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顔が描けない画家と保守的なメイド

作者: raina

メイドさんが好きで描きました。保守的なメイドさんが色々考えて、周りとの関係あーだこーだみたいな感じです。今回は好きな様に書かせて貰いました。楽しかったです。


 開店直後のパン屋でフランスパンと自家製ヨーグルトを買うと、私は約束の場所に向かう事にする。朝方と言う事もあり、まだまだ気温は低く肌寒い。パン屋を出ると若干体を強張らせる。せめてもの救いは、身に付けたメイド服が長袖、ロングスカートであったと言う事だ。

 大きな桟橋を渡り、丁度最上部に差し掛かろうとした時、目に入ってきた街路の風景に心を少し躍らせる。まるで絵画の中に迷い込んだような幻想的な街並が好きだった。ファンタジー小説を読み漁った幼い頃の記憶が蘇り、自然と笑みがこぼれる。

 街を横断する河川では、水先案内人がオールを動かしていて、王国であったこの街にはかつての張り詰めた空気は見る影もない。王国としての時代を終えたのは、少し前の事になるのだが、人々はその日を境にこの王国を別の真名で呼び始めた。

 水の都【アルバーネ】。

 アルバーネに暮らし始めて半年が経った。メイド士官学校で見習いメイドの士官長をしていた私は、友人とのすれ違いで逃げる様にしてこの地にやって来たのだ。

 毎日当たり前の様に過ぎ去る私の時間は、今ではかけがえの無い物になっていた。知人は驚いた事であろう。保守的と言われ続けた私の人生は、そこで初めて転機を迎えたのだ。未開の地に降り立った時、私はそこ知れぬ不安と孤独を感じた。でもそれ以上に、今までの人生を否定する事が出来た自分に歓喜したのだ。この半年間は、私の人生で一番の時が流れたであろう。

 しかし、常に心が躍っているという訳ではない。それでも私の胸中にはいつまでも消える事の無い穴が開いている。だから、脳裏にあの仲の良かった友人の顔が過った時、私は決まって、この大きな桟橋の上で地平線の彼方を見るのだ。街並みと太陽に輝く海を視界に納める事が出来るこの場所は、私の一番のお気に入りの場所。憂鬱だった気持ちも、この私の大好きには勝てないのだった。

 私は清々しい気持ちで止まっていた足を踏み出す。

 桟橋を渡りきると、開放的な美しいテラスを設けているカフェを横切り、路地に入って行く。コーヒーの匂いが朝日の訪れを導いて、私は自然と足取りが軽くなっていった。

 せせこましい路地にはパイプ管が交差している。煙はまだ出ていない。横着な店主は朝方には弱いので、私はこの道をよく利用するのだ。

 その先に広がるのは、河川沿いの展望所。

 その展望所を視界に納めた私は、浮ついた気持ちを少し落ち付ける。

 すると、足取りもゆったりとして来て私が展望所に到着する頃には、乱れた心臓の高鳴りも一定のリズムを刻んでいるのだった。

「今日はまた、美味しそうな物を抱えているね」

 其処には、彼がいた。二週間前からこのアルバーネに滞在している風景画家で、彼の描いた絵を初めて見た時私は一瞬で虜になった。

 何処か不思議な感じのする彼の絵は、ファンタジー好きの私の趣向にピッタリとはまったのだ。

「約束しましたから。この街お勧めのパンをご馳走するって」

「あー確かにした気がするけど。話半分だと思ってた。それもこんな朝早くから」

「パンは朝に食べるのが一番おいしいんです」

「それは分かる気がする。小麦の香ばしい香りが目覚めの悪い胃腸を起こしてくれるからね。それに―」

「片手間に食べれるのが良いと?」

「うん」

 彼は、其処で初めて立て掛けたキャンパスから目を離し私の方に顔を向けた。

 しかし、彼の眼は私を見ていない。分かっている。彼の眼は私の心を見ているのだ。

 だから私は彼を好きになったのかもしれない。男としてではなく人としては私は彼の事が好きだった。

「今日は何を描いているのですか?」

 私ははぐらかす様に彼の描きかけのキャンパスに視線を送る。

「ゴンドラだよ。さっき此処を通ったゴンドラ。普段とは珍しく、夜行運転時のままだったからね。無駄に輝いてたのに可笑しくなって、気がついたら筆を取ってた」

 彼はその光景を思い出したのか可笑しそうに頬を緩ませて、笑い声を上げる。

 私も彼の笑いにつられて頬を緩ませた。

「私も見たかったですね」

「見せたげるよ。もう少し時間はかかるけど。君が持ってきたパンを平らげる頃には

書き終えて見せるよ」

 そう言うと彼は私の両の腕に抱えられた紙袋に手を伸ばして来る。

 まったく。

 私は、彼の手が届かない所まで半歩下がる。

 彼の伸ばした手は空を切った。彼は微妙な顔付きで私の機嫌を窺う様に見上げて来る。

「お行儀が悪いですね。それもかなりの常習犯の様だ」

「否定はしない。弁解はさせてくれないか?」

「聞きましょう」

 落ち着いているが、こめかみから流れ落ちた一滴の冷や汗を私は見逃さなかった。少しだけ意地悪になった私は、心が躍るのを抑えられなかった。

「食べる時と言うのが一番インスピレーションが湧きやすいんだ」

「脳に刺激を与えてくれるからですか?」

「それも含めてだけど、簡単に言うと幸福だからだ。心から幸せだと思わないと、奇跡の一端を担う事なんて出来ない。そんな一旦に触れる事が出来たとしたら、それは最高の芸術になる」

「貴方の頭の中の話ですね。」

「そうだね。僕の頭の中の話だ」

 彼は素直に認めると少しだけ足に力を込め、軽く立ち上がる。

「あ」

 そして私の持つ紙袋からこの街特製の丸いフランスパンを掴むと、一口かじって最高の笑顔を私に向ける。

「うまいっ!」

 その子供の様な表情に私は諦めの溜息をついた。

 そして彼はパンを食べながら筆を取る。

 私は彼の隣に腰を下ろした。

 彼は街に挟まれた河川を見つめている。其処には数羽のカモメが行き来しているだけである。今は穏やかな水の流れが太陽の光を反射して一際眩しく見えたが、彼の眼が揺らぐ事は無かった。

 少しの間迷った挙句、私は彼に話しかける事にした。

「幸福な時が最高の芸術になると、貴方は言いましたが、幸福にならなくても最高の物を作る事は出来ないですか?」

「どうしてそんな事を聞くんだい?」

 其処で初めて彼の眼が河川から離れた。

「理不尽だと思ったんです。幸せな人じゃないと奇跡を起こせないなんて、そんなの認めたくない」

 我儘だな。私は客観的にそう思ったが、偽りなく思いを口にした。

「出来ないと思うけど、君がそんなに言うなら、打開策がない訳でもない」

 彼は考える素振りなど見せる事無は無かった。それは彼の描く絵画の様に、例え間違いであっても、彼の言葉は、手は止まる事は無かった。

「それは何ですか?」

 彼の甘い言葉に卑しくも私は、肩の荷が下がる様な気になってしまう。

「僕は知らない。僕はそういう人では無いからね」

 彼の言葉が現実的な物では無くて、私は下がりきった肩を上げる事に疲れを感じた。だから私の心のつかえは前よりも重たくなったような気がした。

「もう良いですよ。私ヨーグルト食べますから」

 彼のために買ってきた紙袋の中身から私は可愛らしい花柄の紙カップを取りだした。このヨーグルトもこの街で人気の食べ物で、朝には香ばしいパンと一緒に街中の人々に愛されている。

「ちょっ、 それ僕のために買ってきたんじゃ……」

「これは違います。パンじゃないですから」

「パンじゃないけどさ」

 彼は何とも言い難い表情で私の口に運ばれていくヨーグルトを見つめている。

「……………」

 食べにくい。

「……そんなに欲しいですか?」

「もちろん」

 彼は迷い無く私の質問に答える。

 はぁ。

「じゃー一つだけお願いを聞いて下さい」

「何だい?」

 そのお願いを持ち掛けるために私はヨーグルトを手に取った訳ではないのに。

 何故だかお願いしても良いかなと思ってしまった。

「この街の桟橋は分かりますか?」

「分かるよ。この街と自然をあれだけ繋いでいるスナップは中々見付からないからね。僕がこの街に来て最初に驚いたのは、あの桟橋だ」

「私もです」

 彼の言葉がまるで私の心を代弁しているかのようで心地良く、自然と言葉が口から零れる。

 風景画家である彼に言われたからこそ、私は抑えられない素直な気持ちになったのかもしれない。

「その桟橋から見える景色を描いてはくれませんか?」

 彼にお願いする前までは機会があればと思っていたが、彼の思いが私と同じ物である事が分かって、どうしても見たくなった。

 彼は少し申し訳なさそうな顔をした。

 その顔を見て私の高ぶった気持ちは、瞬く間に冷めてしまった。そして私は、羞恥に少しだけ顔を赤らめた。それでも私は顔を俯ける事は無く気丈に彼の言葉を待つ。彼には私が狼狽している事などばれている筈なのに。

「すまないけど、気乗りしないな。驚いたのは確かだが描きたいとは思わなかった。大抵そんな時は上手くいかない。だから描いても良いけど、君が言う桟橋の風景は描けないと思う。それでも良いなら―」

「描いてくれますか?」

「描くよ」

 彼の優しさに触れて、私は少し悲しくなった。

「やっぱり、良いです。ごめんなさい」

 私は結局ヨーグルトを彼に渡した。彼は少し受け取りづらかったのか、数瞬戸惑いの表情を浮かべたが、私が何時までも手を下ろさないので、渋々受け取った様に見えた。

 パンを食べ終え、ヨーグルトを口に運ぶ頃には、彼の描いていた風景は一つの作品になっていた。

「………綺麗」

 私が感嘆の言葉を口にしたのは、彼の頭の中の風景が馴染み深い何かを持っていたから。それがどうして私に伝わるのか理解出来なかった。押し付けで判断する事は出来るけれど、それを肯定する事は出来なかった。

「今回のは悪くないな」

 上から物を言った彼の言葉だが、私は不思議と腹がたつ事は無い。寧ろ其処までの自信を持てる事が不思議でしょうが無かった。

 私は一通り全体に目を通すと、ある一点に感じた違和感について彼に尋ねる事にした。

「このゴンドラの装飾……違いますね」

「かなわないな」

 悪戯が見つかった子供の様に苦笑いを浮かべる。

「ご明察の通り、それは僕が朝見たゴンドラの装飾とは違う。まさかばれるとは思わなかったけど」

「何故ばれないと思ったのか。貴方がこの街に来たのは二週間前。私がこの街に何年いると思っているのかしら」

「半年かな?」

「……そうです」

「偉く大きく出たけど、半年なら騙せるね。一年でも」

「騙せてないですよ」

「おかしいな」

 おかしいと言った彼だが、その佇まいはそうは言っていない。

 彼の描いた装飾はリアルよりもほんの少し明るく感じた。水の流れの様な繊細さを犠牲にして際立った明暗に、忘れられた蛍光ライトの残骸はより深く引き出される。

 彼が装飾を偽ったのも頷ける。彼の描いた世界は、ただ一つのため。そのために犠牲とされる物を迷わず捨てて描き切った彼の風景は、純度の高いものだった。

「ゴンドラの装飾を勝手に変えるなんて、一部の人にはバッシングの嵐ですよ。私は特に気になりませんけど」

「君が気にならないなら良いじゃないか。これは君に見せるために描いたんだ」

「私が来る前から描いてたくせに。でもそうですね。素晴らしい物を見せて貰ったのは確かですから、私も貴方にサプライズを届けたいと思います」

「それは嬉しいな。贈り物なんて貰った事がないから、どういう風に言ったら良いかよく分からない」

「楽しみにしていて下さいね」

 彼の手の中の空の紙カップをそっと掠め取った私は、眩しい朝日に負けないように微笑んだ。


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