第2話:猫魔法のロゼッタ姫
わたくし達が通うブリシュタット王立魔法学園の方針は身分差の関係なしの才能重視。とはいえ年間で金貨百枚という学費を支払える者ともなれば、格式よろしい大貴族か王族、それに銀行業で財を成したマニリエスム家など、一部の大富豪に限られます。
子爵家出身でしかも女のわたくしは奨学金を頂いているからこそで、つまりお金もなければ身分も低い。学園では肩身が狭い状態です。
学内では無礼講が建前とはいえ、卒業すれば王室に出入りする上流階級の洗練された方々と、下級貴族のしがない娘。距離間も自然と開くというもの。
ましてや十六歳以上の高等部クラスともなれば、産まれた家の格式や財産の多寡で身分が決まる世知辛い世の中の仕組みも一応は理解しているつもりでして、小娘なりに気を遣います。
ところが。
不思議なことに、この国の王女であらせられるロゼッタ・アル・シエラ・ブリシュタット様はわたくしを気に入ったらしく。学園ではよくご一緒に過ごしております。
姫様はわたくしについて、下手に媚びてこないのがいいとおっしゃいます。わたくしの方もあまりに身分差が違い過ぎて取り入ろうとかいう気が起ころうはずもなく。そのあたりが気に入られる要因だったのでしょう。
午前の授業がひと段落し、今日も一緒にお食事を食べておりました。
「フェリス、エドと付き合ってるの?」
「ぶふぉぉ!?」
口に含んだ白湯(無料なので)を、思わず吐き出してしまいました。
「ちょ、きたなっ」
「申し訳ございません!」
生まれつきの呪いめいた料理魔法のせいで自炊ができないわたくしは、今日も今日とて売店で一番安いメニューを頼んでいます。
わたくしの前にはロゼッタ様がいて、『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』とでも云うかのようにお高そうなメニューがトレイに乗っておりました。きっちり精製された混じり物のないふかふかの白パン、具だくさんのシチュー。香辛料がふんだんに使われたら肉料理に、蜂蜜がかけられた甘そうなスイーツ。
そのトレイの上に、飲みかけていた白湯を盛大に吐き出してしまったわたくし。
「お食事、弁償いたしします」
「いいわよお金ないんでしょ。それに食べれるわよこのくらい」
トレイを濡らすお湯を手持ちのハンカチで拭き、こともなげにロゼッタ様はお食事を再開されました。
「申し訳ありません。この埋め合わせは必ず」
「なに。エドと付き合ってるって話、そんなに驚くようなことなの?」
「……ええと。確かに最近はエドワード様とお話する機会も増えましたし、ちょくちょく二人きりのお茶会もしておりますが」
わたくしが貧乏の惨めさに浸る前に、強引に話題を変えてくださるロゼッタ様。
理想の君主というのはこういう方をいうのだと思います。まだ王女様ですが、きっと素晴らしい女王様になられるのでしょう。
ロゼッタ様は、女としてのわたくしの理想でした。
わたくしが十六で、ロゼッタ様が十八ですから二歳年上になります。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。きっぱりとおっしゃる裏表のない爽やかな性格。
流れるようなプラチナブロンドと、サファイアのように蒼く輝く瞳。類まれな美貌の持ち主で身分も高く、男女分け隔てなく気さくに対応をし、しかも伝説の猫魔法を幼くして極められた天才。これで人気が出ないわけがないのです。
殿方から告白された回数は、二十回を超えたあたりから数えるのも面倒くさいとかなんとか。
「ロゼッタ様こそ、エドワード様とお付きあいされているのでは?」
わたくしが尋ねると、ロゼッタ様はぱちくりと瞬きをされました。まあなんということでしょう。絶世の美女様の呆け顔です。
「えええ……フェリス、わたしたちの関係をそういう風に見てるの?」
「ええと、その、わたくしだけではありませんよ。皆さまそういう噂をされておりますし、姫様と一緒にいるわたくしへ、遠回しにどこまで進んでいるのか尋ねる方もちらほらと」
「うっわ、何そのクソ面相くさい恋愛脳ども」
クソ……とはまあ、王女どころか淑女として使う言葉ではないと思いますが。ども、というのもひどいですし。
ロゼッタ様は口端を引きつらせ、眉から額にかけて小皺が寄って……あらまあなにこれすごく不機嫌そうなお顔。まずいわ。わたくし地雷を踏んだようです。
「あーでもフェリスにさっきの質問した私も同類か。うーわー、私もめんどくさいんじゃん。ごめんねフェリス。年頃の女は多かれ少なかれ恋愛脳だわ」
不機嫌な顔をぱしぱしと叩き、ロゼッタ様は元の美女にもどられました。踏んだと思った地雷はどうやら不発弾だったようです。
うーむ。やはりロゼッタ様は素晴らしい。負の感情をすっぱり切り替えるスキルが並外れております。
「まあそういうわけで。エドと私の間に恋愛感情とかかけらもないから。彼とはただのお友達。だいたいあいつ、毒気がまるでないし。男としては見られないわ」
「ですか」
「そうよ」
即答されるロゼッタ王女様。
あんな素敵で頭が良くて顔が良くて性格も良くて――とにかく素晴らしい殿方を、女として意識されないというのはにわかには信じがたいことですが。
よくよく考えてみればわたくしの恋愛観とロゼッタ様の男性への趣味嗜好は違って当たり前なわけで。『美男美女の王子王女だし、よく会話をしているから付き合っているはず』というのがただのフライング思い込み幻想だという話はなくはありません。今まさに当人が否定されたわけですし。
「で、フェリスはどうなのよ。学園生活なんか合計四年、私とエドはあと二年ちょっとで終わっちゃうわよ。卒業したらエドは国に帰るわけだし、告白もせず友達関係でさようならでいいのアンタ」
「…………」
考えたこともありませんでした。
いえ。うすうすは思い、しかし思考の表層には浮かばないよう封印していたことを、目をそらせないくらいストレートに指摘されてしまいました。
たった二年。
わずか二年でエドワード様とはお別れ。
わたくしの料理を、美味しいと言い、幸せそうに食べてくださる人は傍にいなくなる。
「み、身分が違いますので……」
「ばーか」
オブラートの欠片もなく罵倒されるロゼッタ様。これで本当に王女なのかしら。
彼女は罵倒と共に自分の前髪に手をやると、一本の金髪を人差し指と親指とでつまんでぷちんと引き抜きました。枝毛でもあったのでしょうか。と、思ってる間に。
細い髪の毛がロゼッタ様の指に挟まれたまま、にょきにょき、うにょうにょとうごめいたかと思うと、ぽふん、と膨張した毛玉になり、毛玉はさらに変態して四本の脚が生え。またたく間に手のひらサイズの猫になりました。
愛くるしい白猫さんでございます。
「にゃ、にゃんこ?」
ロゼッタ様の得意魔術、猫魔法。
見るのは初めてではありませんが、産まれたての子猫さながらの造詣の猫を前にしたわたくしの頭の中はもふもふにゃあにゃあしたいという欲求に満たされております。
「おバカなフェリスに制裁にゃんこ」
手のスナップを利かせるロゼッタ様。
「にゃーん」
宙を跳ぶ猫。
あろうことかロゼッタ様、わたくしに向かって子猫を投げつけられました。
テーブルを隔ててわずか一メートルあるかないかという距離で、しかも愛らしい子猫なので怪我をさせるわけにはいかず。わたくしが受け取ろうとして手をかざします。
「にゃッ!」
「ふぎゅっ!?」
子猫が魔法のごとき螺旋軌道を描き、わたくしの顔にあたりました。見事なフォークボールでした。
先にも申し上げましたが、ロゼッタ様は猫魔法の天才。
自分の髪の毛を無詠唱で猫になされるなど朝飯前でございます。しかし何故それをわたくしにぶつけてくるのか。
「いい。フェリス。人生は一度しかないし、人間って明日に生きてるかどうかもわかんないものなの。今が大事なのよ。わかる?」
「にゃーん」と鳴く子猫さん。
「猫を投げつけたのは何故ですか」
どうにか顔からもふもふを引きはがし、しかしものすごく可愛いのでテーブルに置いて撫でるわたくし。子猫はちっちゃくて爪が鋭いのです。
「そういう気分だったから。いい? フェリス。そこはどうでもいいわ。今の問題は貴女が後悔するかしないかよ」
どうでもよくはないのですが、ロゼッタ様の剣幕に押し切られました。
「は、はあ……?」
「好きなら告白して、きっちりエドと付き合いなさい。私の見たところ、あいつもアンタに惚れてるわよ。ああでも、婚前交渉は絶対ダメ。先人の調べたところによると、結婚前にヤっちゃった女はたいがい婚約破棄されてるわ。男に幻想を抱きすぎちゃダメ。合体は然るべき手続きをとったあと」
「がった……ふぎゅ!?」
「にゃーん」
二匹目の猫を投げつけられました。今度は黒猫でした。軌道はカーブでした。
「度々ひどいのでは。わたくしだって怒りますわよ」
「下世話な話を五月蠅くされるの嫌いなの」
「理不尽ですわ。そちらが水を向けた話ですのに」
「しつこい。私がいいからいいの」
「……むぅ」
釈然としないものを感じつつも、ロゼッタ様と喧嘩をしたいわけではないので黙りました。そんなわたくしに二匹に増えた猫がにゃあにゃあとすり寄ってきます。もふもふと撫でるわたくし。実に可愛い猫さんです。
白いのと黒いのが、わたくしの指にすりすりと頬をこすりつけてくるのがまあ……人目をはばからず吸ってみたい。
「いい。フェリス。世の中、恋愛が成就した後にいきなり悪役めいた令嬢がしゃしゃり出てきて、権力に明かせた意地悪? 的な? ことをして、せっかくの婚約をぶち壊しにする馬鹿がいるみたいだけど、貴女に関しては私が全力で応援するから。うじうじねちねちぐちゃぐちゃと“どうせ私なんか”みたいな口からゲロが出そうな卑屈なしぐさをするのやめなさい。告白せずに後悔するより、きちんと想いを伝えてから後悔しなさい。まどろっこしいのよ、あんたとエド見てると」
「いえ。あの。そう言われましても、わたくしとエドワード様では身分が違います。それにわたくし、特に人に誇れるような才能もないですし、料理は激辛ですし、容姿だってせいぜい“どちらかと言えば美人”どまりで――」
ロゼッタ様のように整った目鼻立ち、きりりとしたアイスブルーの瞳、艶やかに輝く金髪は砂金のようにサラサラとして触り心地が良さそうという美貌の持ち主ならば、わたくしだってエドワード様と釣り合うかもと自惚れることができたのでしょうけれど。
現状は残酷なものでして、くすんだ上にくりくりとカールして癖っけのある金髪。鏡を見れば眠そうに垂れた瞳と、覇気の薄い藍色の瞳。肌は度重なる料理の試作で荒れておりますし、美容やお化粧にかけるお金もたかが知れているわたくしは『見た目それなり』という水準を維持するのがやっとです。
上流貴族の通うこのブリシュタット魔法学園の子弟からすれば、どこにでもいる程度の魅力の目立たず冴えない女でございます。
「くどいわ、ばかちん」
「ふぎゅっ!?」
三匹目の猫を投げつけられました。軌道はストレートでした。三毛猫でした。
「にゃーん」
そんな調子でわたくし達は告白するしないの攻防を繰り広げ、防戦一方で煮え切らないわたくしは子猫をダース単位で投げつけられて可愛いもふもふに埋もれることとなりました。