scene6:章ラスト ― 静かな決意
王城の門が、音もなく開く。
見送りの列はない。
花束も、涙も、ない。
ただ形式だけが整えられ、馬車は静かに動き出す。
車輪が石畳を転がる音さえ、王都シュクレアの湿った空気に吸われていく。
レティシアは窓辺に身を預けた。
外を流れていく街並み。
整えられた通り。
同じ高さの建物。
午後三時を過ぎてもなお続く、穏やかな茶会の気配。
王都の空気は、重たい。
包み込むようでいて、逃がさない湿度。
彼女はゆっくりと手を開く。
そこには、先ほどのクッキーの欠片が残っていた。
無意識に握っていたらしい。
親指で、そっと押す。
沈む。
そして、ゆるやかに形が戻る。
痕跡を残さない。
何もなかったかのように。
レティシアはしばらくそれを見つめた。
「戻るのは、誠実ではありませんわね」
小さな独白。
王都は戻る。
意見も、対立も、やがて均される。
だがそれは、完成ではない。
ただ、跡を消しているだけ。
彼女は欠片を窓の外へ捨てない。
握りしめもしない。
そっと座席の上に置く。
「本物の音を探します」
静かな決意だった。
怒りではない。
復讐でもない。
確かめたいだけだ。
噛んだ瞬間に、確かに存在を示す何かを。
馬車は城壁を抜ける。
遠くで、鐘が鳴る。
王都の午後を告げる、いつもの音。
王国は変わらない。
王立菓子学院の標準は守られ、
甘味統一政策は進み、
ティータイムは続く。
だが。
白布の上で生まれた小さなひびは、消えてはいない。
それは今、ひとりの令嬢とともに王都を離れた。
湿度の高い空の下、馬車は遠ざかる。
音はまだ、鳴らない。
けれど物語は、確かに動き出していた。




