772
「そうだったね。せめて勇者に言うなら納得できる言葉だよね」
シェリーの言葉にラースはクスクスと笑う。そのとき、一迅の風が吹き抜けた。ラースは右手を上げて何かを受け止める。
いや、己の首に振り下ろされた大剣を右手で受け止めたのだ。
「君が一番だよ。竜人君」
ラースは赤い目を細めて横に視線を向ける。そこには金色の目を光らせ、皮膚に青白い鱗が浮かんだカイルの姿があった。それも大剣をラースに向けて、唸り声のような低い声が漏れ出ている。
「ほら、君の大切な者はそこにいるよ」
ラースに大切な者と言われたシェリーは、一瞬にして死んだ魚の目になりラースを見た。
ベッドの上に身を起こしたシェリーを視界に収めたカイルは、ラースに向けていた大剣を下ろし、シェリーを自分の元に引き寄せ抱きかえる。
ラースの目にこれ以上己の番を晒したくないと言わんばかりにだ。
「いやぁ。白き神が何を思って君達を、聖女の世界浄化に巻き込んだのかはわからないけど、竜人を入れた時点で破綻していないかな?」
「そもそもツガイというもので縛った時点で破綻しています」
竜人の番への固執はラースから見ても逸脱しているようだ。女神ナディアに異常なほど愛されているラースでも、その言葉が出てくるというほどだと。
そしてシェリーはツガイというものを利用した白き神の策を貶す。
「それから、カイルさん。骨がミシミシと言っているので、力加減をしてください」
その言葉にカイルは、ラースへの威嚇をやめ、シェリーに視線を向けた。
「シェリー。大丈夫か?何もされていないか?迎えに来るのが遅くなってすまない」
「私は眠っていただけなので、何もありません」
「眠っていた?」
カイルはシェリーの言っている意味が理解できなかったのか、同じ言葉を繰り返す。
いや、言葉は理解できたが、言葉通りに受け取っていいのか戸惑っていた。カイルの時間では丸一日が経とうとしていたのだ。眠っていたとしてもおかしくはないのだが、シェリーの言葉の雰囲気からここに連れてこられてから今まで寝ていたという感じだったからだ。
それはあまりにもおかしいだろうという疑問だ。
「それはね。シェリーの魂の休息が必要だったからだよ」
カイルの疑問に答えたのはもちろんラースである。
「聖女には何故守護者がつけられているかわかるかな?」
そしてラースはカイルに問いかける。お前達の存在理由は何だと。
しかし、その質問にカイルはうんざりとした表情を浮かべた。
「また、くだらないことか」
先程からのラースとの問答にカイルは辟易していた。大した意味がない問答をだ。
「違う。違う。これはナディアがシェリーをここに連れてきた理由につながることだよ」
「聖女を守る。それが役目だ」
「何から?」
「敵だろう」
「その敵ってなに?」
「いい加減にしろ!」
また同じように無駄な問答になっていることにカイルは苛立ちを露わにする。しかし、怒りをぶつけられたラースは、クスクスと笑い出した。それがいっそカイルの苛立ちを大きくしていく。
「はぁ……カイルさん。ラース様と対するときは白き神と話をしているようにしないと、疲れるだけです。それから痛いのでいい加減に解放してください」
シェリーは真面目にラースとやり取りをしていても疲れるだけだと、ため息を吐く。そしてカイルの苛立ちと比例するようにシェリーへの圧迫感も増していたようだ。
シェリーから再び指摘されたカイルは力を緩めるものの、シェリーを離そうとはしない。
「ラース様。私達に知らない敵を当てろと言われても困りますよ。白き神も魔王の存在は教えてくれましたが、誰かとは教えてもらえませんでしたから」
シェリーはラースの問いの答えを魔王だと遠回しに言う。シェリーの倒すべき敵は魔王。それ以外にはあり得ない。
「やだなぁ。私が聞いているのは、既に君たちが知り得たことだよ。だって、そもそも魔王って何?前回は元は人族だったよね。そしてシェリー。君は魔王になり得た者を知っているはずだ」
「……モルテ王です」
シェリーは以前モルテ王のステータスを視たことがあった。そこには『魔王のなりそこない』の文字が表示されていたのだ。
「それが刻まれたのは人だったときだね。さて、ここで最初の問題が起こったのだよ。白き神とあろうモノが、聖女を選び守護者を選び、世界の浄化を願った。おかしいじゃないか。万能と言っていい白き神が聖女の魔人化を予見できなかったなんて」
確かにそうだ。創造主である白き神の采配で聖女となる者は、世界を浄化するはずだった。
なぜ、ここで誤算が生じたのか。ラフテリアの魔人化。これはあり得ないことだったのだ。
 




