回やってみる価値はありそうだよね」
「ありがとうございます!!」
飯田孝秋さんに笑みを浮かべて頭を下げる。オクリズには好感触みたい。
「じゃあ採用だね」
「ほんとですか!? ありがとうございます!!」
安在さんにも頭を下げた。今日の出演者の人達は皆さん良い人ばかりだ。
採用のファンファーレが流れ、私は「フー」と息を吐きながら席に戻る。
「良かったね。採用されて」
智弥ちゃんの満面の笑み。次はあんたなのに人に声掛けられる程余裕なの?
「じゃあどんどん行きましょう。次は臼杵智弥ちゃんです」
智弥ちゃんは颯爽と出て行く。この女、能天気っていうのか怖いもの知らずっていうか……。
「私が考えた企画は今直ぐにも出来るくらいのお金が掛からない企画です」
にこやかに宣言しちゃって。私への当て付けなの?
「その名も『Tバックバカ一代』です。皆さんにはTバックを穿いて貰って、どのアイテムを身に付ければよりバカっぽく見えるかを競って貰うという内容です」
「漫画のタイトルに似たやつあるけど、内容的には悪くないかもな」
「でもこのご時世で裸っていうのがなあ」
多田さんと飯田さんのアンテナには引っ掛かったようだけど。
「でもさあ、この企画だったらこの後直ぐにでも出来る事は確かだよね」
安在さんは裸の企画でも意に介してないみたい。多分、自分がやらないからだろう。
「やりようによっては面白いかもね」
「じゃあキープしとく?」
大政さんと飯田さんは真面目な顔付。
この間、智弥ちゃんはにこやかに様子を窺ってるだけ。「これは採用される」と確信を持ったみたい。
「じゃあキープ!」
安在さんが告げてファンファーレが鳴った。
「ありがとうございます」
智弥ちゃんは一礼して席へ戻って来る。
「あの企画何日で考えたの?」
「一日。ちょっと徹夜したけどね」
ほんと何なのこの女!? 最後まで余裕ぶっこいて。こうなりゃ私の企画も絶対実現して貰う!
他の人達は、専門学校を卒業したばかりの女の子が『熱いラブレター』というタイトルで、高ネオさんに対してガチな想いを手紙に綴り、2人がもっとも心を打たれた人が優勝となる内容でキープ。
ニュース番組のADをしていたという男性は『毛抜き拳』をプレゼン。内容は野球拳と同じようにリズムに乗ってじゃんけんをして、負けた人がすね毛を抜かれて行くというものだったけど……こちらは、ボツ。
最後のコウ君は『歌っていいとも!』というタイトルだったけど、プレゼンをする前にボツにされちゃった……。
そして多田さんも入れた出演者で多数決を取って放送する事になった企画は、悔しいけど智弥ちゃんの『Tバックバカ一代』……。
でも内容は少し変更され、Tバックは穿かずどうやってあそこを隠すか、という内容となり、安在さんとKAORIさんがMCとなってオンエアされた。飯田さんが言った通り、このご時世に裸の企画って……。
テニスボールやペットボトルを振って泡で隠すなど皆趣向を凝らしてたけど、飯田さんはロープであそこを結ぶだけで隠す気全くなし。安在さんに「ちょっと待てー!!」とツッコまれ、KAORIさんは苦笑しただけ。私達女は笑うしかなくない?。
優勝したのは態々毛まで剃ってテニスボールを使ったピン芸人。すると他の人達は「何でこいつが優勝なんだよ!?」と全員全裸でカメラの前に出て来る。私達女は手で目を覆う……しかないじゃない。
こうしてユースケ君が考案してくれた企画は終了。後は私の『アドレナリンピック』が具現化されるのを待つだけ。っていうかして貰わないと困るんたけど。
「採用されて良かったな」
本番終了後、コウ君は破顔して言って来た。
「ボツにされちゃって残念だったね」
「いや、オレは美味しかったと思ってる。少しでもテレビに映って顔と名前が出た訳だからさ」
「そう。落胆してなくて良かった」
「落胆なんかするかよ。オレ、メンタル強いから。あの企画、メジャーな曲や番組テーマソングを自由に替え歌して良いって企画だったんだけど、タイトル変えてちゃんとプレゼンすれば、実現出来るって思ってる。ナギジュンハニーもそうだろ?」
「うん。私も何日も掛けて考えたからね」
川並光哉という男に心配する心は無用だったみたい。何処までも心が折れず何だってポジティブに捉えちゃう。この男はそういう性格なんだよね。私の方が落胆しちゃう。
後半は下巻に続く――