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悪役令嬢レティシアは”カリカリ”が好き  作者: 南蛇井


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17/52

scene4:文化説明

レティシアが二枚目を口に運ぶのを見届けてから、職人は静かに炭火を整えた。


 鉄板の上で、次の生地が薄く広がる。


 円を描く手つきは迷いがない。


「驚かれましたか」


「……ええ。あまりに、残らないので」


 率直な感想だった。


 職人は小さく笑う。


「それでよいのです」


 焼き上がった一枚を布へ移しながら、彼女は続ける。


「ここは高温です。日持ちは難しい。油も砂糖も、多く使えば重くなりますし、すぐに風味が落ちます」


 確かに、市場の空気は乾いているが、熱い。


 保存という思想が、ここでは脆い。


「湿気が少ないからこそ、乾燥を利用します。崩れるのは欠点ではありません。崩壊は、設計です」


 設計。


 レティシアの胸に、言葉が沈む。


「客人が来たとき、焼きます。話をするあいだに食べきる。それで十分」


 卓の上には、包みも箱もない。


 持ち帰りの前提がない。


「遠くへ持たせる菓子ではありません。旅には向きません。戦えません」


 穏やかな声で、はっきりと言い切る。


「では……なぜ、これほど繊細に?」


 表面の砂紋を見つめながら、レティシアは問う。


 風の跡のような模様。


 一枚一枚、わずかに異なる。


 職人は少しだけ首を傾げた。


「今この瞬間のためです」


 間を置き、静かに言う。


「残らなくていいのです」


 その言葉が、確かに衝撃となった。


 残らなくていい。


 グラシエールでは、残ることが正義だった。


 凍土の遠征。

 長い狩り。

 命をつなぐ携行食。


 硬さは保存性。

 保存性は生存。


 “残る”ことが、善だった。


 だがアレフは違う。


 熱の土地。


 留めれば劣化する。


 守ろうとすれば、重くなる。


 だから、消える。


 今、目の前にいる誰かと分かち合うためだけに、存在する。


 食べ終えれば、形は消える。


 記録も残らない。


 だが、その時間は確かにあった。


 レティシアは、指先に残る微細な欠片を見つめる。


 掴もうとすれば、こぼれる。


 保とうとすれば、崩れる。


 それでも。


 確かに、満ちる。


 グラシエールは「残る」ことが正義。


 アレフは「消える」ことが正義。


 どちらも、環境が生んだ必然。


 思想ではない。


 結果だ。


 レティシアは静かに息を吸う。


 熱い空気が肺を満たす。


 音の強度でも、硬さの優劣でもない。


 菓子は、その土地の時間のかたち。


 その理解が、ゆっくりと胸の奥で形を変え始めていた。

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