第七話 安堵
現在、「12:30」と壁に掛けられたアナログの丸時計は指している。
刀羅が部屋を出てからもう1時間近く経っている。
刀羅はリハビリテーション室にその左側全体の3分の1ほどスペースに置かれた、トレーニング室のような場所にいた。
そこは、一応ジムとしても機能しているようで、刀羅と同じように入院しているらしき人が1人2人いる。
入院患者にとって有り余った時間を消費するという意味でもこのトレーニング室は重宝しているという訳だ。
さらに、入院患者はここを無料で使うことが出来るという特権も有難い。
刀羅にとっては自分に発生した得体の知れない力について考えてから、思い出すようになった恐怖を忘れるという面でもある程度役立った。
「そろそろ戻るか。」
準備運動に10分、ランニングマシーンで30分、ベンチプレスで10分と刀羅がこの時間の中でやれたものだ。
受付で預けた荷物と刀羅の腕に付けている「3」という数字の入ったバンドを交換する。
荷物を受け取ってリハビリテーション室を出る。
リハビリテーション室を出て直ぐに刀羅は気づいた。
「雨か...」
雨が降っている。それもかなり大降りだ。
リハビリテーション室は刀羅が体を動かしていた1時間の間に天気が激変したようだ。
時期を考えれば、それも当然と言えば当然のことだ。
刀羅は雨というのが大嫌いだ。
服も体も濡れるし、荷物は増える、歩くにしても何かに乗るしても普段より事故は増える。
これらの主に大雨の時に起こる点においては刀羅だけでなく全ての人が嫌がる項目でもある。
だが、刀羅が特に嫌いなのは”臭い“と“音”だ。
鉄臭くそれでいて、どこか腐った生卵のようなあの臭い。
いつもその臭いがするという訳ではないのだが..。それを知覚してしまうとその臭いに耐えられない。
音もそうだ。雨が激しく降る音、雨が何かに当たって発生する音これはただの水が跳ねる音、何かに当たる音でしかない。しかし、それを雨だと知覚してしまうとそこに暗く黒く澱んだ何かを感じるのだ。
だか、この音に対する感覚は前から感じていたわけではない。
何故だか、1ヶ月前に目覚めてからそう感じるようになったのだ。
1週間前までいたあの施設では、外の天気を直接見ることはなかった。しかし、TVで雨の音を聞いて不快に感じるようになった。
2ヶ月前のあの時に関係があるのかと思って思い出してみたりするのだが、記憶の中のその事象では雨など降っていなかった。
これは、悪夢で見る時も同じだった。
ならば、どうして刀羅は雨の“音”を不快に感じるようになったのか。こ
れもある意味では、刀羅の疑問の一つだ。
2か月前と言えばさらにもう一つ疑問がある。
それは、あの悲惨な事件をTVやニュースでもほとんど見なかったということだ。
Twitterなんかも駆使して情報を得ようと試みたのだが、全くあの事件について触れるツイートはなかった。
いくら何でも興味が薄れたからでは、説明しきれない。
元々あんなことがなかったかのように何も無い。
刀羅があの施設で起きて最初に見たニュースだって、事件から一週間後のもので、その時点では世間にあの事件があったということは周知の事実になっているはず。
それに、明陽もツイートされていたというようなことを言っていた。
そして、大里海生、伊藤友梨、辻井智也この3人がいないということがあの事件が起こったことの何よりの証明だ。
だとしたら、全くツイートがないこと、TVや週刊誌などでも取り上げているものがないことは変だと言わざるを得ない。
どれだけ情報規制をしようと1度発信されてしまった情報はネットの世界で広がり、メディアが大げさに話題にしているはずである。
しかし、どちらも刀羅の知る限りほとんどないのだ。
唯一、一ヶ月前にあの施設で刀羅が見た映像だけは2ヶ月前のことについて語っていた。
ー一体これは...。
結局考えたところで結論は出ない。
気づけば、刀羅は自分の病室に戻っていた。
「1006」という表記のある自分の病室。
刀羅の病室はこの“蘇生合東京病院”最上階の1つ下の10階にある。この階には専用エレベーターを使わなければ来れない。
11階はこの病室の院長室がある。こちらも専用のエレベーターがあるようだ。
他のエレベーターでも1つ下の9階までは行けるが、10階には行けない。まず、その表記すらない。
この隔離措置とも言える仕様はここの階の患者がVIP扱いの者ばかりだからなのだろう。
隔離措置という部分だけを抜き出して考えれば、感染症患者という味方も出来るだろうが、それにしては豪華すぎる。
まず、照明が全てシャンデリア風で、この階の広さに対しての部屋の数の少なさ、病院食とは思えぬほどの豪華な料理。
この他にも、エレベーター前に敷かれた絨毯や、壁の質感や、1室1室の部屋の広さなどもある。
そして、極め付きは廊下に4枚、エレベーターの付近に2枚掛けられた高そうな絵画だ。
特にエレベーターに付近に掛けられた2枚は高そうに見える。
どちらも中世のヨーロッパをモチーフにしているようだ。
右側の絵画は戦場を左側の絵画は町の風景をといった、共通点がないように思える組み合わせだ。
刀羅には芸術というものを理解し、楽しむという感覚はほとんどない。それに、理解したいとも楽しみたいとも思ったことはない。
しかし、右側の戦場の絵には何故か目を惹かれた。
剣を振り上げる者、盾を使い攻撃する者、転ぶ者、弓を構えている者、様々だ。
しかし、全ての者が各々の感情をさらけ出し、咆吼するその姿を見ているうちに段々と自分がその中に引き込まれていくような感覚を刀羅は味わう。
「戻ろう。」
頭を振って呟いて自分の病室に戻った。
すぐさま、バッグの中に入ってる、自分のスマホと荒井から貰ったスマホを取り出した。
とりあえず荒井が見てないということを確認して、またバッグの中に戻した。
時刻は「12:50」もう4時間目が終わって昼休みになっている頃だ。
あまり長い間考えていると昼休みが終わりかねない。
「さて、何て言おうかね。」
簡潔なのがいいと思って、「起きた 心配かけて悪かった」と打ってすぐに消す。
簡潔過ぎではないか?
これだけ心配をかけた相手に言う言葉がこれだけで良いのか?
しかし、他にどんな内容を付け足せばいいのだろう。
考えあぐねて結局「心配かけて悪かった ごめん」と送ることにした。
ここで送らずに後で明陽達が来た時に今起きていたことがバレればそっちの方が面倒に思えたからだ。
そこで、刀羅はまた1つ問題があることに思い至った。
今のメッセージを送ったのは明陽だけだ。
つまり、雪には送っていない。
明陽が伝えるだろうと予想して雪には送らなかった。
だが、雪も毎日見舞いに来てくれたいたわけだから直接伝えるべきなのだろう。
そして、明陽に送ったのと同じメッセージを雪に送った。
「おそい」という返信が雪から来たということは、明陽が伝えた後だったのかそれとも、目覚めるのが遅いという意味なのだろか。
前者なら、わざわざ雪に送った意味あまりなかったように思える。
しかし、後者なら随分と無茶な話だ。
何時間か前に起きたばかりで連絡は出来たし、別に刀羅としてはしてもよかった。ただ、明陽達が授業中だと考えてやめたのだからそこら辺は仕方ないと了承してもらいたい。
とりあえずどちらの意味でもいいように「悪かった」と送り返した。
「どうすんの!」「明陽が...」続けざまに返された意味深な内容はどこか遊んでいるようにも思える。
おそらく、明陽が泣いて大変だとかなのだろう。前後関係からもそうだと認識できる。
それに、1週間前に会ったときもそうだったのだから、想像も容易に出来る。
しかし、待ってもなかなかオチの返信が来ないので「明陽がどうした?」と返信する。
「大号泣」という単語だけが、返ってきた。
刀羅の予想通り明陽が泣き収まらなくて大変だということらしい。
わざわざ刀羅の返信を待っているあたり、雪も意地が悪い。
「ブーブー」バイブ音が鳴ったということは開いて見ている雪とのLINEの通知ではない。
病院だから、バイブにしているのではなく、普段からそうしている。
何となく着信音というものが刀羅は苦手なのだ。いや、嫌いと言ったほうが適当だろう。
突然鳴り出すわ、音量調整をし忘れてればやたらうるさいわ、反応するまで鳴り止まないわ、鳴るべきでない時に鳴るわと。
そういった観点から刀羅は着信音が嫌いだ。
前までは、バイブですら切っていたのたが、気付かない頻度があまりにも高かったのでバイブだけは入れている。
送り主は明陽だった。
雪の送ってきた内容を訂正するものようだが...
「まつたへわつになきてのい」という文面からは雪の送ってきた内容を肯定してしまっている。
もちろんこれを見た刀羅は笑ってしまった。
明陽が聞いたら怒るだろうとも思った、申し訳ないとも思った。
しかし、堪えることが出来なかった。
こんな意味不明な文が送られて来たからだけでなく、それが明陽らしいドジなのだからだ。
優しくて、ドジで、嘘が下手で、涙脆くて、弱い。
その癖、強がりで、頑固なのだ。
辛くても苦しくても決して、それを人に見せようとしない。
そういう明陽らしさがこの文には現れている。
結局、強がり切れずに甚だしい誤字脱字をしてしまっているわけなのだが。
そういったとこも含めて明陽らしいと刀羅は思う。
そして、少なからず安心と安堵を覚える。
いくら、会う人に明陽と雪が大丈夫だと言われても本人に確認出来るまでは本当に安心も安堵も出来なかった。
そういう意味でも刀羅は考えることを放棄して体を動かしていたかったのだ。
本当の安心と安堵というのをこの時点で刀羅はほとんど得ていた。
やはり、LINEといえど本人と話せていることは大きい。
「ねぇ 反応してよ!」
笑いと安心と安堵に浸っていて、刀羅は見ただけでLINEを返していなかった。
「悪い悪い」「泣き止んだか?」
刀羅は敢えてちょっとおちょくってみた。
「本当に悪いと思ってないでしょ!」「泣いてない!」
文を見る限り相当ご立腹のようだ。
これ以上おちょくれば、後が怖い。
「オモッテルオモッテル」
しかし、明陽の反応見たさにおちょくってしまう。
怒りのスタンプが送られてきた。
これは、本当に不味いかもしれない。
返信が文字からスタンプに切り替わったということはもう反応するつもりがないというとだ。あくまでLINE上でだが。
つまり、後で会うことになる時にこれに対する反応が返ってくるだろうということだ。
そうなると、もう殴られる気しかしない。
刀羅にとって殴られるのはどうでもいいのだが、その後が面倒だ。
「雪と後で行くから」というメッセージと豚のような兎のような動物が手を振っているスタンプが送られてきた。
同じ種類のOKのスタンプで返した。
このスタンプは主体的なモチーフは兎で、手や足は豚というなんとも奇抜なデザインの動物だ。
しかも、妙にリアルなタッチで正直気持ち悪い。
ただ、何となく面白いので刀羅もしばしば使っている。
時刻は「1:00」それ以降既読は付いたが返信はなかった。
スマホを使っているのがバレれば問題だろうからなのか。
それとも昼休みが終わるからなのか。
はたまた、別の理由なのか。
刀羅が知るところではない。
昼休みはこんなに短くはないはずだが、女子の食事にかかる時間を考えれば時間がないと言えるのかもしれない。
刀羅はまだ、正確に高校の時間やら校則やらを把握しきれてない。
というか、校則についてはするつもりがない。
大体あんな小さな手帳に集約されている校則なんて、字が小さいわ、量が多いわで読む気にならない。
結局、貰ったときに財布に入れてそのままだ。
何はともあれこれで、刀羅の1つの大きな懸念が新たなる問題を作って解消されたわけである。
「さて、風呂に入ろう。」
なかなか、昼食が来ないので先にジムで流した汗を洗い流してしまおうというわけである。
数時間前と同じように鍵を閉めて風呂に入る。
「俺、風呂の頻度高ぇな」
溜息をこぼして風呂場に入る。




