クロッキーブックと旅する少女-エピソード3 We forgot the guardian deity.
[エピソード3の登場人物]
画家・マリー=アンジュ・桜……主人公。クロッキーが得意な少女
パステル…………桜に真名を知られて従僕となった黒猫
二人の老人………道祖神
文枝………………旅館の元経営者。今は隠居の身
文高………………旅館の経営者。文枝の長男
画家・マリー=アンジュ・桜は、歩道にしゃがんだまま後ろを振り返った。彼女の視界に映ったのは、2メートルほど離れて立つ自分。風もないのに揺れる黒髪のロングヘア、輝くダークブラウンの双眸、笑みがこぼれるサクラ色の唇。目の錯覚ではない。自分と瓜二つ、否、まるで3Dコピーでもしたかのような顔がそこにあるのだ。
区別が付かないのはそれだけではない。同じ色と形の麦わら帽子を被り、これまた柄まで同じ服――ヒマワリの3D刺繍を施した半袖のワンピース――を着ている。そこから覗く細い肢体は、肉の付き方までそっくりだ。もちろん、履いているサンダルも背負っている黒いリュックも、何から何まで同じである。
桜は大きなため息をついて立ち上がり、鏡に映る自分の姿のような相手に向かって体の正面を向けて、腰に手を当てた。
「またあなたね。その格好で、うろつかないで欲しいわ、化け猫さん」
化け猫と呼ばれた桜のそっくりさんはニタリと笑い、腰に手を当てて軽く右足を曲げ、桜よりも1オクターブ低い声でしゃべり始めた。
「今日こそ、決着を付けるぞ」
「そう言って、いつも負けるのはあなたです」
「フン。今度はひと味違うぞ」
「もう、いい加減にしてもらえないかしら?」
「今日こそ決着が付くから、その望みが叶うはず」
桜は腕組みをした。
「なら、条件を付けましょう。あなたが負けたら、今度こそ真名を聞かせてもらいます。そして、私の僕となって、何でも言うことを聞きなさい」
「むっ……それは……」
「もしも、私が負けたら、あなたに喰われてもいいですよ。私の力が欲しいのでしょう?」
「うぬぬっ……そこまで言うのなら……いいだろう! その約束、反故にするでないぞ!」
「あなたこそね。勝負は、えっと……ここではまずいから、向こうの山へ行きましょう」
桜が目を細めて、少し遠いところにある小高い山を指差すと、桜のそっくりさんが「よかろう」と頷いた。
それから二人は、まるで双子の姉妹が喧嘩でもして、お互いに距離を開けているかのように歩いた。住宅街を抜け、田畑を抜け、木々が生い茂る山の中へと入る。
一人しか歩けないような細い山道を辿って頂上まで登ると、木々に囲まれたおんぼろの小屋があった。その前に、割と広めの空き地がある。二人は、歩いていたときの距離を保ちながら向かい合い、桜の詠唱が合図となって戦いが始った。
両者の動きは、舞のように美しい。持てる技を存分に発揮して、華麗な魔法をぶつけ合う。目で追っているうちにどちらが本物の桜かわからなくなった頃、一方が相手の攻撃をまともに食らい、派手に転んで大の字に伸びた。腰に手を当てた勝者が高い声を発したので、我らが桜の勝利だったようだ。
「さあ、約束よ。真名を教えて、私の僕となりなさい」
「うぬぬ……仕方あるまい。……みやう、だ」
「鳴き声みたい」
「うるさい!」
と、突然、桜のそっくりさんが煙に包まれ、ちょこんと座ってうなだれる黒猫になった。
「じゃあ、あなたの名前は……今日から、パステルね」
黒猫がギョッとして、金色に光る眼を桜に向けた。
「はあっ!?」
「何でも言うことを聞く約束よ」
「なんだ、その名前は? パッと捨てるから、ぱすてるか? 使い捨てか?」
「違うわよ。画材の名前。可愛いでしょう?」
「もっと格好いい名前をつけてくれ。そのぉ……なんだな……」
パステルが両方の前足で頭を掻き始めたとき、おじいさんのような声がした。
「さっきから、騒がしいのう」
桜とパステルは、同時に小屋の方を見た。その方角から声が聞こえてきたからだ。二人は顔を見合わせる。
「行ってみる?」
「ああ。あんなおんぼろの小屋に人が住んでいるとは思えんが、一応な」
彼女たちは小屋に近づき、わずかに開いていた扉を開け放ち、奥を覗いた。中は、窓はないが、板と板との隙間から光が差し込んでいる。その光が映し出しているのは、幼児のように小さい二人の人物だった。
向かって右側はおじいさんで、烏帽子に似た帽子を被り、神官のような服を着て正座をしている。糸のように目が細く、白い口髭と顎髭が床にまで伸びているのが特徴的。
もう一人はおばあさんで、白髪頭を後ろに結んで、これまた神官のような服を着ている。彼女は、おじいさんを膝枕にして眠っていて、起きる様子がない。
二人とも、暗がりの中の少ない光加減からか、姿がボンヤリと見えている。
「目が覚めてしもうたわい。ばあさんは起きないがな」
「ごめんなさい」
桜は平謝りする。しかし、パステルは首を傾げた。
「いやいや、あの物音で起きない方がおかしいぞ。そのばあさん、具合でも悪いのか?」
おじいさんは、ゆっくりとおばあさんに目をやって、もう一度桜たちのほうを向いた。
「……もう、ばあさんには力がないのじゃ。わしも、じゃが」
「なぜ?」
「わしらは、ずっとずっと待っておるのじゃ。待ちくたびれて、眠りこけてしもうた」
「誰を?」
「祈る人をじゃよ」
桜とパステルは顔を見合わせ、囁き合う。
「なんとなくこの人たち、人ではないような気がしていたけど……」
「ああ。俺もだ。最初、薄暗くてよくわからなかったが、目が慣れてくると、消えかかっているのがわかる」
「霊でもないし」
「うむ。人の姿をした何かだ」
すると、おじいさんが右耳の後ろに手を当てて、耳穴を桜たちの方へ向ける。
「なに、ブツブツ言っておる?」
桜とパステルは互いに頷いて、同時におじいさんたちの方へ振り向いた。
「おじいさんたちって……」
「まさか、付喪神とかか?」
二人の問いかけを聞いたおじいさんは、手を下ろしてため息をつき、ソッとおばあさんを撫でてから言う。
「わしらは、疫病や悪霊を防ぐ塞の神よ」
パステルは右の前足で頭を掻いた。
「ああ、なるほど、道祖神か。……それが、なんでまた、ここに? 普通は道ばたとかだろう?」
「話せば長いが、よいかの?」
「ああ、かまわんさ」
遠い目をするおじいさんは、おばあさんを撫でながら語り始めた。
◆◆◆
昔々、山の麓にいた信仰心の厚い村人たちが、疫病や悪霊から身を守るため、麓の道で村の境となる位置に男女2体を彫った石像を置いた。これが道祖神である。
かつては、村人がお供え物を捧げて祈り、旅人は交通の無事を祈り、祭りも盛大に行われていた。
しかし、時代が下り、村人の間でそのような信仰心も薄れていき、道を広げるのに石像が「邪魔になった」ため、山の頂上の小屋に安置された。山の上ということもあって、祈る人が激減し、老齢化も手伝って、一人減り、また一人減りしていった。
そんなある日のこと、村に住んでいた二人の若い男女が、小屋の前で恋に落ちた。これは石像が縁を結んでくれたおかげと思った二人は、道祖神にお参りするようになった。お供え物も置くようになった。しかし、二人が縁結びの話を村人にしても、偶然だろうと取り合ってくれず、誰も縁結びを祈願には来なかった。
二人の間に女の子が生まれると、縁結びの話はその子供に伝えられた。
その女の子が小屋の前で村の青年と恋に落ちると、縁結びの言い伝えは、さらにその子供――女の子――に伝えられた。
その女の子が小屋の前で村の青年と恋に落ちたとき、外国との戦争が起きた。出征した相手の男性は、戦禍をくぐり抜けて無事に帰国。それもこの石像のおかげと、二人は祈りを捧げた。
しかし、二人の間には子供が出来なかった。村人は、すっかり石像のことを忘れるほどで、訪れるのは二人だけになっていた。
年老いた二人は、一緒に来ることも稀になり、交互に来るようになった。背中が曲がり、杖を突くようになった。そのうちに、男性の方が来なくなった。しばらく一人で来ていた女性も、ついには来なくなった。
◆◆◆
「話はここまでじゃ。わしには、ここで祈っていたこととか、ここで話していたことしかわからんから、もっといろいろあったろうは思うが」
おじいさんは、フーッとため息をついて、まだ寝ているおばあさんを優しく撫でた。
「たまに声がするが、どこの誰かはわからぬ。小屋が気味が悪いとかで、扉を開けようともせん。小屋には激しい雨風が打ち付け、度重なる地震で傾いたから、もう長くは持たぬ。周りの草花や木々と同じく、いずれ土塊に返るときが来る」
おじいさんは、桜たちではなく、その後ろの遠くを見る。
「そう……必ず来る……必ずな。そして、いずれ、わしらは消える」
「「消える!?」」
桜とパステルがハモった。
「左様じゃ。……祈る者が、こうもおらんとな」
弱々しいその声を聞いた桜たちは、おじいさんもおばあさんまでも、一段と姿が薄くなったように思えた。
「なあ、桜」
「何よ、パステル。いきなり、呼び捨て?」
「そこんとこは大目に見てくれ。それより、なんか、聞いてて切なくなってきたぜ」
「私も」
「そこでだ。人助けっちゅうか、神助けするか? 普通、逆だが」
「当てはあるの?」
「村人に聞き込みすればいいだろ? しゃべる猫が探偵やるとまずいから、当然、桜がな」
「えええええっ!?」
「じゃ、じいさん、ばあさん。待ってろよ。連れてくるから」
「ちょっと、パステル。亡くなっているかも知れないのに?」
「勝手に殺すな。まだ死んだとは決まってないだろ?」
「……わかった」
桜は、リュックからクロッキーブックとコンテを取り出した。彼女の行動を見たおじいさんは、不思議そうな顔をする。
「それは何かのう?」
新しいページを探す彼女は、下を向いたまま「おじいさんたちを思い出してもらうために絵を描きます」と答えた。真っ白のページが見つかったので、彼女はコンテを握り直し、おじいさんの方を向いた。
と、その時、彼女は驚愕し、手からコンテが滑り落ちそうになった。
そこには、おじいさんとおばあさんが肩を寄せ合うように立って微笑んでいる石像が置かれていたからだ。
「ねえ、パステル。あなた、今、何が見えている?」
「お前とおんなじだよ」
「石像?」
「ああ」
「いつ変わった?」
「瞬きしたら、一瞬で石になった」
桜は心を落ち着かせてから、もの凄いスピードで、ただし正確に石像を描き上げた。
「出来たわ」
「んじゃ、行くか」
小屋に背を向けた桜とパステルは、もう一度石像に振り返ってから山を下りた。
ポツポツと点在する農家に赴き、畑作業をしている人たちに聞き込みを開始する。しかし、桜が見せる石像の絵については誰も記憶になく、山の上にそんなものがあることも知らず、お参りしていたという老人のことも知らなかった。
話を聞いていると、どうも、小屋には物の怪が住んでいて、近寄ってはならないという教えが広まっていたらしい。それが石像を守るための言い伝えであったのかは、今となっては知る由もない。
足が棒になった桜は、あぜ道でしゃがみ込み、「うーん、考えろー」と頭を掻く。と、その時、彼女は、はたと膝を打った。あの旅館の元経営者である文枝なら何か知っているのではと思いついたのだ。
急ぎ足で旅館に戻ってみると、ちょうど文枝が出かけるところだった。話を聞きたいと告げると、快く居間に案内してくれた。なお、パステルを同伴して旅館に入ると、首輪のない野良猫が桜の後をつけてきたように見えるので、パステルを門の外で待たせることにした。
桜は、クロッキーブックを開いて、描いた石像を文枝の方へ向ける。文枝は、それをしげしげと眺めて「この石像かい?」と問う。
「ええ。これが、近くの小高い山の上の小屋にあって、そこにお参りしていた男性と女性を捜しています。もう、かなりのお歳とは思いますが」
「ふむ……」
文枝がしばらく考え込んだ。桜は、参考になるかと思い、男性が出征した話や、最後にお参りしたのは女性だという話もした。すると、文枝がますます難しい顔になる。
「うむう……」
眉間に皺を寄せて唇を固く結ぶ文枝の顔を、桜が覗き込む。
「もし、ご存じなければ――」
「いや、知っておる。ただ……」
「ただ?」
「その話は、和子から聞いた話と少し違う」
「和子さん? どなたでしょうか?」
「その祈ってたっちゅう女の人の名前じゃ。この旅館が出来た頃、従業員として働いていたことがある」
「ああ、それでご存じだったのですね! ……ところで、少し違うというのは?」
「違うのは、出征した婚約者が戦死したことじゃ」
桜は心臓がズキッと傷み、背筋が凍った。
「そんな……」
「戦死した者が無事を祈れるはずなかろうが。どこのどいつじゃ、そんな出鱈目なことを?」
「…………」
「まあ、よい。見間違ったのかもしれんしのう。無理もないわい。婚約者ちゅうのは、双子の兄の方じゃから」
「!?」
「双子の弟も兄と一緒に出征したのじゃ。兄は戦死したが、弟は無事に帰ってきた。帰ってきてから、そりゃあもう悲しくて悲しくて毎晩泣いていた和子を哀れに思い、面倒まで見たそうじゃ」
「そうでしたか。……お二人は、その後、ご結婚なさったのですか?」
「いいや。二人とも、独身を通したのじゃ。弟は、兄のことを気にせずにと他の男との結婚を勧めたが、和子は結婚せんかった。弟の方は十年前に亡くなり、看取った和子の方は寝たきりになって、今は病院にいるはずじゃ」
すると、廊下の方から「いいえ」と男性の声が聞こえてきた。桜が声の方を振り向くと、お茶を運んできた文高だった。彼は桜の方に向かって一礼し、お茶を出すと、母親に向かって「あの病院には、もういませんよ」と告げた。
「何? もう退院したのか?」
「さっき、正三さんがやってきて、『昔、ここで働いていた和子ちゃん、今朝方、亡くなったそうだ』って言ってました」
「!!」
「なんと……」
文枝は目を閉じ、うつむきながら肩を小刻みに震わせた。
「また一人……。寂しくなるのう……」
桜は旅館を出て、歩道のところでパステルと合流し、山頂の小屋へと向かった。
小屋に到着した彼女が、扉を恐る恐る開けると、おじいさんが正座をして、おばあさんがおじいさんを膝枕に寝ているのが見えたのでホッとする。やはり、あの時は「思い出してもらうために絵に描く」と言ったので、一時的に石像の姿に戻ったのかも知れない。
「残念な報告で、ごめんなさい。調べたのですが――」
「その様子では、おらんかったようじゃのう」
「はい。お力になれず、申し訳ありません」
「よい、よい。わしらの役目は、とうに終わっておったのじゃ。なのに、未練が残ってしまい、またいつか祈りに来るのではないかと、ずっとここで待っておったのじゃ」
「…………」
「今回、お前さんたちの好意に甘えてしもうて、捜しに行くのを止めもせんかった。それで、悲しい思いをさせてしまったようじゃ。わしこそ、すまなかった」
「いえ……」
「そろそろ、消えるとするかのう、ばあさんや」
おじいさんがそう言いながら寝ているおばあさんの方に目をやった。すると、パステルが前足で頭を掻きながら言う。
「なあ。お祈りする誰かがここに来れば、消えないんだよな?」
「左様」
「もう消えかかっているみたいだが、今祈ればまだ大丈夫だよな」
「大丈夫じゃ。旅のお方なら、道中の無事を祈ることでよい」
それを聞いたパステルが、桜を見上げた。
「じゃあ、桜。俺たちの旅の無事を祈ろうか」
「そうね」
桜は目を閉じて手を合わせ、パステルはうつむいて祈りを捧げた。祈願が終わると、急に、パステルが桜を見上げた。
「桜。俺は機械のことはよくわからんが、エスエヌなんとかでここの道祖神のことをみんなに広められないか? 御利益があるとか、古い時代の史跡が人里離れたところに残っているとか、みんなの興味を引きそうな内容で」
「なるほどね。宣伝して、ここに人を呼ぶのね。宣伝するからってあまり誇張して書けないので、おじいさんのお話を伝説風にうまくまとめて、拡散希望で投稿するわ」
それから桜は、自分の描いた絵と小屋と周辺の風景をスマホで撮影し、紹介記事を書き、地図情報も加えて、「旅で見つけた隠れスポット」として投稿した。クロッキーだけではなく、SNSに投稿するのも驚くべき速さだ。投稿してすぐ、ポポポポポッと「いいね!」が増えていく。
「おじいさん。お待たせしてごめんなさい。ここのことを日本中、いや、世界中に広めたから、もう少し待ってください。きっと、人が集まってくると思います。祈って帰る人も増えると思います」
「そうそう。時間はかかると思うが、待ってはくれぬだろうか?」
桜とパステルの言葉に、おじいさんは笑顔で頷いた。
「ありがとう。本当にありがとう。これで希望が湧いてきた。時間はかかっても、待つことにしよう。今までだって、ずっと待っていられたのじゃから」
それから桜とパステルは、道祖神に別れを告げて下山した。
「桜。その後、投稿はどうなった?」
「ああ、SNSのことね。えっと……あっ! 『いいね!』がもう300を越えているわよ!」
「凄いというか、暇人が多いというか……。それはそうと、桜、これからどこへ行く?」
「そうねぇ。……海を見たから、今度は山かしら」
そう言いながら、桜は後ろの山を振り返った。すると、ちょうど山道を登っていく人物が見えた。その人物は、白髪で白い長襦袢を纏っている老婆のようだが、背中を向けているので顔が見えない。ゆっくりした足取りで、顔を上げて登っていく。桜は立ち止まって、しばらくその老婆の様子を見ていた。
(あっ、やっぱり、影がない)
それに気づいた彼女は、独り言をつぶやいた。
「安心してくださいね。神様は、ずっとあなたのことを待っていてくださいましたよ」
すると、彼女の後ろから「おーい」とパステルの呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、かなり先の方までパステルが歩いていて、こちらを見ている。
「おいてくぞ」
「はいはい」
桜は、緑と土の匂いがする風に背中を押されて、パステルの後を追った。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
元々、長編物として考えていたのですが、独立したエピソードに分割し、短編として公開しています。