表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

宗教で違う『法治』

作者: 明日香狂香

 仏教について書いていて、わかったことは宗教と政治の関係だ。


 キリスト教は「キリストの名の下に精神的な許しを与える」ものであり、罰するものではないということだ。そのために、統治国家として法によって罰を与える必要がある。罪を償ってもなお残る贖罪の念を神父が開放することでバランスが取れている。


 イスラム教では政治の法ではなく宗教が戒律という法でコントロールしている。なので、国という概念が稀薄でも成り立つ。


 仏教は、経典によって倫理感を説き、贖罪の心を開放するために何をすべきかを教える。実践することで、現実でも精神でも救済される。自分たちで考えなさいという突き放しにもみえる。考えそして動き発見しなさい。これが悟りの本質でなないだろうか。


 日本はキリスト教と仏教国を合体したような国家だと思う。その価値感が国の教育というシステムによって与えられる。教育によって養われた倫理感によって罪の意識が芽生え、それを政治の法が裁く。しかし、精神の贖罪は与えられるものではなく、実践によって得られる。自分を許せるのは自分だけ。キリスト教国家より、厳しい社会だ。


 つまり、日本という国は、画一的教育がなくなったときに無法地帯になるということで、すでにその兆候が出始めているのではないだろうか。教育にたよれなくなった時、どういった法治になるのだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 各宗教観と法の違いについて比較されており、その中での日本の立ち位置が論じられており面白いと思いました。 [一言] キリスト教においては許しを与えないということが罰として作用する、とも捉えら…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ