前編
死の表現のある悲恋です。
苦手な方はご注意下さい。
前編はそのまま同じです。
申し訳ありませんが後編を加えました。
雪月花という、雪のように降り月のように儚い花がある。
とても美しい樹木の花であるが、天から垂れるように咲く一面の花は、その色により王国では忌避されていた。
あらゆる点において真っ白な、純白の木であり花であるのだ。
白は王国では喪の色であった。
故に雪月花はどれほど美しく咲き誇っても避けられ、人々から嫌われた。
しかしリリィシアは、王国では山野に細々と自生するだけの雪月花が、自分の住む王都近くの森に咲いていることを幸運に思っていた。
不吉の花と人々が近寄らないから、リリィシアは雪月花の下で声を出していつも泣くことができた。森には獣がいて危険であったが、リリィシアが泣くことのできる場所は雪月花以外なかったのだ。
リリィシアは王国有数の豪商の一人娘であった。11歳までは。
11歳の時、リリィシアに弟が生まれた。
待望の跡取り息子の誕生に両親は歓喜した。それまでは蝶よ花よと大事に育てられていたリリィシアであったが、両親は弟だけに愛情を注ぐようになりリリィシアには無関心になった。
まだ子どもであったリリィシアは両親にすがって泣いたが、リリィシアの泣き声に赤子の弟が反応して泣き出し、激怒した父親から暴力を受けてリリィシアの右耳は聴力を失った。以来リリィシアは恐れから家で泣くことができなくなった。
両親も使用人も全てが弟中心となった家にリリィシアの居場所はなく、ふらふらと彷徨い歩いたリリィシアが雪月花を見つけられたのは本当に運が良かったと言うしかなかった。
視界一杯の花だった。
雲のように。
波のように。
花房が風に揺れて花弁を散らす。散る花を雪に例えるならば、それは吹雪のように。
無数の太い枝は天へと伸び、細い枝はみっしりと重たいほどに花をつけて枝垂れ弧を描いて流れ落ち、根茎は大地を鷲掴みにして樹齢を重ねて地に張り巡らされていた。
花が吐き出す吐息は風さえも仄かに甘くして、それ故か獣も近寄らず、もちろん人間も来ず、まるでそこだけ森から切り取られた如く垂れる花の閉じた空間をつくっていた。
鬱蒼とした濃密な木々が雪月花の美しさを守るためか隠すためか、白い白い樹木なのにまったく目立たず森に埋没して、ひとりぼっちのリリィシアの秘密の逃げ場所として雪月花はぴったりだったのだ。
家では朝と夕に質素な食事が与えられるだけで、誰もが競うように弟を愛する様子を見るのが辛くて。子どものリリィシアは、悪い大人の目と餓えた獣の目を用心深く避けて、雪月花の下で泣いて泣いて自分を慰めた。
そうしてリリィシアは14歳の時、没落寸前の男爵家の嫡子と婚約をした。
父親が貴族との繋がりのために、商売の道具としてリリィシアを使ったにすぎない婚約だと理解をしていたが、リリィシアは嬉しかった。
婚約者は金のための婚約と平民のリリィシアを見下していたが、それでも婚約者の役目とリリィシアを虐げることはなかったからだ。
義務としての茶会であったとしても、誰かと一緒に飲むお茶は美味しくて、リリィシアは婚約者に一生懸命に尽くして愛を捧げた。小さな希望だったのだ。いつか冷たい家から脱け出せるかも、と。
しかし15歳の時。
「悪いね、リリィシア。君よりも持参金の多い新しい婚約者ができたんだ」
とあっさり婚約を破棄されてしまったのである。
父親は怒り狂った。
「おまえに魅力がないから捨てられるのだ! この役立たずがっ!!」
と殴りつけられてリリィシアは床に転がった。一抹の憐れみもなく怒りだけが壁や天井に反響するなか、飛べないまま凍った冬の小鳥のようにリリィシアは誰にも助けてもらうことができずに父親に蹴られる。
痛い。
お父さん、痛い。
やめて。
お父さん、やめて。
声を出すと父親の加虐に火をつけるため、リリィシアは呼吸音をヒューヒュー漏らしながら耐えるしかなかった。無力で、抵抗もできなくて。リリィシアは苦痛に泣くことすら許されず、声を出さぬために両手で口を押さえ続けた。
翌日。
リリィシアはよろよろと森へ入った。
身体中が痛み熱も高かったが、看病をしてくれる者もいない家にいるよりも雪月花の元で泣きたかったのだ。
だが、その日は雪月花に人がいた。
うつむいていて顔は見えないが、少年だった。
「あっ……」
同時にリリィシアと少年はお互いを見た。
15歳のリリィシアと16歳のセウルの、出会いであった。
セウルは医師の卵だった。
ぺこり、とお辞儀をして雪月花から去ろうとしたリリィシアをやや強引に引き止め。医学の勉強中なんだ、と言いながら傷だらけのリリィシアに痛み止めを飲ませてくれて傷口に化膿止めを丁寧に塗ってくれた。
貴族が纏う金糸銀糸の綾錦の衣装ではないけれども、仕立ての良い服を着て仕草も上品で平民には見えなかった。
優しい人柄で穏やかな雰囲気で明晰な頭脳で、聞き上手なセウルはあやすようにリリィシアから事情を聞き出すと眉をしかめた。
「頑張ったね、凄く頑張ったね」
セウルの言葉にリリィシアは声をたてて泣いた。
セウルはリリィシアを抱きしめ背中をぽんぽんと撫でる。初対面であるセウルの抱擁にリリィシアは少女らしく恥じらいと剥き出しの警戒心を覚えていたが、それ以上に磨り減っていた心は人の温かさに安心を感じて離れることはできなかった。
「ねぇ、婚約者の義務としての役目を果たしてはいたけれども、彼はリリィシアを愛してくれてはいなかったんでしょう?」
ぎこちなくリリィシアは頷く。
「だったら、リリィシアはリリィシアを大事にしてくれない、愛してもくれない婚約者を失っただけで。反対にその婚約者は、彼を大事にしてくれる愛してくれるリリィシアを失ってしまったんだ。どちらの損失が大きいか、ねぇ、わかるかい?」
そんなことを考えたこともないリリィシアは、びっくりして目を見開いた。視線と視線が近い。リリィシアはセウルの腕の中にいるのだから。
「人生、切れて良い縁ってあると思うんだ。リリィシアの場合その婚約者とか、家族とか……」
ためらいがちにセウルは言葉を綴る。
「僕、リリィシアの家族と似た家族を知っている。その家族は、魅了持ちの子どもが生まれて……最後は酷いことになった。だぶん、リリィシアの弟も魅了持ちだ」
「僕ね、魔力視のギフトがあるんだ。リリィシアには僅かに魅了の魔法の残滓が絡みついている」
この世界は魔法のある世界だ。
全ての生き物には魔力があるが、魔法を使えるほどの魔力量を所有するものは少ない。
人間ならば、平民は魔力量が少なくほぼ魔法は使えない。反対に貴族は魔力量が多く魔法を自在に操り、その力により王国を絶対的に支配していた。
そしてギフトは、千人にひとりの割合で現れる特別な魔法であった。個人魔法とも呼ばれ、その魔法を持っているのは世界にただひとりの魔法だった。ただしセウルのように役に立つ魔法から、壁にシミをつけられるだけの魔法のように役に立たない魔法まで幅広く種類があった。
「リリィシアは平民にしては魔力量が多いから、魅了に抵抗できているんだと思う。それに、ギフト持ちだよね?」
ギフト持ちは、特に貴族ほど自分のギフトを隠す。切り札となるものだからだ。
「ダメよ、セウル。大事なギフトなのに私に教えるなんて」
「うん。だから内緒にしてね。僕のギフトを知っているのは、亡くなった母だけなんだ」
「なおさら大事なものじゃない!」
「リリィシアなら大丈夫かな? って。リリィシアを見た時から、なんか目を離せなくなって。リリィシアの話を聞いて、なんて頑張っている子なんだと思って。ねぇ、もしかして僕、リリィシアに一目惚れしたのかな?」
ぼふん、とリリィシアは真っ赤になってセウルの腕から逃れた。撫でられていた背中からセウルの体温が消える。
「わ、私は失恋したばかりで、それに、それに、あ、貴方のこと何も知らないし……」
「うん、僕のことを知って? リリィシアのことを色々聞いたから、今度は僕のことを聞いてくれる?」
セウルは侯爵家の次男だった。
母親は侯爵の愛人で、セウルを身籠った時、侯爵の正妻も同じく妊娠したことが不幸の始まりであった。
セウルの産まれた日に、正妻腹の異母兄弟は息をせず産まれた。
深く嘆いた正妻のために侯爵は、愛人からセウルを取り上げ表向きは侯爵家の次男として正妻にセウルを与えたのである。
赤子の頃は亡くした子どもの代わりにセウルを可愛がっていた正妻であったが、セウルが成長するにつれ自分に似ず侯爵に似ず、産みの母である愛人に似たセウルを嫌悪するようになった。正妻にとってセウルは可愛いお人形にすぎず、いわば赤ちゃんペットは愛らしいが大きくなったペットは思っていたのとは違う、という身勝手な考え方であった。
侯爵家には正妻腹の長男と長女がいて、セウルは冷遇されて育った。愛人である母親がセウルを引き取ろうとしたが、侯爵家の正式な次男となっていたため叶うことなく失意のまま母親は亡くなってしまったのだった。
「……侯爵家……」
思わず一歩さがったリリィシアに、
「名前だけだよ。護衛も侍従もなく外出する侯爵家の次男なんて、僕くらいだよ。リリィシアの家も酷いけど僕の家も凄いから、冷遇が」
とセウルがあわてて二歩近付きリリィシアの手を掴まえる。ぎゅっ、と握られた手から伝わる温かさは先ほど背中を撫でてくれた温もりと同じもので、人恋しいリリィシアに強い安心感を与えた。
そして、家で辛く悲しい立場にいる二人が、お互いに惹かれ手を取り合うようになるのも時間のかからないことであった。
人目を忍ぶリリィシアとセウルが約束の場所とするのは、いつも雪月花で、
「ねぇ、知っている? 雪月花は秘密の恋人の木って言われているんだよ」
リリィシアとセウルには身分差がある。どちらの家に知られても最悪の結果しか想像できない。特に、セウルの異母姉の婚約が目前で侯爵家ではトラブルを慎重に避けていた。故にリリィシアとセウルは、二人の恋を細心の注意で隠した。
「逢い引きする恋人たちには守護の木って呼ばれているんだよ」
と微笑んでセウルはリリィシアの華奢な指に触れる。
大きめの薄い上着はぶかぶかで、袖口からのぞく指はあどけない。11歳までは、サイズのあったフリルやレースのたっぷりの服がクローゼットいっぱいに並んでいたリリィシアであったが、今は長く着れる大きめの服が数枚あるだけだ。婚約していた時には体面のためにドレスを買ってもらえていたが、それは取り上げられた。
もろい蝶の翅を摘まむみたいに、やわらかくセウルはリリィシアの指に指を絡める。幸せそうに、嬉しそうに。
「どこかで。僕たちの雪月花以外のどこかの雪月花で、山か谷間か、違う森かで僕たちのように密かに恋人たちが愛を囁いているんだろうね。今、リリィシアの髪に花弁を落としたように、遠い雪月花も誰かの髪に花弁を落として、同じ時刻同じ白い花弁で。ちょっとロマンチックな木だよね、雪月花は」
「私はセウルの方がロマンチストだと思うわ」
「僕が?」
「セウルが」
「そうかな? だって雪月花は、上も下も綺麗だろ。見上げれば空を透かして見ることもできない爛漫の花で、地面は散り落ちた花弁が敷き詰められて純白で。うつむきたい時は雪月花がいいよね。下を向いても、美しいものでいっぱいだから」
「ほら、そういうところ」
「うーん、まぁ、リリィシアが言うのなら。それより菜の花を明日、見に行こうよ。森で群生しているんだ。獣よけを持ってさ」
「行くわ、楽しみ!」
そこは蝶の楽園だった。
森の木々がぽっかりとない広い空間に一面の菜の花が咲き、色鮮やかな蝶たちが陽の光を受けてきらきらと飛んでいた。
赤い蝶はルビーのように。
青い蝶はサファイアのように。
緑の蝶はエメラルドのように。
キラキラと宝石の舞を星の軌道みたいに風の中で巡らせ、花から花へと飛んでいく。
そこへ強い花散らしの風が菜の花の花弁を巻き上げ、まるで羽化したばかりの湿った翅の黄蝶のようにひらひらと加わる。
「セウル、すてき! とっても素敵!」
うっとりと蝶たちを見つめるリリィシアを、セウルは熱の籠った目で見つめる。ひらり、と風に運ばれた黄色い花弁がリリィシアの細い項を音もなく流れ、セウルを釘付けにした。
「リリィシア、好きだよ。僕と家を出て、ううん、一緒に国を捨てて遠くに行かないか?」
このまま家にいても、お互いに未来のないことは理解していた。
リリィシアは再び商売の道具として父親に利用されるだろうし、セウルはもはや利用価値なしと処分される可能性が高かった。セウルのギフトを明らかにすれば生き延びられるだろうが、それは自ら自由のない檻の中へ入ることを意味した。
「嬉しい。嬉しい。もちろん連れていって。セウルと一緒ならどんな苦労だってするわ」
セウルの開かれた腕の中へリリィシアは飛びこみ、しがみつくようにセウルの服を掴む。
「異母姉と王太子殿下との婚約が決まりそうなんだ。国王陛下が隣国から帰られたら発表予定で、今それで屋敷は色々慌ただしくて。こっそり家を出ても僕のことなんか数日は気がつかない、と思うんだ」
「チャンスね。私も家では放置されているから。こんな時、無関心な家族は有り難いわね」
「じゃあ、じゃあ、荷物をまとめて5日後! 5日後は花祭りの日だから、人の出入りも多くて絶好の機会だから!」
まだ15歳と16歳だ。
それでもリリィシアとセウルは幸せになるための覚悟を決めた。
「セウル、医学書を貸して? 私も勉強するわ。セウルの手助けを少しでもできるようになりたいの」
「うん。これは入門書みたいに人体について書いていてわかりやすいよ。それとリリィシア、自分のギフトを使う時は気をつけてね」
「わかっている。父親は能なしギフトと言ったけど、まさかあんな使い方があるなんて。セウルに教わるまで知らなかった。でも、いざとなればギフトを使ってでも逃げて家から出るわ」
「リリィシアは平民にしては魔力量が多いだけで、僕から見たら少ない。ギフトは魔力を使う。魔力が無くなれば、命を使うことになる」
心配なんだ、とセウルの声が震える。
花散らしの風が菜の花の上を渡り、近くの木々の葉を緑の炎のように揺らした。
リリィシアとセウルに、5日後は来なかった。
蝶の楽園でした約束は守られなかった。
楽園ですごした日の翌日、セウルは処刑されたのだ。
入り乱れる複雑な理由はあるが端的に言うならば、侯爵家は政争に負けた、それだけである。
国王が親善のため隣国へ出国している間の出来事だった。
王太子は、恋人の男爵令嬢を正妃にするために侯爵家が邪魔で。
侯爵家の政敵は、男爵令嬢を養女にすることで王太子に取り入り。
たった一夜で侯爵家の全員を裁判もなく、国王から預かった王印で王命として処刑したのである。
帰ってきた国王は激怒したが、時間は戻らない。唯一の息子である王太子のため、王家の面目を保つため、侯爵家に罪があったと国王は公式に認めたのであった。
王都の広場では、切り落とされた首が晒されたままになっていた。侯爵も夫人も異母兄も異母姉も、セウルも、罪人として。
リリィシアは、呼吸を止めて閉じられたセウルの口に自分の温かい息を吹き込みたかった。
いつもセウルがしてくれていたみたいに、今度はリリィシアがセウルを抱きしめ背中を撫でてあげたかった。
ゆっくりと。
リリィシアがセウルへと手を伸ばしかけた時。
『リリィシアが心配なんだ』
セウルの声をした風が耳元をふわりと吹き抜けた。
ぐっ、とリリィシアは太陽を求める花のように顔を上げた。胸の前で組んだ両手の中に魔力をこめる。
セウルの髪が毛先から3センチ、リリィシアの手の中に誰にも気付かれずに現れる。そのままリリィシアは広場を埋める群衆から離れ、ひとり、森へと入った。
雨が近いのか、水分を混ぜこんだ空気は湿度が高く水の香りをトロリと溶かしていた。薄暗く厚い雲が風とともに集まってきて、青かった空を黒く濁らしていく。
リリィシアは、雪月花の根元にセウルの髪を埋葬した。自分の髪も3センチいっしょに。
リリィシアのギフトは、視界内にある3センチ以内のものを30センチ瞬間移動させる能力だ。
父親は劣った能なしと判断したが、セウルは危険すぎる能力と言った。
セウルは聡明で。
セウルは優しくて。
セウルは温かくて。
セウルはリリィシアを愛してくれて。
セウルはリリィシアを大事にしてくれて。
セウルはーーーーもう、いない。
森には小さな池があって。あまりの透明度に乗ったボードが浮かんでいるようだった。
二人でベリーを摘んで。赤いベリー、紫のベリー、黒いベリー、甘くて少し酸っぱくて。
器用なセウルは花冠をつくるのも上手で。私のつくった花冠は斜めってぼろぼろだったけど、セウルは嬉しいと自分の頭に飾ってくれた。
天からの滴のように白い花が咲きこぼれる雪月花の下で。
リリィシアは白い幹に抱きついて、泣いて泣いて泣いて泣き続けた。
いつの間にか雨が降り出していたが、幾重にも重なった枝と花がリリィシアを守ってくれた。神の御手の業の如き美しい天衣のような花の御簾の中では、雨の音も風の音もリリィシアを怯えさせることなく、純白の空間にリリィシアの泣き声だけが響いた。
帰宅すると父親が待っていて、消えてしまいそうなほど弱々しい青白い幽霊みたいなリリィシアに命令した。
「王宮に侍女として奉公に行け。奥付きになれるように手配をしてあるから、よく働くように」
いきなりのことに驚愕したが、父親に逆らうよりもリリィシア自身、王宮へ行ってみたかった。セウルを殺した王家も貴族も、リリィシアは憎かったのだ。
蝶の楽園から5日後、本当ならばセウルと王都を脱出していた日にリリィシアは王宮へあがった。
王宮でリリィシアは、労をいとわず真面目に仕事をした。
王宮の奥近くの廊下を主に掃除する侍女として、時々、国王や王太子や貴族たちを遠目に見ながら。
そしてその頃から、王族や貴族たちに腹痛をうったえる者が多数出るようになった。脂汗に濡れるほどの腹痛で、激痛でのたうち回りもがき苦しむ症状に医師は、結石と診断した。
体内の臓器内に豆粒ぐらいの固形物が生じている、と。
セウルは、
「もしリリィシアのギフトで、小石を心臓や脳内に瞬間移動させたら? リリィシアのギフトは相手を体内から破壊できるギフトなんだよ」
とリリィシアにその危険性を教えてくれた。
だからリリィシアは。
王族や貴族たちが身につけている宝石のなかで、3センチ以内の円形または楕円形の宝石を相手の臓器に瞬間移動させた。心臓や脳ではなく。相手に死をもたらすのではなく、痛みと苦しみを与えるために。セウルの医学書から知識を得て。
魔法はあっても医療水準としては、手術などはない。
王族も貴族も身をよじらせ苦悶したが治療法がなく、無実の侯爵一家を処刑した祟りと王宮でひそひそと囁かれるようになった頃、リリィシアに手紙が届いた。
父親からで、リリィシアは王宮で大臣を務める伯爵の愛人になることが決まったから早急に家に戻るように、と記されてあった。
父親は王宮の奥付きになれるように手配をした、と。つまり自分は、品評会に出荷される家畜みたいに王宮へ出荷され、その伯爵に高値をつけられたのだ、と理解した時リリィシアのなかに残っていた細い細い最後の糸がプツンと切れた。
雪月花の下でうつむいていたセウル。
自分だけではなく、産まれるかもしれない子どもまで不幸になる? セウルのように。
それは、それだけは許せなかった。
リリィシアは、すぐさま王宮を辞職する準備をした。
叶う限り王族や貴族たちから体内の宝石を取り除き。その後、父親が手続きをしてあったのですんなりと王宮の門から出てーーーーリリィシアは行方不明となった。
リリィシアは。
憎むことによって生きようと思った。
きっとセウルは復讐など望まないだろうけれども、憎むことによって生きようと頑張ったのだ。しかし、憎しみよりもセウルのいない寂しさの方が強かった。
生きれる明日を探したが、その明日にはセウルがいないことが寂しくて。
だから、もう復讐はやめた。寂しくて寂しくて、もう憎むことも恨むこともできなくなっていたのだ。
それにギフトを使いすぎて命は擦りきれる寸前であった。
命の終わりにリリィシアは、雪月花の下で朽ちて土となって、セウルの髪と溶け合って1つになることを願った。
枯れ葉の踏む音が鳥の羽ばたきの音のような森の道を歩き。
雪月花の、星ない空のような、風のない大気のような、純白だけの世界へ。
はらり。
白い花房が、垂れる花枝が、雪の結晶みたいに柔らかな花弁が、花散らしの風に星散らしの風にはらはら揺らされる。
はらり、はらり。
雪月花が、真っ白な花弁をリリィシアへ途切れることなく、夢の続きを見る涙の如く降らした。
横たわるリリィシアの髪に。
色を失ったリリィシアの唇に。
頬に、耳に、首に、肩に、腕に、胸に、腹に。
リリィシアの瞳に映るものは、雪のように白く月のように儚い花だけ。
ひとひらの花弁がリリィシアの冷たくなっていく指先に重なる。まるでセウルの指のように優しく。
『同じ時刻同じ白い花弁で、どこかの遠い場所の雪月花が』
セウルの言葉が脳裏に浮かんだ。
リリィシアは、静かに祈りを呟いて瞳を閉じた。
どうか。
会ったこともなく、これからも出会うこともない見知らぬ貴方。今、遠いどこかの雪月花の下にいる貴方はどうかどうか幸せになれますように。
読んでいただき、ありがとうございました。