札 ~ 点と線 ~
偶然の出会いをきっかけに、忘れていたはずの記憶がつながり始める。
◆◇◆◇◆ 新人研修 ◆◇◆◇◆
「飯田さんは出身どこなんですか?」
「宮城県です、仙台市」
俺は新人研修で今、東京に来ていた。仙台の大学を卒業し、春から社会人。
どこへ配属されるかはまだ決まっていない。
この一週間の研修の終わりに発表され、新人が各地へ散ってゆくのだそうだ。
話し下手の私は聞き手に回ることが多い。
この研修でもそうだ。
今はレクリエーションが終わり、お互いの親睦を深める半日のフリータイム。
それだというのに俺の周りには席がレクリエーションで一緒だった鈴木さんしかいない。
「鈴木さんはどこなんですか?」
「私は岩手です。盛岡」
鈴木さんはカットモデルのような毛先がきっちり揃った黒髪のショートカット。
丸いメガネが”モダン”という言葉を連想させる清潔感のある女性。
「え?近いじゃないですか」
「ですよね」
それに対して俺は”ザ就活”といったイメージが抜けきらない、冴えない大学生のようだ。
実際中身の俺自身もそんなもんだから、気にはしていない。
「鈴木さん、言葉が綺麗なんで、関東の人だと思ってました」
「そんなことないですよ。冷たい水とか『しゃっこい水』って言っちゃいます。父方のお爺ちゃんが仙台なんですよ」
「え?まじで?」
「はい、仙台の…泉の朴沢って所です。小さい頃は夏休みとか一週間くらい泊まったりしてました」
「まーじかー!俺、朴沢なんだよ!」
「え!すごい!なんか、勝手に親近感。あそこ住んでるんですか」
同じ場所にいた事がある。
不安な社会人への一歩、慣れない東京のど真ん中でこの偶然は、新社会人にとってほっこり出来る小さな奇跡だった。
「集会所の近くなんだけど、いま使われてない方の集会所ね」
「集会所はわからないけど……なんか家じゃない公共の建物は近くにあったような……」
「同い年で、夏休み遊びに来てたってことは、もしかしたら昔会ってたのかもしれないねー」
「ですよね。行ってたのは小学生まで。低学年の頃だけ。お爺ちゃんが亡くなった後は行かなくなってしまって」
「そうなんだー。じゃあさ、鈴木さんも夕方の放送が鳴ったら家から出るなとか言われた?」
「あの地域放送の赤トンボの歌ですよね。5時かな?6時でしたっけ?お爺ちゃんにもお婆ちゃんにも言われました。赤トンボ聞こえたら絶対帰ってこいって」
「やっぱり?俺が小学…3年の頃かな。クラスメイトが2人居なくなってさ。それからキツく言われるようになったんだよね」
「……居なくなった?」
「うん、行方不明」
鈴木さんが急に真顔になった。
「…………」
話し下手の俺は、相手が黙ると急に何も話題が思い浮かばなくなってしまった。
会話のキャッチボールはなんとか出来るが、こちらから投げかけるのがどうにも苦手だ。
「…………」
「…………」
気まずさに耐えられずスマートフォンを取り出し、時間を見る。
フリータイムは17:00まで。それまでは勤務時間とみなされるのでここを勝手に出る事はできない。
他の新人たちは数人でグループを作り騒がしく話をしている。俺から見たら十分陽キャな人達だ。
俺と鈴木さんだけが広い会議室の隅に二人だけ。俺はここを離れてあのグループに入り込む事だけは避けたかった。
何とか言葉を捻り出す。
「まだまだ長いですね。5時までどうやって過ごせば良いのか……」
鈴木さんは無表情のままだ。何か気に触るようなことを言ってしまったのだろうか。
「私……」
話し始めたことに少し驚いて、鈴木さんを見た。
「私……誘拐されたことあるんです」
口はほとんど動いていなかった。わずかに開いた唇から漏れた声。
「え……」
「誘拐されたこと……ある……」
「え……?」
「小学生のとき……」
俺は上手く相槌を打てない。
「夏休みに……朴沢で……」
「ぇ……」
驚きのため息が俺の口から漏れた。
「飯田さんの今の話聞いて思い出した……なんか嫌な思い出あったからもう行きたくないって思ってだけど……」
鈴木さんのイントネーションが東北訛りにもどっていた。
「お爺ちゃん死んだからじゃなくて、誘拐されだの怖がったからかもしれね……」
「……本当に?」
「うん……でも逃げで道路まで山降りできて、知らね人の家さ入って、助けでもらって……」
「うん……」
「その家の人さ名前しゃべったら、鈴木のお爺ちゃんの孫だべって……」
「うん……」
「それで助かったんだ……お爺ちゃんさ電話してもらって。今、思い出した」
鈴木さんは少しだけ指先が震えていた。自分でも忘れていた記憶。それを思い出して、改めて驚いている様子だった。
「嫌な事とか、怖い記憶って脳が忘れるようになってるってホントなんだね……ほんとうに忘れでだ……」
「鈴木さん……大丈夫?」
自分の家の周りでそんな事があったなんて。聞いたことがない。
何事もなくこれまで暮らしてきたのだから現実味がない。
行方不明で同級生が居なくなったのは知っていた。しかしそれはどこかへ家出でもしたのだと幼心に漠然と決めつけていた。
「本当に誘拐とかあったんだ……行方不明の同級生二人も誘拐……なのかな」
「夕方、赤トンボの放送が流れで……それでも田んぼでドジョウとタモロコとって遊んでだんです……」
「田んぼ歩いてると、泥がブワッと動いてそこにいるのわかるもんね」
「そう……それで虫取り網で、ドジョウいっぱい獲ってプラスチックの水槽に集めでだら、麦わら帽子被った人に声かけられで……」
「…………」
そこから先は聞きたくない話に繋がるだろうと身構えた。
「何獲ってらんだ?……って聞がれで……」
「…………」
「答えようど思って、顔あげだら……」
「…………」
「タオルみてぇなもので口塞がれで……」
「…………!」
「手おっきくて、タオルで目も隠されで……」
「…………!!」
「車さ乗せられだ……バタンて閉める音して……」
本当に誘拐された話を、その当事者から聞く事が、こんなにも胸にくるものだとは知らなかった。不安に締め付けられる。
俺が何事もなく暮らしてた場所で、誘拐があり、誘拐された本人がそれを目の前で告白している。
「その後、しばらくして車がら降ろされで……ずーっと歩がされだ……目も隠されで、タオル口さあるがら苦しくて苦しくて……」
俺はたまらず、先に聞いてしまった。その事件がちゃんと事件として処理されたのか。
「それ、鈴木さん小さい頃でしょ?警察には通報したの?」
「したけど……何も見でないはんで、なんもわがらなくて……小学生だったし……」
「そうだよね……でも……良かったね……」
何も良くない。まだ聞いてないだけ。
俺が聞きたくない、聞いたら耐えられない事があったのかもしれない。
「ガサガサって音してだし、結構登ったから山だと思う。ずっと葉っぱとか枝当だってたがら山奥っていうか、道ながった……」
鈴木さんは何故か話し続ける。思い出した事をそのまま吐き出すように。
「うん……」
「なんが、建物さ着いで、中に入れられだ後……柱に縛られで、口だけ塞がれで……置いで行かれだ」
「その人、鈴木さんを置いて居なくなったの?」
「うん……一人きりになって、すごぐ怖くて、もう夜で暗くて怖いし」
「その後……どうしたの?」
「凄ぐ怖くて、泣ぎながら暴れでだら紐緩んできて……取れだの……」
「……逃げた」
俺は聞きたかった答えを先に言っていた。何事もなく無事に逃げたと、鈴木さんの口から聞きたかった。
「うん。暗がったけど窓少し明るくて……お月様で外見えでだから……どこ開げだがわがらないけど、どこかの戸開いだがら走って逃げた……」
「よく無事で帰れたね……」
「登ってたのだげわがってだから、とにかく下さ降りでいって、見つからないように……。暗くて暗くて怖くて……お化け出るかと思ったし、さっきの人来るがもって怖いし……」
「本当何もなくてよかった……」
「うん。見つけだ家に入って、助けでもらった人に電話してもらって、お爺ちゃん迎えにきて……誘拐されだって怖くて何でか言えなくて、ただただ怖くて、ごめんなさいごめんなさいって泣いでだ感じする……」
「それは怖いよ……まだ小さいもん……」
「赤トンボの放送鳴ったのに遊んでてごめんなさいごめんなさいって……」
「家の近くで誘拐があったっていうのは今初めて知った……」
「私、何もながったがら今まで忘れでだけど、飯田さんから行方不明の話聞いで思い出した。自分が誘拐されだ事……」
「ごめんね、思い出させちゃって……その後は何もなかったの?」
「確か、次の日お爺ちゃんの家さ警察の人来て色々聞かれたんだけど、まだ小さかったからあんまり覚えでなくて……」
「そうだよね」
「ジャージのズボンの裾さ、血付いてたのだけ覚えでる」
「鈴木さん、逃げる時に怪我したの?」
「ううん、逃げるとぎ、枝引っかがっていっぱい細かい傷は作ったけど、
ズボンに血、ベッタリ着いでで……
……それ私の血じゃながったの」
「…………?」
……頭の中に浮かんだのは、行方不明の二人の同級生。
◆◇◆◇◆ 行方不明 ◆◇◆◇◆
小学三年生の夏休み。
突然消えてしまった二人の同級生。
一人は夏休みが始まってすぐ。
一人は夏休みの中ほど。
学校が夏休みだったこともあり、噂は噂以上の騒ぎにはならなかった。
ただ、「どこかへ行ったらしい」という不穏な空気だけが残った。
今考えると――どうして、あの時もっと怖がらなかったのか。それを疑問に思わなかったのか。
地元で同級生の女子が二人消えた。
だが今日、それが三人になっていたかもしれないと知った。
「鈴木さん……その血って……」
「誰のものかは、わがらないって言ってだ……ただ……」
「ただ?」
「ズボンについでから乾いだみたいだったって……言ってたと思う」
「じゃあ……その血……」
「そう見たい……だって……言ってた」
「鈴木さん。逃げるときは何も見てない……?」
「わからない……ただ怖くて、あまり覚えてない暗くて……」
「思い出さなくていいよ、嫌な思い出だろうし」
「亀の子」
「え……カメ……?」
「亀の子……左13右11」
「亀の子?」
「左13…右11…」
「みぎ?ひだり?って……?」
「よく覚えでないんだけど、逃げたくて必死に窓の外見た時、見えだ気がして」
「右とか左とか?」
「動転してで、何見だがもよぐ覚えでねんだけど、亀の子っていうのと、何故かその数字だげ記憶にある」
「なんだろね……それは何かの手がかりとして警察には?」
「ただ頭の中にあった記憶だから曖昧だし、誰かに喋った事はないけど……」
「そうなんだ……」
「その家の中に入る時にズック脱がされで、逃げる時、裸足だった。靴下履いでだけど。婆ちゃんに買ってもらったキャラクターのやつ」
「あの頃、小学校でキャラクターのシューズ流行ってたもんね」
「うん。あれ好ぎだったのに……ブリキュアのズック……」
その後は何を話して過ごしたのか、あまりよく覚えていない。
お互いゲームが好きな事。
今度対戦しようと約束したこと。
LIME交換した事。
配属先の予想と、引越しの心配の事。
それから、まだ終わらないねと何度もお互いスマートフォンで時間を見ていた事。
聞いた話や噂ではない。
被害者本人から聞いた誘拐事件の話の後では、どれも頭に入ってこなかった。
俺の頭の中では、行方不明になった同級生が誰だったか。当時何故それが大事にならなかったのか。それを思い出せなくて、ずっともやもやしていた。
ようやく定時になり、また明日といって皆、解散する。
明日は8時出勤の後、10時から各部署を見学する予定。その後は座学とまたレクリエーション。
しかしそんなのはもう大した事ではなかった。
俺は宿泊先のビジネスホテルから実家に電話した。
トゥルルル……トゥルルル……プッ
「ハイ!飯田です」
普段の会話よりトーンの高い声。
「お母さん、俺」
「なにー、大志か。どうしたの?研修終わった?ご飯食べたの?忘れ物?」
「いっぺんに色々言わないでって……」
「やっぱり何か忘れものした?」
「忘れてない、違うんだって」
「何、どうしたの」
「なぁ……うちの近くで、昔……誘拐とか、あった?」
「…………………」
「小学校の頃、誘拐事件あった?」
「……何で……どうしたの」
「どうしたのじゃなくて、誘拐事件、あったかどうか」
「あんたの同級生のあれ?」
「違うって、行方不明じゃなくて誘拐、誘拐事件あったのかって」
「……昔、あったみたいだよ……どうしてそんな事今聞くの?」
「ちょっとそういう話、聞いて……」
「今日? 研修で?」
「近所に鈴木って何軒かあるけど、俺と同い年の、孫がいる鈴木さんって昔いた?」
「……近所に鈴木、何軒もあるし?」
「俺と同い年の……夏休みだけ来てたみたい、孫。小三の時、夏休みに遊びに来てたって」
「…………」
「知らない?」
「鈴木さん……もしかして鈴木丈助さんかな。その頃亡くなってたけど。近所ではないよ。だいぶ遠いもの」
「それかも。お爺ちゃんの所に夏休み来てて、その後お爺ちゃん亡くなってからは来なくなったんだって」
「……じゃあ丈助さんだな」
「今日研修で鈴木さんっていう女の人と一緒になって、色々話したらたぶん丈助さんの孫らしいよ」
「……そうなんだ……名前は?」
「下の名前……聞いて無かったな。ちょっと待って」
俺はスマートフォンを耳から離し、通話したままLIMEの画面を開いて鈴木さんのプロフィールを開いた。
【鈴木 茜】
「もしもし?……鈴木、あかねだと思う」
「……茜ちゃんか」
「知ってるの?」
「……その子、誘拐された子だよ……」
「え、知ってたの?」
「うん、同級生の……三年生の時でしょ、夏休み」
「なんで教えてくれなかったの」
「何でって、そんな物騒な事件、子供に教えないでしょ」
「危ないから気をつけてとか、そういうのなかったの?」
「だから、暗くなって赤トンボの放送鳴ったらすぐ帰れって言ってたでしょ」
「だからあの頃、急に厳しく言うようになったの?」
「そうだよ。行方不明で一人いなくなって、そのあとすぐ誘拐あって……鈴木さんの茜ちゃんは逃げられたから良かったけど、その後もう一人行方不明になったでしょ」
……近くで、本当に。
「大事件じゃない……何で今まで教えてくれなかったの?」
「茜ちゃんと会社、一緒になったの?」
「うん。研修で一緒になった」
「茜ちゃん元気?」
「うん。今、背高くて美人だよ」
「……辛かったね……」
「じゃあ実際あった話なんだ……」
「うん。でも……犯人は見つかってない」
「同級生の行方不明と茜ちゃんの誘拐って同じ犯人なの?」
「犯人捕まってないからそれはわからない」
「行方不明の事件……やっぱり解決してないんだ?」
「……そうだよ。その家族もしばらくして、この場所にいるの嫌になって引っ越してしまって」
「……そうなんだ」
「あの時、田舎でそういう事件だったから割と大きい話題にはなったけど、
周りの誰が犯人かわからないから、近所でもその話はだんだんしなくなって、
子供たちには外で遊んでも5時には必ず帰れって言ってたんだよ」
「それでか……赤トンボの放送流れたらすぐ帰れって言ってたのか」
「そう……」
「とりあえず……本当にあった話なんだ……」
「……わからない……犯人捕まってないんだもの」
「まぁいいや、そっち帰るの金曜日だから。夕方……夜になるかな」
「土曜日に引越し業者くる?」
「うん、午後」
「それじゃ、箱に服詰めておくよ」
「はい、それじゃまた」
「はい」
プッ……。
母は知っていた。行方不明の事も、誘拐事件の事も。それはそうだ。行方不明は同じ小学校の女子二人。しかも同級生。夏休みで学校へは行っていなかったが、親へは学校から連絡はあっただろう。
しかし、誘拐事件の事を母から聞いたのはこれが初めてだ。今日聞かなければおそらくずっと知ることはなかっただろう。
それくらい普通に暮らしてきた場所。
――金曜日。
研修が終わった。俺は大阪。鈴木さんは広島に配属になった。
会社の各支社に数人ずつ新人が当てられた。
東京本社へはその中から選ばれたものが転勤になるのだそうだ。
簡単な懇親会のあと解散した。
配属先でまた新人の歓迎会があるそうだが、人が大勢集まってワイワイやるのはどうも苦手だ。
ノリの良さそうな大阪でうまくやっていけるか正直不安だった。
俺はすぐに予約していた新幹線で仙台へ向かった。
休む暇などなく、数日で引っ越しを終え住民票を移し生活の準備をしなければいけない。
会社が借り上げているアパートらしいが、行ってみるまで詳しい情報はなかった。
帰りの新幹線で新居となるアパートの住所を検索する。
ネットで地図写真を見る限りは古くはなさそうだ。
――気づくと、もう仙台に到着していた。
◆◇◆◇◆ 奥の無道 ◆◇◆◇◆
――土曜日。
午後、引っ越しの業者が来る。
最後の実家だしゆっくり寝ていたかったが、張り切っている母に起こされてしまった。
「大志、あんたこれで全部?」
「いいよ、あとはもう大丈夫。全部持っていけないし」
母はなんでも持たせようとしてくる。俺の物なら、生活には関係ないようなものまで。面倒くさいとは思うけど、どこの親も似た様なものなんだろうと割り切った。
午後1時に引っ越しの業者が来た。
玄関まではトラックが入れないので家の前の道に止めてもらった。さすがに手慣れていて、トラックのミラーを折り畳み、助手席側ギリギリに塀まで車を寄せた。
「やっぱり業者さん運転上手ね。大志、免許取ったのに仕事で車使わないとペーパーになっちゃうね」
「大阪じゃ仕事で車使わないって言ってたし、アパートも駐車場はないし。このままだとそうなるかも」
二人で感心していると、塀に寄せた助手席側はドアが開かないので三人が運転席側から降りてきた。帽子を脱いで挨拶をする。
「引越センターです。飯田様のお宅でよろしいでしょうか?」
「はい、飯田です」
母が地声とは違う、トーンの高い声で答えた。
「それでは本日、三名で引っ越しの作業に取り掛かります。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします。私の部屋と玄関にある荷物になります」
運ぶものは決まっている。細かいものは段ボールに詰めてある。あとは張り切っている母に任せることにした。
俺はジャージにサンダルの姿でトラックの前に回り込む。タイヤが側溝までギリギリだった。折り畳んだミラーは庭に生えている木と電柱に当たりそうだった。
しかし当たってはいない……。
?
8R10
なんだろう?
「たーいーしー!これはどうするのー?」
2階の俺の部屋から、母が叫んでいる。
近所に響き渡るような大声だ。俺は急いで部屋に戻った。
案の定、指示を出すどころか世間話に一生懸命になっている母親がいた。恥ずかしい。
そして昨日決めておいた引っ越しの荷物の他に、仕分けして要らないと言ったものまで運ぼうとしている。
「やっぱりこの鏡持って行った方がいいでしょ?業者さん割らずに運べるってよ」
「運べるかどうかじゃなくて、姿見は要らないって。必要になったらあっちで買うよAmazingとかYahaa!とかで。業者さんを困らせないでってば」
母がいない方が引っ越しがスムーズだったかもしれない。しかしこれから疎遠になることを思うとなんだか可愛そうになって、黙って見守ることにした。
「お母さん、荷物は昨日決めたものだけ。あとはいらないから」
「わかってるって」
わかってるかどうか怪しいが、任せておくことにした。関わると余計に面倒なことになりそうだ。
「ちょっと外に行ってくるから」
「近くにいなさいよ。また何かあったら呼ぶから」
「はいはい」
階段を下りて玄関へ。まとめてある段ボール箱を避け、サンダルを履く。そしてさっきの違和感の場所へ。
もう一度、トラックの正面に回る。
8R10
エンボス加工で浮かんだ文字……黒のインクが擦り切れて文字が見えにくい。太陽が反射しているせいだ。
トラックに近寄り、角度を変えて電柱を見た。
[ 朴沢 8R10 ]
白い小さなプレートにそう書かれていた。
?
道を進み、歩く。側溝をたどり、サンダルで小石を転がしながら隣の電柱へ。
側溝が途切れ、土がむき出しになった道路脇に建った電柱。その中ほどにある白いプレートを見る。
[ 朴沢 8R11 ]
そのまま進む。田んぼ脇の道路。同じような景色。同じような電柱にたどり着く。
[ 朴沢 8R12 ]
俺は急いで家に戻り、スニーカーに履き替え、自転車を車庫から出した。
さっきとは逆の方向に向かう。
家から数え、10本目。
[ 朴沢 8 ]
丁字路にあるその電柱に「R」の数字はなかった。
大きな道を先へ進むと……。
[ 朴沢 9 ]
[ 朴沢 10 ]
そこまで進んで、自転車を降りる。古くからある商店の自動販売機でコーヒーを買って飲んだ。
鈴木さんは何て言ってたっけ……たしか……。
「(亀の子……)」
スタンドを立てて置いた自転車に寄りかかり、ポケットから取り出したスマホで検索する。
【亀の子】
検索結果は全国の飲食店ばかり。地元に絞って地図アプリで検索する。
検索結果――亀の子石
今いる商店から数キロ離れた場所。歩くには遠い、車なら近そうな場所。自転車なら5分ほどの距離だ。
投稿されている写真を見ると三叉路に石碑が沢山建っている。何度か通ったことはあるが、特別な用事があるとき以外は行くことのない場所。
「(あの、石がいっぱいある場所か……)」
行ってみることにした。
引っ越しのことは気になったが母がいるし、運ぶものは伝えてある。
俺はコーヒーを飲み干し、空き缶を自動販売機の脇にあるごみ箱へ捨てる。自転車のスタンドを解除し、向きを変えてから自転車に乗った。
一度地図アプリを確認してから自転車を漕ぎ始めた。ときどき電柱を確認しながら。
――亀の子石。
そう呼ばれる三叉路にある石碑の場所についた。
大小さまざまな石碑がある。その周りに沢山の石と中央に大きな丸い石。これが『亀の子石』なのだろう。少し周りを見てみるが、今の目的はここじゃない。俺は足元にあった、ボールのように丸い石を手に取った。
スマホが鳴る――LIMEの着信。
手で転がしていた石をポケットに入れ、スマホを取り出す。
引っ越しの準備をしている鈴木さんからだった。
鈴木さんも盛岡の実家に帰り俺と同じ状況らしい。持っていく荷物が多くて大変そうだ。沢山の段ボールが積み重なった写真が添付されていた。
「(鈴木さん『亀の子石』知ってるかな……)」
写真を撮り、メッセージを書く。
『鈴木さんこの場所知ってますか?』――写真添付
送信のアイコンを押そうとして手が止まった。
「(思い出させてどうする)」
メッセージを取り消し、書き直す。
『こっちも同じような状況です。母がうるさくて大変です』――送信>
ポコン!
音が鳴って会話に追加された。すぐに既読が付く。
ポコン!
大笑いした猫のスタンプが帰ってきた。
どうやら元気そうだ。配属先が一緒になることを願っていたがそううまくはいかない。
俺は新人研修で殆ど話していない二人の男女と大阪に行くことになった。鈴木さんは一人で広島。懇親会の後の別れ際は少し寂しそうな顔だった。
『お互い頑張りましょう!』――送信>
ポコン!
返信を見ることなくスマホをポケットに入れた。
今来た道路、その脇の電柱を見上げ、プレートを確認する。
[ 亀の子石線 3 ]
三叉路の大きい道をまっすぐ進んで次の電柱を確認する。
[ 亀の子石線 4 ]
三叉路に戻り左の道を進む。道の土手、高い場所に電柱が建っている。目を凝らし、小さく見えるプレートを確認する。
[ 亀の子石線 4L1 ]
「(……でも名前がそのままじゃないしな)」
そんな事を思いつつ、漠然と俺はその先を自転車で進んでいった。平地かと思ったが気づかないくらいの登り。帰りが楽そうだ。
確認して数えていく電柱の数字がどんどん増えていく。
[ 亀の子石線 4L2 ]
[ 亀の子石線 4L3 ]
[ 亀の子石線 4L4 ]
鈴木さんはたしか……左13右11と言ってた気がする。
でも「亀の子」といってた。「亀の子石線」じゃないし、「L」とか「R」でもない。
小学生の頃だ。LやRを左右と見間違えることも考えにくい。
俺の期待通りになることもないし、そうなってほしくはない。そう思いながらもなぜか足は先へ先へと進んでいた。
知らない道、その先へ進むのはなぜか小学生の頃の冒険を思い出させた。この歳になって自転車にのって、こんな気持ちになるとは思わなかった。
しばらく進むと舗装されていた道が砂利道へと変わった。
そこから3本進んだ時……。
[ 亀の子 4左11 ]
電柱の中ほど、そこについている白い小さなプレートの表記が変わった。
『L』が『左』になった……。
淡い期待通りになってしまった。
エンボスではない、平坦なプレートにペンキらしきもので書かれた文字。明らかに古い。
『亀の子石線』は、昔はただの『亀の子』だった。
LRは昔、『左右』だった……。
家からだいぶ遠く離れてしまった。砂利道になり自転車を降りていた。空は青から無色に変化し始めていた。
鈴木さんはたしか……。
亀の子……左13右11……と言っていたかそれとも、
亀の子……右13左11……と言っていたのか。
LIMEで聞こうとも思ったが、やはり思い出させるべきではないと感じた。
ポケットから取り出し、開いたスマホの画面。時間だけを確認してまたポケットにいれる。
コリっという違和感。
亀の子石で拾った丸い石がポケットに入れたままになっていた。
「(鈴木さんからLIMEが来た時、ポケットになんとなく入れてたか……帰りに返そう)」
鈴木さんから聞いた記号のようなもの。新人研修の時はその違和感で数字だけが頭に残っていた。
亀の子という奇妙なキーワードと13、11の数字。ここまで来て右と左が思い出せない。
――しかし、進めばわかるだろう。
あと2本進めばわかる。
俺は自転車を邪魔にならないよう、砂利道の脇に置いて徒歩で歩き始めた。少しだけさっきより傾斜が増したような気がする。電柱を1本進んだだけで空が無色から淡いオレンジに変わった。
[ 亀の子 4左12 ]
次へ行けばわかる。
プレートを一目確認し、そのまま足を止めず先へ進む。獣のような声がした気がするが、ただのカラスかもしれない。まだ山奥というわけではないし、周りには畑も見える砂利道だ。
怖い感じはしない。
あえて自分自身に周囲の状況を確認させ、もう一度頭の中で言葉にした。
「(まだ怖い感じはしない)」
電柱についた。確認するのが少しためらわれた。
まず周囲を見渡し確認する。
しかし誰もいるはずはない。いるとすれば近所の畑や田んぼ帰りの農家の人だろう。
電柱を見上げる。
[ 亀の子 4左13 ]
13本目まで来た……ここから右へ道が伸び、電柱が建っていれば……おそらく、
『亀の子 4左13右1』 となるだろう。
だが周囲にある電柱はここから道の通りまっすぐ伸びるものしかない。この先はここまでのルールからいけば目的の数字ではない。
『亀の子 4左14』
になるだけだろう。
少しほっとした……杞憂だった。
心配し過ぎだった。
俺が鈴木さんの誘拐事件をどうこうできるなどとは思っていない。
もしかしたらなんて、浅はかな考えで引っ越しをほおっておいて、自転車までつかってこんな遠いところまで来てしまった。
せっかくここまで来たんだ、一応……一応この先だけ確認して行こう。そうすれば踏ん切りがつく。
鈴木さんに何も報告することはできないが、これはこれで自分なりにスッキリ出来る。
次の電柱へ小走りで移動する……約20メートル。
電柱を追いかけているうちにだいたいの間隔が身についてきた。
白いプレートが見えるところまで行けばいい。
もう少しで文字が見える。
角度が悪い、もう少し……。
結局すぐそばまで来ていた。薄暗くて文字が見えにくくなっていた。
[ 亀の子 4左14 ]
ちゃんと予想通りだ。ちゃんと俺の期待通りにはならなかった。
これでもう謎解きのような遊びも終わりだ。
緩い坂道を下る。
坂というほどの傾斜でもないが、歩きつかれた足が少し軽く感じるのはやはり、多少の坂道なのだろう。
さっきの電柱まで下ってきた。
この電柱から見て右、坂を下ってきた俺から見て左に道があれば、そこに「右」と名のついた電柱があるのだろう。ここから分岐する電柱はない。ただ真っ直ぐ伸びる、さっきの電柱だけだ。
ここにある電柱に他に分かれている電柱はない。心の中で繰り返す。
見上げると……電柱の上に電線が巻かれている。
切断された電線を巻いて輪にして括りつけてあるようだ。
……切断? もともと線が伸びていた?
ここからわかれる道はない。道のない藪の中に電柱があるわけがない。
…………あった。
薄暗い夕暮れの中、藪の先に目を凝らすと、うねる木々の間に異様に……
――真っ直ぐな影。
◆◇◆◇◆ 社 ◆◇◆◇◆
――真っ直ぐな影、明らかな人工物。
「(電柱……)」
道はない、背丈ほどもある藪の先。プレートは見えない。だが確かに電柱がある。
何も考えていない。ただ確かめたい。
俺は両手を高い位置にあげ、草をかき分け進んだ。登り坂になっている。傾斜が徐々にきつくなる。密度の高い草木に押し戻されそうになる。
[ 亀の子 4左13右1 ]
見えた……見えてしまった。
この先に進めば。
鈴木さんが見た番号がある。
プレートがある。あの現場がある。
かもしれない。
[ 亀の子 4左13右2 ]
増えた……数字が増えた。絶対にある。
太い草の茎を折る。
前に進みにくい。
足で茎を倒す。肘で体を守る。
[ 亀の子 4左13右3 ]
あと7本…。
まだ先は見えない……でも電柱の影はある。
暗くなってきた。日が沈んだのだろう。
――その時。
遠くで何かが鳴っている。
サイレンのような農村に響く音。
『赤トンボ』
[ 亀の子 4左13右4 ]
子供は帰らなければいけない時間だ。
何度も何度も言われてきた。
「赤トンボ」が鳴ったらかえりなさい。
帰らないと……どうなる。
[ 亀の子 4左13右5 ]
[ 亀の子 4左13右6 ]
[ 亀の子 4左13右7 ]
[ 亀の子 4左13右8 ]
[ 亀の子 4左13右9 ]
こんなに進んで何があるんだ。
こんなところに人が住んでいるわけがない。
こんなに上ったところに。
道もないところに。
[ 亀の子 4左13右10 ]
向こうに影が見える……暗い、見えない。
いままで押し分けていた草木が急に低くなった。
広場?
広い……ひらけた。
だが周囲には森がある。
ここだけ、この広場だけ草が低い。
真ん中に建物があった、古い建物。
大きな縄がある。
扉がある。
横に電柱があった。
あれが多分「亀の子 4左13右11」なのだろう。
鈴木さん――ここだった、誘拐されて連れてこられた場所。
……お寺にも見えるし、神社にも見える。
だけど、俺の知識の中にはない形。
サラサラと葉がすれる森の音だけ。
誰もいない。何も感じない。
鍵は壊れていた。
両開きの扉を引き、正面から入った。
見た目より中は広い。だが何も見えない。
部屋の中は暗くて何も見えない。中から見えるのは窓の外だけ。
手に柱が触れた。建物の中央。
”「なんが、建物さ着いで、中に入れられだ後……柱に縛られで、口だけ塞がれで……置いで行かれだ」”
鈴木さんはそう言っていた。「柱に繋がれた」
柱に左手を付けたまま、一周する。半周したところで床についた足裏がずれた。
――何か踏んで滑った。
しばらく人がいた気配はないのに踏んだのは”生の感触”。
空気は乾いて感じるのに――生臭い。
――これは何だ。
ポケットを探り、スマホを取り出す。必死にスワイプして、電灯アプリをタップした。
それが照らしたのは、床とスニーカーとパンツの足首に、赤い液体。
まだ乾いていない……液体が鈍く明かりを反射した。
それを見ようスマホを近づけたところで柱に当てた手が滑り、バランスを崩して転んだ。
左手にプラスチックのような布のような感触。
手探りでつかんだ。
どろどろの液体で手が滑る。
――子供のシューズ……鈴木さんのズック!?
慌ててスマホのライトを当てると古いブリキュアの笑顔が見えた。
驚いたその拍子にスマホが手から落ち、ライトを下にして床を滑る。
窓の明かりしか見えない。
左の窓に電柱が見えた。
「亀の子……左13右11」
ガタッ
奥、壁の先で音がした。思わず息を止め、動きを止める。体を硬直させすべてを止めた。
「(…………!?)」
息をしてはいけない気がした。
落ちたスマホの輪郭が見える。1メートル先。
ガタッ……ギィッ……
ドッ
(――足音かもしれない)
ドッ
(――こっちに来るかもしれない)
ドッ
(――見つかったかもしれない)
床に飛び込むようにスマホを手にし、起き上がってた。
すぐに向きを変え、入ってきた方を照らし走った。
古い木造でやはり何の用途かわからないが、今はどうでもよかった。
赤いものを踏んだ方のスニーカーが滑るが、とにかく前のめりに走った。
――殺される。
後ろで物音が聞こえる!
草の低い広場を抜け、背の高い草木の下り坂に飛び込んだ。
草木が絡んで進むスピードが落ちる。だが気配はどんどん近づいてくる。
足を止めたら捕まる!
服が引っかかって取れなくなった。上着をそのまま脱ぎ捨てた。
傷だらけになりながら進んだ。腕を前に草を押しのけたその時、
砂利道に転んだ――痛!
だがすぐに顔を上げ、立ち上がった。
ひらけた道の夜空は明るく、道の脇に自転車が見えた。
急いで自転車に乗り、呼吸が苦しくなろうが全力で逃げた。
道はアスファルトになり、風の音以外何も聞こえなくなった。
何もない、何も追ってこない。
自転車を漕ぐのをやめる……惰性で進む……。
シャーという自転車のチェーンの音。
体の傷にしみる冷たい風。
[ 亀の子石線 3 ]
戻ってきた……三叉路の亀の子石。
――LIMEの着信音。
自転車を降りてスタンドを立てる。
今来た道を振り返りもう一度目を凝らす。大丈夫、もう大丈夫。
スマホを見た。LIMEに数件の新着履歴。
鈴木さんからだった。
『17:00 引っ越しは無事終わりましたか?良い子はお家に帰る時間ですよ。』
『17:02 右も左も分からないですけど、広島で頑張ります。飯田さんも頑張ってください』
『17:11 机を片づけてたら、丸い石が出てきたんですよ。昔拾った亀の子石の小石で、これ持ってると無事に家に帰れるんだって。私、持ってたから助かったのかな……(猫のスタンプ)』
俺はポケットを小石から出し、元あった場所にそっと置いた。
何故かはわからないけど、手を合わせた。
スニーカーと……
パンツと……
合わせた手には……濡れている血がついていた。
ポコン!
母『ごはん(スタンプ)』
ぜひ近くの電柱を見てください。山奥に隠れたルートも……本当にあります。
ご意見ご感想など、何か感じたことがあれば教えていただければ作者として大喜びいたします。
初めてのホラー。最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。




