その嘘は誰のため
「なあ、突然だけどさ。俺、彼女できた」
「へ、へえ。そうなんだ」
毎日一緒に登校していた彼にそう言われた。
ただまあ、一瞬こそビビったがなんてことはない。だって今日は――。
「って、騙されると思った? さすがに世の中そんなに甘くないですよーだ。今日が4月1日だってことくらいわかってるし。どうせ嘘なんでしょ? バレバレだし」
そう、今日は4月1日――エイプリルフール。起源とか根拠とかは全く知らないけど嘘をついていいらしい。
コイツから「彼女できた」系統の嘘、絶対来ると思ってたし、むしろしようかと考えてたくらいだし。
彼はというと、速攻で見破られたのがそんなに意外だったのか、目を丸くして驚いている様子だった。
さてはコイツ、私のことバカにしてるな?
すっとスマホを取り出して画面を覗き込む。「マジかよ」と、どこか悔しそうな様子だが、いまさらそんな演技をしても遅い。というか去年もそんなことしてたし、正直古い。
「まあ、いちおう誰かまでは聞いてあげる。どんなホラを吹くつもりだったのか、気にならないわけでもないからね」
勝ち誇ったような(というか実際勝っているんだけど)笑みを浮かべながら、余裕綽々、上から目線でそう聞いてあげた。無い胸を張り、堂々と。
「いや、嘘じゃないんだけどな。……てかそれって言わなきゃダメなのか?」
「もちろん、アンタからこの話を始めたんでしょうが」
というか、「嘘じゃないんだけどな」って、この後に及んでまでエイプリルフール続けるつもりなの、コイツ。いい加減諦めたらいいのに。ばれてるんだから。
どんな暴論だよ。と言う声が聞こえないでもなかったが、私にとって都合が悪そうだったのでとりあえず無視。
「しゃあねえな。秘密だかんな?」
「はいはい。嘘を教える相手なんてーませんよー」
嘲笑気味にそう言う。さすがはいちおう幼馴染なだけはある。嘘だとはいえ、こういうことにちゃんと乗ってくれるのはいいところだと思う。
「だから嘘じゃないっての。教えないぞ?」
全く、往生際が悪いな。毎年のことなんだけど、今回はやけに。
ここまで貫き通すとは、割と想定外。
っと、教えてもらえないのは私としても困る。こんな立派な弄りネタ、獲得しないわけがない。
そのためにも、「ごめんごめん、冗談だっての。ほら? エイプリルフール」と、心にもないことを言う。むしろこの発言のほうがエイプリルフール。
ものすごく疑心にあふれた表情で見られる。まあ致し方ないだろう。事実、嘘なんだし、棒読みになりかけてたし。
こちとら息をするかのようなのように嘘をつくオマエみたいに嘘がうまくないんだよ。悪かったな。
「はあ、まあいいや。1回しか言わないから、ちゃんと聞けよ?」
ため息をつかれてしまった。そんなに嫌なら別によかったのに(とか絶対言うつもりないけど)。
――西園寺。西園寺 夏奈。
とても、小さな声だった。後ろの方はもうデクレッシェンドさながらの減衰様で、聞こえるか聞こえないかの間だった。
嘘だろう、と。私はより確信を強めた。なぜなら相手は西園寺 夏奈。学年1、学校1と言われる美少女。つい半月前には渡してもいない男子からのホワイトデーの贈り物で机が埋まっていたことが有名な、彼女だ。
そんな子と付き合えただなんて、そんなの嘘に決まっている。コイツが付き合えるなんて、そんなわけがない。
わけがない……のだが、彼のその様子は嘘だという私の考えを否定しにかかっていた。
嘘じゃない、と。
付き合えたとは本当だ、と。
「ふ、ふーん。か、彼氏くらい私だってえっ! だって……いるし……」
苦し紛れについた嘘は、はたして彼に届いていたのか否か。
「で? それでなにも聞けずにここまで来た、と?」
「うん」
「バカじゃないの? いや、バカじゃん」
言葉がグサリと思い切り突き刺さる。
いやまあ、その通りなのだからなにも言い返せないんだけど。
どういう状況なのか、といえば聞くまでもなく朝のことを相談していた。
場所は学校。まだ春休みの途中ではあるんだけど、部活があるので学校。吹奏楽部。
「嘘に決まっているでしょ、そんなの。気にすることないの」
完全に呆れられている。ため息こそついていないものの、わかりやすく嫌そうな顔をされた。
「で、でも……。ほら、もしかしたらってことが――」
あの表情を見せられてしまっては、あの声色を見せられてしまっては。どうも嘘とは思えなくって。
「南條 七海!」
「ふぁいっ!」
勢いよく名前を呼ばれた。なぜかフルネーム。それに思わず返事をしてしまう。吹奏楽部の癖だ。
「そろそろ練習、再開するぞ」
「は、はい」
話を聞いてくれていた彼女――恵は、なかなかにお怒りの様子だった。
そこまで怒らなくても、と言いたいところだったが、どう考えても私が悪いので喉の奥に押し込んだ。
「どう考えても両片想いだってのに、なにが心配だってのさ」
楽器を置いてある机へと向かう途中、恵がなにか言っているようだったが、声が小さかったので聞こえそうになかった。
聞き返してみると、怒られた。
今日はセクション練習の後に課題曲の合奏があるらしい。とっととしろと、パートリーダーに怒られた。
「連絡がある人はいませんか?」
部長の声に1人の生徒が手を上げる。
「えっと、学生指揮者は朝も連絡してたように後で俺のところまで来てください」
その声にただ2人だけが返事をする。私は早く終われと念じるだけ。
とにもかくにもお腹が減った。
今日のセクションはなかなかにキツかった。ユーフォとホルンと一緒に、オブリガードの所の音色が合うまでひたすらに合わせ続ける。
ユーフォとホルンはともかく、私がやるテナーサックスがなかなかにこの2つに合わなくて、めちゃくちゃ怒られた。
集中しろ、と。周りの音を聞け、と。
言われても言われてもなおらなくて、むしろ後輩の方は音が合っているというのに。挙げ句、私だけのせいで合奏の時間になってしまった。
案の定、合奏でも指摘を喰らう羽目となった。
「今日は散々だったねえ。七海」
「めぐみぃ……」
合奏のとき、少し離れた位置に座っていた我らがパートリーダーは、慰めのつもりかそう言ってきた。
「そんなに気になるのなら、相手側に聞いてきたらいいのに」
「相手側って……えっ!?」
そう声を荒げた瞬間、私は悟った。そして気づいた。
「今日、来てるでしょ? 夏奈。聞きに行けば?」
恵は、私で楽しんでいるということに。そしていま彼女の顔が悪い笑みで気味が悪いほどにニヤついていることに。
「あ、北村先輩、ちょっといいで――」
「恵なんて嫌いだあああああああああああああああっ!」
半泣きで私は駆け出す。2組の教室へと。
「え、南條先輩どうしたんですか?」
「さあね? 私にはわからないよ。で、どうしたの?」
犯人はシラを切ってそう言った。
人はいいのだがどこまでもタチが悪い、ドSの我らがパートリーダーは。
↓ →
「――というわけなんだけど、どうしようか」
「あ、それなら俺がやってもいいか?」
「東野くん、いいかしら? それから2人も」
俺は頷く。横にいた2人も同じように。
「じゃあ、よろしくね。午後の合奏は昨日連絡した通りだからお願いね。じゃあ、解散! あ、東野くんはスコア持っていって目を通しておいてね」
適当に返事をする。机に置かれたスコアを取って戻ろうとする。早く昼飯を食べようと。
ところがその前に、
「和輝先輩、和輝先輩! なにか言うことないんですか? ほら!」
なぜか絡まれた。早く昼飯食べたかったんだけど。
「ほら、僕はわかってるんですよ? せっかく聞いてあげてるんです。先輩が用意してることは見え見えなんで、遠慮せずに、どうぞ」
なぜかやたらと上から目線だった。後輩なのに。
心当たりを探ってみたが、少しばかり思い当たらな――いや、1つだけある。
アイツ、バラしたか?
「ったく、しゃあねえな。付き合ってるんだよ、俺。西園寺と。それだけだ、それだけ」
それ以上の答えは無い、というところまで言った。ので、余計な詮索を避けるためにとっとと逃げる。
「ほほう、今回はなかなか痛い嘘ですね。西園寺先輩と付き合えたとは」
「なーに言ってるのよ。あながち嘘じゃないかもよ? 西園寺先輩、東野先輩に気があるって噂、ちょっとだけ聞いたことあるし」
「えっ、マジで!?」
「うん。西園寺先輩に限ってそんなことは……ってことで、ファンの間で揉み消されたって聞いたことあるし」
「ならそれ、どこ情報なんだよ」
「秘密よ。それに」
――エイプリルフールで嘘をついていいのは午前中だけって話もあるわけだしね。
俺の背に向けられて為されていた会話は、最優先事項を昼食にしていたために雑音と処理されていた。
→ ↓
2組の教室の前。とはいえ、ここにはお昼ごはんは無い。
お昼ごはんがあるのはこの隣、3組の教室。サックスパートが使っている教室にある。
隣のここは、クラリネットパート。
なぜこんな所にいるのかといえば、さっきうちのドSに焚き付けられ、ちょっとこのままでは帰るに帰れなくなってしまったから。
西園寺 夏奈。彼女に会って話を聞くため。
もちろん、来なくたって結果はわかっているけど。
そんなのわかりきってるし、さすがのアイツでも、ここまで――相手にまで根回ししていないだろう、と。
そう、確信を持っていた。
のに、その確信は打ち砕かれる。
「もう、和輝くんったら、もう喋っちゃったのね」
思考停止が約数秒、ふと意識を戻してみると、目の前の美少女はくねくねと体をねじらせながらの惚気話をしていた。
嘘だと思っていたのに、エイプリルフールの嘘だと。
まだ確定したわけではないけど、アイツがここまで根回ししていたとすれば話は別になるんだけど、けれど。
どうしてか、嘘だと思いたいのに、思えない。
思わず、ボソボソっと話を聞いてくれた礼だけ言って、下を向いて隣の教室へ駆け込む。
彼女の表情を見る余裕なんてなかった。
↓ ↑
教室に、七海が泣きながら駆け込んできたときは何事かと思った。
同期も、後輩たちも、そんな彼女にあたふたしてしまって。ただ私は彼女と、それから夏奈、そして和輝の間でなにかがあったのだと悟った。
泣きじゃくる彼女に駆け寄って訳を聞いて見るが、嗚咽と鼻をすする音、息の音が邪魔すぎで聞き取れない。
どうにもこうにもならないので、他の人たちに断って教室から2人で出た。
そのまま教室から離れ、特別教室の奥にある、ほとんど誰も使わない階段へと。
彼女の気が落ち着くまで。
「あの、ね、恵」
「うん」
まだ、鼻声だし詰まり詰まりだったが、彼女は話し始めた。
「アイツ、ね、和輝ね」
「うん」
私はひとつひとつの言葉にそうやって相槌を入れていた。
「やっばり、付ぎ合ってたよ……」
「そっか……」
彼女が泣いている理由なんて、正直それくらいしか思い当たらなかった。
私も、七海も。エイプリルフールだからと油断していたんだ。油断してしまっていたんだ。
「ごめんね、ごめんね、七海」
その結果、七海が泣いてしまった。私のせいだ。
「ごめんね、ごめんね」
ただ、謝ることしかできなかった。
私は体調が悪いとか適当に報告して七海を帰らせた。色々言われたけど、付き添いと押し切って私も着いて行った。
下校時に話を聞いていた。2人して口裏を合わせてたっていう可能性もある、と励ましたりした。
もし、七海が今「殴りたい」と言うならば、サンドバッグになるつもりでもいた。
けれど、私がなにをしようとも彼女はいっこうになにもしなかった。
ある意味、私にとっては1番の仕打ちだった。
仕方ない、無責任にあんなこと言った私が悪いんだ。
だから、私は罪悪感に駆られながら、ずっと彼女の隣に付き添った。
「ごめんね、こんなところまで。ありがとう」
「私こそごめんね、あんな無責任なこと」
七海の家に着いた。
「ううん、いいの。恵のせいじゃない。だって」
そう言って、彼女は言葉を詰まらせる。
私のせいではない、とはどういうことだろうか。
私が聞きに行けばいいじゃないかと言ったから、彼女が泣く結果になったのに。
「だって、なんとなく気づいてたから。おかしなことに」
七海曰く、例年よりもやけに「嘘じゃない」と否定し続けていたり、今日がエイプリルフールであることになにかやらかしたかのような表情をしていたり、その他にも。
けれど、そう思いたくないから、だからこそ、その全てが嘘を貫き通すための演技だと、自分に嘘をついていたから。
だから、これは自分のせいなんだと。嘘つきの、自分せいなんだ、と。
なにも、言えなかった。私は、彼女に声をかけれなかった。
あまりに重すぎて、あまりに辛すぎて。
ついに、私まで泣いてしまうほどに。
↑ →
4月1日、午後11時52分。ディジタル表示の数字の様子を見て、最後の準備に取り掛かる。
エイプリルフール終了まで、あと8分。今回は去年と違ってしっかりと嘘に引っかかってくれた。まさに、April foolになってくれた。こんなことは久しぶりだ。
協力してくれた西園寺にも感謝しないと。
最後の仕上げ、日付変更ギリギリに送るダメ押しメール。これさえ成功すれば、きっと今回は成功するだろう。明日の朝にネタバラシすればいい。
ただ、今回はあまりにもやりすぎた気もする。途中で帰ってったけど、あれは絶対体調不良じゃなくて俺のせいだし。本気で謝らないとヤバイのはたしかだろう。
……騙される方も悪いといえば悪いんだけど。
時刻はついに59分、そろそろ送ろうか、それとももう少しギリギリまで粘ろうか。
あと30秒、あと20秒。
あと10びょ――。
テロン。
軽快な電子音。メール……? こんな時間に?
呆気にとられてしまった。とりあえず忘れないよう七海に送信して、西園寺からのメールを。
『これから、よろしくお願いしますね』
いったい、なんの話だろうか。
『実は、私も1つ、和輝くんに嘘をつかせて貰いました』
ゾワリ、と。背筋が凍る感覚を覚える。
なんだ、なんなんだ?
『3月の31日、和輝くんにエイプリルフールの協力を頼まれました。そして、少し考えさせてほしい、と私は言いましたね?』
ああ、その通りだ。間違っちゃいない。
『そうなのです。私は、返答を待ってもらったのです。日付が変わるまで』
急激に寒気が走る。今まで見えていなかった視界が晴れてくる。
俺は急いでメールの履歴を確認、そして、
『そして私は提案しました。私があなたの偽物の彼女となる』
ああ、確信した。けれど、そんなの横暴だ。無茶苦茶だ。
『偽物が嘘だとしたら。横暴だと、無茶苦茶だと。そう言われるかもしれませんが、私、聞きましたよね?』
なんだろうか。俺は、なにを聞かれたのだろうか。
『七海さんを騙すようなこんなこと、してもいいのですか? と』
ハッとする。戦慄する。
俺は覚えていたから。その質問に、なんて返したのか。
『大丈夫、騙される方が悪い。そう、言いましたよね?』
なにも言い返せない。まさか、ここまで伏線が張り巡らされていたなんて。
『それに、最後の最後で本当に、ありがとうございますね。こればっかりは本当に運だったので、びっくりしましたよ』
なんの話かと、本当に理解できなかった。
テロン。
再び軽快な電子音。けれど、西園寺からじゃない。
『お幸せに』
短絡な文章。意味がわからない。
なんの話なのか。全くわからない。
数秒フリーズ、そして、まさかと思って確認する。
メールの送信時刻、0時00分。
わずかとはいえ、いつの間にやら日をまたいでしまっていた。
それと同時に理解した。彼女の、西園寺の言葉の意味。
西園寺から日付が変わる直前に来たあのメール、アレに一瞬操作から気をそらされ、押しそこねた。
数分前の自分をぶん殴りたくなった。弁解のメールを送ってみたが、帰ってこない。
『本当にギリギリに送ってくれたんですね。ありがとうございます。ちゃんと根回しはしておいたので、弁解しても無駄ですよ』
なにからなにまで、嵌められた。
この仕打ちはエイプリルフールとはいえ嘘をついた報いなのだろうか。
それとも悪魔の罠なのだろうか。
『それじゃあ、よろしくお願いしますね。これから、末永く』
ああ、なんで学校のヤツらはコイツを――西園寺をかわいいだのキレイだの言うんだろうか。
かわいくもなんでもない、ただの悪魔。
罠に嵌め、楽しんでいる、ただの。