scene4:公開断罪劇
ざわめきは起きなかった。
それが、この国のやり方だった。
王太子アルバートは、しばらく何も言わずに立っていた。
視線は白布の上のクッキーに落ちている。
柔らかく、整い、完璧に均一な焼き色。
やがて、かすかに息を吐く。
「レティシア」
名を呼ぶ声は、叱責ではない。
「撤回すれば良い」
それだけだった。
命令ではなく、懇願に近い。
「未完成という言葉を、取り下げれば済む」
庭園の誰もが頷ける落とし所。
理念は守られ、面子は保たれる。
政策はそのまま進む。
湿った空気の中で、レティシアは目を伏せた。
迷いが、確かにあった。
彼女は愚かではない。
何が賭けられているかも、理解している。
父の家名。
婚約。
社交界での立場。
すべてが、ここにある。
それでも。
彼女は、もう一度だけ、あのクッキーを見た。
指で軽く押す。
やはり、音は鳴らない。
「……申し訳ございません」
静かな声。
撤回の前置きに聞こえる響き。
何人かが安堵しかける。
だが。
「音のない正解は、怖いのです」
決まった。
誰も声を上げない。
だが全員が理解した。
それは、味覚の話ではない。
正解を定義する者への、根源的な疑義。
音がないとは、検証の機会がないということ。
崩れないとは、異議を許さないということ。
院長グレゴワールが、ゆっくりと前へ出る。
表情は崩れていない。
ただ、湿度が増したように見える。
「公爵令嬢レティシア」
形式ばった声。
「あなたの発言は、以下の罪状に該当すると判断します」
淡々と、読み上げる。
「一、王家の審美眼の否定」
「二、王国標準への反逆」
「三、甘味統一政策への妨害」
一語ごとに、空気が重くなる。
甘味騎士団が前へ出る。
鎧は軽装。
剣は抜かない。
形式だ。
ここでは、血は流れない。
観客も騒がない。
悲鳴も、怒号もない。
ただ、距離を取る。
白布の長卓から、一歩。
二歩。
輪が、静かに広がる。
誰も彼女に触れない。
誰も彼女を罵らない。
それが王都シュクレアの断罪。
音を立てず、包み込み、孤立させる。
レティシアは立っている。
逃げない。
泣かない。
ただ、湿った空気の中で、まっすぐ前を見る。
アルバートは何も言わない。
彼の手の中で、半分になったクッキーが、形を保ったまま沈黙している。
鐘は鳴らない。
午後三時のまま、時間が止まったようだった。
王都の湿度は高い。
音のない正解が、ひとりの令嬢を静かに排除するには、十分すぎるほどに。




