表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢レティシアは”カリカリ”が好き  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/52

scene1:試食 ― 運命の一口 演出

銀皿は、儀式のような速度で回された。


 誰も急がない。

 急ぐ必要がないのだ。

 最適解は逃げない。標準は揺らがない。


 壇上から一歩進み出た王太子アルバートが、最初の一枚を取る。


 指先の所作は流麗で、まるで菓子そのものに敬意を払っているかのようだった。軽く掲げ、光を透かすように眺め、それから口元へ運ぶ。


 歯が沈む。


 音は、ない。


 わずかな布擦れの気配だけが、午後の庭園に落ちる。


 アルバートは目を細めた。


「……包み込まれるようだ」


 その声は柔らかく、安心を運ぶ調子で響いた。


 拍手こそ起きないが、貴族たちの肩が一斉にわずか緩む。

 王太子が肯定した。

 つまりこれは、正解である。


 隣のリリアナが、そっと一枚を手に取る。


 彼女は一瞬だけためらい、それから嬉しそうにかじった。


 小さく息を吸い込む。


「優しい……」


 その一言は、春の陽だまりのように場へ広がる。


 優しい。


 この国が好む言葉だ。

 角がなく、誰も拒まない響き。


 銀皿は次々と手を渡り、やがてレティシアの前に止まる。


 彼女は怒っていない。


 眉も動かさない。唇も歪めない。


 ただ、観察している。


 指先で一枚を摘まみ上げる。


 重さを測る。

 厚みを見る。

 縁の丸みをなぞる。


 ひびはない。

 焼き色は均一。


 静かな完成。


 彼女は、両手で軽く持ち直した。


 割ろうとする。


 親指に力をかける。


 ぱきり、と鳴るはずの瞬間。


 鳴らない。


 柔らかく、指に沈む。


 形が、わずかに歪む。


 割れない。


 ほんのわずか、彼女の視線が細くなる。


 もう一度、今度は慎重に力を加える。


 やはり、音はない。


 そのまま口へ運ぶ。


 歯が触れる。


 沈む。


 抵抗がない。


 崩壊は静かで、内部からほどけるように広がる。


 甘味が舌に溶ける。


 外界には何も響かない。


 沈黙。


 庭園の空気が、ひどく湿って感じられる。


 誰もが、彼女の言葉を待っていると、まだ自覚してはいない。


 だが確実に、視線の流れが変わった。


 公爵令嬢レティシア・ヴァルモン。


 王太子の婚約者。


 彼女がどう評するかは、軽い出来事ではない。


 レティシアは、ゆっくりと飲み込んだ。


 扇子を閉じる。


 顔を上げる。


 声は高くない。


 強くもない。


 ただ、事実を述べるように。


「……しっとりしていますわね」


 ざわり、と空気が動いた。


 否定ではない。

 称賛でもない。


 しかし、その言葉はどちらにも寄らなかった。


 王太子が穏やかに微笑む。


「それが良いのだ」


 軽やかな返答。


 場は、まだ崩れていない。


 問題は――次の一言である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ