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その後、マウニ夫妻の元に引き取られたガルーは順調に育てられた。
赤子の頃は特に問題らしい問題もなく、どこにでもいるような平凡な子として夫婦の実の子のように大切に育てられた。
しかし――
ガルーが夫婦の元に預けられてから十数年の月日が経過し、ガルーが家族以外の者と接触するようになると――ガルーはたびたび同じ年頃の子供たちから暴力を受けるようになった。
原因はいくつもある。
――人狼でありながら、この国の建国者たちと血の繋がりが無いこと。
――人間の腹から生まれたにも関わらず、貴人の子として扱われる厚かましさ。
――人狼でありながら、ひ弱なその体躯。
それらすべてがクティノスに住む子供――特に上流階級と言われる子供者たちの怒りを買った。
ガルーはクティオスに住む同年代の人狼の子と比べると、一回りも二回りも体が小さい。さらに髪の色も灰色で少々物珍しい。
これだけでも標的にされるのには十分な理由ではあったが、ガルーの預けられたマウニ家は王家に仕える貴族の家であった為に、より多くの子供たちの妬みを買った。
ガルーに暴力を振るっていたのは、主にガルーと同じような貴族の家の者たちである。
彼らの中にはガルーと同じ人狼もいれば、虎人や熊人などの子供もいた。
彼らは自分たちの祖先が受けた屈辱と辱めを異国の血が流れるガルーに暴力という形で発散していたのだ。
――本人たちにしてみれば、正義心や遠い祖先たちの無念の晴らさんとしたが為の行動だったのかも知れない。
だが――
「人猿が! 俺たちの国に入ってくるんじゃねぇよ!」
「くせぇんだよ! さっさと自分の国帰れよ!」
周囲の目が届かない場所で自分よりも体の小さな子供を集団でいたぶる姿は醜悪としか言いようがなかった。
「っ……!」
今年で十歳になる少年ガルーはただその理不尽な暴力を受けていた。
ガルーに暴力を振るっている少年たちの手には木剣が握られている。
彼らは体格で劣り、武術の不得意なガルーに対し、『教練』と称してこうやって彼をいたぶっていた。
「おらっ! 腰が引けてるぞ!」
「もうお終いか? 気合がたりねぇんだよ!」
「ぅぐっ……!」
一人の子供が持つ木剣で肩を盛大に打ち付けられ、堪らず地面に膝をつくも、今度は足で腹を蹴飛ばされた。
――ゴッ! ゴッ! ゴンッ!
「うぐっ……げっ……げぇっ」
ガルーは腹を何度も執拗に蹴られ、胃の中のものをすべて吐いた。
「はっ! これが王様と同じ人狼かよ!」
「うそくせぇ!」
「本当は人間なんじゃないか?!」
「人間が俺たちの国に入ってくるんじゃねぇよ」
度重なる暴力によってガルーが次第に立つこともできなくなると、今度は頭を踏みつけ、顔には唾まで吐きつけた。
そのうちにガルーがなんの反応も示さなくなると、興味を失ったように彼らはいつもの様にその場を後にする。
「…………」
ガルーは全身の痛みに苛まれながら彼らが帰っていくの地面に倒れながら見送った。
もう何度こんなことを経験したのか、ガルーはわからない。
暴力が行われる場所は人気のない林の中だ。養父であるトーヴァに勧められて入門した武術道場の帰り道によく狙われた。
「…………」
最初の頃は色々と抵抗をしたが、最近では無駄に暴れまわって抵抗すると余計に彼らを興奮させて暴力が増すことを知った為、早く興味が薄れるように無抵抗を貫くようになった。
暴行を受けている最中、悲鳴らしい悲鳴を上げないのもこの為だ。悲鳴は彼らを興奮させる刺激にしかならない。
「……いたい」
何時からか、ガルーは自分の感情を遠い場所に置く方法を覚えた。幼い彼は人形のように振る舞うことで胸の中にあるわずかな誇りを守っていた。
「……んしょっ、と」
ガルーは身を起こすと近くの木に背を預け、身体の火照りを冷ました。幸いにして度重なる暴力にって鍛えられたガルーの身体は小さいながらに中々頑丈だ。
しかし暴行を受けた箇所は早くも熱を持ちはじめ、彼の意識をぼんやりとさせた。
「……疲れたなぁ」
稽古先の道場での疲れもあった為だろう。身体が熱を持ってきて眠気が次第に増してきた。
このままでは風邪を引くと思いながらも、立ち上がる気力がわかない。
「……少しだけ、ちょっとだけ眠ろう」
少しの間だけ休むだけだと思い、瞼を静かに閉じるガルー。
「…………」
しばらくするとガルーは規則正しい寝息を吐き、深い眠りにつき始めた。
獣人国クティノスに多く住む獣人の一つ――兎人。
兎の様な長い耳を持ち、優れた索敵能力と敏捷性に優れた獣人種である。顔だちは比較的人間に近く、頭部の耳と臀部の尾を除けばほぼ人間と同じ姿形である。
また兎人は獣人の中でも特に薬学に詳しく、薬師として有名な種族でもある。実際、街などで薬屋を経営しているのは大抵がこの種族である。
今年で十歳になる兎人の少女ラビィも、今日は実家で薬屋を営む両親の頼みで家の近くの林に薬草採取のためにやって来ていた。
そしてその最中――ラビィは林の中で倒れている少年を発見した。
「えっ!!」
慌てて少年に駆け寄るラビィ。
少年はまだ幼く、ラビィと同じぐらいだろう。他の半獣半人の獣人とは違い、その顔だちは人間に近い。
「ちょ、ちょっと君! だ、大丈夫?」
倒れている少年に声をかけ、意識を確かめようとする。
しかし――
「――すぅ、すぅ」
規則正しい寝息が少年の口から聞こえる事に気が付く。
「ま、まぎらわしい」
慌てた自分が馬鹿みたいだと思いながら、少年の身体を強く揺さぶった。
「ね、ねぇ、君。こんな場所で寝てると風邪ひくよ」
「…………あ?」
ラビィが二度、三度と身体を揺さぶると不機嫌そうな声が少年の口から洩れた。そのまま少年は目を瞬かて周囲を見まわした後、目の前にいるラビィの存在に気が付いた。
「うっ」
同い年ぐらいの少年の視線に若干たじろぐラビィ。少年の行動に緊張していた彼女であったが――
「――――」
少年が何も言わずに立ち上がり、ラビィの存在を無視してその真横を通ろうとすると、さすがの彼女も少々ムッとした。
「ちょ、ちょっと!」
「あぁ?」
慌てて呼び止めると、少年は眠気の残った退屈そうな目でラビィの方を振り向いた。
正直、ご近所では可愛い女の子として評判が高いラビィは少々その態度に傷ついた。
「何か用?」
ここまであからさまに興味の無い――何コイツみたいな態度はラビィの女の子としての誇りを足蹴にでもされた気分だった。
「……君こそ何? こんな場所で寝るとか信じられない。馬鹿じゃないの」
「あ? そんな事お前に関係ないだろ」
「お、お前? 初めて会った女の子に『お前』?」
寝起きのせいもあったのだろうが、少年の口調はきつく、ラビィの神経を逆撫でにした。
「普通は! 『君』とか『あなた』とか、もうちょっと言い方ってものがあるでしょ!」
「…………」
「ちょっと! 何その『面倒だなコイツ』みたいな目は! 」
少年の態度の一つ一つにイラつかされるラビィは、彼女自慢の垂れ耳をぶんぶん振って「ムキーッ!」と怒りを露わにした。
それに対して林で倒れていた少年――つまりガルーはまさに『面倒なのに捕まった』と思いながら、どうやってこの場を立ち去るか考えていた。
すると人が話している最中、ずっと上のガルーに対し、遂にラビィは激怒した。
「大体! なんでそんなにボロボロなのよ!」
「っ……」
さすがにその言葉にはぎくりとするガルー。
ばつの悪そうな顔でラビィを睨み付けた。
「……どうだっていいだろそんな事」
「だって! そんなボロボロでこんな場所で倒れてるなんておかしいじゃない!」
「……」
ガルーはそれ以上ラビィと会話をするつもりにはなれず、ラビィから視線を切るとふらつきながらどこかに向かって歩き始めた。
「あ、ちょ、ちょっと、君!」
ラビィはそんな様子のガルーを放っておく事が出来ず、ガルーの後ろについていった。
「ついて来るな」
「ね、ねぇ、その傷って、もしかして誰かに殴られたの?」
「……」
「だったら、私の家に来ない? 私の家って薬屋だから傷によく効くお薬たくさんあるよ?」
「要らない」
「な、なによ! その態度! 私の家のお薬ってすごいんだからね! すぐ治るってご近所でも大評判なんだから!」
「だから、ついて来るなって。めんどくさい」
「こ、この……!」
二人はそのまま口論をしながら林の中を歩いていき、ガルーがラビィの家と反対方向に歩き始めた所で二人は別れることになった。
「……私の家は二番地区の『望月堂』ってお店だから、薬が欲しければいつでも来なよ」
「行かねぇ」
「~~ッ!! もう知らない! 勝手にしろ馬鹿!」
「そうする」
「ばーっか!!」
そんなののしり合いを最後に、二人は別れた。
――クティノス最大の都ベイマス。
その中でも商業地区として栄える東の第二番地の中に、古めかしい木の看板で『望月堂』と書かれた薬屋がある。
「ただいまー」
その裏口に今、先ほどガルーと言い争うをしていたラビィが入っていった。
「おかえりラビィ。薬は取って来てくれたか?」
「あっ、忘れてた」
「あらら」
「……ごめんなさい母さん」
「まぁ、別に急ぎでもないからいいけど。でも、どうしたのラビィ? あなたがお使いを忘れるなんて……」
「それが聞いてよ母さん! 林の中で変な男の子がいてね! その子がね!」
ラビィは店に入ると、中にいた母親と今日会ったあの少年の事を話し始めたラビィ。
――ラビィ激しい手振りで自分がどれだけその少年に腹を立てたのか、母親に向かってすべてぶちまけた。
「ふふっ」
「母さん! どうして笑ってるの! 私すごい怒ってるんだからね!」
しかしラビィの母は娘のそんな様子に思わずといった様子で笑い声が上げた。
「だってあなた、そんなに男の子のお話なんてした事ないじゃない。母さんもうそれが面白くって面白くって、つい」
「!!」
母親の言葉に顔を真っ赤にするラビィ。
「違うから!! そんなんじゃないし! そもそも名前も知らないから!」
「あらそうなの? なら次はちゃんと聞いておきなさいね」
「母さん!」
「あら、もうこんな時間。夕ご飯の支度をしなくちゃ」
母親はラビィをからかいながら、夕食の支度をはじめる為に台所に引っ込んでしまう。
「ちょ、ちょっと母さん! 本当に違うんだからね!」
ラビィはその後、夕飯が終わった後もずっと母親に向かってガルーとの関係を否定し続けた。