第14話:フェリスとロゼッタ
「いやあの、何の冗談ですか? わたくしが王女だなんて……」
「貴女には歳の離れた兄がいたのよ。私が五歳で、貴女が二歳か三歳の時、そのお兄様は十歳になったばかりだった。
優しくて、たくましくて、一本芯が通ってて……大好きだったわ。よく遊んでくれたし、こっそりお菓子をくれたりしたしね。
私の初恋の相手だった。でも、身分が離れているからいつか私じゃない誰かと結婚するんだろうなって思ってた。ああ、私の恋は今は関係ない話だったわね」
「兄、さま……?」
ずきりと、頭が痛くなった。
たまにこうなるのだ。
大昔の、物心つくかつかないかの頃の記憶を思い出そうとすると、頭が痛くなる。
「亡くなったのよ。誕生日の宴で毒殺されたの。ちょうど私みたいな症状だった。絶対に毒を盛られたのよ。だって、ずっと元気で病気一つしたことがない人だったもの。エカテリーナ陛下もそう思われたみたいね。王族特務の諜報部隊を総動員して、犯人を血眼になって探したわ。でも、見つからなかった。おまけに、王子様を殺そうとする人の心当たりは腐るほどあったから、特定できなかった」
「…………」
「次は、娘を殺されるかもしれない。そう案じた女王陛下は、先手を打って自分の娘を殺すことにしたの。
もちろん、実際に殺しはしないわ。諜報部を使って自分の娘と似たような女の子が病で亡くなったのを探して、遺体をお金で買い取った。替え玉ってわけ。幼い王女様は流行り病で亡くなったことにして、女王陛下腹心の子爵家の娘として大切に育てられた」
「それが、わたくしだと?」
「そうよ。でも、次期の国王や女王が不在ってわけにはいかないから、女王陛下は親類縁者から養子をとったの。敢えて遠い血族を選んだそうだわ。だって陛下に近い兄妹やその子供の中に、自分の息子の暗殺を命じた者がいるはずだから、ですって。そうして選ばれたのが私」
おどけて言うロゼッタ様のお顔は蒼白で、汗を大量にかいていました。
その笑顔の痛々しさに、胸が締めつけられました。
「なぜ……?」
なぜ、そんな危険な役割を唯々諾々と受け入れたのか。
わたくしの知るロゼッタ様は、嫌な事は嫌だときっぱり断れる強い人だ。たとえ相手がこの国で最も偉い女王陛下であろうとも。
「だから、良かったわ……」
「何がですか?」
「決まってるじゃない。貴女の代わりに死ぬのが私で良かった」
馬鹿な。
何を言っているのだ。わたくしの憧れた方が。
わたくしよりもずっと輝いていて、ずっといろんな人に慕われていて、ずっとずっと羨ましいと思った方が。
わたくしの身代わりでいいだなんて、どうして納得できるのか。
「他の人だったらいろいろと貴女に迷惑がかかっていただろうしね……げほ、げほっ」
「何を馬鹿な!? ロゼッタ様、ご冗談はやめてくださいませ。貴女は死にません、絶対に生きますわ!」
「ポイズンスライムの毒だったっけ……」
「それがどうかしたのですか」
「生き残れたとしても、後遺症が酷いらしいわね……。目は見えず、鼻も利かなくなって味覚だっておかしくなる。まともに働くのは耳くらい。きっと惨めだわ。だからもう、いいの……げほっ……貴女が無事で、本当に良かった……」
笑うな。
笑わないでくれ。満足そうな顔で。
「馬鹿なことをおっしゃるのはやめてください!」
「ああそう、フェリス……けほ、ごほっ……。気つけに料理作ってちょうだい。スープか何か、軽いやつ。貴女のからーい方の味付けでさ、あれなら舌に味を感じられるだろうし」
「食べたら、馬鹿な事をおっしゃらないと約束してくださいまし」
「はは……美味しかったらね」
「言いましたね!」
怒りました。
本気の本気で怒りました。
こともあろうに、わたくしの恩人が!
わたくしが何もできないまま、わたくしに恩だけを残して綺麗に居なくなるなんて!
許されるわけがない!!!
作ってやろうじゃないですか。何度でも!
美味しいと言わせてみせますわ、魔法石を使わずに!
「厨房を貸してくださいませ。ロゼッタ様にお食事を用意しないといけませんの!」
怒った勢いで、わたくしは必要な許可を取り付け、厨房で食材を貰って料理に取り掛かりました。
自分が王女および女王暗殺の容疑者であることも忘れ、毒を盛られた王女様に料理を作ろうとする暴挙。まともな神経だったら出来るはずもないし、させてくれるわけもない。
けれどもワガママが通ったのは、わたくしが女王陛下の実の娘だったからでしょうか。
いいえ。そんなことは、後で考えればいいことですわ。
今はただ、ロゼッタ様が元気になるように。
わたくしの手料理を、美味しいと言っていただけるように。
心を込めて、作るのみ……!
***
魔女の鍋とみまがうような、どどめ色の毒々しい代物が目の前にございました。
作ろうとしたもの、子ヤギとにんじんのクリームシチュー。
できたもの、人外魔境。
「お、の、れ……!」
腹が立つ!
何よりも誰よりも、自分自身に腹が立つ!
いつぞやの調理実習の頃から何の進歩もしていない、わたくしの調理スキル。もちろん味見をしましたが、とても人様に食べさせられないような激辛の代物でした。
四回、作り直しました。
その全部で、こうなってしまいました。
王宮の厨房をお借りしているので食材に余裕はありますが、どれだけ繰り返しても結果は同じ事でしょう。それに、時間もありません。青色吐息のロゼッタ様が待っています。
「フェリス様。ロゼッタ様が危険な状態です……!」
そこへ、伝令の近衛兵が来ました。
「向かいます!」
わたくし、自分への腹立たしさで悔し涙を流しながら、シチューをよそった器を持ってロゼッタ様の寝室へと走りました。
「げほっ、けほっ、かはっ……ぜぇ……フェリス……」
胸が痛いのでしょう。ロゼッタ様が顔をしかめて、しきりに咳をされていました。
顔は土気色を通り越して、蒼白になり、唇は紫色になっています。
「お待たせしました。申し訳ありません」
「本当にね……けほっ……いいわ、許してあげる……がほっ」
スープの入った器に視線をよこし、ロゼッタ様はせき込みながら微笑されました。
「相変わらず、けほっ、すごい色ね……げほっ」
「お食べになられますか?」
「当然……げほっ」
「そのまま座っていてください」
ベッドで半身を起こした姿勢でせき込むロゼッタ様の口元へ、わたくしは“暴君料理”の異名を持つ激辛の液体をよそって運びました。
ロゼッタ様が唇を開け、スプーン一杯分のシチューをぱくんと口に含まれました。
まあ、どうせ辛さに耐えかねて吐き出してしまうのでしょうけれども。
「…………」
無言の時間が流れます。
もぐもぐ、ごくりと、わたくしの料理を味わって嚥下されるロゼッタ様。
「おかしい」
ぽつりと、そうおっしゃいました。
「何がでしょうか?」
「美味しすぎる」
「はい?」
「もっとちょうだい。というか、お椀とスプーン渡して。自分で食べる」
「はあ……?」
わたくし、訳が分からないまま、どどめ色の人外魔境が入ったスープ皿とスプーンとをロゼッタ様にお渡ししました。
「いただきます」
一言おっしゃるなり、ロゼッタ様が王女にあるまじき貪欲さでシチューを食べていきます。食べるというよりも、むさぼるという表現が正しいというべきでしょうか。
息継ぎの暇すら惜しいというかのように、スプーンを口元に運び、大口を開けて食べ、また器からシチューをよそって……あっとう云う間にお椀が空になりました。
「美味しかった。お代わりある?」
「たくさんありますけど……あの、姫様。今の今まで死にかけていたのでは?」
「ありゃ。本当だ。フェリスのシチュー食べたらものすごくすっきりしたんだけど」
「…………」
演技?
いえ。
いえいえいえいえ。
そんなはずもなし。あのロゼッタ様がこんな悪質なドッキリを仕掛けるわけがありませんし、嘘にしてはあまりに迫真過ぎました。
「お、か、わ、り、ほ、し、い! 今すぐ! ハリー、ハリー! めっちゃ美味しいんだもん今のシチュー!」
「申し訳ありません、ただいま!!」
ともあれ、ロゼッタ様は回復なされたご様子。
不可解なことですが、わたくし深く考えるのはやめて、一料理人としてお客様をもてなすことにいたしました。