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「……ありえない」
呻くようなその言葉はゼノ王の口から漏れた。
額には汗すら浮かび上がり、その表情は凍っていた。
「事実です。王よ。その子は紛れもなく人狼でございます」
エドガー顔を伏したまま言葉を述べた。
ゼノは赤子とエドガーの顔を交互に視線を送った後、王座に腰を下ろした。
「……話せエドガー」
そして鉛でも飲み込んだような重苦しい声で彼はエドガーに簡潔に説明を求めた。
「……はい」
――エドガーは事の始まりをゆっくりと語り始めた。
――とある高貴な血筋を持つ夫婦の間に赤子が生まれた。
それ自体はとても喜ばしき事であった。
しかし問題が起きた。
両親ともに人間であるにも関わらず、生まれたのは獣人の赤子だったのだ。
――高貴な血筋にとって他の種族の血が入ることはもっとも忌避する事の一つ。
妻は不貞が疑われ幽閉。子はいなかった事にされかけた。
しかし母親は全ての手を尽くし、自分の亡き父と友人であったエドガーと連絡をとった。
――赤子を助けてくれ、と。
そして友人の忘れ形見である女の頼みをエドガーは聞き届けた。
エドガーはすぐさま行動に移り、スラムで生後まもない赤子の死体を買い取り、医者たちを買収し、子の死を偽装した。
エドガーは母親も同時に助けようとしたが、彼女は首を横に振った。
『逃げる事は出来ない』
彼女の決意は固かった。
エドガー自身も赤子の死を偽装した上で女まで連れて行くのは無理があると頭では理解していた。
だが、この先のこの娘の未来を考えるとどうしても無視していく事は出来なかった。
『何故こんな事をしたのか?』
エドガーは当然とも言える疑問を彼女に聞いた。
――彼女は毅然たる声でもって答えを返した。
『私は夫以外を愛した事など無い』
彼女は嘘を言っていない。エドガーは直感的に彼女の無実を信じた。
ならば何故、人間同士の両親の間に獣人の赤子が生まれたのか。
その答えをエドガーは憶測でしか測れない。目の前の彼女もそうだろう。
だが二人には確信があった。そしてそれはおそらく真実であろう。
――あの赤子は『先祖返り』だ。
「そして、様々な偽装をした上でこの国にやってまいりました」
――木を隠すならば、森の中。
獣人の子を隠すのにこの国以外に適任の場所はない。
エドガーはそう言葉を締めくくり、ゼノの瞳を見つめた。
ゼノはしばらく眉間に皺を寄せ、考え込ん後、呟いた。
「……先祖返りを起こした人狼」
ゼノは自分と同じ瞳を持つ赤子を見つめた。
――先祖返りとは両親と直接血が繋がっているにも関わらず、両親とは別種族の特徴を持って生まれてくる子の事だ。
他種族と混じった経験のある血筋では極稀に生まれる可能性があるらしい。
しかし――
「……正直、信じられない。他ならばいざ知らず、よりにもよって人狼の先祖返りなど。多少風変わりな目の色をした人間の赤子だと言われた方がまだ信じられる。だが――」
ゼノはおくるみを赤子の頭部にかぶした。そうする事で影を作り、赤子の瞳をおくるみの暗がりの中から覗いた。
そうするとやはりと言うべきか――赤子の瞳は暗闇ではっきりと琥珀色に浮かび上がっていた。
「間違いなくこの子は人狼だ」
ゼノは幾分か興奮した様子で腕の中の赤子を見つめた。
――大陸には数多くの種族がいるが、その中で人狼は特殊な立場にいる。
今でこそ国の王として君臨する一族ではあるが、大昔は迫害され、この始まりの森まで逃げてきた一族なのだ。
今よりももっと獣人の立場が弱かった時代――人々は獣人をその姿形から自分たちと同じ存在だとは思えず、汚らわしいと忌避した。
特に人狼は他の種を喰いつぶす呪いのような性質を持っていた。
簡単に説明すると、人狼と交わるとそれが人間であろうと亜人であろうとも必ずその子孫は人狼として生まれると云うものだ。
この性質によって人狼は獣人の中でも特に強い迫害を受け、呪いのようなその性質も相まって辺境の地へと追いやられた。
迫害され、行き場を失くした人狼が最後にたどり着いた場所がこのクティノスという国だ。当時はまだ『魔の森』とも呼ばれた未開の地である。
この森が『始まりの森』と呼ばれるのは人狼たちがこの森に住み着いていた凶悪な魔獣たちを追い払い、人の住める場所に変えていってからだ。
集落が出来、人が住める場所が少しずつ広がった事で大陸中で迫害を受けた獣人たちが噂を聞きつけて徐々に集まり、森の名前は変わっていったのだ。
――獣人が人として、人らしく生きて行ける『始まり』の土地として。
そのきっかけとなった人狼が今は王族となり、この国を代々と守っているのである。
……ただ残念な事にこの国以外に人狼という種は存在しない。
百年以上もかけて人を国外に送り調査した結果、国外の人狼の血が全て絶えていることが判明した。
この国が他国の民に対して閉鎖的な理由もそこに起因している。
おそらくこの子の血族は人狼として突然変異かある種の欠陥を持っていたのだろう。だから何世代にもわたっても人狼としての形質が表に出ず、周囲の目をごまかせたのだ。
――しかし運悪くこの子の代では血が濃く出てしまった。
人間は――特に高貴な血筋の者たちはその血筋を守るために親類同士での婚姻を推奨していると聞く、もしかすると血族の血を濃くした影響が眠っていた人狼の血を起こしてしまったのかも知れない。
「…………」
あくまで憶測だ。なんの確証もない。
ゼノは一度考えを断ち、遠い地で生まれた同胞の姿を目を細めて見つめた。
「……王よ。再度の願いです。どうかこの赤子をこの地でお育てください」
そんなゼノを見て、エドガー深くこうべを垂れた。
エドガーにとってもこの赤子は戦友の忘れ形見の一部である。赤子がこの土地で暮らせる確約がもらえるまでは引くわけにはいかない。
そんなエドガーの心情を察したのか、
「ふっ」
狼人王ゼノは赤子を抱きながら微笑んだ。
「安心しろエドガー。私は同胞を見捨てるような事はせぬ。まして古くからの友人の頼みだ。この子はこの土地の子として育てると約束しよう」
王の言葉にエドガーの眉間の皺が和らぎ、顔に笑みが浮かぶ。それはエドガーが心から欲していた言葉であった。
「そのお心に感謝致します!」
地につかんとばかりに深くこうべを下げ、感謝を述べるエドガー。
そんなエドガーにゼノ王はこれからどうするつもりなのかを尋ねた。
「まだ私にはやるべき事があります。一度、この子の母親の元に戻らなくては」
「そうか……。ではゆっくりと昔話をする暇もないな」
「……真に申し訳ありません」
「気にするな。私としては新しい同族に会えた事を嬉しく思う。……お前はお前のやるべきことをせよ。……道中気をつけてな」
「はっ!」
頷き、下がろうとするエドガー。
「いや待てエドガー。大事な事を忘れているぞ」
「?」
突然王に呼び止められ、エドガーは一瞬何の事かと考えた。
そんなエドガーにゼノはニヤリとした笑みを浮かべ、腕の中の赤子を指さした。
「この子の名前を教えてもらっておらん。このままでは私はこの子を何と呼べばいいのかわからんではないか」
「これは私とした事が……完全に失念しておりました」
エドガーは深く頭を下げ、自分の失態を恥じた。他の事で頭がいっぱいとなり、重要な事を見落としていた。
「しかし、陛下。出来れば私としてはこの子には新しい名を与えて欲しいと思っています」
「? 何故だ?」
「……すでにこの子本来の名は死者の名となっております。死者となった者の名を名乗らせるのはいかがなものかと」
「……ふむ」
考えてみれば、赤子の死体を使って偽装工作まで行ったのだ。余計な問題を避ける為に別の名前を与えるのはいい考えかも知れない。
ならば――
「お前が名付け親となれ。エドガー」
「……今、なんとおっしゃいました?」
ゼノ王の言葉にエドガーは耳を疑った。
「こちらにこれほどの厄介事を持ち込んだのだ。せめて子の名前ぐらいはつけていけ」
「…………」
その言葉で眉間により一層強い皺を作るエドガー。
「……………………」
彼は時折視線を泳がせ、しばらく悩みぬいた末――喉奥から絞り出すような声で赤子の名前を口にした。
「……ガルー、という名前はいかがでしょうか?」
「ふむ」
少ない時間で考えたにしては悪くない響きだった。語感を獣人寄りにしたのもエドガーなりの親心だろう。
「中々に良い名だ」
ゼノ王は満足気に頷くと、ならば後は全て任せろとエドガーに告げ、下がる事を許した。
「……」
エドガーは最後に深く頭を下げると、様々な感情の混じった目で赤子を見た後、王の館を後にした。