第8話:あなたの舌は
フェリスとエドワードが初々しいやり取りをしていた頃――
ロゼッタとアルバートは、差し向えでディナーを共にしていた。
次期女王と目されるロゼッタは、絶世の美女である。
砂金のように煌めく髪。ツンと小高い鼻の、くっきりとした輪郭。弧を描く眉は凛々しい印象を与え、その下にある瞳はアイスブルーに輝いている。桜を溶かしたように可憐な唇は、世の男を魅了してやまない艶があった。
一方のアルバートは、執事と言うよりも軍人といったいでたちの醜男であった。
ずんぐりとした印象の顔。潰れたように見える団子鼻。張り出した額。
二メートル近い長身の体格は、横にも広い。燕尾服がはち切れそうなほどの筋肉の盛り上がりだった。このあたりでは珍しい黒目黒髪であり、おまけに眼光が鋭く、身にまとう覇気はどう取り繕おうとも一般人には見えない。
美女と野獣。
王女と執事。黄金と漆黒。
外見も身分も、対照的な二人であった。
「ちょっとだけ長い付き合いだけど、こうしてディナーを二人きりってのは初めてね」
「そうだな」
ロゼッタ姫を相手に、タメ口でうなずくアルバート。
彼が敬語を使うのはエドワードが相手の時、それも人の目がある時だけだ。
ぞんざいな口ぶりを、ロゼッタも気にしていない。何故なら彼は、フェリスやエドワードと同じく“お友達”だからだ。
雑談を交わしながら、二人は一流料理店のコース料理を口にしていく。
双方とも、完璧なマナーだった。特にアルバートの方は、ひぐまのような体格にも関わらずフォークもスプーンもナイフも器用に使い、音を立てない。
よほど本格的に礼儀作法を躾けられていなければ、こうまで綺麗なしぐさにはならないだろう動きだ。
「フェリスとは、どういう関係なんだ?」
「何が?」
アルバートが不意に問いかけ、ロゼッタが問いの意図を聞き返した。
「俺とエドワード様は主従関係だ。主の護衛もせねばならぬし、付いていくべき理由がある。ロゼッタの方はどうなんだ。ただの友達にしては深入りしすぎだろう」
「アホどもからの悪意ある風評を防ぐため――じゃ納得できない?」
「今回の誘いはそれでいいとして、日常もかなりの時間べったりだろう。いささか解せん」
「嫉妬?」
「それもある。俺といるより楽しそうにしてるしな」
「痴れ者」
ロゼッタが素早く自分の前髪を一本引き抜き、ちょっぴりの魔力を込めて子猫にすると、手首のスナップを利かせてアルバートに投げつけた。丁寧に説明すると長い時間のようだが、髪を引き抜いてから猫を投げるまでコンマ五秒を切っている。人間の反射神経の限界に迫るスピードだ。
「ふ」
「ふにゃんっ」
アルバートが口端を笑う形にゆがめ、こともなげに手を広げると、その手のひらの中にロゼッタが投げつけた猫がすっぽりと収まっていた。空中でつかみ取ったのだ。
「手品師め……!」
悔しがるロゼッタ。
ちなみに、カフェテリアでも同じ芸当を見せられている。
これまでロゼッタは数えきれないほどアルバートに猫を投げつけたが、まともに狙い通り当てられたのは初対面の一回と事故で裸を見られた時の一回だけだ。
「その気になれば矢も掴むことができるぞ」
アルバートの台詞を真に受けて、ロゼッタはアイスブルーの瞳を輝かせた。
「おおお、凄い。見たい。今度見せて」
「構わんが、質問の答えがまだだ」
「ちぇっ。誤魔化されてくれないか」
「にゃーん」
アルバートの手の中で、小さな三毛猫が気持ちよさそうに鳴いている。
「秘密があるっていうなら、貴方とエドの関係だってそうでしょ」
「はて。何のことやら」
エドワードが影武者であることは、当人のエドワード以外は真の王子であるアルバートしか知らないことだ。少なくともこの国ではそうだ。
内心の動揺を隠しつつ、アルバートはなるべく自然に見える仕草で首をすくめた。
「そうねえ。何のことやら?」
サファイアのごとき綺麗な瞳が、全てを見透かすかのように蒼く輝いている。
「…………」
対するアルバートは、無言でポーカーフェイスを作った。
本能の赴くがまま行き当たりばったりで生きているように見えて、存外にロゼッタは鋭い。
それは学園の人間関係にも表れていた。下心がある者は適当にあしらいつつ、本物の忠誠心を持つ者や打算がない者を見極め、仲間に引き入れている。
二十歳もならぬ小娘にはなかなかできない芸当だ。
「その話、口外は?」
「するわけないじゃない。誰にも言わないわ。お友達の秘密だもの」
「助かる」
軽く頭を下げるアルバート。事実上の白旗だった。
「ただこの先、エドとフェリスが“深い仲”になるのに隠し通そうていうならフェリスにはバラすわよ。身分詐称が原因で婚約破棄なんてシャレにならないし」
「ああ。それはもちろんのことだ」
「そういうわけで、私とフェリスの関係も詮索無用。いいかしら?」
分かったと、そう答えようとして、アルバートの脳裏に雷光が走った。
『私とフェリスの関係“も”』
つまり、そういうことなのか?
自分とエドワードが身分を偽っているように、フェリスとロゼッタも身分を偽っているということか?
そしておそらく、フェリス本人はそのことを知らない。彼女は身分を偽ってボロを出さないような器用な性格ではない。
例えば、フェリスが王女で、ロゼッタが侍女だとか。そう考えれば、フェリスの傍に着かず離れずで守ろうとするロゼッタの行動にもつじつまが合うし、女王がブリシュタット魔法学園に通えるだけの奨学金を出している理由も納得できる。
(くだらん考えだな……)
脳裏に浮かんだ推測を、アルバートは打ち消した。
友達から詮索無用と言われたのだ。交換条件に、自分とエドのことも詮索しないとも。
それを破れば、この得難い友の信頼を失ってしまう。
「フェリスの料理は、本当に不味いのか?」
強引すぎるほど強引に変えた話題に、くすりと笑ってロゼッタも乗った。
「人間が食べられる辛さじゃないわ」
大仰に肩をすくめた。
「黒々とした赤色のフェリスのシチュー。忘れられない辛さだったわ。一口目は甘く爽やかだと思ったて油断してたら、舌全体が燃えるみたいな痛みが広がって、ぷちぷちぷちっと口の奥の粘膜から音がしたかと思いきや、むせるむせる。辛さが呼吸に乗って肺まで達して鼻水が出るわ涙が出るわで死ぬかと思ったわ本当に。人前であそこまでの醜態をさらしたのは何年かぶりよ」
心底から辟易したという口ぶりで、ロゼッタが苦笑した。
あれは、王女として振舞う女にあるまじき失態だった。
「ふむ……。ならばなぜ、エドワード様はそれを美味いとおっしゃるのだろう?」
「超のつく辛党だからじゃないの?」
「いや、それはない。エドワード様の味の好みは俺とさほど変わらん。フェリスの料理の味わいは繊細で奥深く、語彙力がどれだけあってもその素晴らしさを語りつくせんそうな」
「何それ。エドには悪いけどわけわかんない」
「だろう? だが、あの方は嘘をついていない。つかれるような性格でもない。でなければ残らず平らげられるはずもないし、毎度毎度、美味そうに食うなんて演技をするメリットがない」
「回りくどいわね、何が言いたいの?」
「もう少し話に付き合ってくれ。……そこで俺は、エドワード様が真実を言っているという前提であれこれ考えてみたわけだ。フェリスは言ってなかったか? “自分が無意識に発動してしまう魔法で”激辛になると」
「あー。確かにそういうことを言ってたような、ちょっと違う言葉だった気もするけど」
「そこでだ。ここからが本題だ。エドワード様は特異体質でな。こと魔力への耐性に対しては人一倍高い。身体の内側から攻撃するような魔法ならばほとんど一瞬で中和してしまう」
その特異体質は、影武者として生きるのに最適の能力だった。
激辛魔法の矛を無効化する、魔法耐性の盾。
『あらゆる料理が激辛になる』というのが魔法のせいならば、その魔法を解除した後に残るのは『料理本来の味』になるのが道理だ。
「え。どゆこと。つまり――」
自分を鼻水と涙まみれにしたどどめ色のシチューの記憶を脳裏に浮かべ、ロゼッタは信じられないという顔でつぶやいた。
「フェリスの料理は、実は美味しい……?」
「神の味だそうだ。誇張ではなくこの店の料理のフルコースが霞むほどの」
えええ、と、ロゼッタはぶんぶんと激しく首を振った。
「ないわよ、ないない。絶対ない。超がつくような一流どころよここ。女王陛下だってふた月に一回くらい来るくらいの絶品だもの。あのとてもじゃないけど食べられないフェリスの料理と比較するのもおかしいわ」
「エドワード様の舌は、俺より肥えているぞ。何しろ小国なりとはいえ身分は王子だ。加えて言えば、あの方はかなり味には厳しいし、不味いものを喜んで二度も食うような人でもない」
「…………」
半信半疑で押し黙るロゼッタ。
「知りたくないか? 俺は知りたい。激辛の魔法でマスキングされていない、フェリスの料理の本当の味を」
「興味があるわ。けど、どうやって?」
「都合のいいことに、ここに魔力の発動を阻害するタイプの魔法石がある。一つを砕けばだいたい一時間の間、半径十メートルの人間は魔法が使えなくなる。無意識に発動させているものも含めてだ」
「へえ……便利ね」
にやりと、ロゼッタが笑った。
「このレストランのオーナーシェフは女王陛下、いえ、お母様と懇意にしている方だから、私が頼めば厨房を貸してもらうくらいわけないわ。食材もね」
「いいな。話が早い」
「あとはフェリスが料理する気分かどうかだけだけど。フラれた直後だったら流石に酷だしね」
「その点は問題なかろう。どちらもお似合いだ」
「まったくね」
悪戯をたくらむ子供のように、美女と野獣は含み笑いをするのだった