第11話:女王陛下、子爵令嬢の料理のファンになる
月光の魔法料理店は王都にあり、女王陛下がお住まいになられるお城からは目と鼻の先。徒歩で二時間、馬を使えば三十分といったところ。
数十名の衛兵を率い、馬車に乗って女王陛下はいらっしゃいました。
上限の月の夜でした。
陛下のお歳は四十の半ばを超えられたところでしょう。王族の血というか、ロゼッタ様のお母様であるだけにかなりの美貌。それに、身にまとうオーラが凄まじく、ロイヤルというか高貴とでも申しましょうか。
長い金髪の毛を頭の上でシニオンにまとめ、つばのない白い帽子をかぶられております。胸元がかっきりと隠れた上品な白いドレス。顔の印象は厳しさの中に優しさがあると申しますか、威厳と親近感を同時に抱かせると申しますか。
イヤリングもネックレスも、ひと目で分かる一級品です。イミテーションではない本物の真珠製。ネックレスの金の鎖に繋がれたエメラルドは、石座の周囲に小さなダイヤモンドが散りばめられています。
普通、豪華すぎる品をつけていると、宝石と身に付けた人とが釣り合わずに帰ってけばけばしいなどの悪い印象を与えるものですが、女王陛下のオーラの前には一級の宝石すら端役、引き立て役。
実はわたくし、女王陛下とは何度かお会いしております。
身分が低いながらも父と母が親しいお付き合いらしく、年始と夏の宮中晩餐会ではわたくしもお呼ばれして御馳走を頂き、庶民の暮らしを聞きたいとの仰せですので見たもの聞いたものを取りとめもなくお話をしておりました。
「久しぶりね、フェリス。なかなか似合っているわ、その仕事着」
調理衣としても使えるメイド服を着たわたくしを見て、女王エカテリーナ陛下は嬉しげに目を細められました。
「この度はわざわざお越しくださりありがとうございます。エカテリーナ陛下も、お元気そうで何よりでございます」
「活躍ぶりは聞いています。貴方の料理、楽しみにしていますわ」
(う、うおおおお)
エカテリーナ陛下の激励に、テンションがぶちあがるわたくし。
万が一にも失敗できません。
今のわたくしの心境を例えるならそう、実の母親が授業参観に来られたような、あるいは職場の公開見学会で働きぶりを見られる時のような、こそばゆくもイイ=トコロを見せねばならんという、つまりは見栄。
「精いっぱい作らせていただきます」
わたくし、深々と礼をしてから厨房へ引っ込み、いそいそと調理に取り掛かります。
下ごしらえは昨夜に終えていますので、さほどお待たせすることはありません。
前菜を盛りつけました。
「七種類の野菜とクリーム風熟成チーズのサラダになります」
野菜はレタス、トマト、玉ねぎ、ポワロねぎ、枝豆、じゃがいも、ニンジン。青緑、赤、緑、飴色、黄色、新緑に緋色。色彩豊かな天然色の上にかけられた白いチーズがオレンジ色のランタンの炎を反射し、食欲をそそる匂いをただよわせています。
野菜には、塩とマジックスパイスを適量かけて味を調えていました。
チーズはウォッシュタイプのとろりとした半熟成品。
熟成させすぎると辛みがキツくなるので、野菜に合う程度の甘みを残してあります。とろみのアクセントを加える為に、無塩バターを少々混ぜ込んであります。
「いただくわ」
毒見をせず、女王陛下はフォークをとり愛想笑いを浮かべてサラダを口にし――
「…………」
二口、三口と咀嚼するうちに、愛想笑いが消えました。
真顔でフォークを動かし、四口、五口と食べられておりますので、お口に合わないということはないのでしょうけれども、不気味です。
想像してみてください。
数週間前まで料理の素人であった人間が、素人どころか『無理、食えない』『何でこんな味を出せるんだ』『食べ物で遊ぶな』とまで罵倒をされた人間が、ひょんなことから一流料理店のオーナーシェフから師匠なんて呼ばれることになり、あまつさえ料理の神だとかあがめ立てられた時の心境を。
『え、わたくし何かやってしまったのですか?』です。
魔法封じの石を使っていること以外、わたくしいつもと変わらず普通に料理をしているだけですし、シェフのように修羅場をくぐるような料理修行をしていたわけでもありません。
そんないつも通りの料理しか作れない下級の貴族が、美食家の頂点たる女王陛下に手料理を振舞っているわけで。
前菜を振舞われた女王様、愛想笑いを引っ込めて真顔になってしまったわけで。
お判りいただけたでしょうか?
わたくしの心臓から、あ、あ、あ……汗が、どばっと。
心拍数だって上がっております。
「不思議な事が起こったわ」
真顔から呆然としたお顔になられて、エカテリーナ陛下が瞼をしばたたかせ、形の良い金色の眉が上下しました。
わたくしの方を見て、破顔されました。
「無くなったのよ、お野菜が。チーズも。どこへ行ったのかしら。……ああ、分かっているわ、わらわの胃の中に収まったのよね。凄いわ。本当に。フェリス、料理が得意なのね。立場上、色々と美味しいものを頂いてきたけれど、野菜を食べて感動するのは初めてよ」
「あ、ありがとうございます」
わたくし、ほっとして深々と頭を下げました。
過分にすぎるお言葉ですが、何割かが世辞だと差っ引いても良い印象を与えていることに違いはないようです。
「食べている間、身体が洗われるみたいだったわ。一口目で肉汁ならぬ野菜の瑞々しい汁が口の中にあふれて、チーズの旨味とスパイスの辛みが渾然一体になって調和しているの。それでいて、個々のお野菜の味の輪郭がくっきりとしていて……美味しかったわ。すぐに二口目を食べたくなって、二口目を食べたら三口目を食べたくなる。その繰り返しで気づいたらお皿が空になっていたわ。脱帽よ。社交界の常連が騒ぐだけあるわ」
「恐縮です」
繰り返しますがわたくし、普通に作っているだけなのですが……。
どうもシェフのロビンソン様が仰るには、“ちょっとした違いが積み重なっている”だそうで。
塩や砂糖の量、スパイスの量、具材のかきまぜ方、火の通し方やタイミング……そういったレシピには書けない部分がちょっとずつ積み重なって、素材の真の味を引き立たせているのではないか――とのこと。
ですので、誰かが真似をしてもわたくしの味は再現できないそうで。
「ごめんなさいね。正直言って、素人芸に毛が生えた程度だと侮っていました。次の皿からは一流料理人にしか作れないスペシャリテのつもりで向き合うわ」
(あまりハードルを上げないでください!!)
叫びたくなるわたくし。内心にある心臓はだらだらと汗だくでございます。
ともあれ、酷評にしろ絶賛にしろ出来ることをするのみと気を取り直しました。
二品目は、牛と豚で出汁をとったコンソメスープ。
骨髄と肉の良いところを集め、シェフの皆様方に手伝っていただき三日三晩とろ火で煮込み、シナモン、ショウガ、ナツメグと少量の紅茶の茶葉を加えて臭みをとり、新玉ねぎとオリーブオイルで旨味を足した代物です。
油と灰汁を濾しとったそれの色合いは、琥珀を思わせる澄み渡った茶色。
材料原価もわたくしのような下級貴族の手に届かないほどに高く、まさしく高級料理店ならではという贅沢な一品です。
一介の美食家という顔つきの本気モードになった女王陛下は一口、コンソメスープをすするとため息をつき、ぽつりとつぶやかれました。
「……違うわね」
「違う?」
「私がこれまで食べてきたコンソメスープとは、次元が違うわ。何なの、この濃厚な旨味。そのくせちっとも後味がしつこくない」
「後味が爽やかな新玉ねぎを使い、きちんと水にさらしてえぐみを取り、減圧鍋を使ってなるべく常温で水分を抜いて辛みが引き立つようにしました」
「スープの具材でしょう? 繊細な辛みも食感も煮ると吹っ飛ぶんじゃないの?」
「煮る前に表面を軽く炙ると、食感がシャキシャキのまま旨味を閉じ込めることができるんです。投入のタイミングの見極めが難しくなりますけれども」
「素晴らしいわ。美味しい。本当に、すごく美味しい……」
それから女王様は、あぁ、とか、はぁとか息をつきながら、スープを一口、一口堪能されてゆきました。
女王陛下へのおもてなしは、大成功のようでした。
ポワソン、すなわち魚料理は貝柱と海老のオリーブオイルあえに舌鼓をうち。
口直しのソルベをにこにこの笑顔で食べられ。
メインディッシュのハンバーグ、デミグラスソース――スープに使ったコンソメの出汁を煮詰め、香辛料と塩をまぶして作りました――あえを肉汁の一滴も残さずに完食。
卵をふんだんに使った濃厚なプリンを食べ終えると、至福そのものといった顔でうっとりと背もたれにもたれかかっておりました。
「天才ね。貴女にこんな才能があったなんて……」
「ありがとうございます。……実はその、少し前までは自分で作った料理を自分ですら食べられないほどの料理下手でしたので、皆様からの賛辞に戸惑っております」
「そうなの?」
「はい。とある方がわたくしの料理を美味しいと言ってくださったのがきっかけで、どこで失敗しているのかが分かりまして」
「フェリスのいい人?」
「……でへへ……」
わたくし、淑女にあるまじき声を上げ、喜色満面での気色の悪い照れ笑いをいたしました。
女王陛下への料理が成功した反動で気が緩んでいるせいだと思います。
「楽しそうね。今度はその人と一緒にお食事をしてみたいわ」
「え……?」
女王陛下の不自然な申し出。
実の母親が娘の恋人の顔を見たい、というのなら分かりますけれども、赤の他人ですし。
「迷惑でないならね。単純に興味を覚えただけよ」
「さようですか」
「女王陛下、そろそろお時間です」
近くに控えられていた侍従長様が、エカテリーナ陛下に声をかけられました。
「いけないわ。これから会合があるの。ごめんなさいね、本当はもっとゆっくりと貴女と話をしたいのだけれども。ああ、そうだ、美味しかったわ。何度言っても足りないくらい。貴女の料理、気に入りました。また来るわ。絶対よ」
忙しいのは本当なのでしょう。
陛下の周りが慌ただしくなり、時間を気にして色めき立っております。
女王陛下は名残惜し気に早口で言い、わたくしの両手をぎゅっと握って絶賛なされました。
「光栄です。またいらしてくださいませ」
わたくし、深く頭を下げて女王陛下をお見送りいたしました。