表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢レティシアは”カリカリ”が好き  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/52

scene5:思想の揺らぎ(最大の迷い)

 宿の窓を開けると、海霧が静かに入り込んだ。


 湿り気を帯びた夜気が、頬を撫でる。


 遠くで波の音。


 強くない。


 だが途切れない。


 レティシアは机に置かれたビスコッティを見つめた。


 細長く、無口な焼き色。


 昼間と同じ姿。


 だが、もう同じには見えない。


 これまでの自分の歩みを、彼女は整理する。


 王都では、音が絶対だった。


 噛んだときの明確な応答。

 それが意思であり、思想の証明だった。


 グラシエールでは理解した。


 硬さは思想ではなく、生存戦略。

 環境が必然として生んだ形。


 アレフでは知った。


 消えることも強さになり得る。

 輪郭を持たない完成。


 だがベルニアは違う。


 ここでは、単体で完結しないことが前提。


 それは理解したはずだった。


 それでも。


 胸の奥に、わずかな抵抗が残る。


「菓子は単体で思想を持つべき」


 その声が、まだ消えていない。


 完成とは閉じた円であるべき。

 自立してこそ誠実。


 そう教えられ、そう信じてきた。


 だが今日、あの菓子は別のことを告げた。


 言葉を持たぬはずの焼き菓子が、確かに語ったのだ。


 ――私は半分です。


 半分。


 未完成ではなく、余白。


 欠落ではなく、設計。


 レティシアは指でビスコッティを転がす。


 乾いた感触。


 単体で齧れば、やはり味は淡いだろう。


 それを知っている。


 だが紅茶に浸せば、変わる。


 完成が、関係の中で立ち上がる。


 では。


 単体で完成していない菓子は、未熟なのか?


 問いが、胸を刺す。


 それとも。


 単体完成を求める側が、傲慢なのか?


 もし菓子が常に他者との協調を前提に作られているなら。


 「一人で立て」という要求こそが、暴力ではないのか。


 彼女は静かに目を閉じる。


 音を求めた過去。


 硬さを尊んだ思考。


 消える強さを受け入れた理解。


 それらはすべて、「単体」に向いていた。


 個としての完成。


 閉じた構造。


 だがベルニアは、閉じない。


 開いたまま、完成を待つ。


 それは弱さか。


 それとも、信頼か。


 レティシアの中で、はじめて答えが出ない。


 氷層クラッケンは理解できた。

 砂紋サブレも理解できた。


 だがビスコッティは違う。


 理解すればするほど、自分の理論が空洞になる。


 もし完成が他者によって決まるのなら。


 作り手の誇りはどこに置くのか。


 思想は、誰のものになるのか。


 波音が続く。


 途切れず、重ならず、ただ繰り返す。


 レティシアはゆっくりと息を吐いた。


 迷い。


 それは敗北ではない。


 だが、確かな揺らぎだった。


 彼女は初めて、自分の足場が不確かなことを認めざるを得なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ