第十話 コップの意味
しばらくして荒井は手を濡らして出てきた。
「濡れても大丈夫な物あるかい?」
それは、リンゴを洗ったが、いざ持ってこようとして入れ物が無いことに気づいたわけだ。荒井も意外と抜けているのだな。と、勝手に思う。
しかし、今はそんなことを悠長に考えている場合でもないようだ。
とりあえず手当り次第に探してみたが見つかったのはコッブが2個だけだった。
「コップ2個ならありますよ。」
「それじゃ無理でしょ。」
それは、見れば分かることだ。とりあえず一つは乗るだろうがそれ以上となってくるとバランスを維持できるかどうかはかなり怪しい。
というかそんなことをわざわざやる必要もない。
“フロント”に頼んで持ってきてもらえばいいだけのことだ。
「少し待ってください。フロントに聞いてみます。」
「フロント?ここ病院だろ?」
自分が連れてきておいて知らないのか。いや、知らなくても変ではない。
病院であるのにも関わらず“フロント”と名乗っているのだから。普通は受付とかだろう。しかし、この病院は何を思ったか“フロント”となっているのだから。
「連れてきたのはあなたでしょ。」
「いや、そうだけどさ。」
「この部屋もそうですよね?」
「機密保護には必要だったんだよ。まあ、それは後でゆっくり話すとしてだ。今はリンゴが優先!」
機密保護だったりここにわざわざ連れてきた理由だったりいくつもの疑問が湧いてくるが、とりあえず今は荒井が言うようにリンゴをどうにかせねばなるまい。
「少し待ってください。」
それに、現在ここには色々と足りないものがある。それらもまとめて調達する必要がある。
刀羅はインターホンを取り外し耳元に当てる。
『こちらフロントです。どうなされましたか?』
先程と同じようにマニュアル通りの答えが返ってくる。
まだ、少々“フロント”という響きに感じる違和感は拭い払えない。
「底が深くて、食べ物入れてもいいぐらい綺麗な入れ物と。コップを5つほど持ってき貰えますか?」
『かしこまりました。すぐに係の者に届けさせます。他に何か御用はありますか?』
これもマニュアル通りの受け答えだ。
「いえ、今のところは特にないです。ありがとうございます。」
『では、また何か御用がありましたらお申し付け下さい。失礼致します。』
そしてインターホンは切れる。
丁寧過ぎるほどのマニュアル通りの受け答え。“フロント”という響きに対する違和感。豪華すぎる料理。豪華な作りの廊下。エレベーターのとこにある高そうな絵画。設備の整った個室。患者なら誰でも無料で使えるトレーニング施設。“蘇生合”という名前。
これらは、目覚めてから刀羅が見たものの疑問。という形になりさえしていない部分も多くあるが、それでも刀羅の中に何かしら違和感を抱かせるのである。
もちろんこの違和感の中には刀羅が慣れていないことやイメージと合わないということによる違和感もある。
しかし、それとら全く違う形の違和感も感じている。具体的にどれにというわけではない。
「刀羅君。どうだった?」
荒井の呼びかけに刀羅は違和感に対しての思考を止める。
「すぐ来るそうです。」
図ったかのようなタイミングで扉の向こう側から「コンコン」という硬質な音がして、「食器をお持ちしました。」という声が次にする。
「早いな。」
「ここはそういうとこみたいです。」
中に入ってきたのは先程同様ナース姿の女だ。そして、これも先程同様探野ではない。ただ、先程昼食を運んできた女とも違う。
「失礼します。」
ナース姿の女は丁寧に一礼してから台車を押して刀羅の前まで来る。
「コップ7つです。それと...お皿です。」
台車の上にある7つの光沢のある銀色のコップを指す。
そして、少し迷ったようにしてから台車下にあるカーテンを開ける。中には、これまた光沢のある銀色の底が深い皿がある。
そして、それらどれもが西洋風だ。
「こりゃ凄いな!」
荒井は持ってこられた食器の高揚して声を高ぶらせる。
刀羅もこういった食器は好きなほうで荒井には劣るも高揚しているのだ。しかし、表情には出さない。荒井があからさまに態度に表したため刀羅は余計に態度にも表情にも出さないようにする。
ナース姿の女はそれらを近くのテーブルに丁寧に乗せいていく。荒井は相変わらず食器を眺めている。
「御要望の物はお揃いでしょうか?」
荒井は答える気もないようなので
「はい。ありがとうございます。」
「では失礼致します。」
ナース姿の女は一礼して病室を出ていった。
「こりゃ面白いねぇ。いやー大したもんだ。なかなか凝ってるねぇ。」
荒井は感動した様子でしばらく本来の目的を忘れ、同じ言葉を繰り返してコップや皿を眺めていた。
皿やコップにはそれぞれ違う動物が彫られていた。
コップには、ライオン、猿、豚、犬、兎、熊、烏が1つのコップに1体ずつ彫られている。そして、底の深い皿には幻獣として知られる不死鳥。またの名をフェニックスが翼を広げて皿の全体を覆うように彫られている。
それをなめるように見続ける荒井を見かねた刀羅が目的を思い出させる。
「リ・ン・ゴ!どうするんですか?」
敢えて『リンゴ』を荒井の自覚を煽るため敢えて1音1音分けて言う。
「すっかり忘れてたよ。ちょっと待っててね。」
荒井は幻獣フェニックスが彫られた底の深い銀の皿を持って洗面所へとー、
「おもっ!ちょっと待って流石にこれは...うぬぐぬぅぅぅぅ!」
どうやら見た目以上にこの皿は重いようだ。
刀羅は洗面所のドアを開けて荒井が入るのを待つ。
「ありがとう...はぁ...はぁ...」
どうやら、相当重いようだ。こんな調子でどうにかなるのだろうか。という疑問が不安と一緒になって湧く。刀羅が「大丈夫ですか?」と声をかけようとした時、
「そうだ...そこにあるっ..コップよく見てごらん。」
コップに何があるというのだ。単に動物が彫られているだけではないか。
そして、ドアの向こう側から「ドン」という音がする。
「何かあるんですか?」
「あるかもしれないし、無いかもしれないね。」
含みのある言い方をして刀羅を試そうとしているようだ。
「俺がリンゴ持ってくるまでに答え見つけてねー」
荒井はそのまま洗面所の中へと入っていき、扉は手を離させば勝手に閉まるのでそれに任せて閉めたままになる。
刀羅は荒井と同じようにコップを見る。
井が入って行ったドアの向こう側からは「ザァーザァー」という水の流れる音がする。
「ライオン、猿、豚、犬、兎、熊、烏か...」
何の関係性がこの動物にはあるのかと思うが、なかなか思いつかない。
そして、やっと出てきた答えはー、
「七つの大罪...?」
『七つの大罪』と言えば、憤怒、傲慢、嫉妬、色欲、強欲、暴食、怠惰からなる大罪だ。
元はキリスト教の用語だ。意味は『七つの死に至る罪』ということなのだか、実際のところは罪を犯す要因になる感情のことだ。
もちろん刀羅がキリスト教の用語であることも意味が『死に至る罪』であることも知りはしない。ただ、罪を犯す要因になる感情であるというのは刀羅も思いつく結論だ。
そして、それらの大罪には象徴的な動物が存在する。特に有名なのは傲慢のライオンと嫉妬の蛇に暴食の豚だろうか。かろうじて刀羅の記憶にあるとすれば憤怒の象徴的な動物だ。ただし、これは実在しない幻獣。ドラゴンだ。
しかし、コップに彫られていて刀羅が知っている大罪の象徴的な動物は、ライオンと豚だけである。
だか、7つのコップの中に2体も大罪の動物がいるのだからこれは7つの大罪を表しているのだと刀羅は考える。ネットで調べれば出てくるだろうが、そのつもりはない。何故なら、荒井は答えを知っているのだからだ。
刀羅がそう判断しているのは荒井がこのコップや皿を見て何かの答えを得たような口調だったからだ。もちろんこれも憶測であって、荒井が感心していたのはこのコップの出来栄えに対してかもしれない。しかし、荒井はこの動物たちの関連性や意味に気づいて感心したというほうが可能性が高いように刀羅には思えたのだ。
荒井はフェニックスの彫られた底の深い皿に20個近くのリンゴを乗せて出てきた。
「刀羅君...ちょっと手伝って。」
荒井が苦しそうに言うのを見て浮かんだ悪い考えを排除して手伝う事にした。
「っておもっ!」
2人で持ってもこの重量感である。リンゴだけなら荒井1人で十分だろうがこの皿もそこに加えると1人で持つには重すぎる。むしろよく洗面所からここまで1人で持ってこれたものだ。
「よく出てこれま..っしたね!」
「ああ、結構きつかっ..たっよ!」
「このテーブルに置きましょう」
「そうだっ..ね!」
そして、何とかテーブルの上に皿を乗せることに成功した刀羅と荒井は達成感を感じていた。
荒井は少し息が上がっていた。
それも、そうだろ皿だけでも重いというのにその上、リンゴが大量に乗っているとあっては相当きつい。
荒井は山の様に積まれたリンゴから1つ取ってソファに座る。そして、手に持っているリンゴに皮のまま豪快にかじりつく。
刀羅もそれにならって1つ取って皮のままかじりつく。
「さて、あれなんだか分かったかい?」
荒井は食べかけのリンゴを片手に持ちながら尋ねてきた。
「『七つの大罪』...ですか?」
荒井は含みのある声のない笑みを浮かべる。
「そう。正解。ちなみにどれがどの罪か分かるかい?」
「傲慢のライオンと暴食の豚以外はさっぱり。」
「ああ、有名な2つだねぇ。仕方ない。なら、教えてあげようか。」
荒井は右手には食べ尽くしてしまったリンゴの芯だけを持ってコップの方に歩いていく。
そしてー、
「ちょっと待って。手洗うわ。」
そして、また洗面所に入っていく。また、ドアの向こう側から「ザァーザァー」という音だけが聞こえてくる。




