雨の降る日に
晴明登場のシーンです。のちの陰陽師ですが、このころはまだ見習いですね。あやかし退治が有名な人ですが、別にそれだけではないですから・・昔は一条戻り橋あたりなんて、近づいてはいけないといわれましたけどね・・あの橋の下には今も晴明の使った鬼がいるとかなんとか・・それが今は・・・
外出のため着替えてから兄の許可を得るために、廊下に膝をつき頭を下げた妹を見やり、兼は小さくため息をついた。
相変わらず少年のような姿をして、手には薫風丸を携えている。
「何が起こったやらわかりませぬが、あの連中が呼びに参るのはただ事ではないと思えまする・・兄さまはお嫌かもしれませぬが、お許しくださいませ・・」
「ならぬというても行くであろう、止めるだけ無駄ゆえな」
長く兄妹をやっていれば、読める行動である。
外を見れば、細かい雨が降っている。もう梅雨が近いのだろう。
「くれぐれも長居は無用ぞ、奴にかかわればろくなことにはならぬ」
神妙に頭を下げながら
(綺羅どのも同じようなことを申されましょうな・・)
心の中でつぶやいた。
「俺も今宵は叔父上の館へ行かねばならぬ、遅うなるやもしれぬ・・」
その一言は薫子の心に若干の不安を与える。何せ、あのお人は兄の弱みを握っているともいえるのだから。それが顔に現れたのだろう・・
「そのような顔をするでない、そうそう無茶も申されまい」
この人の過去にあったことを知ってしまったからには、いつか何かが起きそうで怖いのだ。
その昔・・・「小督」と呼ばれた美貌の白拍子であった日々をもつこの兄。
それが自分のためであったことを知れば、薫子はどちらを向いていればよいのかわからなくなる。
「桜花少将」の異名はこの人に良く似合う。その儚さもまた、悲しいのだけれど。
薫風丸を背負い手に小雨をよけるためでもあるのか、薄紫の被衣を頭からかぶった薫子が門から一歩出たところで、一人の少年に出会った・・
いや、その時は出会ったわけではない。一方的に薫子が見ただけである。
どこから歩いてきたのか、この雨の中。いくら小雨とはいえ少年の着衣は水けを含んでいるらしいことが分かった。
年のころなら14・5か・・ただ、濡れた髪から滴るしずくが頬を伝う。
それがまるで涙のように見えたのだ。白い頬を伝って流れるように。
少年は薫子に気づかなかったのだろうか?それほどに何を思うていたのかを知るのはもっと後のことであったが。その少年に向けて薫子は自分がかぶっていた
薄物を頭から投げかけてやった。
それは見事に少年の濡れた体を頭からすっぽりと隠すようにして包み込む。
頭からかけられた薄物の蔭から、少年の眼が驚きを含みながら、薫子を凝視していた。
「お使いなされませ、小雨でも濡れては身に悪い」
少女にしては少し低めの、けれど優しい声をかけ少年より少し前へ出たその人に、館の奥から飛び出してきた老家人が息を切らせて追いつく。
「まことに、足が早うございますな、そのような拾い方をなさってはなりませぬ。言いたきことは山ほどございまするが、とりあえずは、これをお持ちくださいませ。それから、くれぐれも長居はなさいませぬように、あのようなところに出入りされておると知れたなら」
「わかった!爺、くどく言うな!行ってくる!」
老人の手から新しい被衣を受け取り、薫子は少年に頭を下げるように別れを告げて小雨の中を歩きだしていった。そこに残された少年は薄物を頭から被ったまま呆然とその後姿を見送った。
それはまだ、互いの名も素性も知らない時のことであった。




