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「おかしくはないですよ。ただ、逃げる事を許されるなんてずるいと思いまして、ただそれだけです」
その言葉にカイルは息を飲む。シェリーは世界に与えられた役から目逃げる事を許されないといっているのだ。
エルフの女性が召喚者にとっての人質だとすれば、シェリーにとっての人質はただ一人しか居ない。
シェリーは言っていた。召喚者はココで生きる意味をエルフの女性に依存することで見出したのではと、これはシェリー自身のことでもあったのではないのか。
シェリーはルークという存在に生きる意味を見いだし依存している。
世界はルークという人質を盾にシェリーを聖女という役目に縛り付けていると。
シェリーがここにエルフの女性を置いて欲しいと言った真意は、召喚者にとっての人質となる存在を帝国から切り離し、召喚者に帝国に従わなくてもいいという機会を与えようとしたのだ。だが、これは召喚者がある程度自由が許された状態で、人質が一人だけという前提条件がつけられてしまう。
もし、勇者ナオフミのように名を名乗ってしまえば、奴隷の制御石を施されていることだろう。そして、人質となる存在が複数いるとすれば、正に身動きの取れない状態にあると言える。
その人質となる存在はユーフィアには居ない。なぜなら、彼女は物を作り出す事にこの世界で生きる意味を見いだしたからだ。
そして、ユーフィアの周りにはユーフィアが嫌なものを目隠しする者達がいる。嫌なものは見なくていいと、好きな物を作ることをすればいいと、周りがお膳立てをしてくれる。
なんとも彼女の周りは優しい世界に包まれていた。
「逃げるだって?」
その言葉もクストの癪に障った。先程、ルジオーネと話した事が一瞬頭によぎったのだろう。顔をしかめながら唸る。
「ええ、まどろみのような優しい場所から出てこずに、自分の足で立とうとしない。私には許されないことです」
「あ?何を言っている?自分が今までやってきた事を胸に手を置いてよく考えろ!貴様が勝手にやらかしただけだろ!今まで散々問題を起こしやがって!貴様とユーフィアを一緒にするな!」
クストは今までシェリーがやってきた行いが、自分の立場を作っているという。この国に来てからシェリーは問題を起こしてきたと。
問題。確かに色々問題を起こした事はシェリーも認めていることだ。しかし、それは破壊者としての力、神々に与えられた数々の祝福、そして、世界から与えられた役目の執行。
だから、シェリーは己の力を劣化させるという行為に及んだのだが、それを知るのは隣りにいるカイルだけだ。
「一緒にするなというのは、こちらのセリフだ」
カイルが怒気をまとい、クストに反論する。そして、カイルの怒気により、大気が軋んだ。
「シェリーがどれだけのモノを背負っているかも知らずに、シェリーに当たり散らすな」
大気が悲鳴を上げている。息が凍るほどの寒さになることのない国で、それも室内で息が白くなり、部屋の隅から大気が凍り始めていた。
カイルは怒っていた。心底怒っていた。シェリーの表面的な行動しか見ずに、否定する青狼のクストに、見たくないものには目を瞑り、聞きたくない言葉に耳を塞いでいるユーフィアに。
「カイルさん。長居をしてしまったので、出ましょう」
シェリーはカイルの腕を掴み、ナヴァル家を後にしようと言った。流石にこれ以上は駄目だと。
レベル200超えのカイルがココで暴れると屋敷どころか王都メイルーン自体が破壊されてしまうだろう。
「いや、駄目だ」
しかし、カイルはシェリーの言葉に不満を現す。シェリーは自分自身の事には無頓着と言っていい。そのシェリーが己の心の内の鱗片を見せたのだ。『ずるい』と。本当は与えられた役目など放置をしたいのではないのかと。
炎王は言っていた。
『俺と佐々木さんの在り方は真逆だ。俺は俺の庇護下に在るものは全て守ると決めた。だけど佐々木さんにとってそれは一人だけに向けられている。それ以外は仕事として受け入れている。それがある意味恐ろしいと俺は思うよ』
と。
シェリーにとっては仕事なのだ。そう、上司からの命により、与えられた仕事。
シェリーはため息を吐く。本当にツガイというものはツガイの事になると周りが見えなくなってしまうと。
シェリーはポケットに入れていた懐中型の魔時計を取り出して、時間を確認する。お昼をずいぶん過ぎてしまっていた。
「お腹が空きましたので、ジェフさんのところでお昼を食べませんか?」
シェリーの言葉にカイルはいつもどおりの態度に戻り、ニコニコしながら答えた。
「そうだね。お腹空いたね」
カイルは腕を掴んでいたシェリーの手を取って、この場から去ろうと扉に向かってい行く。そして、クストとすれ違いざまに言い放つ。
「青狼。これ以上シェリーに文句があるなら俺が相手になるぞ。覚えておけ」




