表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢レティシアは”カリカリ”が好き  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/52

scene2:熟成焼菓子との対面

通りの奥、格子戸の低い店構え。


 看板は色褪せ、文字は掠れている。

 だが戸口から漏れる香りは、濃い。


 老舗の菓子舗だった。


 中は薄暗い。


 光は紙障子を透けて柔らかく落ちる。


 棚には木箱。

 封をされた包み。

 日付の書かれた札。


 中央に座るのは、高齢の職人。


 背は曲がっているが、手は揺れない。


 その指先が、丸い菓子をひとつ持ち上げた。


 差し出される。


 レティシアは受け取る。


 重い。


 見た目よりも密度がある。


 表面は艶を帯び、焼色は深く均一。


 耳を近づけても、音はしない。


 香りが立つ。


 甘い。


 だが単純ではない。


 焦がした砂糖の匂い。

 乾果の酸味。

 熟れた酒の影。

 木箱の残り香。


 複雑に絡み合っている。


「低温で焼きます」


 職人が言う。


「火は強くありません。急がせません」


 レティシアは頷く。


「焼き上がりが完成では?」


 問いは自然に出た。


 職人は首を横に振る。


「すぐには売りません」


 棚を指す。


 日付札の並ぶ木箱。


「数日。長いものは数週間」


 レティシアの眉がわずかに動く。


「寝かせる?」


「糖と油脂が、落ち着きます。焼きで暴れたものが、また手を取り合う」


 静かな声。


「水分が均衡します。外へ逃げようとするものと、中に残ろうとするものが、話し合う」


 レティシアは菓子を見つめる。


 焼きは終わっている。


 火は止まっている。


 だが内部は――終わっていない。


「味が、落ち着くのです」


 職人の手が、もう一つの包みを開く。


「こちらは三日前」


 さらにもう一つ。


「こちらは十日」


 見た目はほとんど変わらない。


 だが香りが違う。


 丸み。


 深み。


 刺々しさの消失。


 職人はゆっくりと言った。


「焼きたては未完成です」


 その言葉は、静かに落ちた。


 だがレティシアの胸では、強く響いた。


 未完成。


 焼き上がりが、未完成。


 火入れこそが最終工程ではないのか。


 炉から出した瞬間が、完成ではないのか。


 王都では、焼き色が頂点だった。


 グラシエールでは、凍結が終着点だった。


 アレフでは、口溶けの瞬間が極点だった。


 ベルニアでは、浸した瞬間が完成だった。


 すべてに「決定的な点」があった。


 だがここには、それがない。


 火を止めても、終わらない。


 完成が、後ろへずれる。


 レティシアは問いを飲み込む。


 菓子の重みが、掌に残る。


 これはすでに焼かれている。


 だが、まだ途中。


 火を離れた後も、内部で進むものがある。


 時間。


 それ自体が工程。


 焼き上がりこそ完成ではないのか?


 その確信が、静かに揺らいだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ