第1話:暴君料理のフェリス
魔女の鍋とみまがうような、どどめ色の毒々しい代物が目の前にございました。
それは、王立の魔法学園での出来事。授業内容は料理でございます。
調理担当、わたくしことフェリス・リッツ・エモルトン。身分は子爵家つまり下級貴族。
補助員一、隣国から留学中の王子、エドワード様。
補助員二、我が国の第一王女、ロゼッタ様。
作ろうとしたもの、子ヤギとにんじんのクリームシチュー。
できたもの、人外魔境。
「ええと……どうしてこんなことに?」
エドワード様が、普段は爽やかな金髪碧眼の美形に困惑を浮かべております。
その隣でロゼッタ様が、金髪碧眼の美貌の満面に好奇心を浮かべておりました。
「申し訳ございません。わたくしが料理をすると、いつもこうなってしまうのです……」
お二方に頭を下げるわたくし。肝心の料理がこのありさまでは、講師からの点数は惨憺たるものでしょう。
『錬金術と調理は近い関係にある』とのことで、高名な魔術師であり、王都一番街のメインストリートのレストランで働く一流のパティシエの指導の下、月に何度か実践経験での料理教室があります。
魔法学園の生徒は三人一組となり、お互いの料理を講評しあうという授業スタイル。
わたくし、エドワード様、ロゼッタ様の三人チームで、今回はわたくしが料理を作る番でした。
「いつも?」
ロゼッタ様が猫のような愛らしい瞳を輝かせて尋ねてきました。
「はい、いつもです」
楽しげなロゼッタ様の笑顔に少々ムカつきつつ、頭を下げるわたくし。
「わざとやってるってこと?」
「いえいえ。まさか。料理の手順はお二人とも見られた通りで、食材も一般的ですし調味料の分量も適量になるべくきちんと測って入れるのですが、ご覧の通りになってしまうのです……。どうも、そういう魔術を無意識に使っているそうで」
「魔術。ふうん。ある意味才能ねえ。それで、食べれるの、これ?」
ロゼッタ様のトテモ=シツレイな物言い。わたくしネタではなく本気で料理をしていただけにさらにイラっとしましたが、目の前にあるバイオハザードが雄弁に物語っています。
わたくしの手料理は、“これ”よばわりが相応しいのだと。
ぼこぼこぼこぼこ……。
大きな泡が、ひっきりなしに出ては消えを繰り返しております。
怪しげな音を立てて煮えるどどめ色の鍋。臭いは恐ろしいまでの刺激臭。鼻に感じるのは、臭いというより痛いというレベル。
きっと味はいつもの通り。
すなわち、激辛。
「毒ではないはずです。見た目はアレですが……いえ。すみません、おそらく常人には食べられない味かと思います」
「常人には?」
「辛いのです。ものすごく」
それはわたくしの固有魔法。
“ありとあらゆる手作り料理が激辛になってしまう”という――
「へー、面白そう。わたしかなりの辛党なのよ」
「あ」
あっけらかんと言ってロゼッタ様は、わたくし作の激辛シチューをお皿へよそい、止める間もなく一口を食べました。
「ん」
『何よいけるじゃない』という顔が一瞬だけ浮かび、次いで頬からぷつぷつぷつ……と汗がにじみ、顔は真っ赤になり、紅茶色の麗しい瞳に大粒の涙が浮かんで。
「限度があるでしょ、限度が!?」
汗と涙と鼻水にまみれた顔で、キレ散らかされました。
***
そういう事件がありまして、わたくしに付いたあだ名は『暴君料理のフェリス』。
ありとあらゆる料理が暴君のように限度を超えて辛いからだとかなんとか。ちなみにつけたのは口の悪い学友の方でして、ロゼッタ様ではありませんので念のため。
あれから何度か料理教室に参加しましたが、わたくしはいつも戦力外。自分ですら食べられないほどに辛い暴君料理を作るのは料理への冒涜と先生から言われてしまい、実際に食べられないのですから反論の余地もありません。
これまでもこれからも、一生わたくしには美味しい料理は作れないし、ましてやいつか出会う運命の相手に『フェリスの料理はおいしい』と喜んでもらう未来は永久に訪れないのでしょう。あまりに辛すぎてとても食べられませんし。
残念ですが結婚までに一生懸命お金を貯めて、料理の得意なメイドさんか有能なコックさんを雇うことにするしかないようです。
未練なんて残さず、すっぱりと諦めるべきなのでしょう。
わたくしごときが美味しい料理を作りたいという考えなんて。
わたくしのちっぽけな矜持のために、旦那様に激辛すぎる料理を無理に食べてもらうなんて拷問、強いるわけにはいきませんから。
――なんて……。
そう、思っていた時期が……。
わたくしにもございました。
第三回目の調理実習のことでした。
エドワード様かロゼッタ様が調理を担当する傍らで、わたくしは皿洗いや盛り付けを行っていたのですが、余った食材を分けてもらって自分で作ることもしていました。
ジャガイモを薄く切って、油で揚げて塩を振ったというシンプルな料理。しかし案の定、どどめ色の激辛クリーチャーになってしまいました。
一応試食はしましたが。
相変わらず、食べられたものではなかったのです(がっくり)。
「はぁ……もったいない」
まあそうでしょうね、というため息と共に、生ごみを増やしてしまったという罪悪感で胸がチクチクと痛みます。
上流貴族や王族ならばともかく、わたくしのような子爵家の娘には食材を無駄にできるような家計の余裕はございません。市場ではまず値札に目が行きますし、食材はなるべく安く、たくさん買えないかと日々試行錯誤しております。
ちなみに、この魔法学園に通えるのは女王陛下が新設された奨学金をいただいているからこそです。ですので周りの方々とは哀しいことに金銭感覚が違います。
だって皆様がたしなむ紅茶一杯分の代金で、わたくしの三日分の食費になるんですもの。
「フェリス様。それ、頂いてもよろしいでしょうか?」
わたくしに同情されたのでしょう。
エドワード様が、いつもの丁寧な物腰でそうおっしゃられました。
「ええ……と。おすすめはしませんし、多分ものすごく不味いと思いますが」
「構いません」
からかうつもりなのかと警戒しましたが。
エドワード様はいたって真面目なご様子でした。……疑った自分が恥ずかしい。
「分かりました。どうぞ。無理だと感じたらすぐに残してください」
「お気遣いありがとうございます」
物怖じすることもなく、エドワード様がわたくし作の“暴君じゃがいもチップス”を一口食べられました。
ここから先は、いつものパターンでしょう。身体から汗が吹き出し、涙を浮かべ、鼻水を垂れ流し、辛い辛いこれは無理だとおっしゃって次の一口を食べずにギブアップを――
「うまい……!」
「え?」
唖然とするわたくし。
演技どころか嬉々として二口目を食べるエドワード様。
「うまい、うまい、美味い!」
三口、四口と、次々に手を伸ばすエドワード様。
「え、え、え……?」
みるみるうちに、わたくしが作った少量の暴君ポテトチップス(ものすごく辛い)は平らげられ――
「ああ。すみません。全部食べてしまった。あの……、よろしければお代わりを作っていただけますか?」
「えええええええええ!?」
料理の味を褒められ、あまつさえおかわりを所望される。しかも相手は食い詰めた物乞いや農民ではなく、宮廷料理に慣れ親しんで舌の肥えた王子様。
そんな方からの生涯で初めての言葉に、わたくしはただただ驚いてしまい。トテモ=シツレイな態度をとってしまいました。
「殿下は変態ですか?」
……ああ、思い出すたび恥ずかしい。
それをきっかけに、エドワード様はわたくしの料理修行に付き合っていただくことになるのでした。