後編
申し訳ありません。
後編を追加しました。
セウルはパチリと目を覚ました。
背筋が冷たい。
悪寒が体を包んでいた。
時刻は真夜中を過ぎ、屋敷は静かな静寂の中わずかに起きている少数の使用人の気配をセウルは感じた。
問題は屋敷の内ではなかった。
セウルの気配探知の魔法に反応したのは、屋敷を取り囲みつつある多数の人間であった。王家の騎士たちである。
セウルは飛び起きて、愛用の鞄を掴むとひっそりと部屋から出て走り出した。
亡くなった母以外知らないことだが、セウルには王族に匹敵する膨大な魔力があった。
屋敷では冷遇され虐げられていたので、危害をくわえられる前に逃げ出せるように常に気配探知魔法を張りめぐらせていた。
魔法で屋敷の外の音を拾うと、王命やら捕縛やら処刑など、耳を疑う声が届いた。が、セウルは驚愕を一瞬で呑みこんだ。
同時にチャンスと客室に忍び入った。
異母姉の婚約を祝うため、侯爵家には続々と親族が集まって来ていたのだ。
そこにはセウルと同年齢の髪も目の色も同じ、体格も似た従兄弟が眠っていた。セウルは容貌は母親譲りだが、髪や目は侯爵家の色をしていた。眠る従兄弟も。
「ぐっ!?」
従兄弟が潰れた呻き声を上げた。
セウルが、口を開けて眠っていた従兄弟の喉を火魔法で焼いたのである。口から火魔法を入れたので口の中も喉も酷い状態であったが、表面上の怪我はない。
次に魔法で押えつけ動けなくした従兄弟の顔中に、セウルは自分の手首を切って流れる血を塗りつける。
呪文を唱えると従兄弟のなかに吸収され、血が消えた従兄弟の顔はセウルと同じ顔になっていた。
最後に思いっきり従兄弟の腹を殴り、気絶させる。
「僕の代わりに騎士に捕まるといいよ。そのまま処刑されろ。僕はね、僕を殴って笑っていたお前を忘れた時はないよ」
セウルの母は病気で亡くなった。
その頃のセウルは、異母兄や異母姉、遊びに来る従兄弟たちから一方的な暴力に耐える日々をおくっていた。
抵抗すれば侯爵夫人は病気の母の薬を止めてしまうから、セウルは逆らうことができなかった。
そんな毎日に、とうとうセウルは高熱で倒れた。体が限界だったのだ。
数日後、セウルが目覚めた時には、屋敷の離れで寝たきりになっていた母は死亡していた。薬も貰えず水すら与えられず、たった一人で。
「いつか僕が復讐してやろうと思っていたけれども、王家に処刑される方がプライドの高い侯爵には屈辱的だよね」
セウルが広い庭園の暗闇に潜んだタイミングで、騎士たちがドドッと突入して来た。
悲鳴。
怒声。
何かが壊れる音。
気配探知でセウルは、騎士たちの包囲網の隙のある場所を探り壁を越えて闇夜に身を紛れさせ姿を隠した。
「侯爵一家、捕縛っ!」
背後で騎士の怒鳴り声が響いたが、もうセウルは振り返ることもしなかった。
セウルは、家族も知らない侯爵本人だけが知っている隠れ家に闇を伝いこっそりと入った。以前、父親を尾行したのだ。
扉を閉めて、ようやくホッと息をつく。
「あぶなかった。紙一重で気がついて助かった」
ずるずると座り込む。緊張の糸が切れたのだ。
「しばらくリリィシアに会えないな……。まず情報を集めて安全を確認しないと。大事なリリィシアを巻き込むことは避けないと」
そのまま疲れて眠ったセウルは、翌日、侯爵一家が処刑されたことを知った。
「ふーん、問答無用って感じだな。まあ、悪い噂がちらほら散らばる王太子だし、後ろめたいことがあるんだろうな」
侯爵家の処刑にともない貴族たちの動揺を警戒した王太子による王都警備の増強で、セウルは隠れ家からほとんど出ることができなかった。
その間にリリィシアが父親の命令で王宮へ働きに出され、
「しまった。王宮では僕も無理だ。リリィシアが王宮からさがるまで待つしかない……」
と後悔したセウルだが時間を無駄にはしなかった。
隠れ家には父親の隠し財産がたんまりとあり、それを使って新しい身分証をふたり分用意したり着々と王都を抜け出す準備をしつつ、毎日、雪月花へと通った。
必ずリリィシアが雪月花へ来る、と信じて。
「リリィシア、王宮で苛められていないかな」
心配で、不安で、王宮門の前も通行人を装い毎日歩いた。
「リリィシア、泣いていないかな。ああ、僕が生きていることを教える術があれば」
リリィシアの安全のために連絡しなかったことが裏目となってしまいセウルは、自分の思慮の足りなさに歯噛みした。
「リリィシア、今すぐに慰めてあげたいのに王宮では……」
こんなセウルがリリィシアの家族に何もしないはずもなく。
「ぎゃーーーーっ!!」
「イヤーーーーッ!!」
働き者のセウルは、朝昼晩と風魔法で虫の大軍をリリィシアの屋敷と商人の父親の店に送り込んだのである。
たちまち父親の店の評判は奈落の底に落ち、経営は傾いた。屋敷でも大量の虫にくつろぐこともできない。
ある意味セウルはイヤガラセの名手といえた。
そして。
セウルは幽けい息のリリィシアを雪月花の下で見つけた。
「リリィシア!!」
つんのめるように駆け寄り。
もろいガラスのようなリリィシアを抱き上げ。
真っ青になってリリィシアに魔力を息とともに吹きこむ。唇と唇をあわせ濃厚な魔力をリリィシアに補充する。
「リリィシア! リリィシア!」
言葉はそれしか知らないみたいにリリィシアの名前だけを怯えた声で繰り返す。
「……セウル、これは夢……?」
セウルの膨大な魔力を流し入れ、ようやくリリィシアが瞳を開けた時セウルの涙腺は崩壊した。
存在を確かめるように強く強くリリィシアを抱きしめ、セウルはむせび泣く。
あたたかい、お互いの温かさが嬉しくて嬉しくて。
リリィシアの首に背中に腕をまわして離すまいとかき抱いたセウルの震えは、長く止まらなかった。
ぽつり、ぽつり、とセウルはこれまでのことを話し。
リリィシアも泣きながら、今日までのことを話して。
ふたりは笑いながら泣き、泣いては笑い、また泣いて。
ぎゅうぎゅうとくっついて抱き合って。
全身で訴える、好き、大好き、あなたは大切な人、と。
そうしてセウルはリリィシアを腕の中に優しく抱き上げた。
「王国から離れよう」
ふたりは雪月花に別れの礼として頭をそろって下げた。
ふたりをずっと見守っていてくれた雪月花に。
雪月花は、旅路を祈願するように、手を振るようにはらはら白い花弁を散らした。
まるで雪月花が本当に加護してくれたかの如くセウルとリリィシアの旅は順調だった。
やがて、白が祝いの色とされ雪月花が祝福の木とされる平和な国にたどり着き、その国でセウルとリリィシアは生涯愛し愛され幸福に暮らした。
セウルとリリィシアの結婚式の日に、神殿の雪月花が花弁をリリィシアに降らした。
同じ時刻、王国の雪月花も。
谷間で咲く雪月花も。
山中で咲く雪月花も。
全ての雪月花が花弁を舞い散らした。
白い雪のように。
白い月のように。
白い花弁を、いつまでも。
読んでいただき、ありがとうございました。




