第五章 時間という食感 scene1:到着 ― 静かな湿り
――時間という食感。
東方ユンファに足を踏み入れた瞬間、レティシアはわずかに呼吸を変えた。
朝霧ではない。
視界は澄んでいる。
だが空気は淡く湿っている。
肌に触れた瞬間、乾ききらない何かがある。
水分というより、時間が溶け込んでいるような湿度。
街並みは木造だった。
濃い飴色に変わった梁。
節の浮いた柱。
年月を吸った床板。
どの建物も新しくはない。
だが朽ちてもいない。
軒先には紐で吊るされた乾果。
柑橘の皮、薄切りの果肉、香木片。
ゆっくりと水分を失いながら、色を深めている。
地面には木箱が並ぶ。
封じられた茶葉。
熟成途中の酒。
紙で包まれた焼菓子。
市場は開いている。
だが騒がしくない。
呼び声は低く、短い。
値切りの声も抑制されている。
人々は急いでいない。
しかし怠けてもいない。
動きはゆっくりだが、止まっていない。
レティシアは足を止める。
静か。
だが――止まっていない。
王都の喧騒とは違う。
グラシエールの張り詰めた緊張とも違う。
アレフの刹那的な煌めきとも。
ベルニアの笑い声とも。
ここでは、音が少ない。
足音も、話し声も、道具の打音も、どこか布で包まれたように柔らかい。
それでも。
内部で何かが進んでいる。
木箱の中で。
吊るされた果実の内部で。
樽の奥で。
見えないところで、確実に変化が続いている。
火は消えているかもしれない。
だが時間は、止まっていない。
レティシアは胸の奥に、わずかな違和を覚える。
ここには「完成」の匂いがしない。
だが「未完成」の焦りもない。
途中であることが、当然の顔をしている。
彼女はゆっくりと歩き出す。
板の軋む音が、わずかに湿った空気に吸い込まれる。
この土地では、何かが熟している。
目に見えない速度で。
静かに。
確実に。
そしてその速度は――
彼女の理論には、まだ含まれていなかった。




