第3話:王子様とのお茶会
エドワード様は隣国ラターシュの王子で、年齢は十八歳。ロゼッタ様と同い年で、わたくしとは二歳年上になります。普段受けている授業内容も違いますし、これまでの接点は例の調理実習くらいでした。
執事で親友のアルバート様とともに、見聞を広げるためにわたくしの住む国ブリシュタット王国の魔法学園へ留学なされているとのことです。
勉強熱心な努力家で、金髪碧眼の美形。武術もこなし、身分も高いのに物腰は穏やか――ともなれば上流階級の女性たちが放っておくわけもなく。
しかし、誰かと浮名を馳せたという噂話はとんと聞きませんし、一緒にいてエドワード様を観察している限りでは、色事にうつつを抜かすよりも自己の研鑽に努めるのがお好きなようです。
とても素晴らしい方です。
何故って、女性へのアプローチへの断り方がスマートで――相手の気持ちを立てつつも、今は誰ともつきあうつもりはないと伝える態度が男らしくて……。
浮気をするような方ではありませんので、愛人をこさえたり側室を置いたりもしないでしょう。ですので、身分が低くて資産家でもないわたくしなどにチャンスはありません。
住むべき世界が違うのです。
たまたま今は交わっているだけのこと。
身分といい、性格といい、エドワード様にはロゼッタ様のような方がお似合いだと思うのですが……。
はぁ……。
「お慕いしています」
なんて。
素直に告げることができたら、どんなに楽な事でしょうか。これがロゼッタ様なら、断られることなど恐れずことなく突き進むでしょう。
とどのつまり、わたくしはチキン。嫌われたくないだけ。今の心地良い距離感を、壊したくないだけ。想いを告げ、断られて傷つきたくない。そんな臆病者でございます。
しかし。
エドワード様がわたくしの激辛料理を完食したあの調理実習から、雲行きがおかしな方へと向かっておりました。
***
お菓子を作る機会が増えました。
エドワード様が、あまりに美味しそうに食べてくださるので。
今日も今日とて、午後三時のおやつの時間。
勉強漬けの学園生活ですので、この時間にはお腹もすきますし糖分は欠かせません。まあ、わたくしの料理は甘いどころか死ぬほど辛いのですがそれはさておき。
いつもならば作っても食べられないと捨ててしまうお手製のお菓子を学園に持ち込んで、学内の敷地にある公共のテラスで、わたくし達はささやかなお茶会を開きます。
屋外に置かれた木造りの丸テーブルには、わたくしとエドワード様。
やや離れて別のテーブルに、ロゼッタ様と、エドワード様の侍従で護衛で魔法学園の学友のアルバート様が一緒に座っております。ロゼッタ様の周りには大量の子猫がいて、ちょっとした天国が出来ておりました。
どうやらロゼッタ様、三分に一回ほどのペースでアルバート様に猫を投げつけているご様子。いったい何を話しておられるのやら。
それはさておき。
「今日は林檎とクリームチーズのタルトを作ってみました」
鳥かごめいた箱を手に、わたくしは新作を披露しました。
ちなみにこのカフェテリア、メニューにない飲食物の持ち込みOKの場所です。
「楽しみです」
「すみません、今日のも見た目がすごくアレでして……」
食欲を減衰させるどどめ色。味は製作者のわたくしが食べられないほどの激辛。
エドワード様は目を輝かせ、わたくしにお礼をおっしゃいます。王子と言う身分ですのに腰が低いのは、生来の気質かそれとも教育の賜物なのか。
「お口に合えばいいのですが」
お菓子作りは好きなのですが、嫌いでもありました。
何故って作るたびに自分ですら食べられない味になってしまい、農家の皆さんが作られた貴重な食材を泣く泣く廃棄することになるからです。それでもいつか食べられるものが作れないかと試行錯誤し続けていたわけですが、まさかこんな形で夢が叶おうとは思いもしませんでした。
「美味い」
エドワード様は、いつもにこにこ顔でそうおっしゃいます。
なるべくゆっくりと、完食するのが勿体ない素振りで、しかし気づけば早口になって食べておられました。
本当に、美味しそうな笑顔。
嘘偽りではなくて、本気で美味しいとおっしゃられているのでしょう。
「美味い。美味い。美味い」
ええ。そう。嬉しかったのです。
わたくしの料理を、お世辞ではなく美味しいと言ってくださるのが。あまつさえ、また食べたいと言われたのが。
料理が駄目でした。
壊滅的に下手でした。
わたくしが自分の能力、すなわち『手作りのありとあらゆる料理が、人類の限界を試す辛さになる』という現象に気づいたのは、いつの頃でしょうか。
五歳か、六歳か。
母からの手習いでお菓子作りを始めた頃だったと思います。
これまで、わたくしの料理への評価と言えば、「辛すぎる」「ごめん、無理」「食えない」「フェリスさんは食材に触るの禁止」「何をどうしたらこんなクリーチャーができるんですか?」などなど、言われたい放題に言われてきました。
最近ではロゼッタ様からも叱られましたし。「モノには限度がある」おっしゃる通りでございます。
呪いとしか表現しようがない、わたくしの固有魔法。
“ありとあらゆる料理が激辛になる”というそれは、誰かに美味しいと言われたいというわたくしのささやかな夢を妨害してきました。今、この方に出会うまでは。
それに――
(あああ、とろけますわ……)
わたくしも美味しい目にあっておりました。
わたくしの前には、マロンクリームがふんだんに使われたモンブラン。土台のスポンジには微量のリキュールが含まれていますし、チョコレートや生クリーム、メレンゲが食感を高めるように層状になっています。
一流どころのパティシエが作ったであろう、ものすごく手の込んだ代物でした。
ここは大貴族に王族が通う王立学園。
ありとあらゆるものが高級品ですし、当然、価格設定は上流階級仕様。
もちろん今いるカフェテリアのメニュー表に記載のお食事にお茶にデザート類も、全て目玉が飛び出そうなほどにお高いものばかり。
何食かの食事を切り詰めもしない限り手が出ないようなお紅茶に高級スイーツを、わたくしは懐を痛める心配なく頂いております。
お茶会はいつもギブ&テイク。
わたくしの“美味しい”お菓子のお返しにと、エドワード様がカフェテリアの代金を支払ってくださっているのです。
わたくしが作る食材費の原価を考えたらものすごく不公平というか、三十倍返しくらいになっているのですが、エドワード様にとってわたくしの料理の方が何倍も美味しいとのことで――あら、おかしいですわ。胸が温かくなりますわ。
「この時間も、殿下が卒業するまでなのですね……」
秋摘みの渋みがケーキにばっちり合う紅茶をすすり、わたくしはロゼッタ様から言われたことを思い出した。
思い出したら、尋ねてしまっていた。
「エドワード様は、卒業されたらどうなされるのですか?」
さりげなく、というわけには行かなかったけれども。なるべく日常会話の延長に聞こえるように。大した意味があるとは思われないように。聞いてしまってから、内心でそう祈っていた。
「国へ帰ります」
エドワード様のお答えは、これ以上ないくらいに明瞭で簡潔だった。
「ここで学んだことを、国の為に活かさなければなりません」
蒼い瞳に宿るのは、断固たる意志。血筋だけで甘やかされてきたそこらの貴族が束になっても敵わない、責任感を背負った者の顔でした。
いずれ王になる方。将来の国を担う方です。傍流の貴族の端っこにいるわたくしとは、住む世界が違います。
「そう……ですか。ええ、そうですわよね」
我ながら、馬鹿なことを尋ねてしまった。
学園生活は遊びではない。
魔術の扱いを学び、危険性を理解すると共にその限界を知る。それに加えて、王族ならば学園に集う多様な人間との人脈を作ることも加わる。
本来なら、自分ごとき下級貴族にかかずらうような暇はないはずなのだ。
そもそも、どういう答えを期待していたのか考えていたわけでもない。付き合ってもいないのに“一緒に暮らそう”なんて話になるわけもないし、仮にそんなことを言い出したらさすがに危ない人なのかしらと引いてしまう。
「寂しくなりますわね……」
「ええ。本当に……」
しんみりとした空気になってしまった。
別れの日を思うと、胸がきゅっと締め付けられる。苦しくて痛くて、涙がこぼれそうになる。
うまれて初めてかけて頂いた、「美味しい」という言葉。
お代わりが欲しいと恥ずかしげに言われた顔の可愛らしさ。
身分差にもかかわらず、対等に接してくれるわたくしへの気遣い。人に奉仕されるのが当然と驕ることなく、きちんとお返しをしてくださる律義さ。
嬉しくて、楽しくて、好ましかった。
ロゼッタ様がご明察の通り、わたくしはエドワード様に惹かれていた。
それが身分違いで身の程知らずな恋であると分かっていたから、自分の気持ちに気づかないようにしていたけれど。エドワード様から手料理を美味しいと言ってくれるたびに、わたくしの胸は暖かい気持ちになった。
だから――
幸せになってもらいたかった。
この先、どこの誰と結ばれることになろうとも。
お別れするのは寂しくて辛いけれど。エドワード様がわたくしとの別れを惜しんでくれるのが嬉しかった。彼の心の中で、自分という存在に重みがあるのが分かったから。その気持ちが分かっただけで十分で、それ以上を望めば彼にとって迷惑なだけだろう。
「何年かしてこの国にいらっしゃる機会がありましたら、お手紙で教えてください。わたくし、日持ちするお菓子をたくさん作って持っていきますわ」
きっとその時は、エドワード様の隣には素敵な婚約者がいるはずだ。わたくしよりも身分が高くて、わたくしよりも綺麗で、頭が良くて、料理が上手くて、エドワード様にぴったりの婚約者が。
だからわたくしは、迷惑にならないお友達として振舞おう。
同じ学園に在籍していたよしみでお菓子を差し入れる、そのくらいは許されるはずだ。
「あれ……?」
鼻の下が痒い。上唇のあたりに指を当てると、にちゃりとしたものがくっついてくる。ああ、これは鼻水だ。鼻水が垂れていました。エドワード様の前なのに。
「あれれ……?」
頬が妙に濡れている。そこでようやく気づいた、わたくしの目から涙がこぼれていることに。
「ご、ごめんなさい。わたくし……」
「フェリス様」
衆人の往来するカフェテリア。このままではエドワード様にあらぬ疑いがかけられてしまう。それは分かっていても、ひとたび溢れた涙はとどまることを知らなかった。
エドワード様がハンカチを差し出してくださり、わたくしはそれを受け取って顔を隠しました。きっと、いえ確実に、かなりおブスなどろどろぐちゃぐちゃの顔になっていたので。
「わたくし……っ」
ぷぴぴぴぴ、と、淑女にあるまじき音を立て、鼻をすすり、涙を拭く。けれども胸を締め付ける熱い感情は収まらず、自分が何をしたいのか、何を言いたいのかも分からない。
苦しかった。
あと二年経てば、もうエドワード様とは会えなくなる。
いずれ自分以外の誰かと婚約し、家庭を築く。
その姿を想像すると、苦しかった。
「わたくし、エドワード様のことをお慕いしております……」