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「何を騒いでいるのだ?」
シュロスがミシミシ言っていると叫んでいる横で、シェリーが独自の考えで作り出した陣形術式に文句を言い、カイルがあまりにもシェリーがシュロスを構っていることで嫉妬心をむき出しにしているところにモルテ王が戻ってきた。
その背後には見覚えのある人物を引き連れて、保管庫の入口に立っている。
「お久しぶりですね。黒き聖女」
金髪の長身の青年がシェリーに挨拶した。人の良さそうなニコニコとした笑みを浮かべているその人物を見て、シェリーはシュロスを構うのをやめる。
「お久しぶりです。レガートスさん」
モルテ国の外交官を勤めているレガートスだ。
見た目は二十歳前後の青年だが、生きた年月はモルテ王と変わらない。いや、モルテ国の民が変わらないのだ。
「この保管庫の目録がありますので、お持ちしました」
そう言って、レガートスはシェリーの方に近づいて行き、分厚い本のような物を差し出す。それは目録というより辞書と言っていい厚さだった。
そして保管庫の管理をしていたのはレガートスだったようだ。いや、この男は実質モルテ王の右腕なのだろう。
民と言うには異質な国民をまとめ上げることはモルテ王にとって造作もない。なぜなら、国民は死を超越した種族に変化し、食べ物も必要ない。
そして神の威によって生まれた種族は神によって創られたモルテ王に逆らうことはしない。
だが、他国の者たちはそうはいかない。その他国の者たちと程よい関係を築くために、レガートスという存在はモルテ王にとって、欠かせない者だということが予想できた。
外交という立場となれば、この四千年間の歴史をその目で見てきた者とも言える。
シェリーは辞書のような目録を受け取らずに、一つの疑問を投げかけた。亜空間収納の陣が描かれたページを見せながら。
「陣形術式から詠唱術式に変えた者は誰ですか?」
ある意味、陣形術式は完璧な術式形態ともいえた。
モルテ王や大魔女エリザベートが使っていたように複数の陣を用いれば、その発現する魔術は無限大とも言えた。
それに対し詠唱術式は言葉を換えすことで、魔力に形を与え魔術という形態に変化させるというものだ。
言葉が短すぎるとその力は弱く、長いと強まる。だが、言葉という音に魔力を乗せる不安定さが増す。
それならば、己の魔力で陣を描き術として発動させた方が安定感が増す。
しかし、何もない空間に陣を描くという空間認識と図形というセンスが問われるのだ。
そのセンスがなく、挫折した者が詠唱術式を世界に定着させた。ここで選ばれた者だけが使えていた魔術が、魔力があれば、単純な魔法という形態が使え、音に魔力を安定的に乗せられる者が魔術を扱えるようになった。
そう、一般的に使える者が増えた形態が世界中に広まり、今まであった陣形術式を塗りつぶしていったはずだ。
「詠唱術式を広めたのはエルフ族ですよ。陣形術式と詠唱術式を組み合わせることで、更に高度な術式が使えると豪語していましたね」
何処か馬鹿にしているように見受けられる。そして、並べられている本棚から一冊の本を取り出した。
「これはエリザベート様が創られた転移の陣です。これを用いれば最小限の力で転移ができる術式です」
「すっげー!これだけシンプルなのに、完璧だ。俺には思いつかなかったな」
シュロスも納得するほどの完璧な術式のようだが、シェリーの目にはシンプル過ぎて、よくわからなかった。どちらかと言えば、いつも見慣れているオリバーが作った複雑な転移陣の方が安定しているように見える。
「しかしエルフ族が作った転移陣といえば……」
レガートスは笑いを堪えるように、言葉を止めてしまう。そしてよく見ると、肩がふるふると震えていた。
「一箇所飛ぶのに、莫大な魔力を消費する転移門を作るのが精一杯で、黒の姫が作って以降、改良されることがなく放置されているのが現状です。本当に滑稽ですね」
シェリー自身、その転移門を使ったことはないが、転移門の存在があることは知っている。だが、シェリーはある言葉に引っかかった。
「黒の姫?」
それは黒のエルフであるアリスを指す言葉だろうということはわかるが、アリスのことを姫と呼ぶことに驚きを隠せなかった。
どう見ても姫という者ではないだろうと。
「エルフ族は王族に対して神のごとく崇めていましたからね。特に黒の姫はスピリトゥーリの子として、神の子の如く扱われていたとか」
更にレガートスから衝撃の事実が出てきた。スピリトゥーリ。それは二番目の聖女である聖女スピリトゥーリだ。ということは父親は猛将プラエフェクト将軍。白き神を崇めるために世界統一を成そうとし、神たちから疎まれたエルフ族の将軍だ。
それが黒のエルフ。アリスの両親だった。
ということはだ。アリスの言っていた未来が死しか見えなくなったという言葉の裏には、この二人の死が絡んでいたのではないのだろうか。
そう、少女の姿でシェリーの前に現れた黒髪のエルフ。長命なエルフ族だとしても、あまりにも幼い少女の死の宣告だった。




