デートインザスノウウェザー
毎回書いている気がしますが、初めての方は「シリーズ一覧」の「デートインザストーリー」の最初から読んでもらうと、話が分かると思います。
午前十時半。スキー場の中腹にある木造の休憩ロッジでは、空腹で倒れた三堂成美のために、三波彩花が食事の注文カウンターに注文をしに行った。
しばらくすると、彩花が成美のリクエストである牛丼をテーブルの上に置いた。その瞬間、成美は何事もなかったように起き上がった。
「やったぁ、やっとごはん食べれる!」
「もう、なるみんは食いしん坊やなぁ。朝ごはん食べたばっかりなのに」
割り箸を手に取り、テーブルの上の牛丼に目をした瞬間、成美の顔が少し曇った。
「ね、ねえ、ちょっとこの牛丼……」
「ん、なるみんどうしたん?」
彩花が成美の顔を覗き込むと、成美は顔を上げて言った。
「量が少なくない?」
成美の言葉により、室内に半端ない脱力感が漂う。
「いやいや、スキー場のメニューに文句言っても……」
「だって八百円だよ? それでたったこれだけはあり得ないと思わない? 近所の牛丼屋さんだったら大盛り三杯食べれるよ?」
「いやだからほかのところと比べられても……」
しばらくぶつくさと文句を言っていた成美だが、結局出された牛丼に手を付けていた。
「じゃあ、私はもう少し滑るから」
成美と彩花が言い争っているのを後目に、加藤有子はロッジの出口に向かった。
「あ、僕もそろそろいくよ」
そういうと、隣に座っていた小塚進が立ち上がって有子の後を追った。
有子と進が外に出ると、入れ違いに何組かのスキー客がロッジに入って行った。
有子は何組も立てかけられたスキー板から自分が借りたスキー板を選ぶと、それを地面に置いて靴に固定した。
「小塚先輩は、上級コースに?」
「いや、超上級コースっていうところがあったから、そこに行こうと思ってるんだけど、加藤さんは?」
「私は、そろそろ中級コース行こうかなって思っているところなんです」
「じゃあ、少しだけ一緒に滑ろうか。初級と中級じゃ、斜面の角度とか距離とか違うから」
進もスキー板を取り付けると、スティックを持って中級コースへ向かうリフトへと向かった。
「あ、ちょっと……」
慌てて有子がスティックを手に取って進の後を追おうとする。
ふと空を見上げると、灰色の空からふわりと雪が一つ、二つと降ってきた。
「あ、雪……」
徐々に増えていくスキー客に比例するように、空から降り注ぐ白い粒もその数をどんどんと増やしていく。
「そういえば夕方あたりには吹雪になるって言ってたから、滑れるのは今のうちかもね」
「え、そうなんですか?」
「先に言っておけばよかったかな。特にあそこから動きそうにない三堂さんには」
進は笑いながら、休憩所のロッジを指さした。
「そうですね、成美、もしかしたらずっとあそこで休憩してるかもしれませんし」
振り返って休憩所を眺めながら、有子は進むと一緒に中級コースへ向かうリフトに並んだ。
中級コースへ向かうリフトは、初級コースへのリフトよりも長くなっている。
リフトから足元に広がる中級コースのゲレンデを見ると、初級コースのスキー客とは異なり、かなり手慣れた人ばかりのようだ。こける人がほとんどいない。
その中には小さな子供もおり、大人たちに混ざって上手に滑っている。
「あ、あの子上手」
有子は二人乗りのリフトの上から、その様子を眺めていた。
「小さい子の方が、運動神経がよい場合が多いからね」
隣に座っていた進が、ははっと笑いながら答えた。
雪が徐々に強くなるにつれ、風も強くなってきている気がする。
リフトの揺れも、先ほどよりも大きくなった気がした。
「昼までもつかな……」
進が、雪が降りやまない空を見ながらつぶやいた。
中級コースで進と一度一緒に滑った後、有子は一人で何回か滑ることになった。
進は有子の滑りを見て、「それくらい滑れるなら一人で大丈夫だね」と、別のコースに行ってしまった。
中級コースは初級コースよりも斜度があり、距離が初級コースより二倍近くある。
そのために、思ったよりもスピードが出てコントロールが効かなくなると思ったが、有子は持ち前の運動神経で何とか最後までこけずに滑り切ることができた。
「さすがに、ここはもう少し練習しないと厳しいかな」
コースの下からゲレンデを眺めると、滑ってきた時間以上の距離を感じる。
そうして何回滑った時だったろうか。リフトの列に並ぼうとすると、目の前に佐藤達真が並んでいるのが見えた。
ずっと初級コースを滑っていたはずだが、物足りなくなったのだろうか。
「あれ、達真君も、中級コースに行くの?」
思わず、並んでいる達真に有子は声をかけた。
「はい。そろそろ挑戦してみようと思って」
有子に声をかけられ、一瞬振り返ったものの、達真はすぐに列の前に視線を移した。
「じゃあ、一緒にリフト乗ろうか」
「……はい」
有子は達真の隣に並んだが、一方の達真はまったく顔を合わせようとしない。
嫌われているのだろうか。そう思いながら、有子はリフトの順番を待った。
有子は達真と一緒にリフトに乗ったはいいが、達真はゲレンデのほうをじっと見ているだけだった。
雪が強くなり、視界が悪くなっていく。今は滑っているスキー客が白いスクリーンのせいでうっすら見える程度だ。
どうも間が持たない。仕方なく、有子は適当に話題を振ることにした。
「えっと、達真君は、今回の旅行は千香に誘われて来たの?」
有子が話しかけると、達真は一瞬だけ有子の方に顔を向けたが、すぐに山頂に目を移した。
「はい。ちょうど演劇部にいた時に栗畑先輩に誘われたんです。もっとも、小塚先輩や新名先輩を誘うついでのようでしたけど」
「ついで? あれ、でもほかの人もいたんじゃないの?」
「ほかの先輩は、受験勉強があったり、用事があったりで来れなかったそうです。それで、人数少ないからって、僕と有斗が呼ばれたんです」
「へえ、そうなんだ」
それから話が途切れてしまい、有子は話題を考え込んでしまった。
一体何を話そうか。そう思っていた時、
「僕と有斗は」
達磨がゲレンデを見ながら声を出した。
「田上先輩を尊敬してたんです。違う部活の後輩にも声をかけてくれて、いろいろ連れて行ってくれることもありました」
「健二君、いろんな人にやさしかったからね。でも、どうして急に?」
達真が急に田上健二の話を始めたことに、有子は疑問を持った。
「それに、有斗のお姉さんの佐藤先輩が殺された時に、有斗が言ってたんです。早く犯人を捕まえてほしい、と」
「有斗君が?」
「ええ、それで僕は僕なりにこっそり今回の二件の事件について調べてたんですよ」
二件の事件とは、佐藤有斗の姉の佐藤有子が殺された事件と、加藤有子の恋人の田上健二が屋上から落下した事件のことである。
「警察の知り合いがいて、いろいろと話を聞いて、自分なりに調べました。そして、学校で決定的な証拠を見つけたんですよ」
「決定的な……証拠?」
突然強い風が吹き、リフトが大きく揺れる。先ほどまでとは違い淡々と語る達真の話を聞き、有子は思わず反応してしまった。
「はい。佐藤先輩を刺した凶器ですよ。それと、田上先輩が屋上から落下した日のホームルームの後、屋上に昇って行った人も」
達真が告げる言葉に、有子はリフトの上で凍ったように動けなくなった。
「それで、警察には?」
何とか有子は口を動かす。が、それも聞き取れるかどうかの声量しか出せない。
「いいえ、まだ何も言ってませんよ。凶器も提出していませんし、証言もしてません。それに」
間もなくやってくるリフトの終わり。降りる準備をしながら、達磨は続ける。
「犯人には、自首してほしいですから。今回の事件、大切な人を失ったことを後悔しているなら、なおさら」
スキー板が地面に接する高さになると、達真はゆっくりと立ち上がった。少し遅れて、有子も立ち上がる。
リフトに押されるように二人とも滑って平坦な場所まで移動する。が、有子はぼうっとして途中でこけかけた
「大丈夫ですか」
「え、うん、なんとか」
何とか体勢を立て直し、中級コースの滑り出し地点まで移動する。
スキー客が何人か滑るのを待っており、最後尾に並んだ。
「加藤先輩、なんか様子がおかしいですね。どうかしましたか?」
「え、いや、私は別に」
「そうですか。でも、この旅行では気を付けた方がいいです。何しろ、田上先輩と佐藤先輩、どちらかに関係がある人ばかりですから」
「気を付けるって?」
「もしかしたら、田上先輩と佐藤先輩の事件、両方犯人が同じで、まだ他の人を狙っているかもしれませんから」
「狙ってるって」
強くなっていく風と雪が、有子の言葉を遮る。そして目の前のスキー客が滑り降りたのを確認すると、達真は滑降の準備をした。
「これで終わりなのか、まだわかりませんから。では、先に行ってます」
達真がスティックを突き刺し、滑り出そうとした瞬間だった。
「それでも彼女は、抵抗しなかった」
「えっ?」
気が付いたときには、達真はゲレンデを滑り出していた。
今まで何度も聞いたあの言葉。
「まさか、達真君が……?」
様々な思いがめぐるが、後ろに並ぶスキー客を見て、有子は雪の降りしきるゲレンデへと身を投げた。
その後も数回中級コースを滑った有子だったが、少し雪の降る量が多くなり、視界も悪くなってきた。
午後十二時半。ちょうど昼食の時間となったため、有子は中腹のロッジに向かった。
「お、ユウちゃんもごはんに来たな」
スキー板を入り口の雪に刺し、雪を払ってロッジの中に入ると、三波彩花が有子を手で招いていた。
「あれ、彩花と成美、ずっとここにいたの?」
「いや、あの後何回か滑ったけど、ちょっと雪が強くなって、一旦こっちに戻ってきたところ」
有子は彩花たちのいるテーブルに向かう。彩花のかぶっている帽子に雪が残っているところを見ると、ロッジに入ってあまり時間が経っていないようだ。
周りを見ると、彩花たちの座っているテーブルの隣には高野達人と新名太志、佐藤有斗の姿もあった。
「達人君たちは、もう昼食済んだの?」
有子は彩花の隣に座ると、隣のテーブルの達人に尋ねた。
「いや、一応全員そろってから、と思ってしばらく待ってたところ」
「先に食べていればいいのに」
達人の気配りに、有子はフフッと笑った。
「どっちみち吹雪いてきたから、みんな戻ってくるかなって。ほら」
達人が入り口を指さすと、雪だらけになった栗畑千香と小塚進、そして達真の姿があった。
「もっとも、三堂さんは我慢できなくてじたばたしてたけど」
達人は、有子の目の前でぐったりしている成美を見ながら言った。
「だ、だって有子ちゃん、高野君ひどいんだよ。おなかすいたっていう私に、みんな集まるまで我慢しようって言うんだよ」
そういいながら、成美は手足をバタバタさせた。
「成美、あんたは我慢っていうことを覚えた方がいいと思うよ」
窓の外は近くの木がうっすら見える程度まで視界が悪くなり、まるで横から雪が降っているかのように風も少しずつ強くなり始めた。
そのせいか、ロッジの中もすっかり満員となってしまった。
「先に席取っておいてよかったですね」
有斗がメニューを頼みながら、有子に言った。
「そうね。成美がだだこねたおかげで、席が確保できたから」
そういいながら、有子は注文していたラーメンとおにぎりをトレーに乗せた。
テーブルではすでに進と彩花、達真が注文を終え、席に座ってほかのメンバーを待っていた。
「それにしても多いわね。下のレストランの方がよかったかも」
「今日は下のレストランの方が多いわよ。あそこ、来るのがスキー客だけじゃないから」
有子の前に千香がカレーを持って座った。
「あ、そうか。今日は土曜日だしね」
「ホテルのレストランは品ぞろえがいいけど、今の時間帯だったら座れないわね。ちょうど視界悪くなってきた頃だし」
千香は窓の外を見ながら言った。相変わらず、雪がやむ様子はない。
初級コースとはいえ、この雪の強さで滑って降りることができるのだろうか、と有子は心配したが「リフトは動いてるし、最悪歩いて降りれるコースがあるから」と千香は説明した。
「あーっ!」
注文カウンターから声がしたので振り返ると、成美が小銭入れを見て驚いていた。
かと思えば、今度はこちらの席に向かってきた。
「た、大変だよ! カレー頼もうと思ったら、百円足りないの!」
そう言って、成美は百円のクーポン券七枚を見せた。
ここのメニューはほとんどが八百円。先ほど成美は牛丼を食べたせいで、多くのメニューが頼めなくなっている。
「だったら、塩焼きそばとかおでんとかにしたら? 塩焼きそばは五百円だし、おでんとおにぎりとかだったら頼めるでしょ?」
「やだ! 私、カレー食べたいの!」
せっかくの千香の提案を、成美はいともあっさり跳ねのけた。
「有子ちゃん、百円券、一枚ちょうだい!」
「え、百円足りないんだったら、現金で払えばいいんじゃないの?」
「セカンド財布、おいてきちゃったの!」
成美の計画性のなさに、有子と千香は頭を抱えた。
結局有子が「どうせ使わないだろうから」ということで百円券を一枚、成美に渡すことにした。
込み合う店内で、ようやく全員の食事がテーブルに並び、それぞれ思い思いに食事を摂る。
が、成美だけは一番に食事を終わらせてしまい、彩花の塩焼きそばを涎をあふれさせながら見ていた。
昼食時のピークが過ぎたのか、席はすべて埋まっているものの、注文カウンターに向かう客は少なくなっていた。
「しかし、午後からは滑るのは無理かもね。どんどん雪も風も強くなっていくし」
千香が持っていた携帯電話で天気を確認する。山中のため電波が弱く、表示にかなり時間がかかった。
「あちゃあ、こりゃ明日の朝まで無理だわ。食事が済んだら、ホテルでおとなしくしていたほうがよさそうね」
天気予報によると、スキー場のあたりは明日の早朝まで雪が降り続くらしく、夕方付近が雪も風もピークだそうだ。
「仕方ないね。ゲームセンターもあったし、ゆっくりしようか」
有子がそう言うと同時に、食事が早く終わった有斗と太志、そして進がトレーを持って立ち上がった。
「じゃあ、僕たちは有斗君と新名君と一緒に先に下に降りてるから、後は栗畑さん、お願いね」
そういうと、進たちはトレーを返却して外に出ていった。
しばらくして、有子も食べあげて席を立つ。
「私も、先に戻ってる」
有子が返却口に向かうと、同時に達磨も席を立った。
有子がトレーを返却して出口に向かうと、ほとんど同時に達真も出口にやってきた。
「あ、達真君、さっきの話なんだけど」
「別にこれ以上話すことはないですよ」
そういって達真は扉を開ける。雪が強い風に押し出され、隙間から入り込んでくる。
「あ、そうそう。今夜は部屋の窓の鍵を開けておいた方がいいと思いますよ。何があるかわかりませんから」
達真はそういうと、すぐに出ていった。
一瞬風が止み、有子は達真の言葉の意図をつかめず立ち尽くした。
再び強い風が吹き、雪が吹き込んできた時、有子はふと我に返り、外に出て扉を閉めた。
達真の姿を追うが、すでに広場にはいなかった。
「一体、達真君は何が言いたいんだろう」
そう思いながら、有子はスキー板を取り付けた。