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第5話:いんたーみっしょん2~告白後のエドワード~

 

 ――同時刻、ブリシュタット王立魔法学園の男子寮――


「夜分、恐れ入ります」


 エドワードは、ルームメイトにして執事のアルバートの部屋を訪ねていた。

 アルバートは木目の鮮やかな机を前にして椅子に座り、書類へ万年筆で何か書き込んでいたらしい。縦線と横線の合間に、びっしりと数字が見える。


 それは複式簿記の貸借対照表で、財政状況をつまびらかにするためのものだった。国家経営には必須のツールであるが、扱うには相当の熟練とスキルが要求される。金がいつ入ってきていつ出るのか、売掛金と買掛金は幾らか。債務は幾らで資産は幾らか――逐一把握しておかなければ、予算編成がどんぶり勘定になってしまうし、公金をちょろまかす不届き者がいるかどうかを監視することもできなくなる。


「どうした?」


 アルバートがこちらを向く。魔法で染めた黒髪が、ランプのオレンジ色の光を反射している。丸い団子のような鼻。髪の毛と同じく、黒く太い眉。肌は日焼けして浅黒い。

 刺繍も何も施されていない空色のチュニックが、内側から盛り上がった肉体の筋骨隆々ぶりを引き立たせている。

 とても美形と呼べぬ顔立ちでありながら、見た者を惹きつける不思議な魅力がこの男にはあった。それは容姿を超えた覇気であり、どのような擬態をしようともアルバートの内側からにじみ出る尋常ならざる空気だった。


 アルバート・ド・マルキス・ラターシュ。


 小国ラターシュの本物の王子である。現在の王位継承権は第二位で、上に出来が悪いと評判の兄がいた。

 普段は別な苗字を使い、エドワードに仕える『執事のアルバート』として通している。ブリシュタット魔法学園では、エドワードと同年代の学友という立場でもあった。


「本日の件、殿下もご存知の通りかと思いますが、どうか知恵を貸していただきたく」


 アルバートに対するエドワードの姿勢は、へりくだったものだった。

 卑屈になっているわけではない。彼の蒼色の瞳は真っ直ぐにアルバートに向けられており、金色の髪の下にある美貌には怯えの色や顔色をうかがうような色は全く浮かんでいない。

 ただ、困惑している様子だった。


 複雑な主従関係である。


 日中、他人の目がある時にはアルバートは執事、エドワードは王子として過ごす。二人きり、それも誰にも見られなないと確信している時のみ、エドワードは影武者本来の身分に戻り、真王子であるアルバートに対して臣下の礼をとる。

 政情不安定な小国で、暗殺を防ぐための措置だった。


「知恵……? ああ、そうか」


 留学前の祖国で多くの浮名を馳せたアルバートは、にやりと笑ってエドワードを見た。

 無骨で女性関係には疎いエドワードは、これまで女性と親しく付き合いをしたことはない。ブリシュタット魔法学園に来てからこれまで、十数名の女性からそれとなく告白をされたが、その全てをきっぱりと断っていた。


 しかし、今回は違う。

 誰が見ても明らかなほどに、エドワードはフェリスという子爵家の娘を好いていたし、フェリスの方もエドワードを好いていた。


 一目瞭然のことで、それ以外に解釈するのがおかしいのだ。


 毎日毎日、フェリスが幸せオーラを振りまきながらせっせと手の込んだお菓子を作り、エドワードが実に美味そうに彼以外の誰も食えない激辛お菓子を食べる。

 カフェテリアで交わされる他愛無い会話も付き合いたてのカップルさながらの初々しさで、王族に取り入ってヒエラルキーの上に行こうとする女に辟易としていたアルバートからすれば眩しすぎて直視が難しいくらいだった。


 好きな男のために料理をする女と、好きな女の料理の味付けがこのうえなく舌に合う男。

 どちらも幸せそのもので、学園内では公認のカップルとして噂されていたほどだ。


「すまぬな。失念していた。くだんの相手はお前のことを王子だと思い込んでいるのだったな」


『何十人もの女性の告白を断ってきたエドワード王子と親しく話をし、ついに告白した身分の低い娘』


 それがフェリスへの学内の評判で、公的にはエドワードは“王子”だった。


「構わんさ。どうせ結婚もままならぬ若いうちの逢瀬だ。好きにすればいい。子供を身ごもらせるような迂闊な真似をせん限り、俺は反対するつもりはない。本国の連中はとやかく言うかもしれんが、知った事か」

「止められはしないのですか……」


 エドワードの不安げな問いかけに、アルバートは筋骨隆々とした肩をすくめた。


「別に。貴族や王族の男ならば浮名の一つや二つ、ついて回るのは当然ではないか。しかし長く付き合い続けるのならばいずれ身分を明かさねばなるまい。その点、お前は臨機応変に対処できよう。俺が知っている。身分についてはお前が必要だと思った時に明かせばいい」

「嗚呼……」


 寛大なアルバートの言葉に、何故かエドワードはうめいた。

 うめき、小さく首を振った彼の顔は、苦虫を嚙み潰したような渋面だった。


「どうしたのだ?」

「すみません。情けないことですが、止めて頂ければどれほど楽なことかと、そう思ってしまいました」


 唇を噛みしめ、奥歯をぎりぎりときしませて、エドワードは今にも泣き出しそうな顔だ。


「意味が分からん。付き合うつもりはないのか。ならば断わればいいだけではないか。気分を害さぬような断り方を知らんと言うのなら、俺がいくらでも――」

「ちがいます……!」

「何が違うのだ? お前らしくもないぞ、エド。いつもの聡明さはどこへ行った」

「分からないのです。私は、フェリス様への気持ちが本物なのかどうか分かりません。お断りするにせよ受けるにせよ、こんな状態でどんな言葉を交わせばいいのか皆目見当もつかないのです」


 アルバートはしばし瞠目し、魔法で黒く擬態した瞳でエドワードを見た。


「身分を偽っていることを気にかけて……違うのか。ではなんだ。自分の気持ちが分からないとはどういうことだ? エド。お前も好いている相手だろうに」

「本当にそう見えますか?」

「見ればわかる。俺だけではないぞ。相思相愛の恋人のようだと学園の連中が噂しあっている。気づいていないのはお前とフェリスくらいなものだ」

「…………」

「本当に気づいてなかったのか。まあいい。再度聞くぞ。お前はフェリスの告白を断りたいのか?」

「分かりません」

「ならば受けたいのだろう」

「それも分かりません」


 困り果てた様子で、エドワードがきらきらと輝く己の金髪の頭を抱えていた。


「私には分からないのです……」

「何が分からんのだ。簡単な話ではないか。断るのか、断らんのか。二つに一つだ」


 さすがのアルバートも、あまりに煮え切らない親友の態度に苛立ちを感じはじめたらしい。声に棘が帯びている。


「失礼ながら殿下は、フェリス様の料理を食べられたことがないでしょう」

「うん? ああ、ないな。それがどうかしたのか。ロゼッタ曰く、凄まじく辛くてとても食べられない代物だと聞いているが」


 アルバートとロゼッタ姫は話が合うらしい。フェリスと行動していない時は、彼の傍にいることが多かった。話題のほとんどはフェリスとエドワードのことだ。

 ちなみにアルバートがロゼッタから猫を投げつけられた回数は、フェリスに次いで多かった。


「とんでもない!」


 エドワードは真面目腐った顔で首を振り、力説した。


「あれはこの世に生まれた至高そのもの。神の味です」

「…………」


 アルバートはさらに困惑し、また呆れた。

 長年の付き合いがあるこの親友は、いったい何を言っているのだろう。

 もてなされた料理が美味いと感じている。それは分かる。分かるのだが、これまでの話、後輩からの告白を受ける受けないの話とどう関わってくるというのか。


「決して高い食材を使っているわけではない。けれども奥深い味でした。昨日のスイーツも素晴らしかった。糖度の違う数種類のりんごが計算ずくで配置されたタルト生地はほどよく酸味と甘みが調和し、僅かに加えられた香草が絶妙のスパイスとなって繊細なクリームの味をくっきりと浮き立たせ、卵黄を練り込まれた小麦の火の通りは舌と歯に小気味よく響き……ああ――」

「そんなに美味いのか」

「天国がそこにありました」


 ほぅ……と、エドワードは息をつく。本国の貴族連中が見れば目を剥くだろう。金髪碧眼の凛々しい顔が、恍惚としたヤバい表情になっていたのだから。さながら違法なお薬か大量のアルコールをしこたまきこしめしたかのようなトリップ状態だ。


「そ、そうか。しかしそれが何の関係があるのだ?」

「ですから、分からないのです。私がフェリス様に惹かれているのか、それともあの天上の味に魅了されているだけなのか、どちらなのかが皆目分からない……」


 真剣に、本当に真剣に悩む様子の影武者王子・エドワード。

 そんな親友を前にして、アルバートは怒鳴ればいいのか殴ればいいのか笑えばいいのか、本気で忠告をすべきなのかしばし考え、頭を振った。


「お前の頭は、色恋沙汰になると柔軟性が煉瓦のようになくなるのだな……」


 呆れている。

 エドワードはムッとした顔で、この男にしては珍しく真の主君へ向ける瞳に非難の色を浮かべていた。


「私は真剣に悩んでいるのですが」

「だろうな。誠実さはお前の美点だが、あまりに理詰めすぎる。気楽にやればいいだろうに」


 幼少よりこれまで、幾つかの恋愛を経験したアルバートは分かっていた。

 恋も愛も、きっかけのほとんどは錯覚からだ。


 ものの弾みで誰かを好きになることもあれば、些細ないざこざで嫌いになることもある。

 世の恋愛童貞たち――特に当人の意志を忖度されることなく政略によって婚約者をこさえられた者たち――は往々に勘違いしているが、『これは真実の愛ではない』とのたまうのも、『真実の愛が見つかった』とのたまうのも、ただの思い込みだ。


 正確に言えばこうだ。『パートナー同士がお互いを尊重して愛情を育て上げた結果、真実の愛と呼ばれる関係になる』のだ。


 好きになったから付き合うのではなく、付き合ったから好きになることだってある。きっかけなどどうでもいい。重要なのは互いが互いの心を尊重し合えるか、居心地が良い関係であるか、その二つだ。

 世間体や身分、性愛といったものはより良い関係性を築くための要素の一つに過ぎない。


『美味しい食事を振舞われているうちに、食事だけではなく相手のことも好きだと感じたから付き合った』


 それでよいではないか。何が悪いのだ。


 けれど、そう言ったところでこの恋愛童貞の真面目すぎる親友は納得すまい。

 恋愛に正解はない。どうするかは当事者が自分の頭で考え、自分の意志で答えてゆかねばならぬのだ。


「気楽とは?」

「ありのままでいろという意味だ。告白を受けて悩んでいるなら、その悩みを告白をしてきた者と分かち合えばいい。相手もお前と同じタイプの真面目な女なのだろう?」

「はい。おそらくは」

「ならば簡単な話だ。当事者同士で腹を割って話し合ってみろ。それが一番だ。お前の舌の好みの話も、お前がフェリスをどう思っているかも、お前の今の悩みも、余人に理解できるはずがない。部外者の俺がわざわざ立ち入るような話でもない。いいか。これは俺の恋ではない。お前とフェリスの恋だ。ならば二人で解決してみせろ」


 この助言は、すぐさま実行されることとなった。


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