第7話:どっちが好きか?
一流レストラン『月光の魔法料理店』の料理は、どれもこれも素晴らしいものでした。
盛り付けも鮮やかなサラダ。彩りと葉の形からすると、六種類以上は使われているようです。アクセントに香草があり、野菜のそれぞれに貴重品のスパイスが少量まぶされていました。
次のスープは、シンプルで誤魔化しが難しいコーンポタージュ。具材はトウモロコシに玉ねぎ、牛乳、生クリーム、バター、それに複数の肉を煮込んで取った濃厚な出汁。舌を蕩けさせながら後味の甘みが爽やかに鼻を抜け、出汁の旨味が口いっぱいに広がる……そんな素晴らしい出来でした。
これ以上くどくど書くのは憚られるので省略しますが、付け合わせのパンも、メインの肉料理も、わたくしが普段食べるものとはレベルが違うというか、素材からして異次元の領域。自然と頬が緩みつつも、どうにか再現できないかしらとレシピを頭に浮かべてみたり。
いつかこういう料理を作ってみたいものですが、いつものようにどどめ色の激辛暴君料理が出来てしまうだけでしょうね。はぁ……。
なんて、頬が緩んだかと思った次にはため息をついた私へ向けて、エドワード様がぽつりとおっしゃいました。
「やはり、貴女の料理の方が何倍も美味しい……」
「えええ……流石にそれはないかと」
本気で言ってらっしゃるのは分かるのですが、はて……?
過分な、というか、過分すぎる以前に、ええと、ええと、言葉が出てきませんがとにかく理解しがたいというか……?
わたくしの料理のアレさ加減は、わたくし自身が誰よりも知っている事ですし。
「余人の舌のことは分かりませんが、どうやら私にはフェリス様の料理がことのほか美味しく感じるようです」
「そのようですね」
後から考えたらトテモ=シツレイな態度でしたが、率直にそう思ったのでした。そして思い出しました。エドワード様が初めてわたくしの料理を食べてくださったときにかけた言葉を。
顔から火が出そうなほど恥ずかしくなり、頭を下げるわたくし。
「その節は、変態などと言ってしまい申し訳なく」
「はははは……いえいえ、そう言われても仕方がないくらい、珍しいことなのでしょう」
「はい。生まれて初めてでした。わたくしの料理を残らず平らげてくださったことも、美味しいと言われたことも」
「そのことなのですが、フェリス様」
来た。
エドワード様の顔がしごく真面目なものとなり、いよいよ告白へのお答えが来るのだとわたくしも察しました。
「正直な話、私にはどちらか分からないのです。というのも、貴女のことが好きなのか、それとも貴女の料理のことが好きなのかが判然としない」
「はい……?」
理解力の追いつかないわたくし。てっきり、やんわりと断られるものと思っておりましたので。ちょっぴりだけお付き合いくださるかもなんて妄想も抱きましたが、ともあれエドワード様の答えはイエスかノーかのどちらかだと考えていました。
わたくしが消化不良を起こしていることを察したのでしょう。エドワード様は続けられました。
「貴女の料理のことを考えると貴女の顔が浮かび、貴女の顔が浮かぶと貴女の料理の味を思い出す。ティータイムに振舞っていただいた何種類ものクッキーのサクサクとした食感。かんだ瞬間ににじみ出すバターの濃厚さ。細かく刻んだいちごの酸味。りんごの酸味。ほのかな食塩のアクセント。濃い目に淹れた紅茶の苦みと渾然一体となった後味の素晴らしさ……分かりますか?」
「ええと……」
わたくしの料理は、そんなに美味しいのでしょうか?
あまりの絶賛を聞くうち、何だかとっても食べたくなってきましたが。
「すみません、いまいち理解しかねます。自分で作っておいて残念ですが、食べきったことがございませんので」
「そうですか。勿体ない……。いや、失礼。まとめると、私も好きなのです。ただその好きが、貴女自身に対してなのか、それとも貴女の料理に対してなのかが分からない。こんな中途半端な感情のまま、付き合う資格があるとは思えないのです」
「まあ……。なんとまあ……」
脳裏に浮かんだのは、天秤でした。左側にわたくし、右側にわたくしの料理。天秤がゆらゆらと揺れて、エドワード様はどちらが重いのか測りかねている、そんな状態。
目の前のエドワード様は、真剣にお悩みの様子。眉間にしわがよって、押し黙ってわたくしからの返答を待っていました。
「ふ、ふふふ……ご、ごめんなさい……ふふふふ」
つくづくも、誠実な方だと思った。真面目すぎるくらい真面目に、物事にきちんと筋を付けようとする方。とても波長が合うと言ってしまうのは、王族に対して失礼でしょうか。
「それをおっしゃるのならわたくしだって同じですわ。だって、わたくしの料理を美味しいと言ってくださるのは」
わたくしの料理は、誰にも食べられなかった暴君料理。不味いとさんざん言われてきた人外魔境。食材への冒涜。どう一生懸命作っても、わたくし自身にも食べられないほどなのですから反論しようもなく、悔しくてたまりませんでした。
嘘でもいいから、誰かに美味しいと言って欲しかった。
その“誰か”が、今、わたくしの目の前にいる。
今はまだ、どちらなのかは分からない。
わたくしの料理を食べてくれる人が好きなのか、それともエドワード様だからこそ好きなのか。
それでも、きっぱりと言い切れることがある。
「わたくし、エドワード様と一緒にいるとものすごく楽しいのです。浮かれてしまいます。次はどんな料理を作ろうかしらとか、どんな料理がお口に合うのかしらとか、あれこれレシピを考えながら、エドワード様から美味しいと言ってくださることを期待してうきうきいたします」
『美味しい』
『お代わりはありませんか』
『フェリス様の料理をまた食べたい』
全て、エドワード様だけがかけて下さった言葉だった。友達はおろか、親にすらかけられたことのない言葉だ。
どれもこれも、生まれて初めてだった。
嬉しかった。楽しかった。
食べてくれる人のことを考えながら市場を巡り、人のために素材を選ぶことの張りあいを知った。世の料理人や一家の食をあずかる主婦は、こんな不安と期待が入り混じった気持ちで食材とにらめっこしているのかと思った。
「エドワード様がわたくしの料理を美味しく食べてくださる限り、わたくしは貴方をお慕いするのだと思います。ですから努力いたしますわ。貴方にずっと、美味しいと言っていただけますように。……ご迷惑でなければ、ですけれど」
「迷惑だなんて、とんでもない……!」
エドワード様が立ち上がり、しかし一流料理店にいることを思い出したのでしょう。すぐに座られました。ドアを閉ざした個室の中とはいえ、叫び声を上げればさすがに部屋の外に聞こえてしまいます。
エドワード様が、金髪碧眼のお美しいご尊顔をわたくしに向けております。
頬がかすかに紅潮していました。
「こんな男でよろしければ、こちらこそ付き合っていただきたい。貴女は、フェリス様は私にとって、理想の女性だ」
「い、言い過ぎですわ……」
照れるわたくし。
殿方に理想の女性なんて言われるのももちろん初めてで、まさかそれをおっしゃったのが本物の王子様なんてあまりに出来すぎな話ですわ。
「エドワード様。一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「何でしょう」
「呼び捨てにしていただけますか? わたくしのようなしがない子爵家の娘にはこそばゆいので」
「努力しましょう。それなら、フェリスさ、フェリスも同じく、呼び捨てで。できればエドと略称でお願いします」
そう来ましたか。
そう来ましたか。びっくりしたので二度言いました。えええ、そう来るんですか?
わたくしに一国の王子を呼び捨てにしろと!?
無理ですわ、身分が――と思ってエドワード様の方を見れば、初々しい恋愛初心者の憧憬がありありといった無垢な期待がお顔にありありと。
まぶしい。
無理!
こんな顔でご期待されているのに裏切るなんて、わたくしには無理……!
「お……」
「お?」
「恐れ多いのですが、努力いたしますわ」
こうして――
わたくしたちは、お付き合いすることになりました。