第12話:転機
『エカテリーナ女王陛下御用達の店』
月光の魔法料理店は元からそうだったのですが、わたくしが働くようになってから盛況ぶりに拍車がかかりました。
わたくし、奨学金を頂いて学校に通っている身分ですので、働けるのは週に三回が限度。その三回で料理を作りつつ、オーナーシェフのロビンソン様以下五名のシェフ達に味付けのコツを伝えたり実演したり、あるいは逆にレシピを教えて頂いたり。
エドともデートをしたり勉強を教えてもらったり、料理を作ったり奢られたりと忙しくも充実した日々を送っておりました。
舌の肥えた上流貴族から何百回も『美味しい』と絶賛されましたので、流石に褒められるのには慣れてきました。
慣れたとはいえ、何度言われても張り合いが出る言葉です。
それに何より、エドからの『美味しい』は、他の方からの『美味しい』よりも格別に嬉しくて、次はどんな料理を作れば喜んでもらえるだろうか、なんてあれこれ考えたり。
幸せでした。
ただ一点だけ、気になることが。
「女王陛下を歓待する際には毒見役を置いた方がいい。王城と比べて警備が緩すぎる。非常に危険です」
エドワード様がそう警告され、わたくしも折に触れて女王陛下に進言したのですが……。
「冷めないうちに食べたいのよ。貴女が毒を盛るなんて考えられないし」
「信頼していただいて嬉しいのですが、万が一と言うことが……」
「ないわ。気にしないで頂戴」
何故かいつも突っぱねられ、女王陛下は毒見をさせずにわたくしの料理を食べられるのでした。
ほどなくして、事件が起こりました。
***
エドワードは緊張していた。
発端は、ロゼッタ姫が伝令役となり、女王直筆の手紙を彼に届けてきたことだ。
中身を見て、卒倒しそうになった。
『身分を偽って私のお気に入りの娘にちょっかいかけるなんていい度胸しているじゃないの。今夜ツラ出しな。美味しいお食事を奢るわ』
誰がどう見ても誤解のしようがない、一触即発の状態。キレる手前、いや既にキレているかもしれない。そういう文面である。
彼の応答次第では外交問題になりかねない、そんな怒りをこれ以上なく感じた。
血縁でもない子爵家の令嬢のことで、女王が何故怒るのかがまったくもって意味不明の謎であるにせよだ。
幸いにして、フェリスの貞操は守られている。
エドワードも影武者という立場上、例え正式に付き合っている恋人が相手でかつ合意の上であろうとも、醜聞のネタを産み出すわけにはいかない。婚前交渉など論外だった。
エドワードにしても誠実な性格なので、偽装した王子と言う身分で小娘を騙すなどという発想自体がない。
その上でだ。
怒れる女王に、自分たちの交際が真剣なものであること、身分を偽っていたことについて悪意はなく、近いうちに明かすつもりであったことを伝えて説得する必要がある。
「アルバート様、至急相談したいことがございます!」
エドワードは自分の真の主君に報告し、二時間ほど密談を交わした後、正装をして女王が指定した場所へ二人で出向くことにした。
***
その夜。
月光の魔法料理店は、女王陛下によって貸し切りにされていた。
今夜の客は四名。
ブリシュタット王国の国家元首、女王エカテリーナ。
ブリシュタット王国の第一王女、ロゼッタ姫
小国ラターシュの偽王子、エドワード。
エドワードの執事にして小国ラターシュの本物の王子、アルバート。
「も、ものすごい取り合わせですわね。ロゼッタ様は分かりますが、何故、エドやアルバート様が陛下と……?」
エドワードに小声で尋ねるフェリス。
エドワードは困惑しつつも小声で返した。
「私にもわからない」
嘘ではない。
これがもしロゼッタ姫に手を出したという話なら分かる。王女に手を出せば女王が出てくる。それなら分かる。
しかしフェリスは女王エカテリーナとは何の血縁関係もないはずだ。実は母娘でしたとか、そんな話は聞いていない。だからこそ厄介だった。
わけのわからない理由で激怒している国家元首。
小国ラターシュの王子にしてみれば、ブリシュタット王国は重要な貿易相手である。期限を損ねるのはかなりまずい。
「そ、そうですか」
「フェリスはいつも通り美味しい料理を作ってくれ」
「が、頑張ります」
メイド服のエプロンドレスをふわりとはためかせ、フェリスは彼女の戦場である魔法料理店の厨房へと引っ込んで行った。
「少し会わないうちに、見違えるくらい綺麗になったものね……」
その後ろ姿を見送って、エカテリーナがつぶやいた。
「男が出来ると、女って変わるのかしら。ねえ、どう思う?」
口調は穏やか、エカテリーナの顔は笑っている。
しかし、目が笑ってない。
「…………」
長考するエドワード。
本物の主君であるアルバートに目くばせすると、彼はあろうことか好きに応えろというジェスチャーで返した。
「どう思うかと聞いているんですけれども」
「フェリスとは、清いつきあいを心がけています」
質問に直接答えず、エドワードは女王が最も気にしているであろうことを口にした。
「ほう。それは殊勝な心掛けね」
「遊びで付き合っているつもりはありません」
「ふうん。ロゼッタ。貴女にはそう見えて?」
「…………」
ロゼッタは大粒の汗を額に浮かべ、愛想笑いを女王に向けた。
両者の間で葛藤しているように見えるが、いつもの彼女らしからぬ態度だ。
「どうしたの?」
「……すみません、少し調子が悪くて」
「あら。何か悪いものでも食べたのかしら?」
「お気になさらず。エドワード殿下とフェリスの関係ですが、節度を弁えたものかと。何しろ手を握れた程度のことではしゃいでいましたので」
ロゼッタは丁重に答えた。普段はエドと呼び捨てなのを、わざわざ殿下までつけている。
「そう。身のほどを弁えているのはいいことよ」
女王の圧がわずかに和らいだ。
「といっても、出自詐欺は大きな失点じゃないかしら」
返す刀でずばりと告げる。
「すみません」
「申し訳ありません」
エドワードとアルバートが同時に頭を下げた。
頭の回る彼らは、下手にしらを切ればさらなる不興を買うだけだと即座に悟った。
「いずれ真実を明かすつもりでした。本当です」
「エドがフェリス殿と付き合うようけしかけたのは私です。責任は私にあります」
「ふうん……?」
女王は全てを見透かすようなアイスブルーの瞳で二人の男たちを見た。
大国の頂点に立つ女である。観察力、洞察力共に卓越している。
その彼女が見る限りでは――
「あ、れ……?」
どさりと、人が崩れる音がした。
糸を失ったマリオネットのように、ロゼッタが倒れていた。
「ロゼッタ!」
「どうしたっ!?」
エカテリーナが叫び、アルバートが駆け寄る。
顔色を伺い、呼吸を確認し、脈を図る。
ロゼッタが脂汗を流し、息は浅く、両腕と胸に赤い発疹が出ており心拍が狂っていた。
症状を素早く確かめたアルバートは、ためらいもなくロゼッタのドレスに手をかけ、胸の周りをくつろげた。
「皆様、お待たせし……姫様!?」
そこへ、フェリスが四人前のスープを持ってきたフェリスが現れた。
「あ、あれ。ごめん。ちょっとめまいがして……」
「そのままにしていろ! 種類は分からんが明らかに中毒症状を示している。ロゼッタ、一時間以内で何か口にしたか?」
切迫した口調。しかしアルバートはロゼッタを勇気づけるように手を握り問いかけた。
「え、うん……。フェリスに頼まれて、スープの味見をちょっと前にしたくらいだけど」
全員の瞳が、フェリスの持つスープに注ぎ込まれた。